HARU WORKS(柴山晴)

イラスト・日記

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神奈川県

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  • また性懲りもなく小説応募しました

    「いっておいで。」

     出勤途上、近所の郵便ポストにレターパックを投函した。

     なかなか引っかかって入ってくれない。

    行くのがそんなに嫌なのだろうか。

     いや、このまま見知らぬ第三者の手に渡るようにするわけにはいかない。

     中身は百二枚の原稿用紙だ。決して軽くはない重み。

     家にいるとき、写真に追跡番号を撮っておいた。昼休みに、

    試みに郵送物追跡をしてみる。

     今朝、原稿が目的地に着いたことがわかった。

     夜帰ると、家人が料理とお酒を用意してくれている。

    「小説完成お疲れ様でした。」

    ここで一杯。

     しばらく、小説執筆のことは考えないことにした。

    続きはまた。

     

     

  • 小説を書いて思ったこと

    小説の体をなしているかどうかわからないが、かなり自分の黒歴史?もさらけ出したので、苦しかった。

    小説だけでなく、童話も書いて応募している。ダブルネーム。

     

    小説書いてから童話を書いてみた。今までと随分、感触が違う。劇薬指定薬品をオブラートに包むような、時と場所をぼかしたもの、差し詰めそれが童話の受賞作品に多いような感触がした。

     

    小説は、いってみればエンディングに向かって様々なカタストロフをちりばめて、自らの体験を語っていく。ああ、あの部分は書き足りなかったなとか、応募原稿の写しを何度も見ながら考えたりする。私なりに、これはかなり勇気の要ることだった。

  • 「おらおらでひとりいぐも」対談集見ました

    さすがATOK、アップデートで標記の作品名が出てきました。

    小説家って、「文藝」めくって思ったのですが、作家稼業以外に編集者と旅先へ取材にご一緒したりと

    意外に多忙な人なんだなと思います。

    それゆえに、斉藤美奈子氏の「覚悟して応募してください」なのだろう。

     

    いつぞや、近所のコストコでサンドを頬張っていると、こんな会話が。

    「娘が『芸能人になりたい』っていうんだ。困った。」

    と家族会議している人たちが隣になった。

     

    子どもが芸能人なら、非違行為をしようものなら、係累を負って親が会見で謝る。

    個人主義の国では考えられない光景が待ち受けている。

    あの親にはそれだけの覚悟はあるのだろうか。

     

    親を泣かせたくなければ芸能人ではなくて小説家になった方がいい。

    忙しいのは変わらないが。

  • 鉄道小説大賞一次選考通過しました(柴山 晴)「ストロベリーハウスでつかまえて」

    https://www.tetsudoshosetsutaisho.com/%e3%80%8c%e3%82%b9%e3%83%88%e3%83%ad%e3%83%99%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%8f%e3%82%a6%e3%82%b9%e3%81%a7%e3%81%a4%e3%81%8b%e3%81%be%e3%81%88%e3%81%a6%e3%80%8d%e6%9f%b4%e5%b1%b1%e6%99%b4/

     

    サリンジャーの例のではないですが、海老名にライ麦畑がないのは残念ですが、歴史とイチゴが名物です。

    一応、恋愛小説です。

  • 童話の作り方・うまくいかないので調べてみた結果

    毎年、この時期になると、かつて応募した童話賞の(いずれも選外)応募案内ハガキが来ます。

    昨年は仕事が忙しすぎてすっぽかしました。

    それでも、今年来ました。

    これは「書け」ということですかね。[書く]ということにしましょう。

    先に結論。ブロンズ粘土で像を造る作業に似ているのではないでしょうか。

    調べると、短編で詩を書く能力が求められるといいます。

    学部の講読の時間で、たとえばマーク・トゥエインの短編を輪読したりするわけです。

    ポエジーなんですよね。短編って。いかにインパクト強くか。

    金子みすゞの「すずめの母さん」とか、どきっとさせられますね。

    (新約聖書の「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」とか遠藤周作の「わたしが・棄てた・女」をも連想しますが)

    粘土/童話 で書いていきます。

    ブロンズ粘土で像を造るときはまず、スケッチします。/これがテーマを決める作業です。

    骨組みを作ります。/これが詩を作る作業です。

    肉付けします。/これが本編を作る作業です。

    理屈的には分かったつもりですが、さすが難しい。

     

  • 純文学って…

    純文学って、読んでいて途中で胸がいっぱいになって、それ以上読み進められない。

    ダンテの神曲もそうだし、地獄篇真ん中過ぎて読みさし。

    司馬遼太郎もそう。街道をいく「蒙古塚・虹の松原」まで行ってそのまま図書館に返却。

    神曲は手元なので、読書再開まで安心していられる。

    自ずと、図書館はさらっと読めるベストセラーばかりになるわけです。二週間で読み切れる本ばかりね。

  • 仮題・「セッション・ブロークン」

    あるいは《18年目の破綻》。組織社会の最底辺を追われたら、まともな人間はどうなるか……人物素描をかねて連載か一話完結ずつか、ちょっと考え始めています。

    その破滅的な職場人生、始まり・折り返し・終わり、順を追ってみていきたいですね。ちょうど日曜劇場で「半沢直樹」がブレークしているところですし、そのうち。

  • 書評『人イヌにあう』コンラート・ローレンツ[著]

    「彼女は私が知っているイヌのうちでもっとも忠実なイヌだった……私は非常にたくさんのイヌを知っているのであるが。」

    たぶん、この本を通して現れるこの主人公こそ「スタシ」だと思うときがよくある。

    イヌを失うことは悲しいことである。しかし、失うとわかっていながら愛さないことはもっと互いにとって不幸ではないのか。

    愛したイヌの死という「苦しみという代価を払いたがらぬ者は、老嬢が住むような屋根裏部屋にひっこんでいるがよろしい。」

    これは、著者が自らの苦しみを吐露した格好になっているのがわかる。強がるわけではない。でも、なんか人間の弱さがにじみ出る。軍医として従軍中に戦災で最愛のイヌ・スタシを失うことは、著者にどれだけのダメージだったか。

    ブラウニングやバーンズ等、英文学の人たちの作品が好んで引用されているが、じつは《敵国の文学だからいやだ》というパースペクティブは感じられないのである。

    私の祖父も従軍経験者だったが、復員後、決して従軍中の話はしなかった。著者が先の大戦についてどうみていたか。多くは触れていないのだが、次の文章が雄弁に語っている。

    ドナウを渡りながら、岸辺に足跡をつけた動物たちについて「それに、前の戦争の危機がこれらの森で展開した最後のおそろしい局面以来、彼らは、非常にひそやかになっている」

    決して、著者が《典型的なドイツ人》でなかったことは、英文学への造詣の深さや、次の一文にあるような東洋へのあこがれもみてとれる。

    スタシの子孫であるスージについて「水たまりという水たまりを嬉々としてころがりまわり、全身泥にまみれたままで無邪気に家に入ってくるとき、彼女はスタシになる。スタシの生まれ変わりになるのだ。」

    私が中学生の頃に初めて知った二重らせんについて広まる前の時代に、著者はイヌについて「愛と忠節のはかり知れぬ総和となるのだ。」と結んでいる。その予見の目にただ、恐れ入るしかない。

    さらに付け加えるなら、たぶん、私が高校の図書室で同著者の『ソロモンの指輪』
    を手にとって読破しなれば、他の生物に対するわたしの今の世界観は展開しなかっただろう。

  • 7月4日に生まれて

    明日はアメリカ独立記念日。

    でも、ベトナム戦争を描いたコヴィックの作品、原語で読んでかなりヘビーな内容でした。

    映画のは観ていません。

    あの辺りの戦記物だと、近いところ、パリは燃えているか、など。パリ解放記念日も近いです。

    グリーン・グリーンも風に吹かれても……ノーを言える国は多様性で保ってるんでしょうか。この国で今、言いたくても言いにくい出来事があり過ぎるようです。

  • アンチャとニキ

     これもまた柴犬好きだった中野孝次さんのエッセイ(「犬のいる暮らし」だったか)に紹介された翻訳小説です。鉱山技師のアンチャが同僚の讒言で逐われ、何年も愛犬のニキは待ち続け、飼い主がやっと帰宅した時に事切れた、というストーリーです。

     思わず、「オデュッセイア」のオデュッセウスが戦役の果てに帰郷すると、待ちわびた愛犬・アルゴーが飼い主を見て事切れる、それを思い出しました。関連があるのでしょうか。ルネサンス(文芸復興)の祖、ダンテ・アリギエーリも「神曲 地獄篇」にこの古代の英雄を登場させています。惜しむらくは、作者を血みどろの政治劇の末に永久追放した仲間を、キリスト教の地獄において呪う際に、古代の英雄達も呪われた代表として登場します。私怨と言うよりも連綿とした歴史の中に、ウェリギリウスの力を借りてダンテ自身を位置づけようとした「遺書」的なものも見て取れないでしょうか。

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