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  • ヴェルレーヌ研究

    2008/11/30

    論 説

    フランス象徴派の詩人として名高いポール・ヴェルレーヌ
    いくつかの作品を分析してみたい。


      秋の日の
      ヰ゛オロンの
      ためいきの
      身にしみて
      ひたぶるに
      うら悲し。

      鐘の音に
      胸ふたぎ
      色かえて
      涙ぐむ
      過ぎし日の
      おもいでや。

      げにわれは
      うらぶれて
      ここかしこ
      さだめなく
      とび散らう
      落葉かな。
                           (上田敏訳)


    有名な『落葉』である。

    「ヰ゛オロン」はヴァイオリン。
    「ヰ゛」は「ゐ」の濁音で、「vi」の苦しい発音表記。
    現代なら「ヴィオロン」と表記するところ。

    読みやすく、素朴で、美しい詩だと思う。

    だが、「秋という季節に特有の感傷的な気分」を
    歌ったにしては、表現がややオーバーではなかろうか。

    感じやすい女学生や詩人ならともかく、
    一般人にはそぐわないものがあるような気がする。

    できれば誰にでもしっくりくる詩にしたい。

    そこで、試みとして、次のように表現を変形してみよう。


      秋の日の
      ヰ゛オロンの
      ためいきの
      歯にしみて
      ひきつるに
      あな痛し。

      鐘の音に
      頬おさえ
      転がりて
      涙ぐむ
      食べし日の
      おもいでや。

      げにわれは
      うらぶれて
      ここかしこ
      さだめなく
      腐りゆく
      虫歯かな。


    『虫歯』である。

    やはり表現はオーバーかもしれないが、象徴的な曖昧なものを
    具体的なわかりやすいものに置き換えただけで、
    これなら一般人にもしっくりくるものがあると思う。

    また、音楽性や素朴な構成の美しさも損ねてはいないと思う。


      巷に雨の降るごとく
      われの心に涙ふる
      かくも心に滲み入る
      この悲しみは何ならん?

      やるせなき心のためには
      おお、雨の歌よ!
      やさしい雨のひびきは
      地上にも屋上にも!

      消えも入りなん心のうちに
      故もなく雨は涙す。
      何事ぞ! 裏切りもなきにあらずや?
      この喪その故を知らず。

      故知れぬかなしみぞ
      げにこよなくも堪えがたし
      恋もなく恨みもなきに
      わが心かくもかなし!
                          (堀口大学訳)


    次は、これも有名な『巷に雨の降るごとく』である。

    やはり美しい詩であるが、
    これも「雨の日に特有の鬱々と沈んだ感情」を歌ったにしては、
    普通の人には大袈裟に感じざるを得ない。

    具体的なイメージが欲しいところである。


      巷に雨のふるごとく
      われの頭の毛がぬける
      かくも心に滲み入る
      この悲しみは何ならん?

      やるせなきぬけ毛のためには
      おお、雨の歌よ!
      いやらしいき雨のひびきは
      額にも頭頂にも!

      消えも入りなん毛髪のうちに
      故もなく雨は涙す。
      何事ぞ! 裏切りにもなきにあらずや?
      この喪その故を知らず。

      故知れぬかなしみぞ
      げにこよなくも堪えがたし
      かつらもなく薬もなきに
      わが心かくもかなし!


    ヴェルレーヌの写真を思い出せば、
    「ああ、なるほど!」と頷けるのではなかろうか。

    ただし、あまりに理解しやすいイメージのために、
    趣や深みがなくなっている。

    笑い話と同じで、笑ってそれだけで終わりそうである。


      空は屋根のかなたに
        かくも静かに、かくも青し。
      樹は屋根のかなたに
        青き葉をゆする。

      打ち仰ぐ空高く御寺の鐘は
        やわらかく鳴る。
      打ち仰ぐ樹の上に鳥は
        かなしく歌う。

      ああ神よ。質朴なる人生は
        かしこなしけり。
      かの平和なる物のひびきは
        街より来る。

      君、過ぎし日に何をかなせし。
        君いまこそここにただ嘆く。
      語れや、君、そも若きおり
        何をかなせし。
                          (永井荷風訳)


    最後の詩は『無題』である。

    具体的な名前さえないのだから、
    象徴詩もここに極まった感がある。

    構造というか骨組みがしっかりしているので、
    いわゆる「替え歌」も作りやすい。

    そういう意味で、ヴェルレーヌの詩は
    噛めば噛むほど味が出るような傑作が多い。

    繰り返し味わいたいものである。


      空は廃墟のかなたに
        かくも静かに、かくも青し。
      人は廃墟のかなたに
        しかばねの海となる。

      打ち仰ぐ空高く原爆や水爆は
        ひややかに鳴る。
      打ち仰ぐ空の上にキノコ雲は
        むなしく歌う。

      ああ神よ、絶滅せり人類は
        おろかなりけり
      かの邪悪なる物のひびきは
        文明より来る。

      君、過ぎし日に何をかなせし。
        君いまこそここにただ嘆く。
      語れや、君、そも若きおり
        何をかなせし。
     

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    • Tome館長

      2012/07/28 13:24

      「こえ部」で一部を朗読していただきました!

    • Tome館長

      2012/07/28 13:21

      「こえ部」で一部を朗読していただきました!

    • Tome館長

      2012/07/26 12:33

      「こえ部」で一部を朗読していただきました!

  • 証 明

    2008/10/28

    論 説

    現実が想像の世界であることの証明。


    まず、現実が想像の世界でないと仮定する。

    すると、非想像世界を想像することになる。

    つまり、これは空想である。


    次に、現実が想像の世界であると仮定する。

    すると、想像世界を想像することになる。

    つまり、これは認識である。


    ところで、現実は認識するものであり、
    空想するものではない。


    ゆえに、現実は想像の世界である。


    以上、証明終わり。
     

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  • 断 絶

    2008/07/12

    論 説

    世界は、意識である。
    意識されなければ、世界はない。

    世界は、現実ではない。
    意識された現実は、すでに現実ではない。


    現実は、表現である。
    表現されなければ、現実はない。

    現実は、世界ではない。
    表現された世界は、すでに世界ではない。
     

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