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2015/10/12
画家のアトリエ、汚れたままのパレット。
さびしそうに放り出された絵の具と絵筆。
未完成な肖像画、その背景は暗い海と空。
水平線はゆがんでぼやけている。
雲もないのに星は見えない。
月日はとうに画布からこぼれ落ちたらしい。
背景と人物が微妙に重なる。
黄金分率だけでは割り切れない気配。
着衣なのか裸婦なのか
そもそも男なのか女なのか
そんなのはどちらでもよい
と言わんばかりのパレットナイフ。
その人物のポーズやまなざしや
髪や唇、輪郭線に
どんな意味があると言うのか。
謎は残るものの、ただ沈黙だけが
この場にふさわしい気がする。
それにしても、いったい
画家はどこへ消えてしまったのだろう。
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2015/10/11
雪の斜面に男がひとり立っている。
黒い帽子、黒いサングラス、黒い防寒服のいでたちで
その両手には紅白の旗が握られている。
男から見て右手側より女子スキー選手たちが現れて
ストックを突きながら左手側へと滑ってゆく。
彼女たちが男の前を通り過ぎる時、男は
紅白どちらかの旗を振りながら進行方向を示す。
だが、男の旗を振る動作にはあいまいな点があり、
極端な場合、右手側へUターンする女子選手までいる。
そのような女子選手は疲れた表情をしており、
また、いかにも疲れたようにのろのろ滑っている。
どうやら男は旗を振る仕事を楽しんでいるようで
その証拠のように唇の両端がヒゲと一緒に上がっている。
観客の姿はまばらで、歓声も滅多に聞こえない。
主催者側の見解が発表されることはなさそうだが
どうやらスキー大会は失敗のようである。
いまさら説明するのもなんであるが、空は曇っており、
モノクロの針葉樹林の陰影が男の背景に立ちこめている。
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2015/10/04
ひとり雪原を歩いていた。
目印になるものは何もなかった。
山も人家も見えず、一本の木さえない。
陽の位置すらつかめぬ灰色の空。
まったく何もない世界。
色すらない。
「おーい、誰かいないかぁ」
返事はなかった。
木霊すら帰って来ない。
ひとりぼっち。
風すら撫でてくれない。
諦めかけた頃、足跡を見つけた。
鳥や獣ではない。
あきらかに人の足跡だ。
白と灰色とのあいまいな地平線へと続いている。
その先に誰かきっといるはずだ。
その足跡をたどるように歩く。
雪原にどこまでも続く足跡。
前にも、そして後ろにも続く。
どれくらい歩いただろう。
いつから歩いているのだろう。
距離と時間の感覚が麻痺している。
まだ足跡は消えていない。
いや、むしろ濃くなっている。
一人分の足跡だったのが二人分となり、
やがて三人分ほどになっている。
その上を踏むことになるで
前に比べたら随分と歩きやすくなった。
振り返れば四人分ほどの足跡の道ができている。
もうどれが自分の足跡なのか区別できない。
この歩きやすい道からはずれたくない気分。
もう自分は若くないのだ。
まだ誰にも会えない。
ただ足跡が続くばかり。
そして、うすうす気づいている。
もう自分はこの足跡から逃れられないと。
この終わりなき雪原の道が
たとえウロボロスの蛇のごとく
閉ざされた大いなる円環であるとしても。
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2015/09/20
その広場は昔からあった。
ここになくとも、必ずどこかにあった。
あらゆる人種、あらゆる民族の吹き溜まり。
「さあさ、皆さん、お立合い。
ご用とお急ぎでない方は
寄ってらっしゃい、見てらっしゃい」
貧しい芸を見世物とする人たちを
貧しい芸さえない人たちが見物している。
サソリや毒蛇を生きたまま飲み込む男。
鼻で煙草を吸い、耳から煙を出す妊婦。
おのれの肘やかかとや尻を舐める少女。
地の果てのありもせぬ都を物語る老人。
かれらはどこから現れ
どこへ消えてゆくのか。
放る銭などありゃせぬに。
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2015/09/10
火山灰たちのうわさによると
地下帝国の総統閣下がご立腹とのこと。
「地上の輩は、わが地下帝国の
貴重なる天然資源を盗んでおる」
蛍石に照らされて
総統閣下の眉間のしわは暗く深い。
「地上の愚民どもは、わが地下帝国に
有害産業廃棄物を捨てておる」
総統閣下が髪をかきむしると
ヒカリゴケが壇上にバラバラ落ちる。
「地上の奴らを生かしておくべきか?
否、断じて許さん!」
地底人たちの歓声が
地下帝国の巨大洞窟に響き渡る。
「そうだ、そうだ!
報復だ!」
大ナマズが騒ぎ、要石が揺れ、
火の竜がのたうちまわる。
ただし、あくまでも火山灰たちのうわさ話。
地上に暮らす者で地下帝国を見た者は
幸いにもまだいない。
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2015/09/04
背の高い洋館の一階、横長のテラス。
ここで人を待っている。
テラスにはもう一人、若い女がいて
やはり人を待っている様子。
もっと人が集まる予定だったが
目論みは見事にはずれ
いたずらに時間ばかり過ぎてゆく。
「九官鳥にもほどがある!」
そんな声がどこか遠くから
間欠的に繰り返し聞こえてくる。
おそらく誤って躾けられた九官鳥の声であろう。
目の前にも別の背の高い洋館がある。
その二階のベランダから
こちらを見下ろす人の姿が見える。
二人いて、一人が男、もう一人が女。
二人が親しそうに話しているところを見ると
二人は実際に親しい関係なのだろう。
「九官鳥にもほどがある!」
うん。
まあ、たしかに。
同じテラスの若い女に声をかけようか
それとも、このまま帰ってしまおうか
夕日に染まりながら
今更ながら考え始める。
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2015/09/02
浴室に置かれた天使の彫像に向かって
俺は立ち小便をしている。
彫像は砂岩できているのか
わずかな水圧でボロボロ欠けてしまう。
浴槽の縁には大男が腰を下ろして
熱心に黒い革靴を磨いている。
大男の足もとに天使の白い片翼が落ちた。
それを拾うつもりで屈むと
なぜか大男に革靴の底で頬を撫でられた。
当然ながら俺の頬は汚れ
さらに水を掛けられてズボンの裾が濡れた。
こいつ、なにをするのだ。
怖そうな相手だが許しておけない。
報復するのは良いことだ。
悪意に対して善意で応えていては世の中
乱れないまでも歪むばかりである。
おそらく殴り返されるであろう。
あるいは殺されるかもしれない。
それでも俺は
天使の片翼で殴ってやる。
そして、裏返った声で怒鳴ってやるのだ。
「やられたらやり返して、なにが悪い!」
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2015/08/31
壁の色は白く、天井は黒い。
床の色は思い出せない。
部屋には男と女がいる。
男はおれ、女は鼻の先。
向き合うふたり。
さて、これから何をするつもりなのか。
おれの頭は酒と薬でいかれてる。
状況が飲み込めない。
「あなた、脱がしてくれないのね」
意味ありげに見返す灰色の瞳。
すると、おれは女を見つめていたわけだ。
「今、何時かな?」
「知らないわ」
なるほど、見まわしても時計がない。
彼女の腕には己の尾を噛む蛇のリング。
おれの腕には錆びた手錠ときたもんだ。
「ふざけてるな」
「あら、そうかしら」
実際、わからない。
とりあえず首を横に振り
とりあえず女の唇を塞いでしまう。
それにしても
今、何時なんだろう。
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2015/08/30
今まで気づかなかった。
僕が寝ている部屋は寝室なのだけれど
じつは、この隣の部屋も寝室だったのだ。
なぜなら夜中にすすり泣く女の声が聞こえる。
ゆらゆら揺れる白いカーテンの向こう側は
てっきり窓の外の風景だとばかり思っていた。
なのに、僕の枕もとから遠くない
こんな近くに
見知らぬ女が寝ていたのだ。
紙の鶴を折り始める時のように
そっと布団のはしをめくり上げ
ちょっとだけ上体を起こして
声のする方へ手を伸ばしてみればいい。
白い霧を払うようにカーテンを消し去れば
枕に顔を埋めた女の寝姿が眺められるはずだ。
「おはよう、がいいかな?
それとも、おやすみ?」
なんて
うんと優しい調子で挨拶すれば
彼女、ピクッと背中をふるわせてから
こちらを振り向くだろう。
それから、案外
ちっとも泣いてなかったみたいな顔をして
にっこり笑ってくれるかもしれない。
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2015/08/28
どうやら手紙を待っているようなのだ。
そして、木造アパートの住人であるらしい。
自分個人の郵便受けを覗いてみると
数通の手紙が入っている。
だが、どれも待っている手紙ではなさそうだ。
共同の、と言うか、大家の郵便受けもあり
申しわけないとは思いながらも扉を開いてみる。
あふれんばかりの郵便物の山である。
それぞれの宛名を確認しながら
それぞれの住人の郵便受けに振り分ける。
一通だけ、自分の宛名のものが見つかった。
汚れて破れてゴミのような封筒。
下手な手書き文字のうえ、誤字や脱字が多い文章。
どこか大きな総合病院から差し出されたものらしい。
いろいろ書かれてあるが、要するに
「あなたの入院の準備ができたので、早く来なさい」
という内容でしかないようだ。
そう言われてみると
まったく心当たりがないこともない。
そろそろ入院して本格的に治療せねばならない
という漠然とした不安を感じていたのだ。
だが、あれほど心待ちにしていた手紙は
これとは違うような気がする。
どう違うのか他人に説明するのは難しいのだが
自分自身に説明する必要はなかろう。
そんなことを考えていたら
背後に靴音がして
振り返ると、まさに
郵便配達夫がこちらにやって来るところだった。
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