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2009/01/31
ある図書館に完全無欠の辞典がある。
この辞典の言葉の定義は完璧である。
図や写真は一切載せず、
曖昧さを残すことなく
言葉だけで言葉を定義している。
勿論、誤植や落丁などの不備は皆無。
意味不明の言葉があれば、見出し語で引く。
そこにまた意味不明の言葉があれば、
さらにまた見出し語で引く。
こうして意味不明の言葉がある限り、
見出し語を引き続けるのである。
ところで、頁の間に挟まっているのは
しおりではない。
つぶれて乾燥した閲覧者である。
いわゆる押し花のようなもの。
この辞典に限り、さして珍しくもない。
2009/01/30
ある朝、ベッドの上で目覚めると、
恋人のからだがふたつになっていた。
双子のようによく似たふたりの少女。
どちらも痩せて小さく、かわいらしい。
肌の色だけはっきり違っていて、
一方は色黒、片方は色白。
ふたりを仮に、黒子、白子と呼んでおく。
「腹減った」
黒子が寝たままつぶやく。
「朝食を用意するわ」
白子が起きながら言う。
それがほとんど同時。
黒子も白子も、恋人に似ていた。
ただし、年齢も体重も、恋人の半分ほど。
ふたり合わせて、やっと恋人と吊り合う。
ベッドの上でふたりに挟まれ、
両方の胸に左右の耳を当ててみると、
まったく同じリズムの鼓動が聴こえる。
ひとり分の食事をふたりで食べる。
外出も入浴も、いつも仲良く一緒。
呆れたことに、トイレまで一緒に入る。
結局、恋人がふたつに裂けただけ。
ただそれだけのこと、かもしれない。
2009/01/19
「食堂に壁画があるな」
「うん、あるね」
「それを昨日、深夜にひとりで見たらな」
「うん。どうしたの」
「あの聖母の目が開いていたんだ」
「うん。それで」
「ちっとも驚かないな」
「どうして驚くわけ?」
「聖母の目が開いていたんだぞ」
「うん。ぱっちり開いてるよね」
「うそだ! いつもは閉じているだろうが」
「なに言ってんの。開いてるよ」
「わからないやつだな」
「そっちこそわかんないね」
「しょうがない。来いよ」
「しょうがない。行くよ」
「な。ちゃんと閉じているだろ」
「どこが。開いているじゃないか」
「おい。ふざけるな」
「そっちこそふざけてるよ」
「じゃ、おまえは狂ってる」
「そっちこそ狂ってる」
「なんだと!」
「これこれ、君たち。そこでなんの口論かね」
「ああ、司教様。よいところへ」
「あの、この壁画についてですが」
「ん? どこに壁画があるのかね」
2009/01/12
深夜、友人にクルマで送ってもらい
別れてから、駅へ向かって歩き出した。
交差点があり、信号機は青かった。
長い横断歩道を渡り終える直前
青いランプが点滅を始めた。
(ちょうどピッタリ。運がいいな)
ここの交差点は待つと長いのだ。
そのまま駅へ行こうとして、気がついた。
(そうだ。駅へ行くことはなかったんだ)
このまま家まで歩いて帰ればいいのだ。
なにしろ家はすぐそこなのだから。
(なにをやってるんだ)
われながら呆れてしまった。
また交差点を渡らなければならない。
やはり信号機は赤になっていた。
(ちっとも運が良くないじゃないか)
ため息が出てしまった。
赤から青に変わったばかりだから
かなり待たなければならない。
信号機の指示なんか無視したい。
けれども、クルマの流れが途切れず
なかなか向こう側へ渡るチャンスがない。
ヘッドライトがテールライトになり
あわただしく左へ右へ行きすぎてゆく。
(そうだ。あそこに寄ろうかな)
帰り道の途中に、おいしい食堂があるのだ。
けれど、なぜか空腹を感じない。
(昼飯を食べすぎたからかな)
しかし、なにを食べたか思い出せない。
(こんな遅い時間じゃ営業してないか)
手首にはめていたはずの腕時計がない。
(今、何時なんだろう?)
まだ信号機の指示は変わらない。
落ち着かない不安な色、赤いランプのまま。
(このまま変わらなかったりして)
深夜だから、冗談ではなく心配になる。
空を見上げる。まったくなにも見えない。
(最近、こんな夜が多いな)
いつまでもいつまでも、赤いランプのまま。
2009/01/11
犬のたまごを買ってきた。
一晩抱いて暖めたら、生まれた。
かわいらしい小犬だった。
水を飲ませたら、大きくなった。
顔をベロベロなめられた。
朝から晩まで一緒に遊んだ。
なのに翌朝、犬は死んでいた。
床は水びたしだった。
説明書どおり。悲しかった。
誰か、なぐさめてくれないかな。
たまご屋へ、また行かなくちゃ。
なにを買うか、もう決まってる。
そう、おねえさんのたまご。
2009/01/11
緑豊かな森の風景を想い描く。
森閑とした空気。
揺れる木漏れ日。
蛇のような細い道はけもの道。
ひとりで私が森の中を歩いている。
それだけ。
なんということもない。
あるいは幼い頃の記憶かもしれない。
ところで、
誰かが幼い私を見ている。
そんな記憶はまるでないが、
幼い私を見る者が仮にいたとする。
そいつは木立に隠れて見つめている。
身動きせず、
じっと黙って覗いている。
その視線に幼い私は気づきもしない。
繰り返すが、
そんな記憶は全然ない。
しかし、
それにしてもである。
そいつはいったい何者なのだろう。
2009/01/10
さあ、過去に戻ったよ。
そろそろ着くからね。
もうかなり移動したよ。
意外だったかな。
ほら、どんどん過去に移動しているね。
驚いたかい?
でも、すでに移動しているんだよ。
信じられないのかい。
本当さ。嘘じゃない。
誰でも自由に時間を移動することができる。
大丈夫だよ。
君も一緒に移動するんだ。
さあ、過去へ時間を移動してみよう。
ここから上へ上へと、さかのぼってごらん。
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2009/01/09
さびしい辺境の惑星にひとり暮らし。
夜空に撒き散らされた星くず模様が
まるで部屋の壁紙のように見えるのは
孤独のために感覚が歪んでいるからだ。
にぎやかな鳥のさえずりさえ聞こえる。
きっと幻聴だろう。
この星に生き物はいないのだから。
突然、玄関のチャイムが鳴る。
勿論、ドアを開けたりはしない。
「はい、なんでしょう?」
「星くず新聞ですが」
「新聞はとりません」
「今なら、ビール券を差し上げてますが」
「新聞は読まないと決めているので」
「そうですか。失礼しました」
やれやれ。
あっさり引き下がってくれた。
いつもこれくらいなら
深刻に悩む必要もなくて、助かる。
みだりにドアを開けてしまって
もし新聞の勧誘員の姿が見えたりしたら
きっと断るのが大変だったはずだ。
2009/01/04
特殊光学ガラスが開発されました。
光の透過速度が極端に遅い特殊ガラスです。
入った光がなかなか出てこないのです。
これは画期的な発明です。
ガラスの前に立ち、急いで裏側にまわると
誰もいないはずの向こう側に人の姿が見えます。
こちら側にまわり込む前にいた自分の姿です。
よりガラスが厚ければ
向こう側に立つ場面から見ることも可能でしょう。
鏡に加工すれば、一枚でも時間差で
自分の後頭部を見ることができます。
両目を閉じた自分の顔も見ることができます。
原理からすると、将来的には
より透過速度の遅いものが作られるそうです。
光の透過に半日かかる窓ガラスが開発できれば
家の中から見える外の景色が昼夜逆転します。
想像するだけでも楽しいですね。
さらに開発は進められており、
より広範な応用が期待されています。
過ぎ去った歴史的場面を
窓ガラス越しに見ることも
あながち夢ではないかもしれません。
2009/01/02
僕がのぼっているのは
おそろしく急な斜面。
途中、
斜面に寝転ぶ人の姿が目につく。
器用なものだ
と感心する。
寝ぼけて転がり落ちるのでは
と心配もする。
やがて
これより上がない場所に着く。
この辺りがきっと
斜面の頂上なのだろう。
それでは
これより斜面をくだることにする。
かなり危険だが
それがまた楽しみだ。
野生の叫び声をあげながら
左へ右へと大きくジャンプして
走ったり、蹴ったり、
滑ったり、転がったり、
岩が落ちるように元気におりて行く。
斜面の途中に寝転ぶ人たちには
まことに申しわけないと思うけれども
ひとりふたり、
もしかしたら三人くらいは
突き飛ばしてしまうかもしれない。