生家には大きな振り子時計があった。
小さな子なら入り込めるほど大きかった。
観音開きの扉を開け、時計の奥に潜り込む。
ただし途中、振り子に触れてはならない。
振り子が左右どちらかに寄った瞬間を狙う。
もし振り子に触れたら、気が狂ってしまう。
そのように祖母におどされていた。
僕など、振り子に何度触れたかわからない。
兄もそうだ。
でも、兄は本当に狂ってしまった。
兄の場合、振り子を止めてしまったのだ。
止まった時計の奥、膝を抱えた兄の姿。
もう兄は一言も喋れなくなっていた。
それが偶然だったのかどうか
僕にはわからない。
当然だが、すぐに振り子時計は壊された。
その直後、迷信好きの祖母は倒れ、
最期まで振り子時計の祟りを信じたまま亡くなった。
それから色々なことがあったけど、
高校を卒業すると、僕はすぐに上京した。
都会でのひとり暮らしは楽ではなかった。
友人もできず、孤独な毎日だった。
それでも、やがて僕にも恋人ができた。
恋人は、あの振り子を連想させた。
あちらへ揺れ、こちらに揺れ、
暗い観音開きの扉の中で揺れ続け、
触れると気が狂ってしまうような少女。
でも、彼女の体に触れるくらいなら大丈夫。
僕など、彼女に何度触れたかわからない。
揺れる振り子を止めなければいい。
振り子時計を壊したりしなければいい。
(つまり、彼女と別れなければいいんだ)
そんなふうに、僕は単純に考えていた。
ところが、ある日突然、
彼女が消えてしまった。
なんの予告もなく、置手紙すらなかった。
彼女の服も靴も持ち物も、みんな消えていた。
僕と一緒に撮った写真まで消えていた。
はじめから恋人なんかいないみたいだった。
僕は膝を抱えて床にうずくまった。
その姿は、あの古時計の奥にいた兄と同じ。
目を閉じると、振り子が見える。
目に見えない時を刻み続ける振り子。
暗い扉の中で左右に揺れ続ける振り子。
この振り子を止めてはならない。
もし止めたら、気が狂ってしまう。
僕はうずくまったまま、そう思った。
おそらく迷信に過ぎないのだろう。
だけど今でも僕は
そう思っている。
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