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2012/10/04
ひとりの旅の僧侶が吹雪の山を歩いていた。
昼なお暗く、天狗や山姥が棲むという。
冬ならば、雪女が袖を引くという。
「お待ちなされ。そこなお坊様」
背中を凍らせるような冷たい声がした。
振り返ると、白装束の女の姿があった。
その美しさに僧侶は身動きできなくなった。
「お山へ、なんの用かえ」
女の吐いた白い息で、僧侶の足は凍りついた。
「私は、雪女に会いに来たのです」
「おやおや。なんでまた会いたいと」
女の白い手が触れ、僧侶の腕と肩は凍った。
「わたくしの、母上だからです」
女は吹雪のような白い息を吐いた。
その瞬間、僧侶は気を失った。
吹雪は止み、澄んだ月夜であった。
まわりの雪がとけ、僧侶は土の上にいた。
僧侶は生きていた。
雪女の姿はなかった。
僧侶の腹の上に、濡れた白装束があるばかり。
「やっと会えたというのに」
梢の雪を落とし、風が吹き抜けていった。
2012/10/03
どうだ、おまえ。
こんな酒、見たことなかろ。
なんでも火の国の地酒なんだと。
羨ましいか。すげえうめえらしいぞ。
のん兵衛にはこたえられん酒なんだと。
飲めるんなら、火の中でも飛び込むとか。
だから、一口でも飲んだら危険なんだと。
もう飲むことしか考えられなくなってな。
たとえば、殺人だってやりかねないと。
なんてね、酒屋の親父が言ってた。
もちろん、冗談だろうけどさ。
おい、なんだその眼は。
なんか燃えてるぞ。
まさか、おまえ。
2012/10/02
ナイフの刃を喉に当てられている。
身動きできない。
動けば殺される。
「あんた、私が怖いのかしら」
正直なところ怖い。
もう失禁してる。
だが今、彼女に嫌われるのは
もっと怖い。
退屈な奴と思われるくらいなら
死んだ方がマシだ。
「怖くないと言っても、信じないくせに」
声が震えていた。
仕方あるまい。
笑う彼女。
軽く見られたかもしれない。
「信じてあげてもいいわよ」
どうすれば彼女を満足させられるのか。
意識をめぐらすのだ。
手段はあるはずだ。
「君の鼓動が聴こえるよ」
彼女の胸に押し当てた耳たぶ。
心に余裕があるように思われて欲しい。
「それ、自分の鼓動じゃないの?」
驚いた。
指摘されるとそんな気もする。
しかし、簡単に認めてはいけない。
「たぶん、君と同じリズムなんだ」
強がりか。
馴れ馴れしかったか。
「あら、それは光栄ね」
皮肉に違いない。
彼女の声は正直だ。
ナイフの刃先が喉に突き刺さる。
鼓動が弱まる。
意識が遠のいてゆく。
2012/10/02
胸の内に入りて
臓腑を喰い破るもの
頭の内に潜り
脳を腐らせるもの
腰を折り
背骨を曲げ
四肢を萎えさせ
首を項垂らせんとする
ああ 汝の名は
言うも 憂鬱
2012/10/01
君と来た道
遠い道
小川のせせらぎ
今はなく
山並みどこへ
消えたやら
君と来た道
遠い道
2012/09/30
街は人の心を閉鎖する
海はそれを解放する
だから
渚で芽生えた恋を
そのまま持ち帰るのは
至難の業
2012/09/29
誰かと一緒だったような気がする。
あの夜、ひとりではなかったはずだ。
空腹でもないのに食堂に入った。
かなり酔っていたらしい。
「美女の舌びらめのムニエルをくれ」
ほんの冗談のつもりだった。
美しいウェイトレスだったから。
「はい。かしこまりました」
なぜか笑ってもらえなかった。
しばらくして運ばれてきたそれは
なんとも奇妙な料理だった。
ウェイトレスの顔は蒼ざめていた。
片手で口もとを押さえているのは
吐き気をこらえているのだろうか。
さすがに心配になってきた。
「あんた、大丈夫か?」
その娘は必死で首を振るのだった。
しっかりと口もとを押さえたまま。
2012/09/28
これで僕たちは
どうしたって
本当に
お別れだけど
ちょっとだけ
ほんのちょっとだけ
お願い
さよならの前に
微笑んで
2012/09/27
風の横笛
吹く夜は
雷太鼓も
鳴りまする
ピーヒャラ
ドンドコ
ピーヒャララ
風の祭りの
笛太鼓
時には鐘も
鳴りまする
ピーヒャラ
ドンドコ
ガラガラドン
2012/09/27
印象のない街角で待っていた
通り過ぎてゆく顔のない人々
誰もかれもさびしそうに見える
手首にすがるように立ち去る
針をなくした腕時計たち
嬉しくも哀しくもない思い出
話しかけたりしないで欲しい
待っているだけなのだから
いつまでもいつまでも
ずっとこうして
こうやって