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2012/12/12
森に分け入った若者が道に迷った。
歩き疲れ、すっかり希望を失い、
ここで死ぬのだ、と若者は覚悟した。
そこへ美しい女が現れ、
森を抜ける道を若者に示した。
すぐに若者は恋に落ちた。
けれど女の反応は冷たかった。
「私は森の女。一緒にはなれません」
それでも若者は諦められない。
「一緒になれぬなら、ここで僕は死ぬ」
森の女は若者に一粒の豆を与えた。
「あなたの寝室の窓の下の地面に埋めなさい」
森の女は姿を消してしまった。
若者は森を抜け、家に帰ると
さっそく庭に豆を埋めた。
その夜、若者は森の女の夢を見た。
「会えて嬉しいよ」
「ええ、私もよ」
翌朝、若者が寝室から庭を見下ろすと
つる草がもう窓辺まで伸びていた。
若者は喜んだ。
その夜も若者は森の女の夢を見た。
「いつまでも君と一緒にいたい」
「ええ、私もよ」
翌朝、つる草は窓から寝室の中に侵入し、
ベッドの脚にまで絡み付いていた。
若者は不安になった。
その夜、若者は再び森の女の夢を見た。
「もう君を離したくない」
「ええ、私もよ」
翌朝、若者が目を覚ますと
つる草が体中に巻き付いていた。
若者は驚いた。
まったく身動きできないのだった。
救いを求めて、若者は大声で叫んだ。
だが、その声は誰の耳にも届かなかった。
若者には家族がなく
近所には人家もないのだった。
その夜、またもや若者は森の女の夢を見た。
「ああ、もう死んでもいい」
「ええ、私もよ」
翌朝、若者は目を覚まさなかった。
つる草には一輪の小さな花が咲き、
朝露に濡れ、とてもきれいだった。
もう若者が目を覚ますことはなかった。
つる草の花はやがて枯れ落ち、
しばらくするとそこに豆の鞘ができた。
その鞘はみるみる大きくなるのだった。
ある朝、若者の寝室から産声があがった。
あの豆の鞘が大きくなって割れ、
赤ん坊が生まれたのだ。
鞘の割れ目から覗く赤ん坊の顔は
あの若者の顔にどことなく似ていた。
赤ん坊は大きな声で泣き続けた。
その泣き声は信じられぬほど力強く、
はるか遠くの
あの森の奥まで届くようであった。
2012/12/02
おもいで川は
いつも暗く深く澱んでいる。
土手に立ち、
ぼんやり眺めていると
壊れた人形や別れた知人が流されてくる。
川面にはいつも
濃い霧が立ち込めている。
そのため向こう岸の風景は
ほとんど何も見えない。
おもいで川の途中には
とても古い橋が架かっている。
これを忘れ橋と人は呼ぶ。
この橋を渡ると
こちら側の記憶を失ってしまう。
かすかに憶えている場合もあるが
それはたまたま風が霧を払ったからだろう。
忘れ橋からおもいで川に身を投げると
二度と再び岸に上がれないという。
おもいで川に流されると
いつか死の海に注ぎ、
やがて皆から忘れ去られてしまう。
だから、忘れ橋をひとりで渡る時は
決して欄干に近づいたりしないことだ。
いつしか、まわりの親しい人たちが
みんな記憶をなくしてゆく。
一緒に旅した土地を忘れ、
一緒に口ずさんだ歌を忘れ、
昨日のことを忘れ、
今日のことさえ忘れてしまう。
「忘れないで」
「・・・・・・」
「私たち、約束したじゃない」
「・・・あんた、誰?」
2012/11/23
旅果ての地は、壁の前だった。
かすむほどの長さ、
めまいするほどの高さ。
おそらく鳥でさえ越えられないだろう。
こんなもの、いったい誰が築いたのか。
拳で壁を叩いたら、ため息が出た。
地面を叩くような感触だったからだ。
さて、どうしよう。
諦めて帰るしかないか。
とりあえず壁面に落書を残してやろう。
この長く苦しかった旅のせめてもの記念として。
とがった石を拾い、卑猥な絵を彫った。
自分の名と日付も彫った。
それから壁に向かって立小便をした。
その時だった。
壁面に小さな穴を見つけた。
まるで、覗いて欲しい、と言わんばかりの位置。
あたりを見まわした。
もちろん誰もいない。
壁面の穴に目を近づけ、覗いてみた。
すると、壁の向こう側がはっきり見えた。
異様な光景だ。
なんとも説明し難い。
しばらく夢中になって覗き続けた。
ようやく穴から目を離す。
ため息が出た。
面白い。
確かに面白い。
だが・・・
それだけ。
見ていて面白いだけ。
いつまでも楽しく時間を潰せるだけ。
そんなものを求めて
俺は旅を続けてきたわけじゃない。
もう引き返そう、と思った。
日が沈む。
壁面の落書の絵を少しだけ修正した。
それから、名は削ってしまった。
壁を背にして歩き出す。
そして歩きながら、つい考えてしまう。
果たして
この旅に意味はあったのだろうか
と。
2012/11/18
マリコちゃんが踊っています。
上手なのか下手なのか
よくわかりません。
とにかく
踊るのが楽しくて仕方ないみたい。
そんなマリコちゃんを眺めている人がいます。
椅子に座っているおじいさんです。
眺めているのが楽しくてたまらないみたい。
そのおじいさんが
おもむろに立ち上がりました。
片足をあげ、次に両手をあげました。
それから、とまどった表情になりました。
おじいさんの肩がひとつ
床に落ちたのです。
苦労して肩を拾いあげると
おじいさんは椅子に腰をおろしました。
マリコちゃんはまだ踊り続けています。
ちょっと大人びたしぐさも見せたりします。
それがまたかわいらしいのでした。
おじいさんがマリコちゃんを眺めています。
ちょっと哀しそうなまなざしで。
2012/10/18
黒く巨大なドームが街を覆っている。
有毒な太陽を人々から隠すために。
あるいは人々が隠れるために。
内側へ照射される波長の揃った光の束。
奇怪な映像が人工の夜空に展開される。
商品広告、またはスクリーンセーバー。
真っ白な壁より落書きの壁を好む輩。
「だって、骨を抜いたばかりなのよ」
沈黙を恐れるように入る不快なノイズ。
「耳の穴から飲むタイプかしら」
脇腹から透けて見えるセクシーな内臓。
「近寄らないで。流産しちゃうわ」
崩れながら重なる、積み木の街。
街に犯された人々が、さらに街を犯す。
保育器の中の赤ん坊は
いつまでたっても、保育器の中。
2012/10/04
ひとりの旅の僧侶が吹雪の山を歩いていた。
昼なお暗く、天狗や山姥が棲むという。
冬ならば、雪女が袖を引くという。
「お待ちなされ。そこなお坊様」
背中を凍らせるような冷たい声がした。
振り返ると、白装束の女の姿があった。
その美しさに僧侶は身動きできなくなった。
「お山へ、なんの用かえ」
女の吐いた白い息で、僧侶の足は凍りついた。
「私は、雪女に会いに来たのです」
「おやおや。なんでまた会いたいと」
女の白い手が触れ、僧侶の腕と肩は凍った。
「わたくしの、母上だからです」
女は吹雪のような白い息を吐いた。
その瞬間、僧侶は気を失った。
吹雪は止み、澄んだ月夜であった。
まわりの雪がとけ、僧侶は土の上にいた。
僧侶は生きていた。
雪女の姿はなかった。
僧侶の腹の上に、濡れた白装束があるばかり。
「やっと会えたというのに」
梢の雪を落とし、風が吹き抜けていった。
2012/09/03
一般に、男はギャンブル好きである。
そして、ギャンブル好きの男は女好きである。
なぜなら、女そのものがギャンブルだから。
その男は天性のギャンブラーだった。
ジャンケンでもなんでも負け知らず。
苦もなく若くして巨万の富を築いた。
この男、ある女に恋をした。
しかし、あっさり失恋してしまった。
「負けた・・・・・・」
男は自殺してしまった。
おそらく、その女に命を賭けたのだろう。
2012/08/03
「どうしたんだい?」
友だちが心配してくれる。
「なんでもない」
「顔色が悪いよ」
君、余裕があるんだね。
「・・・・・・あのね」
「うん」
「片想いの彼女がね」
「うん」
君に説明してどうなる。
「妊娠しちゃった」
どうもなりはしない。
「・・・・・・そうか」
君、戸惑うんだね。
「父親はわからないって」
「・・・・・・ふうん」
君、ホッとしたね。
2012/07/27
道端の草が小さな花を咲かせた。
派手でもなく、鮮やかでもない。
地味で淡い色の花だった。
「おかしなところに咲く花もあるものだ」
散歩中の紳士が呟いた。
「喜んで咲いてるわけではありません」
小さな声で小さな花が言い返した。
「おやおや。かわいらしい声ではないか」
「声だけはね」
「その声をもっと聴きたいものだ」
紳士は荒々しく地面から草を引き抜いた。
小さな花は悲鳴をあげ、うなだれた。
「ひどい人。死んでしまうわ」
「大丈夫。すぐに家の庭に植えてやる」
「うそつき」
「いいね、いいね。その、うそつき、って」
小さな花は黙ってしまった。
紳士も黙って家路を急ぐのだった。
しばらくすると、小さな花が尋ねた。
「その庭、広いかしら?」
2012/06/11
忍者の戦いは静かである。
物音を立ててはならぬ。
沈黙を旨とする。
「忍法、火遁の術!」
「十字手裏剣、乱れ撃ち!」
などと派手に叫び
これから己が何をするつもりなのか
わざわざ敵に教えてやったりする事はない。
気配を消し
巧妙に罠を張り
石の如く黙して待つ。
闇に紛れ
草木に隠れ
素性知られることなく
ひっそりと世に忍ぶが任務。
死して名を残す者なし。
それゆえ
その本分を全うした忍者の仕事は
ひとつとして今に伝わってはいない。
まことに残念ではあるけれど。