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2011/11/04
別れ際に恋人から刺された。
驚いた。けれど痛みはなかった。
彼女の後姿が小さくなってゆく。
ありふれた別れの言葉さえなかった。
どうしてこんな仕打ちを受けるのか、
納得できる理由は浮かばなかった。
とりあえず胸からナイフを抜く。
ありふれた安物の果物ナイフ。
傷口は穴になっていた。
出血はない。ただの細長い穴。
そのすぐ近くにナイフを刺してみた。
やはり痛くない。予想通り。
細長い穴が二つになっただけ。
腹にも刺してみた。
細長い穴が三つ。
尻にも刺したら、
胸の穴から床が見えた。
穴が繋がったらしい。
腕にも足にも背中にも頭にも
ところかまわず滅茶苦茶に刺してみた。
体中が穴だらけになった。
なんにも入ってない
空っぽの体。
風が吹き抜ける。
寒い。とても寒い。
喉にも刺したから
いまさら恋人の名を呼んでも、
声にすらならない。
2011/10/29
船は流されていた。
計器に教えてもらうまでもない。
それは体感でわかる。
船長は甲板に立ち、遠くへ目を凝らす。
東の水平線の上に黒い断崖が見える。
あんな方角に陸地があるはずはない。
断崖ではない。
あれは波だ。大波。
いや、津波だ。
最大級の大津波だ!
なんという黒さ、大きさだろう。
見る見る高く広く、巨大になってゆく。
両腕をいっぱいに広げた、首のない巨人。
その邪悪な恐ろしい姿。
こんな老船、滝壺の葉っぱだ。
舵もマストもスクリューも、無意味だ。
逃げられない。
完全に手遅れだ。
船が大きく揺れる。
その瞬間・・・・・・
船長は目を見開いた。
船は少しも揺れていない。
とても静かだ。
・・・・・・夢だったのだ。
びっしょり汗をかいていた。
「・・・・・・津波か」
船長はため息をつき、ゆっくり起き上がる。
壁の小さな丸窓から美しい夜空が見える。
無数の星くずが無邪気に輝いている。
津波どころか、波ひとつ見えない。
海面も、水平線も見えない。
陸地も船も灯台も見えない。
「船長。お目覚めですか」
背後からロボット犬が声をかけてきた。
「ああ。夢を見てね」
「また故郷の夢ですか」
「うん。懐かしかったよ」
船長はため息をつき、
ロボット犬の首輪に触れる。
首輪には小さな地球儀がぶら下がっている。
それをくるくる回しながら
また船長はため息をつく。
「ああ。どこへ消えてしまったのかな」
2011/10/27
海底の岩穴に一匹の蛸がいました。
じつに大きな蛸でした。
しかも大変な大食いで
いつも腹を空かせているのでした。
蛸が棲む岩穴のまわりには
海老や貝などの殻の山ができています。
いくら食べても満足できないのでした。
もう岩穴の近くに食べ物はありません。
それでも蛸は
岩穴を出るつもりがないのです。
ひどく無精者なのでした。
やがて空腹のあまり、愚かな蛸は
自分の足を食べ始めました。
それがなかなかうまかったので、
八本の足をみんな食べてしまいました。
そんなある日のこと。
大きな津波があり、
蛸の棲む海底がかきまわされました。
食べ散らかした殻の山が消え、
たくさんの貝や海老が流されてきました。
けれど、足をすべてなくした蛸は
それらを捕まえることができないのでした。
目の前の食べ物の山を
ただ黙って睨むばかりなのでした。
2011/09/22
きっと僕はどうしようもないんだと思う。
わけがわかんなくなるんだ。
たまになんだけどさ。
気がついた時はもう遅いんだ。
いつもね。
最初、たくさんの仲間と歩いていたんだ。
本当なんだってば。
嘘なんかつかないよ。
いろんなのがいたよ。
まあ、僕もそうだけどさ。
笑顔だけの女の子とか、三本足の老人とか。
みんなで助け合って前へ進んでいたんだ。
つらかったよ。
でも、楽しいことだってあったよ。
その笑顔だけの子と手をつないだりとかね。
でも、一人減り二人減りで、少なくなってさ。
そうそう。
一度に五人減ったこともあったな。
なにしろ食べ物がまったくないんだから。
あそこは本当に食べられるものがなくてね。
うん、水はあったよ。
たまに溺れるくらい。
僕の親父なんか沼で死んじゃったんだから。
あの時みんなで親父を沼から引き上げてね。
いや、軽かったよ。
かなり消耗していたから。
だけど、またわけがわかんなくなってさ。
思い出せないんだ。
親父をどうしたのか。
うん、たまにあるんだ。
僕だけじゃないよ。
だって、みんなすごく空腹だったんだから。
なんというか、本当に死にそうなくらいにさ。
2011/09/21
それは、長い長いすべり台だった。
あまりにも長くて
先が見えないのだった。
「こわくて、すべれないだろう」
心ない大人が子どもをからかう。
「ふん。こわいもんか」
勇気ある男の子がすべり始めた。
おもしろいようにすべり落ちてゆく。
「わあ、楽しいな!」
どんどん勢いがついてくる。
「これは、すごいや!」
風が顔を打つ。
「いたいくらいだ」
そのうち、お尻がだんだん熱くなってきた。
「うわあ、あちあちあち!」
まだ終点は見えない。
「とめて。誰かとめて!」
男の子はとうとう泣き出した。
「あついよ。いたいよ。こわいよ」
赤いラインが
男の子のすべった跡に残った。
それでも、まだ終点は見えてこない。
どこまでもすべり落ち続ける、すべり台。
もう男の子は泣かなくなった。
動くこともなくなった。
赤いラインも途切れてしまった。
それでもまだ、すべり続けている。
どこまでも、どこまでも、どこまでも・・・・・・
2011/08/09
ニッコリ笑って
彼女が僕の胸を刺した。
まさに悩殺的。
切っ先が心臓まで届いた。
「な、なぜ?」
「何故って聞くの?」
僕は必死にうなずく。
「恋はね」
彼女、ナイフをねじりながら
「殺すか、殺されるかよ」
・・・・し、知らなかった。
2011/08/01
狼なんか怖くない。
だって、
狼なんか
見たことない。
幽霊なんか怖くない。
だって、
幽霊なんか
おどかすだけ。
もっと怖いの知ってるよ。
ほらね、
人間の方が
よっぽど怖い。
2011/07/19
小学校の大きな体育館。
生徒たちが縦一列に並んでいる。
正面には白衣を着た若い医者。
看護師は脱脂綿で腕を消毒している。
今日は予防注射の日。
医者の前に立つと泣き出す子もいる。
「大丈夫。痛くないよ」
子どもは医者の言葉なんか信じない。
「だって、注射の針がまっすぐで怖いよ」
駄々をこねて泣き止まない。
思わず苦笑する医者。
「それじゃ、この針を曲げてあげるね」
医者は注射針を指でつまみ、力をこめる。
注射針は釣針のように曲がってしまった。
「さあ。これでもう怖くないね」
「・・・・・・うん」
怖くても諦めるしかないのだろう。
子どもはしっかり目を閉じる。
「すぐに済むよ」
医者の声がする。
「しかし、曲げすぎて刺しにくいな・・・・・・」
そんな呟きも聞こえる。
ともかく医者は
「つ」の字のように曲がった注射針を
苦労して子どもの腕に刺す。
「ほら。もう終わりだよ」
突然、子どものものすごい悲鳴。
「あっ、ごめん」
頭をかきながら、笑って謝る若い医者。
「つい癖で、手もとに引いちゃった」
2011/07/12
もうどうでもいい。
なんとでもなれ。
そう思った瞬間、思想警察が現れた。
「危険思想家として逮捕する!」
恐ろしい転向銃を持っている。
やれやれ。
いやな世の中である。
「体制批判は許さん」
意識盗聴器が室内に仕掛けられてるらしい。
同志に密告されたのだろうか。
まあ、裏切られるのには慣れてるが。
「なにも考えるな。立つんだ」
なにも考えずにボタンを押した。
射殺される前にやる必要があった。
その途端、激しい頭痛に襲われた。
頭蓋骨が爆発するような感覚。
胸も苦しい。
押しつぶされそうだ。
やられた!
転向銃が発射されたのだ。
「答えろ。なにをした?」
ああ、大変だ!
なんということをしてしまったんだ。
なにも考えず、あんなことをするなんて。
どうしよう。
なんとかしないと。
いや、無理だ。
もうおしまいだ。
一度ボタンを押したら、もう止められない。
惑星規模の良識破壊兵器なのだ!
2011/07/09
悲鳴が聞こえた。
罵声も聞こえてきた。
ああ、またやってる。
私は溜息をつく。
昨日と同じだ。どうして繰り返すんだろう。
玄関を出ると、共同ゴミ置き場に人が群がっていた。
お向かいのご主人が、倒れた若者を蹴り上げている。
「この野郎! 勝手にゴミを捨てやがって」
お隣の奥さんも、竹箒で若者の尻を叩く。
「やってはいけないことよ。人間のクズよ」
若者は必死に詫びる。
「・・・・・・ごめんなさい。許してください」
その顔は血まみれだった。
集まった近所の人たちは殺気立っていた。
「なんだと!? 許せるか。犯罪だぞ」
「そうだ。そうだ。殺してしまえ!」
ゴミの不法投棄の現場を押さえたらしい。
若者に同情する気持ちには、私もなれない。
本当にゴミ出しには苦労していたからだ。
問題のゴミ袋が足元に落ちていた。証拠物件だ。
いやな臭いがするので、吐きそうになった。
私はしゃがみ、このゴミ袋を苦労して開けてみた。
最初、なんなのか私にはわからなかった。
よく見て、よく考えて、やっとわかった。
なるほど、と思った。みんな知らないのだ。
「ねえ。もう許してやりましょうよ」
私が止めに入ると、みんな信じられない顔をした。
「このゴミ袋の中身を見てちょうだい」
荒い息のまま、みんな顔を寄せて袋の中を覗く。
「なんだこれは? ひどい臭いだな」
「お肉かしら? 乾燥してるみたいだけど・・・・・・」
お隣の奥さんが悲鳴をあげた。わかったのだ。
しばらく悲鳴や怒声がやまなかった。
若者は歩道に倒れたまま泣いていた。
こいつは本当に人間のクズだ、と思った。
でも、みんな若者を許すことにしたらしい。
「生ゴミだから、庭に埋めればいいんだ」
「それに、将来的にゴミが増えないし」
「そうそう。基本はゴミを出さないこと」
みんな散ってしまった。若者も消えた。
なぜか問題のゴミは置きっ放し。
結局、最初に許してしまった私の責任らしい。
自宅の裏庭に穴を掘って、私はそれを埋めた。
狭い土地の中に埋める作業は大変だった。
捨てられないゴミの山で、どこもあふれていたから。
もうこれ以上は無理だ。もう限界だった。
いやだなあ。また私は溜息をつく。
どうすればいいのか、もう私にはわからない。
おそるおそる、私は見下ろす。
腹の膨らみが、そろそろ目立ち始めていた。