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2012/09/18
そこは海辺のようであった。
または山奥のようでもあった。
どちらでもないような
またはどちらでもあるような・・・・・・
あやしげな表札があった。
何が書かれてあるのかわからない。
表札かどうかもあやしかった。
でも、泊まれるはずだと思った。
根拠など何もないのに・・・・・・
半開きの壊れかけた扉をくぐり抜けた。
「あら、いらっしゃいませ」
初対面のような、けれど顔見知りのような女。
この宿の女将と思われた。
なぜなら他に従業員はいないようだから。
「お待ちしてましたわ」
すると、予約していたのだろうか。
言葉が見つからない。
何か伝えたいことがあるはずだが・・・・・・
「とりあえず、お座りになったら」
疲れた顔をしていたのだろう。
実際、疲れていた。
しかし、見渡しても椅子がない。
しかたがないので、そのまま床に座った。
床には草が生えていた。
夏草の匂い。
つまり、季節は夏なのだろう。
「あれはもう遠い昔の話だ」
「ええ、そうでしたわね」
どうして女将が相槌を打つのだろう。
唐突に独り言を始める客である俺も変だが・・・・・・
いつの間にか女将も床に座っていた。
その膝小僧がひどく懐かしく感じられた。
「もう娘さんは大きくなっただろうね」
「いやだわ。娘なんかいませんよ」
女将は口を押さえ、さもおかしそうに笑った。
「わたしが娘だった頃はあったけど」
それから女将は床にうつ伏せになる。
その丸いお尻にホタルが一匹とまった。
ああ、やっぱりあれは夏だったんだ。
「あの頃の川はまだ澄んでいたね」
ふたたび女将が相槌を打つ。
「そう。川底にはカワニナが這っていたわ」
どうして女将が知っているのだ。
ホタルの幼虫に食べられる細長い巻貝の名。
澄んだ流れにしか生きられない弱虫。
思わず泣きたくなってきた。
でも、泣けなくなってから随分たつ。
見上げても夏の夜空はなかった。
天井の明るい蛍光灯がまぶしかった。
どうしてホタルの光なんか見えたんだろう。
何か間違っているような気がした。
こんなところで俺は何をしているのだ。
そもそもここはどこなのだろう。
あわてて床から立ち上がった。
そのため軽いめまいがした。
「悪いけど、今夜は泊まらないよ」
女将は床にうつ伏せのままだ。
その背中が小さくなったような気がする。
「そうね。その方がいいわね」
なんだか声まで幼くなったみたいだ。
このまま放っておけない気持ちもする。
だが、もう帰らなくてはならない。
ここでないどこかの別の家に・・・・・・
心から帰りたいわけではないのに・・・・・・
とりあえず、まず
あの壊れかけた半開きの扉を探そう。
そして、あの扉を出たら
あの表札をもう一度確認しよう。
あやしげな表札に何が書かれてあったのか・・・・・・
あるいは、ここを出てしまったら
もう何もかも、すべて
なくなっているのかもしれないけれど・・・・・・
2012/09/09
「お客様のご要望なら、どのような演題でも
パントマイムで完璧に演じてみせましょう」
そのように豪語する美しき女芸人が
あなたの目の前の舞台の上に立っている。
その小劇場の観客の一人であるあなたは
彼女にやってもらいたいパントマイムの演題を
まるで彼女に挑戦するかのように必死で考え続ける。
穴
虚無
異次元
抽象美人
手乗り幽霊
蝉の幽体離脱
ムカデのダンス
火星人の愛情表現
円周率を計算する犬
酒の海で溺れる潜水艦
光速移動中のカタツムリ
三角関係の四角と円と直線
外科医自身による脳摘出手術
逆子の出産に悶えるハリネズミ
悲しみの裏側に潜む通販カタログ
月面でトランポリンをする透明人間
オアシスを残して消える蜃気楼の砂漠
心洗われる光に包まれた天使のほほえみ
スクール水着の立体構造を批判するイルカ
液体化するピアノから溢れる固体化する音符
バナナを食べながら宇宙誕生の瞬間を眺める猿
2012/09/02
あいつは、とんでもない奴だ。
ずっと昔からいたみたいな顔して
不意に目の前に現れる。
あんまりまともな人物とは思えない。
あいつ、そもそも服装がなってない。
今回は、まあ普通の格好みたいだが
下着姿だったり、裸の場合も多い。
まれに恥ずかしがったりもするが
ほとんど無頓着な気がする。
行動だって、どう見ても異常だ。
とんでもないところで排便したり、
傘にぶら下がって空を飛んだり。
勝手に怒って、脈絡もなく
われわれの首を絞めたりもする。
マシンガンを乱射したこともあったな。
まったく迷惑この上ない。
ああ、ビルの屋上から落ちてしまった。
本当に勝手な奴なんだ、あいつは。
でも、あいつは地面に落ちたりしない。
なぜか地面に着く前に消えてしまうのだ。
そう、まるで幽霊みたいな奴なんだ。
「こ、これは、夢だ!」
あいつ、なんか叫んでいたな。
2012/08/29
あたし今、近所のスーパーにいるの。
カゴなんか持って買い物してるけど、
それどころじゃないのよ。
野菜売り場、なかなか見つかんなくて。
目の前にあるのは精肉売り場かしら。
牛の頭や豚の頭や鶏の頭が
それぞれ、きれいに並んで売られているわ。
どういう仕掛けなのか
売り場の両端に並んでる豚の頭が
生きてるみたいにニタニタ笑ってる。
ドキリとしてしまうわ。
こんなの、買う人いるのかしら。
「あら、奥さんも買い物?」
その声に振り向いたら
同じ団地に住んでる奥さんなのよ。
名前は、ええと、思い出せないけど、
なんというか、笑顔に見覚えがあるわ。
「ええ、まあ、その、
これでも買い物なんですかね」
まったく、あたしったら
なにをあせっているのかな。
「まあ、おいしそうな豚の頭ね」
そう言われて
自分のカゴの中を見ると、
なぜか豚の頭が一個、丸ごと入っていて
こっちを見上げてニタッと笑っているのよ。
うわっ。
いつの間に・・・・・・
信じられない。
すぐに売り場に返したいけど
触れたくもなくて。
「これ、お譲りしますわ」
笑顔の主婦にカゴごと差し出したの。
「えっ、いいの? 悪いわね」
信じられないことに
彼女は素直に受け取ってくれて
そのまま逃げるように
スーパーの奥へ奥へと消えていったわ。
なんて、おかしな人。
そういえば、今さら気づいたけど、
彼女、あの豚の笑顔にそっくりだったわ。
ああ、もうダメ。
とても買い物なんか続ける気になれない。
そうよ。
食べ物なんかなくても平気よ。
あんな豚の頭とか食べるくらいなら
いっそ飢え死にする方がマシよ。
そうよ、そうよ。
そうしましょう、そうしましょう。
なんて決意して
スーパーを出ようとしたらね、
なぜか出口が見つからないの。
ああ、どうしましょう。
あたし、困ったわ。
あたし、本当に困ったわ。
2012/08/21
人里離れた山の渓流。
若者が釣り糸を垂れていた。
他には誰もいないようであった。
草木が茂り、鳥と虫が鳴いていた。
若者の竿に当たりがあった。
鮎であった。
よく跳ねる美しい川魚。
それを魚籠に受ける、と
若者は目を見張った。
釣ったばかりの鮎の姿が消えていた。
その鱗にも似た美しい生地の衣があるばかり。
(天女の羽衣か、水龍の姫の着物か)
若者は川上に目をやった。
渓流の奥へと続く。
耳を澄ますと
呼ぶ声がするようであった。
「見目うるわしき若者よ。
わが衣を拾っておくれかえ?」
それは遠い滝の水音だったかもしれない。
あるいは吹き抜ける風のいたずらか。
若者の目は、すでに夢見る男の目。
渓流を遡るように
ふらふらと若者は歩き始めた。
やがて若者の姿は
草木の茂みに隠されてしまった。
あとは釣り具だけが残された。
鳥と虫が鳴いている。
うるさいほどに。
2012/08/19
下請け業者と電話で商談中、
不意に回線が切れてしまった。
大変なクレームが発生していた。
在庫部品数の確認を急ぐ必要があった。
すぐに固定電話機の番号ボタンを押すと
ボタンがはずれてバラバラになった。
あわててボタンを拾い、
なんとかはめ直して押し直す。
あせっているため最後まで正しく押せない。
バカみたいに掛け直しを繰り返す。
さらに、この緊急時だというのに
隣席の同僚が邪魔をする。
「3.1415 926535 897932 3846・・・・・・」
なぜか耳もとで円周率を唱えるのだ。
(なんだ、こいつは?
なぜこいつ、こんなに丸い顔なのだ?)
無性に腹が立つ。
持っていたペンを逆手に握り、
同僚の毛深い腕にペン先を突き刺す。
「殺すぞ! 仕事中なんだからな!」
感情にまかせて怒鳴りつける。
ところが、なぜか
同僚の腕からペンが抜けなくなる。
どうやら腕を覆う毛に絡まってしまったらしい。
ペンがなくてはメモを取れないので
ひたすら後悔するばかりである。
2012/08/18
あなた目の前に舞台がある。
その上には、まだ誰もいない。
芝居はこれからだ。
あなたは客席の最前列に並ぶ審査員のひとり。
高名な舞台演出家や映画監督の横顔が見える。
真剣な表情。
息苦しいほどに張り詰めた空気。
「それではこれより、審査を開始します。
まず1番の方からどうぞ」
水着姿の少女が舞台の袖から登場する。
腰のあたりに1番のプレート。
なかなかのプロポーション。
司会者が名前と略歴を紹介する。
あなたの正面に少女は立つ。
彼女の緊張が伝わる。
「1番。勝手に分解します!」
声が震えている。
初々しい。
ぎこちない動作。
片足を両手でつかみ、そのまま片足を抜く。
同じく、もう片方の足も抜いてしまう。
やや単調か。
続いて、首を抜く。
その首から両方の眼球も抜いてしまう。
さらに片腕を、もう一方の片腕で抜いてしまう。
残された片腕は抜くこともできず、おしまい。
期待はずれ。
こんなものかな、とあなたは思う。
「さらに1番。勝手に組み立てます!」
なんだなんだ、とあなたは驚く。
抜いたばかりの部品が本体にはまってゆく。
元通りの少女の体に自力で戻ってしまう。
いや。
両足は左右が逆になっている。
「これは凄い!」
舞台演出家が感嘆の声をあげる。
「さらに1番。勝手に爆発します!」
いくらなんでもやり過ぎだ。
しかし、止める暇はない。
あなたは、むき出しになった眼球に爆風を感じる。
それでも逃げなかったあなた。
あなたは審査員として見事に合格である。
2012/08/08
なにかについて考えなくてはならなくて
でも眠くって
仕方ないので
眠りながら考えることにして
うとうとうとうと
考えながら眠ったんだけど
意外なことに
なかなか良い考えがひらめいて
これは眠ってる場合じゃない
と
あわてて目覚めたのでは
あるけれど
残念なことに
あわて過ぎたからか
ひらめいた考えの記憶は
すっかり失われてしまっていて
さらに
いけないことには
そもそも
なにについて考えていたのか
という大切な記憶すら
まったく思い出せないのだった
2012/07/30
昔、あるところに、ある人物がいた。
いつの時代で、どこの国の人物か、不明。
そいつの素性もよくわかっていない。
性別も職業も当時の年齢も、さっぱりである。
さて、それはともかく
そいつは、ある目的のために行動したという。
その目的は不明である。
行動の内容も、伝わってはいない。
それに関する記録が残っていないのである。
極秘に行われる必要があったのだろう。
そうでなければ
なにかしらかの痕跡が残ってしかるべきである。
ただし、これはあくまでも推測にすぎない。
その行動に、どのような意味があったのか。
その行動により、いかなる結果がもたらされたのか。
残念ながら、知る者はいない。
闇に葬られたのか。
皆、忘れただけなのか。
それすら判然としない。
つまり、そういうわけで
わけのわからない話なのである。
しかしながら
まあ、よくある話ではある。
2012/07/25
最近、カラスが増えたような気がする。
真っ黒な姿。不吉な鳴き声。
鋭い目とくちばし。
ゴミ置き場を漁っていたりする。
むやみに生ゴミを捨てるからだろうか。
帰宅の途中、カラスの羽を拾った。
とても大きくて美しい羽だった。
捨てるのが惜しかった。
でも、それを飾る場所が見つからない。
悩んだ末、鉢植えの土に挿し、
そのままベランダに置いておいた。
やがて、その羽が膨らんできた。
おかしなこともあるものだと思った。
ある朝、カラスの鳴き声で目が覚めた。
鉢植えに一羽のカラスが生えていた。
なるほど、カラスが増えるわけだ。