川瀬大樹

画家

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京都府城陽市

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    Works 305

川瀬大樹

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川瀬大樹

画家

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    Works 305
  • 諦めないサバイブ

    勝ってもいなければ、負けてもいない。
    そんな姿勢で戦う必要性が在る様に思う。
    よく結果や成果で勝ち負けが上げられるが、
    長い目線で見渡せば、それよりも
    諦めない事の方が重要であると感じる。

    成果が上がらなくても勝つまでひたすら戦い続ける。
    諦めてしまって、リングの中からリングの外へ
    退場してしまった時点で、
    それは下山による負けを意味している。
    つまり戦う事を放棄した時点で試合の幕が降りてしまうが、
    常に戦う事を諦める事なく愚直に戦い続けてゆく事で、
    この世界に留まり続ける事が可能なのだ。

    フィールドで継続性帯びながらプレイし続けていれば、
    おのずと腕に磨きがかかり
    次第に開かれたチャンスが自身へと巡ってくるのだ。
    それをモノにするために、
    泥臭くて不器用に転倒する事繰り返しながらも
    自身が語り継ぎし物語を語り続けてゆきたく思う。
    石の上にも三年という言葉が在るが
    居座り続けてゆける限り
    石の上に居座り続けながら契機となるポイントを
    随時見極め、作家活動続けてゆきたく思う。
    手に入れたいモノをこの手に掴む、
    欲しかった事を獲得するために挑み続ける
    叶えたかった夢を具体的なる形で
    叶えゆくまで、諦める事など決してしないのだ。

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  • 事におけるマインド

    お金を支払ってモノを買うのではなく
    事を手にするというマインド。
    つまり即効的でその場の空気や目の前の物欲のみに
    流されて物を買うのではなく、
    自身に経験や体験を投資するマインドでお金を使うのだ。
    さすれば短絡的で単発的な欲望に終始する事などなくなる。

    お金を支払う事で
    未知なる経験や新たなる体験を
    付け足しながら会得して、
    自身に磨きを掛けながら発展させてゆけば
    常に自身の世界は活気づいてくるのだ。
    自分の物語の成長を促すための事による投資であり
    自身の変化を促す上での事における投資でもあって
    新たな気付きを与えながら新たなる実感や
    感覚を宿しゆくために必要な投資マインドなのだ。

    短絡的な消費マインドは、その場限りの欲望による
    起伏のみに終始してゆくが、事マインドで
    お金を投資すれば、それが自身の血肉として
    身につきながら、経験値としてそれが融合しながら活きてくるのだ。
    事マインドによる投資は、細かくて小さな事柄から
    徐々にスタートさせれば良いのだ。
    コンビニへ行けば、いつもどおりの
    決まり文句な商品を買うのではなく、
    未だ買った事のない商品を買う事を意識しながら
    新たな食感を体感してみればよい。
    それを50回100回と繰り返せば同じ味のみに終始する事なく
    100回分の味覚を体験交えながら脳へと蓄積できるのだ。

    毎回同じ場所に行き..、同じメニューを頼んで..、同じルートで
    帰宅して..、同じ時間に眠りけるのでは..、
    硬直的で閉ざされた世界しか知らずに
    自身の枠を制限してしまう結果となる。
    いわゆる限られた枠内における
    鎖国された閉塞感漂う価値感が脳内へと形成されてしまう。
    食わず嫌い、知らず嫌いが
    一番性質が悪くて手に負えないのだ。

    まずは体験した事の無かった体験を得なければ。
    様々な経験や体験を会得しながら積み重ねてゆく事で
    未知なる世界との握手、新しき世界との融合が成立しうるのだ。
    新しき場所へ、1.20.50.100回と
    回数を折り重ねながら訪れたり
    入った事の無いお店へと1.20.50.100回と回数を積み重ねてゆく。
    話した事の無い人に声をかけてみたり、
    自身が読んだ事なかったジャンル本や雑誌を手にしてみるなど。
    未知との遭遇を体験するための
    事マインドによる投資を心掛けてゆきたい。

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  • 過去から連なりし物語

    作家が紡いできた物語。
    その上辺の表面部分のみに終始したストーリーを
    紡いでゆくだけでは、巻物を長く連ならせながら
    均等のサイズで見開いてゆくだけにしかならない。
    そこには、厚みや深みは加わってゆかないのだ。
    「オムライス食べた」..とか、
    「今日の売り上げは好調だった」..みたいな表面上で
    滑りゆくストーリーは、印象としてフックされないし
    自分の人間味を主張したければ時には醜態的なストーリーや
    手痛い失敗談などを交えながらブログなどのコンテンツで
    ダイレクトに発信すれば印象深くなってくる。
    つまりその人のキャラクターとしての旨味が出来てきて
    キャラクターがきっちりと立ってくるのだ。

    ある意味、自身の負として抱えている部分を
    曝け出すのは勇気がいると思うし、
    このまま語らずに過ごしたくなるのが人情なのかもしれない。
    けれど、それを曝け出す事で自身の過去と向き合い、
    乗り越えてゆく事が出来るというのも確かな事なのだ。
    自身の場合、不登校時代が中学校の頃
    2年半もの長きに渡り続いのだがそれがきっかけとなり
    絵を表現する道へと志すに至ったのだ。
    学校に行かず毎日家で悶々とした時間だけが
    無常に過ぎゆく生活を不登校始めた頃は続いていて。
    要するに、社会のレールから外れちゃったわけで。
    それまで学校行って、普通に社会出て
    サラリーマンとして就職するのが
    全うな人生だと子供の頃は思っていて。
    それがレールから外れてしまったので、
    当時は、これからどうする...どうなってしまうんだ..って
    絶望してたわけよ^^
    社会のレールに乗る=スタンダードな人生を歩む、
    それが極々当たり前に周りから語り継がれてきた物語だったし
    自分もそうなるだろうと、ある種、刷り込まれていたわけ。
    けれど中学校をドロップアウトした事により
    膨大に出来てしまった余りある時間を
    どう使おうか..と漫画読んだり音楽聞いたりゲームしながら
    想いつめながら考えてて「笑」

    そんな時、昔から絵がずっと好きで描いてたのを思い出して。
    家に居てもすぐに始められるから、ノートに
    1日1画を目標に自身のアイデンティティーを
    刻み付ける形で描いてゆこうと思い立って始めたのだ^^
    始めの頃は毎日続けられるのかどうか不安やったけど、
    絵を描き続ける事である種、救われた感あったよな。
    自分の居場所を紙に刻み続ける事で
    絶望的な気持ちが緩和されたのだ。
    そうこうする内に毎日ノートに描いた絵が1枚1枚と
    出来上がってきてノートが5冊10冊と埋まっていったわけよ^^
    そんで描く目標が出来たし絵の高校に行きたいよなぁと、
    欲望が芽生えてきて、その気持ちがどんどん大きくなり
    高校へ行く決意まで出来たわけ。

    以前はサラリーマンになる未来しかなかったのが
    絵と出会えた事で絵をなんらかの形で表現した世界に
    携わりたいとベクトルが180度方向転換されたわけ。
    あの暗黒の不登校時代が無ければ、今頃
    サラリーマンやってたか、フリーターとかしながら
    漫画とかアニメやゲームを買い漁る
    オタク道に深く入ってた様な気がするのだ。

    ふと今日は自分の過去のストーリーを綴り書いてみた。

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  • ファーストインパクト

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    感想(7件)




    初めて体験する事柄というのは
    インパクトによる衝撃派が大きくて強い。
    いわゆるファーストインパクトである。
    これがセカンドインパクト、サードインパクト、
    フォースインパクトと、同じ経験を重ねゆくと
    それにプラスアルファーなる形を帯びながら深みや厚みが出てくる。
    つまり1が2になり2が3へと成りゆくのだ。

    けれど0を1にした時のインパクトに勝るインパクトとは
    なかなか遭遇出来ないものだ。
    それは何故かと言えば、一番始めに経験した事というのは
    無いを在るへと書き換えが起こったので脳に新たな体験が加えられる。
    0が1になった時のファーストインパクトによる衝突は凄まじい。
    このファーストインパクトによる跡地の上に
    そこから積み重ねし経験が気築き上げられながら、
    セカンドインパクト、サードインパクトへと繋がってゆくのだ。

    初めて行くお店は最も最初がインパクト強いし
    2回3回とリピートさせる事で奥行感がその上へと加味されるのだ。

    初めての海外旅行なんかもそうだよね。
    一度目に行く海外旅行が最もインパクトが鮮烈で。

    それは全てが新しい経験の連続だからであって。
    パスポートの取得から、
    自身の使わない言葉が飛び交う国へと赴いたり、
    日本とは全く価値感が違う
    異文化圏で過ごす、ファーストインパクト。

    2度目や3度目の旅行先が一度目よりも素晴らしかったとしても
    1度目の初めての海外経験による軸を
    凌駕するインパクトには勝てないのだ。

    ミュージシャンのアルバムもファーストが
    初めて作る音の塊をアルバムに凝縮させてるので
    初々しくて伝えたき根底へと宿す想いがCDへと乗り移る。
    セカンド、サード、フォースは根底ベースの上へと
    上積みしてゆく表現なので、一度目のインパクトの延長戦上で
    音によるイメージが構築されゆくのだ。

    ファーストによる第一段階における経験を
    様々な形態や角度を持って折り重ねゆく事で
    知らないを→知るに変換させる事が出来るのだ。
    それは自身の知らなかった世界を知る事で
    今までになかった実感や新たに芽生えし気持ちを
    ふり幅拡張させながら与えてくれるのだ。

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  • 波風によるウェーブ

    支持者が1人増えるという事は、それと同時に
    不支持者、つまりアンチによる反勢力が増えるという事なんだ。
    作家の世界は規模がミニマムなので
    小さな波を継続的に長く持続させクリエイトしながら
    長いスタンスでの
    大きな波による変化へと繋いでゆくしかないのだ。
    そういう意味合いでは
    芸能人とかテレビ関係者なんかは
    メディアを通した露出度が凄まじいから、
    その波の短期間での大きな変動による破壊力は凄まじい。

    人気者とは人の気を引き寄せるという事だ。
    つまり人の気を引き寄せるというのは、招かれざる者や
    合い反する動きを同時に作るという事でもある。

    人気者とは嫌われ者でもあって。
    スティーブジョブスしかり、
    スタジオジブリや
    ウォールドディズニーなど、
    万人に支持されたり、グローバルな影響与えれる数が
    膨大であればあるほど
    それとは裏腹に巻き起こってくるアンチなる数も
    膨大に登ってくるのである。
    支持者やフォロアーが増えれば増えた分だけ
    波風は良くも悪くも
    揺らぎを引き起こしながら引き付けてゆくものなのだ。
    むしろ波風を立てる事でしか
    波間には波紋は巻き起こらないし、臆する事無く
    肝を据えてオーバードライブを巻き起こしてゆくべきだと思う。

    ウェーブを巻き起こしてゆかない事には
    そこからの変化による動きが望めないのだ。
    つまり波紋を波間に投げ続けゆく事で、
    そこから始まってゆく
    波風による浮き沈みにより、自身以外の世界が
    振動伝わりながら音を立てて揺れ動いてゆくのだ。

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  • 個人の意識による移動

    国とは機能的な拡張によって
    繁栄が成り立っていて。
    他の国から資源や人や土地などを
    吸収、融合させる事で拡大していると言える。
    つまり侵略によって国が栄えているとも捉えられる。

    それとは対象的に宗教は個人の意識に
    宿りし思想であって、これは国が亡びたり
    融合したりしても消滅する事は無くて。

    アートは宗教的な意味合いが強い。
    つまり意識における思想世界を具現化しているのだ。
    意識の世界はイメージなる資源を刷り減される事は無くて。
    それぞれのイメージを
    展示スペースで披露し合いながら鑑賞者に見せゆくのだ。
    鑑賞者は気になるイメージの中を
    移動しながら個人が紡ぎし世界を見て回っているのだ。
    つまり奪い合うというよりはシェアさせながら
    移動させてゆく感じが強い様に思う。
    興味や関心あるイメージを
    随時見渡しながら移動繰り返してゆく。

    限定された土地を奪い合う感覚では無くて、
    個人の意識によるイメージの輪の中を
    鑑賞者は飛び渡りながら
    興味や関心持てるイメージへと
    飛び乗って、移動を繰り返してゆくのだ。

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  • フェイズによる移行

    次なるフェイズへと指針を向けて移行させる。
    絵が評価されなくて売れなかった頃は
    とにかく作品が評価されたかったし
    売れてゆく事でアートマーケットへと認知されながら
    信頼おける支持者を増やしたかった。

    けれど、それが継続的に叶う様なってきて
    その先に在るフェイズによる段階が
    体験を通し垣間見えてきた。
    絵が売れるとうのは、
    作家にとって最高の褒め言葉なんだと思う。
    「この絵をください「」 ....この短い一言の裏側に
    画家冥利尽きる称賛なる美が宿っている。

    絵描きにとって絵が販売に繋がり
    嫁入りするというのは
    的確に表現された言葉よりも、さらに重みがあって
    ダイレクトに称賛の意が伝わってくるから
    絵を販売する事は、最高に心地よい時間を共有できる。
    与える事で与えられる。そんな相互間における
    承認意識がそこから芽生えてくるのだ。

    しかし、そこから先に存在するフェイズ、
    つまり次なる段階を最近、認識してきたので、
    今日はそれについて書いてゆきたく思う。

    絵が認められる、評価され、売れる事で
    そこで初めて与えられるステージというのがあって。
    これはアートに限らず、どの業界でも同じ事だと思う。
    成果や結果を叩き出す事で
    手にする事が出来る事柄や
    与えられる場所、報酬というのがあって。
    これはただ闇雲に絵を描いているだけでは得られなくて。

    芸事の世界はどれも一緒で人気投票で上位を出せば
    最も良いポジション確保出来たり、
    M1なんかでは優勝する事で
    それまでには出来なかった
    ステージでの仕事が舞い込んできたりする。
    その見返りにおけるチャンスを足かせに踏み込みながら
    さらなる未知数なるステージへと赴くため、成果を着実に上げゆく。

    旨味の効いた果実を随時、頬張ってゆきたいのだ。
    夏から秋に向けて、さらなるフェイズへと
    移動させるための波が用意されていて、
    それを成し遂げれるか否かで
    冬に訪れし、新たなるフェイズへと
    辿りつけるかどうかが決まってくるのだ。
    後半戦も泥水を啜りながら全力投球で戦い抜いて、
    たわわに実った真っ赤な果実を大きな口を
    あんぐり開きながら豪快に頬張ってゆきたく思う。

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  • アートな椅子取りゲーム

    アートの世界って、椅子取りゲームなんだよね。
    つまり長くそこに居座ってたら
    自分にチャンスが自然と回ってくる仕組みなってるわけよ^^

    作家活動始めた頃は皆一期生であり、
    アート列車の中はキュウキュウの満杯であって。
    それぞれが夢と希望と活気に溢れていて
    可能性無限に在るのが一期生なわけで^^
    それが二期生.三期生と年を越してゆく内に
    途中下車する者達が続出してゆくのだ。
    他に生きがいが出来たとか、
    優先順位が変わっただとか、
    当初第一目標にしてたアートの世界が
    ほど遠くなってくるわけね^^

    自分はもう駄目だ..、他に道を探そう〜って、
    下車して、別のロードを歩み始めるわけ。
    満杯だった電車の中も4期生5期生なった時、
    同期の姿はほとんど見なくなっていて、代わりに
    新しい一期生達が列車へと続々乗り込んでくる。
    自分の方が先に乗ってる分、先に自身へと見合った
    ポジショニング席に座れるわけ。
    同期が降りて、新しき者達が乗ってくる前に
    空いた席確保してすぐ座れば
    吊り皮持って立ってる状態から解放されるのだ。
    椅子に先に座れるというのは
    乗ってくるモノよりも、先にチャンスをモノに出来るわけ。
    降りてから乗ってくるまでタイムラグ起こるからね。

    つまりずっと延々と電車に乗ってる奴が
    椅子取りゲームの椅子へと座れるタイミング作りやすく、
    アートの世界では、それが常日頃、当たり前なってくる。
    自身がその長く乗ってすぐに
    新たな空いた席を確保するポジションなわけね^^
    1期の時は、同期でセンスや才能ある奴が先に座ってて
    椅子へと座れず立ちっぱなし状態だったんだけど、
    椅子取りゲームから離脱してくれた事で
    座りたかったポジションへと座れたわけ^^
    チャンスを手に掴み取りたければ、長く居座ってゆくってのも
    一つの戦法として有効だと思うね。

    まぁ、センスや才能ある人は乗ってきて
    すぐに座れる席を瞬時に発見して座れるけど
    僕みたいに泥臭くて不器用で愚直タイプの作家にとって
    椅子取りゲームなアートシステムは
    大変助かっていて恩恵をとても受けてるわけなんだな「笑」

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  • アバターによる化身化

    作品って、要するにアバターなんだよね。
    さらに言えば象徴的なる化身なんだと思う。
    自身のコアをさらけ出し、キャンバスやパネルなどに
    象徴化させる行為を我々は
    常日頃から執り行い遂行しているのだ。

    完成したアバターを魅せるための空間が
    ギャラリーであったりアートフェスや
    アートフェアなんかに該当する。
    展示空間に自身のアバター「化身」を引っ張り出す事で
    その場所からイベント発生する事を
    多くのクリエイターが待ち望んでいて。
    そのために象徴化した化身を
    日の当るスペースへと飾りつけてゆく必要性があるのだ。。

    創作活動は日々の鍛練であり修行でもある。
    その成果を白日の下へと曝け出してゆく事で
    静かだった波間に波紋が発動されゆく。
    作家活動をしてゆく事でイベントと遭遇して
    次なる航路へと向けモノ作りを推し進めてゆける。
    そのための一手一手を切実に対応しながら取り組み、
    クリエイトさせゆく事で
    なんらかの成果を手にする事が可能なのだ。
    他者を吸引しながら巻き込んでゆき、
    影響力を与えたり、体験を共有する事で
    経験値や知恵、スキルや新たなる視点.融合点などが
    そこから芽生えてくるのだ。

    制作修練における創作活動で学べる創作スキルと
    作家活動による発表スキルにて会得できるスキルの両方を
    実体験通して体得しながら航海を進めてゆきたく思う。

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  • 幕の内なる一歩

    最近、ファミリー劇場で、
    はじめの一歩「ボクシング青春アニメ」が始まったから
    毎日見てるんだけど、やはりスイッチが入る瞬間がある。
    この作品、見始めた当初は
    一歩の世界観に、のめり込んでゆけなかったんだけど
    物語の転換期ってのが在って。
    そこのターニングポイント差し掛かった辺りから
    面白いなぁ..っていう感情が渦巻いてきて
    観覧するのが、楽しみなってきたのだ。

    それは、どの辺りかと言えば、主人公の幕の内の
    ライバルである宮内が、まさかの敗退をしてしまうシーンで^^
    この宮内っていうのは、とにか圧倒的な強さを
    誇ってる天才気質のボクサーなわけよ^^
    見る側の頭の中ではボクシング新人王戦の
    決勝戦は幕の内VS宮内だろうな、という絵図が当然出来てるわけ^^
    その中での攻防がどんな風に描かれるのか、
    拙者も期待してたんだけど、
    予想だにしなかった風に物語が進展してゆき..。

    宮内は準決勝で無惨にも敗退してしまう..。
    そして一歩がずっと戦う目標と決めていた
    偉大なるボクサー宮内が
    負けてしまう事で落胆してしまう一歩。
    まぁ、そんな感じで..読者の予想を良い意味で
    裏切るドンデン返しのストーリーが用意されてたってわけ^^
    僕としては、この鑑賞する側を裏切ってゆく
    予想外なるイメージソースが
    作品世界を、より強く引き締めてくれると考えていて。
    予想を裏切っていく場面から
    はじめの一歩というボクシングアニメはまってゆく
    きっかけとなったのだ。

    この予想の範囲外にイメージを落とし込むというスキルが
    作品を提供する側には必要な要素となってくる。
    漫才に例えると、こちらが考えられないネタを提案してくるから
    面白いのであって、自身の予想してたネタ範疇に留まっていれば、
    面白くもなんともないわけで。

    クリエイティブする作品って基本、
    提供した作品を鑑賞するサイドが
    たやすく真似出来たり、簡単に再現できるのであれば
    絵図として落とし込んでゆく必要はないわけで。
    予想される範囲を超えたイメージを立ち表わす事で
    感情の琴線へと触れて、惹きつけられるんだろうからね。

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