HARU WORKS(柴山晴)

イラスト・日記

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  • 遺された服

    2012/09/29

    活動記録

    今朝、たまにしか見ないテレビでニュースを見てました。震災の被災地に遺されている色とりどりの着物。その端切れを作品にする人たちが取材されています。

    いわく、「制作していると泥や潮とかのにおいがしてくるときがあるんです」。

    わたしがいまの本業に就いた頃、ちょうどパソコン通信からインターネットに移る頃で、そのときの友人にクリエーターがいました。亡くなった実母の遺した着物をほどいて、なにかを作っていたとまでは聞いてます。風の噂に由れば彼女は生活に困窮しているそうです。どうしているのでしょう。最後に居場所を確認しているのは横浜でした。

    贅沢は言えませんが、価値観なのでしょうか、その頃の友人たちは消息を絶ってまして居場所を知られたくない暮らしをしているのかもしれません。コンテストとかで実名が出てしまったら、「これは○○の運営するサイトです」と出さざるを得ませんが、ペンネームと実名を使い分ける暮らしは、どうやらわたしにはできそうもありません。これもわたしの価値観だと思います。

    人の身につけていたものに手を加える、袖を通す、あるいは触れたり保存したりするーー古今東西色んな形で布製品に人は思いを寄せてきたのではないでしょうか。今朝のニュースを見ながら、わたしもまたそのようなうねりのなかに生きていると感じました。


    武満徹・谷川俊太郎
    「死んだ男の遺したものは」
    本田武久・歌 ピアノ伴奏

  • あきらめるのもじつは他の希望がある証拠

    本業ですが、なんというんでしょうね、不在証明を追って不作為を残す人たちに閉口します。結論先に言っちゃいますね。私が思うに、人間、時間は限られているのだからやりたい仕事が出来るかに生き甲斐かかってます。

    先ほども家人と話したのですが、両親とも高齢でいつ最後の日かわからない、予測がつかないというわけです。予測どおりしねる人は少ないかも知れません。話の中で、母方の60過ぎの嫁が末期ガンで程なく逝ってしまったエピソードも出ました。けっこう、乗ったまま車を立木にぶつけたりとか、後日聞いたところだとかなりやけになっていたそうです。

    「死の受容の五段階」もわかるのですが、わたしも含め、決して生きることに絶望してはいないということです。「絶望」とは読んで字の如く、望みがゼロになってしまうことではないでしょうか。ゼロより下は?わずかでも望みが残っていれば、それは絶望ではないかもしれません。

    「息をする限り、望みを持つ」(ラテン語の格言)

  • 司書の目線

    なんとなく接している紙の本。koboとかキンドルとか出てもなんとなく、こちらには食指が伸びません。義務教育から高校まで図書委員、学生の時は司書課程をとっていたし、紙メディアには「こだわり」としかいいようのないものを持っていることに気づきました。なぜなら、「どうしてこだわるの?」が説明できないから。

    そういえば、CDも持っているとけっこう、安心感があります。たしかにiTunesで音楽を買ったことも一度ならず、でも通販や中古でCDを買ってしまいます。

    いつぞや仕事の研修で「音楽は今やネット配信の時代ですよ」と公立図書館で講師が堂々と宣うてました。う〜む、わたしのうちの最寄り駅にある図書館には、まだそのような気の利いたものはありません。大都市で、ですよ。

    インターネットが各戸に普及するということは、メディアの多様性を偏らせる、つまり図書館の存在意義を危うくするものなのでしょうか。大学とかの専門図書館ならまだしも、公立図書館は立場が危ういかもしれません。

  • 今日で1年半

    やっぱり、「まだ1年半」という思いがします。

    そのことについての創作(文章・絵)も書きました。でも、ほしい人たちにはまだ思いが届かないような気がしてなりません。受け取ってもらえるのかすら、わかりません。

    明日は我が身なのに、テレビやディスプレイを前にして一歩踏み出せずにいる自分がいます。あの日、足を棒にして帰り着いたし、電車が止まっている次の日から自転車で通勤もしました。

    怖れるべきでないものを怖れ、怖れるべきものを怖れない、だからこそ新聞やニュースから意識的に耳目を遠ざけているときもあります。

    ごめんなさい、遠回しな言い方しかできずに。

  • きょうは天気が良かったし……

    重陽の節句でしたね。20年前の今日、私は十和田湖畔へ旅行に出かけひとりで泊まってました。あのときが生前の祖父を見た最後のときでした。それから3年後、祖父は心筋梗塞で他界しました。

    わたしも勤めてもうすぐ20年。自分でも何が向いているのかなと、ふと真剣に考えるようになってます。40代で別の仕事に就くというのも難しいとわたしもいわれます。

    定年まで銀行勤め兼シンガーソングライターの人も有名になりましたが、「何かをしながら」というのは誰にでも出来ることではなさそうです。

    「定年まで勤めればいいじゃないの?」親戚はそう言います。絵を描くこと、発表し続けること、じつはこれはわたしにとって覚悟の連続であり決意の連鎖でもあります。

    どこに隠れても目立ってしまうわたし。だったら出るところで出過ぎてしまうしかなさそうです。

  • 書評『人イヌにあう』コンラート・ローレンツ[著]

    「彼女は私が知っているイヌのうちでもっとも忠実なイヌだった……私は非常にたくさんのイヌを知っているのであるが。」

    たぶん、この本を通して現れるこの主人公こそ「スタシ」だと思うときがよくある。

    イヌを失うことは悲しいことである。しかし、失うとわかっていながら愛さないことはもっと互いにとって不幸ではないのか。

    愛したイヌの死という「苦しみという代価を払いたがらぬ者は、老嬢が住むような屋根裏部屋にひっこんでいるがよろしい。」

    これは、著者が自らの苦しみを吐露した格好になっているのがわかる。強がるわけではない。でも、なんか人間の弱さがにじみ出る。軍医として従軍中に戦災で最愛のイヌ・スタシを失うことは、著者にどれだけのダメージだったか。

    ブラウニングやバーンズ等、英文学の人たちの作品が好んで引用されているが、じつは《敵国の文学だからいやだ》というパースペクティブは感じられないのである。

    私の祖父も従軍経験者だったが、復員後、決して従軍中の話はしなかった。著者が先の大戦についてどうみていたか。多くは触れていないのだが、次の文章が雄弁に語っている。

    ドナウを渡りながら、岸辺に足跡をつけた動物たちについて「それに、前の戦争の危機がこれらの森で展開した最後のおそろしい局面以来、彼らは、非常にひそやかになっている」

    決して、著者が《典型的なドイツ人》でなかったことは、英文学への造詣の深さや、次の一文にあるような東洋へのあこがれもみてとれる。

    スタシの子孫であるスージについて「水たまりという水たまりを嬉々としてころがりまわり、全身泥にまみれたままで無邪気に家に入ってくるとき、彼女はスタシになる。スタシの生まれ変わりになるのだ。」

    私が中学生の頃に初めて知った二重らせんについて広まる前の時代に、著者はイヌについて「愛と忠節のはかり知れぬ総和となるのだ。」と結んでいる。その予見の目にただ、恐れ入るしかない。

    さらに付け加えるなら、たぶん、私が高校の図書室で同著者の『ソロモンの指輪』
    を手にとって読破しなれば、他の生物に対するわたしの今の世界観は展開しなかっただろう。

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