1万8000人の登録クリエイターからお気に入りの作家を検索することができます。
2011/06/21
およそ5年前に職場の知り合いから教わった、遠藤周作・佐藤泰造対談集『人生の同伴者』。私自身、信者でも何でもないのですが、学生時代からなぜか「信者でしょ」というヒトが多いのです。驚いたことに、私の母までつい最近まで、私のことを信者だと思っていたようです。
文学として書かせていただきます。といっても、曲がりなりにも英文科出身なので、勉強と聖書は切り離せない関係でした。うちの父も無宗教ですが、長崎で青春時代を送ったせいか、私が父から教わった例え言葉はことごとく「山上の垂訓」に重なっているようで怖いぐらいです。文学部に進むべく道は引かれていたわけです。なのに、自宅の百科事典で科学の巻は文字通り背表紙がすり切れるほど読まれていました。数学さえできれば、というところです。
あえなく、高校二年後半で文転することを決意したのでした。
さて、さっきの本の話です。先日、震災100日記念追悼式が行われていました。どこまで細かい部分が史実なのか分かりませんが、ネタバレですみません、支倉常長の遺灰は太平洋の沖合で海の底に沈められたそうです(遠藤周作『侍』)。たぶん、手を合わせて、海の底の行方不明のご遺体に念じられた方もいらっしゃるでしょう。『侍』で、「ここからはあの方がご一緒です」という下りがあります。こちらの「復活」はmilleniumを指しているのかもしれませんが、マーラーの交響曲第2番「復活」最終楽章の副題は「よみがえるだろう、わがちりよ」とも訳されています。ドイツ語では"Auferstehen, ja auferstehen wirst du"です。全く恐ろしいほどの符合です。
ああ、書くエネルギーが尽きてしまった……。また、何か書いてみます。