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2023/01/28
https://note.com/kouhou_shibayama/n/nb29ab917bc50
読後 『人 イヌにあう』
最近の記事はnoteにまとめるようにしています。
https://note.com/kouhou_shibayama
この投稿の前に、一年以上も前の自筆を眺めてみました。
見える風景がだいぶ、悪くも良くも変化していることに気づきます。
ブログやnoteやここへ行ったり来たりしています。
その時の記事内容に合わせてふさわしいメディアを択んでいます。
引き続きよろしくお願いします。
追伸
日本語IMEを意識していますでしょうか。最近はよく使う単語を予測変換してくれます。
IMEをその都度切り替え忘れると、職場の情報とか個人情報が不意に出てしまいがちです。
わたしはPC環境を在宅用と私用(小説・エッセイ・ドローイング等)とを分けて使うようにしています。
2021/08/14
今晩は気象情報にお互い気をつけたいと思います。日本列島をすっぽりと雨雲が覆ってますね。
実は前置きが長すぎましたがそろそろ二代目の柴犬を飼い始めて半年と少しを過ぎました。
中飼いは初めての経験です。犬がより身近になると、匂いというか香りが高い湿度で一層際立ちます。
あの布団を干したような香りです。中飼いのメリットはこれもあると思っています。
2020/08/22
具体的は挙げたくない。だから抽象的になる。
波風は立てたくないから。
某ホームセンターの広報メルマガ。
女性が頭にかぶる謎の人工物。
あああの漫画とテレビ化から某カルト教団が採りあげて云々。
かと思うと別のイメージがステロタイプとして浮かび上がる。
拳銃やライフルを構える少年や少女のイメージ。
SFチックなシーンだ(こちらも)。
何かをシンボルとするのは世代間にわたる。
音楽で言えば「怒りの日」モチーフ。
クラシック音楽を良く聴くと、このモチーフがよくわかってくる。
不思議だ。
世代から世代へ受け継がれる遺産として耐えうるか?
2020/06/03
親からは「線路に人が落ちても一緒に降りるな」と言い聞かされていた。
ワニくんの場合、路上だったらしい。
思わず思い出したのが、新大久保駅での痛ましい事故だった。
人を助けたい気持ちに国境の違いはない。
新大久保駅に限らずこの種の悲惨な事故はあちこちで起きていた。
ワニくんの場合、桜舞い散る季節が最期の舞台だ。
もちろん擬人化だと私は思う。
しかも責任感の強すぎる人をモデルにしているのだろう。
諸説あるが、少なくとも私はそういう解釈をしている。
2020/05/03
不謹慎にも、10年おきに起きる災害。covid-19
的中してしまいました。
2020/05/03
コメントしたかったのですがこちらで。
私たちが自身を「ワタシ」と思っている時間。
極端に言えば肉体という「牢獄」での「有期刑」かもしれません。
たった数時間の人もいれば、気づくと周りに知っている人はいなくなる期間まで生きている人も。
宗派によりますが仏教では、胎児となった時からカウントが始まると和尚さんに聞かされたときもあります。
結局適齢期は逃して、不自由まで負い込んで、それでも「ワタシ」と一緒にいる身近な人と縁が続けば、それはそれでシアワセなのです。長患いの父をなくして以来、頓にそのことを意識しています。
2020/04/11
2019/12/18
西の光に向かって。無数の動物たちがナスに乗って向かう。
そういうイメージを抱きました。
風呂敷包みには何が入っているのでしょうか。
今回のBGMとして連想したのは、エルガーの'Lux Aeterna,' 合唱版です。
先日、17年間一緒だった柴犬の一周忌が終わりました。
ハンカチ、用意しておくべきでした。
2019/11/12
https://creatorsbank.com/HARU_WORKS/works/352614
メンタル病んでいるのですが、それでも彼女がほしかった。
そんな私の心の叫びです。
リアルすぎて、Twitterから一回削除を食らっています。センシティブだということで。
そこまで写実的にかけていたのか、と我ながら病前性格を振り返っています。
この病気は、ウェイン・キャットでおなじみのルイス・ウェインもかかっていたものです。
歳をとるにつれて、ネコの絵が曼荼羅よろしく抽象化していくものです。
あと何年も経つと、私が描いたrieちゃんも、羽衣の天女みたいに描かれているかもしれません。
いや、そう描くつもりでいたりする。嫌われても、私の心の中ではずっとベルなのだから。
2019/08/03
身体的な暴力、精神的な暴力……。
いや、これは児童虐待に限った話ではない。
名古屋で行われていた「表現の不自由展」にいたるまでの、一連の事件である。
憲法で言う「表現の自由」は、他者の権利を侵害してまで許されない(公共の福祉)という判例まではある。
より広義に言えば、「表現の自由」とは、抗議相手に値する権力者がいる限りどこまでも続く。
続かなくなったら最後、それは独裁政権下ということになる。
小林多喜二らを巡る一連の事件もそうだった。
スターリン時代のショスタコーヴィチの苦悩は命がけだった。
フランコ政権下のスペインも。
並べて書くことを許してほしい。
ただ、並べざるを得ないほど、独裁政権下に近い。
今回の件も、表現者の端くれとして、坑道のカナリアのように繰り返し語らないといけない。