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2012/10/17
ひとり、帰り道を急いでいた。
ただし、急いでいた理由は思い出せない。
街灯の配置により、右側が明るく、左側が暗い。
ふと、暗い側を歩いている自分に気づく。
かなり疲れているらしい。
おや、向こうから騒がしい声がする。
ああ、羊だ。
毛並みのそろった羊の群。
ぺちゃくちゃ喋りながら移動している。
「あたし、どうも靴下がうまくはけないのよ」
「なら、はかなきゃいいじゃない」
「だって寒いんだもん」
「あんた、羊毛だけやめてよね」
羊の群がきれいに笑う。
指揮者のいるコーラスみたいに。
でも、なにがおかしいのかよくわからない。
やがて、羊の群は通りすぎてゆく。
ドップラー効果により
メエーメエーと鳴くばかりだ。
ため息が出た。
やはり街灯が暗い。
いまにも切れそうにウインクする電球。
これは本当に帰り道なのだろうか。
だんだん心配になってくる。
2012/10/16
額にキノコが生えてきたので
あわてて近所の薬局へと走った。
深夜営業の薬局の主とは顔なじみだった。
「あんた、運が良かったよ。もし鼻だったら」
「キノコが鼻に生えたら、どうなる?」
「そりゃ勿論、女の子に笑われます」
嬉しそうな主の笑顔。
こっちは嬉しくもなんともない。
なにはともあれ、薬だ。
あやしげな大小様々な薬品類が
いわくありげな棚に隙間なく陳列されている。
「額のキノコに効く薬、ないかな?」
「ええとだね、これは昔からある奴だけど」
「・・・ちょっと。それ、醤油だろ?」
「うん。焼いて掛けて食べると、すっごく旨いんだ」
よだれを垂らしている。
明らかに薬のやりすぎだ。
「お客様。どうもすみません」
店の奥から娘が現われた。
まだ学生だった。
彼女は父親である主を店の奥に下がらせる。
「最近、父はちょっとおかしいんです」
その初々しい頬を恥ずかしそうに赤らめる。
「ええと、額のキノコに効くのは、こちらです」
「・・・これって、あの、まさか・・・」
「そうです。まさに避妊具です」
2012/10/14
白い粉が紙袋の中に入っている。
おそらく小麦粉であろう。
その粉をビーカーの中に入れ、
線香のように数本の試験管を立る。
どうやら化学実験をしているらしい。
部屋に友だちがやってくる。
なにごとか話してから彼は立ち去る。
おかげで白い粉のことは忘れてしまった。
僕はベッドの端に腰かけ、
しばらくぼんやりしていた。
すると、部屋は寝室だったのかもしれない。
ふと、視界の端に黄色く光るものが見えた。
床の上に白い粉の入ったビーカーがあった。
それを持ち上げる。
火がついている。
立てた数本の試験管から
まるでロウソクみたいに炎が出ていた。
熱で試験管が割れそうな気がして
この火をすぐに消さなければならない。
そんなふうに僕は思う。
ところが
息を吹きかけても
ビーカーを振っても
指先を泳がせてみても
いかにも楽しそうに炎は揺れるだけ。
このままでは爆発するかもしれない。
部屋の中で爆発されては困る。
僕は急いで窓から出ると
トタン屋根の上に裸足で立つ。
ビーカーが割れるのを心配して
どこから取り出したのか
大きなビーカーの中にビーカーを入れようとする。
けれど、大きなビーカーはあまり大きくなくて
外側のビーカーの方が割れてしまう。
ガラスの破片が屋根の上に散らばる。
そのまま滑って軒下の庭の上に落ちてゆく。
「痛いな。ああ、痛いな」
ここからでは姿は見えないけれども
女の子の声がする。
ガラスの破片が刺さったに違いない。
ガラスの破片は下に落ち続けている。
下からは女の子の声が聞こえ続けている。
「訴えてやる。訴えてやる。訴えてやる。
あたしはあんたを決して許さない」
なんとも不安な気分になる。
なのに、まだビーカーの火は消えそうにないのだ。
2012/10/12
彼女は不眠症ではない。
まるで眠ったことがないのである。
生まれてからずっと起き続けている。
おそらく育児は大変だったはずである。
両親とも若くして亡くなっている。
疲労すれば眠くなるであろう。
しかし、彼女は疲れを知らない。
小さな海なら、端から端まで泳ぎ切ってしまう。
それこそ一睡もせずに。
退屈すれば眠くなるもの。
ところが、彼女は飽きることがない。
百科事典全巻を十回だって読み返す。
睡眠薬も催眠術も彼女には効かない。
致死量飲んでも綱渡りができる。
催眠術師は先に眠ってしまう。
べつに眠りたいとは思わない。
けれど、夢は見てみたい。
彼女は、夢を見たことがない。
だから彼女の夢は、夢を見ること。
まだ見ぬ夢について、彼女は考える。
あるいは、そんな彼女こそ
誰かの夢かもしれないのだけれど。
2012/10/11
ねえ、ちょっと耳貸してくれる?
ううん、ひとつでいいの。
ふたつはいらないの。
あのね、これは内緒の話なの。
絶対に誰にも聞かれたくないの。
あら。
もちろん、あなたは別よ。
あのね、あのね、あのねのね。
困ったわ。
ううん、違うの。
なんだか恥ずかしくなっちゃって。
こらっ、だめよ。
勇気を出さなくっちゃ。
ああ、ごめんなさい。
独り言なの。
絶対に笑わないでね。
約束よ。
もし笑ったら、殺しちゃうから。
やーね、冗談よ。
冗談だったら。
あんたのそんなとこ、好きよ。
でもね、告白なんかじゃないの。
残念ながら、そんな話じゃないの。
笑わないでね。
平気な顔してね。
みんなに怪しまれたくないから。
そう。
やっと気づいたのね。
そうなのよ。
私たち、体が入れ替わっているの。
2012/10/10
俺は、しがない探偵だ。
男を尾行している。
浮気の調査だ。
久しぶりの仕事である。
しかも、かなりおいしい。
ターゲットは世界的な大企業の会長。
その会長夫人からの依頼なのだ。
男の浮気現場を押さえることができれば
服も買ってやれない俺の婚約者に
なんとか結婚指輪を買ってやれるのだ。
俺にはもったいないほどの美人。
まったく彼女には苦労かけさせてしまった。
俺が喰わせてもらってるようなものだ。
だが、それも今夜まで。
さあ、早く来い。
じらすんじゃない。
来た!
浮気相手の女が現れた。
かなり若い女だ。
くそっ。
金持ちどもときたら。
慎重にカメラのシャッターを切る。
やった!
ざまあみろ。
やれやれ、やっとこれで結婚できるぞ。
それにしても、いい女だな。
あっ、彼女!
・・・・・・俺の婚約者だ。
2012/10/09
増改築が繰り返された複合ビル。
わけのわからない店があちらこちらにある。
百貨店をひっくり返したような景観。
ここに私がいるのは帽子を買うためだ。
帽子なんか嫌いなのに、おかしなこと。
いつしか私は迷子になっていた。
エスカレーターがいたるところにある。
しかも曲がっているものばかり。
上昇している途中で下降し始めるもの。
ぐるりと回って元の場所に戻るものまである。
ふざけているとしか思えない。
私は困ってしまった。
店員らしき若者に道を尋ねてみた。
「ええと、そこへ行くためにはですね、
ちょっと口では説明できないので」
親切にも彼は、私と一緒に歩いて
帽子売り場への道を教えてれると言う。
いくつかエスカレーターを乗り継ぐ。
「あなた、ここの店員さんですよね」
「いいえ。ここの住人なんです」
内心の驚きが顔に出ないよう
私は目を伏せなければならなかった。
「さあ、ほとんど着きましたよ」
「ああ、どうもありがとうございます」
「あとは半歩進んで一歩下がれば着きます」
「もう大丈夫です。助かりました」
一歩進んだところにエスカレーターがあった。
それに乗ろうとすると、若者が叫んだ。
「違います。一歩でなくて半歩です」
あわてて私は足を引っ込めた。
深呼吸してから、慎重に半歩進んでみた。
そこに別のエスカレーターがあった。
進んだ逆の方向に向かって動いている。
(ああ、これが「戻る」という意味か)
そのように私は納得して
そのエスカレーターに乗ろうとする。
すると、ふたたび若者は叫んだ。
「違います。そこから一歩戻るのです」
もう私は途方に暮れるしかないのだった。
2012/10/08
真夜中の病院。
女性看護師が悲鳴をあげ、
そのまま転がるように廊下を走り去った。
目が異常に冴え、
暗闇のはずなのに明るく見える。
手鏡を覗いてみると
両目が炎のように光っていた。
病室の闇に浮かぶ青白いふたつの炎。
新米看護師でなくても驚くはずだ。
交通事故に遭ってから眠れないのだ。
頭部打撲が原因としか考えられないが
記憶も意識もしっかりしている。
ただし、脳波に異常があるのだそうだ。
正常と比べて波形が逆転しているらしい。
生理学的にあり得ないとのこと。
また、物理学的にも不可解という。
「わははは。面白い!」
病室の入り口で父が笑う。
「ドアを閉めると、ドアが閉まる」
父が病室のドアを開閉している。
「ドアを開けると、ドアが開く」
それから床に転がって笑う。
なにが面白いのか
さっぱり僕にはわからない。
そもそも本当の僕の父は
すでに亡くなって久しいのだ。
その父は
やがて友人の顔になる。
踊るように駆け寄り、
僕のベッドの脇に立つ。
友人は少年の頃のままで
なぜか女装している。
「こっちは楽しいね」
友人の手が伸びてきて
僕の傷に触れる。
「だって、あっちでは感じないもの」
包帯の上から撫でる。
傷口が痛む。
「ほらね。君の顔が歪んだ」
そういえば久しぶりだった。
本物の友人は
遠い外国にいるはずなのだから。
突然、
廊下に騒がしく靴音が響いた。
女装した友人はベッドの下に隠れる。
「お願い。みんなには黙っていてね」
「うん。そのつもりさ」
友人との忌まわしい過去について
僕は誰にも喋るつもりはなかった。
目を閉じて眠ったふりをする。
そして、僕は
笑いを必死にこらえた。
なにしろ彼が
ベッドの下に隠れるとは意外だった。
これが普通の夢なら
目が覚めて消えるだけなのに。
2012/10/07
白い制服の男に呼び止められた。
「君、女の子の足首をつかんだそうだな」
失礼な気はしたが、私はうなずく。
若い女性の足首は、私の趣味なのだ。
「しかも、頬ずりまでしたそうじゃないか」
あの柔らかな肌触りがよみがえる。
そのため、つい頬の筋肉が緩んでしまう。
「困るね。それ、ルール違反だよ」
理解に苦しむ、という表情を私は装った。
「そんなルールまであるんですか?」
「ないと思うだろう。
ところが、あるんだな、これが」
男は背中からリュックサックを下ろすと
中から一冊、分厚い本を引き出した。
それからしばらくページをめくっていたが
やがて私に細かい文字を示すのだった。
なるほど、確かに明文化されていた。
「ルールなら仕方りませんね」
私は靴と靴下を脱いで裸足になった。
男は地面にひざまずく。
そして、私の足首をつかんだ。
私は天を見上げる。
その瞬間、ふくらはぎに異様な感触があった。
「うっううう・・・・・・」
その感触あまりに耐え難く、
思わず声がもれてしまった。
「これからは注意しろよ。
なにしろルールなんだからな」
白い制服の男は言い捨てると
両手で頬をこすりながら立ち去った。
私は靴下を履きながら
どこまでも深く深く反省するのだった。
2012/10/06
僕はなんだか
飛べそうな予感がする。
ほとんど走るような調子で歩き出すと
前方へ落ちるように傾いた地面から
徐々に足が離れてゆくのがわかる。
飛行機の翼みたいに両腕を横へ拡げ、
両脚をまっすぐ後方へ伸ばしてみる。
落ちもせず
転びもせず
膝を擦りむくこともなく
そのまま地面すれすれに浮いたまま
空中を滑るように
僕は飛ぶ。
地面の傾斜が緩やかになる地点で
まとまった大きな向かい風に乗り上げ
少しずつ少しずつ
確実に上昇を始める。
前進するスピードに衰える気配はなく
さらに昇ってゆくのが
しごく自然なことであるような気がする。
馬鹿みたいに口を開けたまま
地上から見上げるだけの友人たちに
僕は手を振る。
(やつら、きっと泣くほど羨ましがるぞ)
広がりつつある大地を見下ろしながら
このままなんにも考えず
鳥みたいに
どこまでもどこまでも
飛んでゆこう
と僕は思う。