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2008/09/25
おととい、息子が発病した。
昨日、妻も発病した。
そして、ついに今日、
私まで発病してしまった。
「もう、おしまいだ」
われながら情けない声であった。
「もう、いやだよ」
息子がうしろ脚で立っていた。
「もう、気が狂いそうだわ」
妻の頭からツノが消えていた。
親子そろって抱き合って泣いた。
もう不安で不安でしかたがない。
これからどうやって生活するのか。
いくら悔やんでも悔やみきれない。
あんなの、迷信だとばかり思っていた。
だが、考えが甘かったのだ。
とうとう人間になってしまった。
食べた後、すぐに寝なかったから。
2008/09/24
ある年のこと、
ひとりの農夫が
鍬をかついで山の畑に着いてみると
畑の真ん中に大きな木の桶が置いてあった。
そして、その桶の中で
見知らぬ若い女が沐浴をしていた。
農夫は目を丸くした。
「あんた、なにしとるんだ?」
裸の女はにっこり笑った。
「うふふ。見てのとおりよ」
「ここは、おらの畑だ」
「あら、そうなの?」
農夫は、あいた口が塞がらなかった。
あたりを見まわしても
ふたりの他に人の姿はない。
畑と雑木林と青い空があるばかりだ。
「こんな大きな桶、どうやって運んだ」
「さあ、どうやってかしら」
「水はどこから持ってきたんだ」
「さあ、どこからかしら」
透けるような白い肌を見せつけるように
女は体を洗い続けるのだった。
「・・・・・・まあ、いいけどよ」
農夫は諦め、畑を耕し始めた。
畑の端から黙々と鍬を入れてゆく。
桶のある真ん中を残して
とうとう全部掘り返してしまった。
「あんた、ずいぶん長湯だな」
「あら、そうかしら」
「それに、ずいぶんおかしな女だ」
女はにっこり笑う。
「どういたしまして」
農夫は、おもむろに鍬を振り上げた。
「ここは、おらの畑だ」
「あら、そうなの?」
「この桶に鍬を入れてもいいかな」
「あら、だめよ」
「いいじゃねえか」
「よしなさいよ。だめだったら」
「おら、もう我慢ならねえだ!」
かまわず農夫は鍬を振り下ろした。
女の鋭い悲鳴があたりに響き渡った。
桶が割れ、水が畑にあふれた。
農夫は呆気にとられた。
桶も女の姿も消えてしまったのだ。
あとには濡れた畑があるばかり。
土に刺さった鍬を引き抜いてみると、
刃こぼれが大層ひどかったそうだ。
狐にでも化かされたのだろうか。
さて、それはともかく、
その年から数年間というもの
この畑では豊作が続いたという。
やれやれ、くたびれた。
どっこいしょっと。
2008/09/23
ひどい目にあうぞ。それでも聞くのか。
そうか、そんなに聞きたいか。
しょうがないの。わしゃ知らんぞ。
これは、わしがまだ子どもだった頃に
わしの婆さんから聞いた話じゃ。
ほんにその婆さんもな、
この話だけは語りたくなかったようじゃ。
でも、わしが一所懸命せがむもんで
婆さんはしぶしぶ話してくれたんよ。
そりゃもう、おっかない顔してな。
で、その婆さんのおそろしい話はの、
こんなふうに始まるんじゃ。
ひどい目にあうぞ。それでも聞くのか。
そうか、そんなに聞きたいのか。
しょうがないの。わしゃ知らんぞ。
これは、わしがまだ子どもだった頃に
わしの婆さんから聞いた話じゃ。
ほんにその婆さんもな、
この話だけは語りたくなかったようじゃ。
でも、わしが一所懸命せがむもんで
婆さんはしぶしぶ話してくれたんよ。
そりゃもう、おっかない顔してな。
で、その婆さんのおそろしい話はの、
こんなふうに始まるんじゃ。
ひどい目にあうぞ。それでも聞くのか。
そうかそうか。もう聞きたくないか。
やれやれ。まったくもって、弱虫じゃの。
2008/09/23
植木に水をくれていたところだった。
「あの、すみません」
垣根越し、女の子に声をかけられた。
「ノンノン堂という店はどこでしょう?」
知らなかった。
初めて耳にする名前だった。
そこそこ住み慣れた町である。
生まれ育った町ではないが大抵は知っている。
「どんな店なの?」
「この近くにあると聞いたんですけど・・・・・・」
返事が拙いのは幼いからだろうか。
どんな店か説明しにくい店かもしれない。
教えてやりたいが残念だ。
「わからないな」
「・・・・・・そうですか」
その子は行ってしまった
気落ちした表情が同情を誘った。
夕食のとき、家族に尋ねてみた。
やはり誰も知らないのだった。
数日後、ふたたび道を尋ねられた。
茶色に髪を染めた少年だった。
「あの、ノンノン堂はどこですか?」
またか、と思った。
「なにを売ってる店?」
「いや、友だちに聞いただけなんで・・・・・・」
あの女の子と同じような返事だ。
「ごめん。わからないな」
「・・・・・・どうも」
その翌日も道を尋ねられた。
少女と男の子だった。
「ノンノン堂という店はどこでしょう?」
「ノンノン堂はどこ?」
この町の住人でないことだけは確かだ。
「知りません」
「知らん」
さらに翌日は十人に尋ねられた。
やはりノンノン堂だらけであった。
隣に住む奥さんまで尋ねるのだ、
「ねえ。ノンノン堂って、ご存じ?」
さすがに頭にきた。
怒るよ、もう。
立て札を作って垣根の前に立てることにした。
板切れを近所から譲ってもらった。
『ノンノン堂とかいう店は知らん!』
そんな文面を考えていた。
だが、途中で気が変わった。
立て札はやめることにした。
ノコギリを挽きながら吹き出してしまった。
別のものを作ることにした。
そして、完成した。
『ノンノン堂』
なかなか立派な看板ができあがった。
家の門柱に掲げるつもりである。
これでもう道を尋ねられることはあるまい。
だが、その前に決めておく必要がある。
さて、なんの店にしてやろうか。
2008/09/23
猫は一度こちらを振り返ると
そのまま雑木林へ逃げ込んでいった。
まるで僕を誘惑するみたいに
茂みの奥へと姿を消してしまった。
ひとりで足を踏み入れてはいけない、
そう大人から言われている場所だった。
ひょっとすると、あの猫の罠かもしれない。
でも、いまさら引き返したくなかった。
あいつをこのまま逃がしたくなかった。
だから、僕は道をはずれ、茂みをかき分け、
たったひとり、雑木林に入っていったんだ。
人の気配のない雑木林の中は薄暗く、
ひんやり、ひっそりとしていた。
切り抜き色紙のような木漏れ日が
クモの巣を銀色に浮かび上がらせていた。
なんとも言えないにおいがして
あちこちに不法投棄物が目についた。
空缶、空ビン、濡れた雑誌、ポリ袋、
錆びた自転車まで捨てられてあった。
着せ替え人形が腐葉土に埋もれていた。
汚れた人形の腕を持ち上げると
腰の部分から千切れてしまった。
近くに、いやらしい色彩の毒キノコが
落葉を押し上げるように突き出ていた。
その不気味な傘のところを蹴飛ばすと
黄色っぽい煙のような粉が舞った。
吸い込まないように
僕は顔をそむけた。
なかなか猫の姿は見つからなかった。
音を立てないように注意しながら、
さらに奥へと雑木林を進んでいった。
大きな切り株があった。
年輪のあるその丸いテーブルの上、
トカゲの尻尾がのたうちまわっていた。
あの猫のいたずらに違いない。
いかにもあいつがやりそうなことだ。
しばらくすると
尻尾は動かなくなった。
なんだかいやな予感がした。
そして、その予感は正しかったのだ。
なにか白いものが木々の間に見えた。
それはゆっくり動いていた。
僕は立ちすくんでしまった。
あれは大人たちが噂していた怪物。
見てはいけないものを見てしまったのだ。
うっかり枯れ枝を踏んでしまい、
その折れる音があたりに響き渡った。
本当に心臓が止まりそうになった。
恐ろしい姿の白い怪物がこちらを向いた。
まともに目と目が合ってしまった。
やはり、あいつの罠だったんだ。
足を踏み入れてはいけなかったんだ。
肉食の獣が獲物を見つけたみたいに
いやらしく舌なめずりしながら
白い怪物はニタリと笑うのだった。
なにも考えられなかった。
立ちすくんで、一歩も動けなかった。
ヘビににらまれたカエルみたいだった。
ゆっくりと白い怪物が近づいてきた。
周囲の木立ちが手をつなぎ始めた。
ここから絶対に逃がさないつもりなのだ。
木々の樹皮が横に裂け、ニタリと笑った。
もう僕はダメになるんだ、と思った。
どこか遠く、
あるいは耳もとかもしれないけど
あいつの鳴き声を聞いたような気がした。
2008/09/23
重苦しい吐息のような霧に包まれ、
聞こえるのは
櫓を漕ぐ音と舟に当たる水音。
そして、ときどき気味の悪い怪鳥の叫び。
この沼は腐ってる。
吐きそうな臭いがする。
実際、これまでうんざりするくらい吐いた。
忘れた頃、
沼の澱んだ水面に死体が浮かぶ。
浮かぶ死体を沈めるのが
沼の番人の仕事だ。
錘を付けても
ガスが溜まって浮かぶのだ。
膨らんだ死体は
竹槍で刺すと簡単に沈む。
穴を開けてガスを抜けば
再び沼の底に帰る。
錘が外れて浮かぶ死体の処置は面倒である。
鎖を巻いてやれば沈むのだが容易ではない。
その鎖を巻くために沼に落ちそうになる。
沼の番人が死体になっては話にならない。
滅多にないが
浮かんだ死体が喋ったりする。
「よう、沼の番人。あんたも大変だね」
思わず竹槍でブスブス突きまくってしまう。
あるいは、気が変になったのかもしれない。
こんな因果な仕事をしていたら無理もない。
一度だけ美女の死体が浮かんだことがあった。
まるで微笑んでいるような美しい表情だった。
これは生きているのかもしれないと思った。
だが、引き上げてみたら腰から下がなかった。
嫌になったね。
あのときは死ぬほど吐いた。
やれやれ、またひとつ死体が浮かんできた。
はて、誰であったか。
見覚えのある顔だが。
なんだ。
俺の顔が沼の水面に映ったのか。
笑わせるが、
こいつの顔は笑ってない。
2008/09/22
ぼくはニンジンがきらいだった。
でも、おかあさんがおこるから
いやなんだけど、むりに食べてみた。
そうしたら、甘くておいしかった。
どうしてニンジンがおいしいのか
ぼくにはわけがわからなかった。
「生のニンジンは甘いのよ」
おかあさんが教えてくれた。
「今のニンジン、においも少ないしね」
それで、ぼくはニンジンが好きになった。
まい日、おやつに生のまま食べた。
ある日、学校からはやく帰ったとき、
ぼくは一本の大きなニンジンを見つけた。
それは台所のテーブルの上にあった。
おかあさんはいなかったけど
おやつだと思って、ぼくは食べた。
信じられないくらい甘くておいしかった。
でも、すごく大きなニンジンだったから
ぼくは半分しか食べられなかった。
のこりの半分はテーブルの上においた。
それから、ぼくは
おなかがいっぱいになって
なんだかきゅうに眠くなって
じぶんのへやでねようと思って
かいだんをのぼって二かいへあがって
へやのドアをあけて
びっくりした。
ぼくのベッドの上におかあさんがいて
しかもはだかでねていたから。
おかあさんはニンジンそっくりの色をして
からだがちょうど半分しかなかった。
2008/09/21
一匹のナメクジが
あなたのからだを這っている。
突然変異による
太くて巨大なナメクジ。
気味が悪くて
あなたはつかむこともできない。
それをいいことにナメクジは
わがもの顔で這いまわる。
あなたのからだのいたるところを
上から下まで、裏も表も、内も外も
とても信じられないような奥の奥まで
ぬらぬらした半透明の粘液を垂らしながら
ひたひた、もぞもぞ、ぬめぬめ、・・・・・・
もうあなたは
気を失いかけている。
あまりのおぞましさに
鳥肌が立っている。
ところが、
この軟体動物は鳥肌が大好物。
ツノのような触覚が
微妙な皮膚の表面をさぐる。
あなたはもう
ほとんどキュウリの気分。
冷たく血の気が引いて
顔は緑色になる。
立ち上がることも
逃げることもできない。
死ぬかもしれない
とあなたは思う。
さらに
そのいやらしさを増しながら
突然、
ナメクジが分裂して二匹になる。
雌雄同体、
そっくりな二匹のナメクジ。
二匹はあなたをはさんで絡みつく。
ほとんどからだのすべてを覆われ、
あなたはもう
皮膚呼吸さえできない。
おいつめられたあなたは
幻を見る。
平凡な家庭のありふれた食卓風景。
あなたがまだ幼かった頃の記憶。
パパがいる。
ママもいる。
弟が笑っている。
きれいに盛り付けられた
料理の皿たち。
「ねえ、お願い・・・・・・」
あなたは温かな食卓に手を伸ばす。
「お塩、とって・・・・・・」
2008/09/21
授業中、教室に波が押し寄せてきた。
床はすっかり水浸しになった。
正面の黒板にまで波の飛沫がかかり、
無数の小さな黒い点々がついた。
「じつにけしからん!」
教師はチョークを波に投げつけた。
「ここは浜辺じゃないんだぞ」
教壇はすっかり四角な小島になっていて
彼が怒るのも無理ないな、と思った。
教室のあちこちで悲鳴があがり、
生徒たちは椅子や机の上に避難した。
「どこからやってきたのかしら?」
すぐ隣の席の女子生徒が自問している。
彼女の靴と靴下は両足とも濡れていた。
「ちゃんと扉は閉まっているのに・・・・・・」
窓もみんな閉まっていた。
波が入ってくる隙間はないはずだった。
「みんな、波なんか無視しろ」
教師は授業を続けようとしている。
「こんなの気のせいだ。幻にすぎない」
それでも波は教室に打ち寄せている。
懐かしい潮の香りさえする。
級長でもある男子生徒が手をあげた。
「先生」
「なんだ」
「僕、この波に見覚えがあります」
「なに、本当か」
「はい」
「どこの波なんだ」
「去年、僕が溺れた夏の海です」
その途端、彼は波にさらわれてしまった。
見上げると、カモメが飛んでいる。
もう波の音しか聞こえないのだった。
2008/09/21
小さな娘が大きな声で泣いていました。
いつまでもいつまでも泣き続けるのでした。
村人たちが心配そうに声をかけます。
「ねえ、どうして泣いているの?」
しゃくりあげながら、娘がこたえます。
「だって、みんな、かわいそうだから・・・・・・」
村人たちは顔を見合わせました。
そよ風に稲穂の波がゆれます。
「なにがかわいそうなの?」
ますます大きな声で娘は泣くのでした。
「だって・・・・・・」
はなをすすりながら言うのです。
「あたいが、こんなに泣いてばかりいるから・・・・・・」
案山子みたいな顔の村人たちに見守られ、
娘はいつまでも、ただ泣くばかり。