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2010/06/22
おやつに買って来たシュークリームを、食べる前にスケッチしておこうと思って机の上にセッティングしたら、運悪くふくちゃんがやってきた。
食いしん坊のふくちゃんだけど、さすがにシュークリームは食べないと思う。シュークリームが食べたくてやってきたのではなくて、近ごろ私の机の上が気に入っているから、寝に来たのだろう。
さっそくにゃあにゃあごろごろ言いながら、嬉しそうにしっぽをぴんと立て、せまい机の上を行ったり来たり。ふくちゃん、こっちへおいで、と膝の上に抱っこしても、すぐ机に戻ってしまう。いまにもふくちゃんがごろりと寝転がって、その大きなおしりでシュークリームをつぶしてしまうのじゃないかとはらはらした。
机の上のペンや鉛筆を蹴散らしたり、スケッチブックの端をかじったりしていたけれど、ふと、シュークリームに気がついたようで、くんくん匂いを嗅いで、白い粉砂糖のかかったシュークリームのてっぺんを、ぺろっ、と舐めた。
シュークリームにまで興味があるのか、ふくちゃん。シュークリームでこれだから、魚をスケッチするなんておそらく無理なんだろうな。
さんざん邪魔をした挙句、最後に60色入りの水彩色鉛筆の缶を派手な音を立ててひっくり返して昼寝中の赤ちゃんを起こし、私の自由時間に終止符を打って、ふくちゃんはもっと面白い物を探しに窓辺へ去っていった。
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2010/06/20
ふくちゃんは甘えん坊で、にゃーにゃー言いながらよく私のあとについて回るので可愛い。(みゆちゃんだって本当は甘えん坊なのだが、みゆちゃんはクールなところがあって、そういう気持ちをあまりおもてに表さない。そんなみゆちゃんが、時々立ち上がって私のひざを両前足でつかんだりすると、それはたまらなく可愛い。)
可愛いが、足元にまとわりつくから少々危ない。足をとられてひっくり返りそうになるし、歩いている足の、次に前へ出るほうの足にもかまわず擦り寄ってくるから、そうするつもりはなくても、あ、ごめん!と蹴飛ばしてしまうことがある。
蹴飛ばされると、ふくちゃんはちょっとびっくりしてウサギみたいに私の前に数歩飛び出すのだが、また懲りずに戻ってきて、にゃーにゃー足元にまとわりつくのを繰り返す。蹴られたことをぜんぜん気にしていない。
前にも一度書いたけど、実家にいたちゃぷりはふくちゃんとは対照的な根暗猫で、普段からびくびくしてあんまり懐いていなかったけど、珍しく甘えにきたと思ったら、要領が悪くて、歩いている足元に寄ってきては蹴られてしまい、「アナタ、私のこと蹴ったわね…」と思いつめたような顔をして、ますます疑心暗鬼に陥ってしまうので、ずいぶん気を使った。
シンプルでストレートなふくちゃんは、非常に付き合いやすいネアカ猫である。
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2010/06/18
買い物から帰ってきて荷物を玄関の上に置き、すぐにもう一度出かけたあと家に戻ってくると、玄関で、ご機嫌顔のふくちゃんがにゃーと出迎えてくれた。そのふくちゃんのうしろに見える、先ほどの買い物袋の様子がどこかおかしい。どこがおかしいのかしらと考えて、そうだ、自分がさっき置いたはずの場所から少しだけ横に移動している、と気がついた瞬間、しまった、と思った。
慌てて袋の中身を調べたら、買って来た鰻のパックが少し破けて、しっぽのところがかじられてぎざぎざになっていた。
ふくちゃんは鰻が好きである。鰻の味なんかどこで覚えたのかしらと不思議に思うが、鰻を食べていると、自分にも頂戴と食卓の上に座りに来る。
鰻全体がずたずたになっているような、最悪の事態ではなくてよかったけれど、油断もすきもない。鰻を置いて出た私が間抜けだと言えばそうだけど、それにしてもふくちゃんは、勝手に鰻をつまみ食いしたことをちっとも悪いとは思っていないようである。階段の上で、さも満足したように、せっせと顔を洗っている。
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2010/06/15
午前中、散歩がてら買い物に出かけた。晴れてはいるけれど、五月にしては風の冷たい日で、日向を選んで歩いた。普段あまり通ったことのない学校の前の道を歩いていくと、校門の前の喫茶店のご主人が、店の外に立って、どこか少し遠くを眺めているようであった。私が通り過ぎようとすると、「もし」と声を掛けてきた。
「もしよかったら、べつの道を通った方がいいですよ。カラスのひなが巣から落ちてね、あそこに親がとまってるんだけど、興奮しているから、小さいお子さんは突付かれるかもしれない。もし急いでなかったらね」
主人の言うとおり、50メートルくらい先の電柱の上にカラスが一羽とまっていた。下のほうに首を向けている。カラスの見ている先に、ひながいるのかもしれない。どこにいるのかしらと目を凝らした
「ここからひなは見えないんですけどね」
「可哀相ですね」
「もう大人と同じくらいの大きさなんだけどね、まだ飛べないんです」
主人にお礼を言って、回れ右をした。引き返すとき、反対側からきた自転車のおばさんが、まだ親鳥はいるの、と喫茶店のご主人に聞いていた。この近所でちょっとした事件になっているのかもしれない。
羽ばたく練習をしている途中だったそうだから、なんとか上手く飛んで、親の元に戻れたらいいなあと思う。
子供の頃、裏庭の木の枝にキジバトが巣を掛けた。親鳥が羽毛を膨らませて卵を温めているのを遠くから見ていたのだが、ある日の朝、二羽孵ったひなのうちの一羽が、巣から落ちてしまっているのを見つけた。
どこか怪我をしていたかもしれない。紙の箱に入れて家の中に持って上がった。
鳥が紙の上を歩くとき、指の先の爪がこすれて、乾いたような独特の音がする。ひなが箱の中であっちへ行ったりこっちへ行ったりするたびに、壊れそうなひなの体の重みが、箱をもつ手に感じられた。
鳩のひなは、羽の色も地味だし、鋭い目をしてあまり可愛いものではないけれど、野鳥のひなというそれだけで魅力的だった。幼い鳥らしく、ふわふわの羽毛をしていた。
育ててみたくてたまらなかったけれど、みんなで相談して、やっぱり親鳥に任せるのが一番いいだろうという結論になって、裏の木の巣の中に返した。
その日の夕方に、ひなはまた巣から落ちて、今度は打ち所が悪かったのか、死んでしまった。
巣に返したことを後悔しながら、庭の片隅に、幼くして死んでしまった鳩の子のための墓を掘った。
そんなことを思い出した。
買い物を済ませて、帰り道、カラスはどうなったかしらと少し離れた四辻からそちらのほうを伺ってみたけれど、よくわからなかった。喫茶店のご主人の姿はもう見えなかったから、問題は解決したのかもしれないとも思うけれど、ただ時間がお昼前になったから、店の方が忙しくなって中に入っただけなのかもしれなかった。
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2010/06/15
雨が降ってくる前に少しでも庭の草を抜いておこうと思って、朝、かがんで草を引いていたら、どこかで「にゃあ」とふくちゃんの声がする。外にいるはずはないので、どこかしらときょろきょろして見たら、一階の部屋の、ちょうど私の頭の上にある窓の障子の穴から顔を覗かせて、にゃあ、と言っていた。
いつのまにか、障子が穴だらけになっている。一階のその部屋は使っていないので、しばらくほったらかしにしていたのだが、たまには換気しようと開けたら、ご丁寧にも全部の障子に穴がいくつかずつ開けられていた。締め切っていたはずが、戸がスライド式の引き戸なので、猫たちが勝手に開けて出入りするようになって、ときどき一階に降りていってはしばらく戻ってこないから、階下で何をやっているのだろう、遊ぶものなんかないのにと思っていたのだけれど、そういうことをやっていたらしい。1メートルくらいの高さの位置にも穴が開いていて、跳び上がってずばっとやるのは、面白かっただろうな、などと思う。
障子を全部張り替えなくちゃいけないのはうんざりするが、自分の開けた(みゆちゃんかもしれないけど)大穴から無邪気な顔を「にゃあ」と出しているふくちゃんを見ると、怒る気も失せる。
余談だが、上の草抜きのことを猫好きな父に話したら、「ふくちゃんは、家の中から、よく庭にいるのがわかったね」と言った。言われてみると、そうである。玄関から出て裏へまわった私の居場所が、よくわかったものだと思う。さらに、庭の私に一番近い一階の部屋の窓へやってきたのは、外に出たことがないのに、家の中と外の位置関係をよく把握しているようで、珍しくふくちゃんに感心した。
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2010/06/13
感情をストレートに表すふくちゃんと違って、みゆちゃんは、あまり自分を表に出さない。いつも何か言いたいことがあるのに言わない、といったような小難しい顔をしている。
しかし、そのみゆちゃんのクールな仮面が剥れる場所がある。それはトイレである。猫トイレではなくて人間のトイレで、トイレに入ると便座のふたの上に飛び上がり(前の家では給水タンクの上にも乗っていた。今度の家は給水タンクの上が手洗いになっているタイプなので上がれない)、いつになく大きな音でごろごろ、くねくね、すりすり、全身を使って「嬉しい、甘えたい」を表現する。あと足で立ち上がって私の手に頬っぺたをすりつけたり、両方の小さな前足を私の肩のあたりにちょんと置いて、鼻を近づけたりするから、もう感極まるほどに可愛い。寝室の布団の上や、アイロン台の上でもごろごろくねくねすりすりはするけれど、立ち上がったりというのはトイレの中だけである。
だから、なかなかトイレから出られない。また、ひとりでトイレに入っているときには注意しないと、出るとき入れ違いにみゆちゃんが入ってしまうことがある。それに気がつかずにドアを閉めてしまって、あれ、みゆちゃんの姿が見えないなと思ったら、トイレで小さく「にゃー」と鳴いていたということが、二度ほどあった。
そのみゆちゃんの情熱も、ふくちゃんが一緒に入ってくると、急速に冷めてしまうようで(ふくちゃんは、たいてい、「なになに?」といった感じでみゆちゃんにしばらく遅れてついてくる)、「ふん」と何もなかったかのようないつもの表情に戻り、するりとドアの隙間から出て行ってしまう。
トイレの個室で、一人っ子に戻れる時間が嬉しいのかしらと思ったが、考えてみると、ふくちゃんが家にやってくる前からトイレが好きだったようだし、単にトイレが落ち着く場所だというだけのことかもしれない。
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2010/05/26
居間に新しいソファを買ったので、それまで使っていたのを別の部屋へ移さなければならなかった。
二人掛けのソファで、二階から一階に降ろしたのだけれど、非常に疲れた。途中で何度か休憩し、目的の部屋についた頃には、腕がしびれてもうそれ以上は持ち上げられず、「腕が言うことを聞かない」というのはこういうことかと思った。そして、危機感を感じた。
普段から運動不足ではあるけれど、これではあまりにも腕の力がなさすぎる。もしも、リポビタンDの「ファイトォーッ!一発!」のような場面に陥ってしまった場合、相手の人を助けられないではないか。
というような思考の過程を説明して、これからは腕力がつくような筋トレをすることにした、という決意を夫に話したら、ボソッと一言、「映画『クリフハンガー』で、スタローンも恋人を落としちゃったからなぁ」
スタローンでもダメなんだから、この私がいくら鍛えても無理ではないか。さっそくやる気がなくなった。
2010/05/26
もうすぐ生後6ヶ月になる次男は、近ごろ猫に興味があるらしくて、よくみゆちゃんやふくちゃんを目で追いかけている。ときどき、猫たちの動作のなにかが赤ちゃんの気に入るのだろう、にこにこ笑う。次男を左手で抱っこしながら、右手で猫じゃらしを動かしてみゆちゃんふくちゃんを遊ばせると、その様子をじっと見つめている。この遊びは猫も赤ちゃんも喜ぶので一石二鳥である。
赤ちゃんの視線を感じるのか、みゆちゃんも次男の顔に鼻をくっつけて挨拶しに来てくれるようになったので、これでみゆちゃんもニューカマーを認めてやきもちを妬くのをやめてくれないかしらと思うけれど、相変わらず、次男を抱っこしてると、ベビーベッドのシーツをくしゃくしゃに荒らしに来る。
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2010/05/09
ふくちゃんに引っかかれた。手や足を引っかかれることは日常茶飯事であるけれど、今回は、顔をやられた。もちろん、今回も、普段手足を引っかかれるのも、ふくちゃんは悪気があってやるわけではない。ただおっちょこちょいなのである。
昨夜、子供たちも寝てしまったので、居間のソファで休んでいたら、ふくちゃんがごろごろいいながらやってきた。ふくちゃんは甘えん坊で、このところいつもごろごろいっている。ソファの肘掛から背もたれの上へ登ってきたので、私は背もたれに頭を持たせかけたまま、片手でふくちゃんをなでていたのだけれど、そこでふくちゃんが足を滑らせてしまった。
バランスを失ったふくちゃんが、慌ててつかんだのが私の顔だったのである。頭の後ろから、両手でがばっとつかんで爪を立てたが、かいなく、ソファのうしろへ落っこちていった。
結果、トラ猫やキジ猫が目じりから頬っぺたにかけてつけている模様のような傷が、顔の右側にできた。
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2010/05/04
みゆちゃんはよく私の机に上がってくる。パソコンのディスプレイの前でこちらを向いて座って、眠そうな目をしている。ときにはペンタブレットの上に座るから、全然作業ができないけれど、可愛いから仕方がない。
はじめのうちは、机の上へ来るのは私のことが好きだからだと思って喜んでいたのだが、そうではなくて、どうやらおやつが目当てで来るようであるとわかって、妙に納得した。
おやつのカリカリとマタタビの入っている一番上の引き出しを、ちらちらと横目で見ている。そこでおやつを出してあげると、さっさと食べて、もう用はないという顔をして降りていってしまう。
たまに意地悪して、みゆちゃんが来ても「何か御用」などと言ってとぼけておやつを出さないでいると、しばらく座り込みをしてから、あきらめて向こうへ行ってしまう。
それがこの前は少し様子が違っていて、おやつを催促する様でもないし、カリカリを出さないのに向こうへ行ってしまうこともない。ただじっと座っている。
何となくポーズを取って待っているようで、私がよく赤ちゃんをスケッチしているから、自分も描いてほしいと思っているじゃないかという気がした。もちろん猫がスケッチしてほしいとは考えないだろうけど、スケッチするためには対象物をじっと見つめるから、その、自分に注目する視線がほしいのだろうと思う。
町田康氏の「猫にかまけて」の中に、猫のゲンゾーが、町田さんの読んでいる新聞の上に座り込むというエピソードがある。「猫にかまけて」を読んだのはだいぶ昔で、本も今手元にないから、記憶が間違っていたら申し訳ないけれど、町田さんは、ゲンゾーの「邪魔邪魔」行為の理由を、新聞に向いている人間の視線を自分が浴びたいと思っているのだ、というように説明していたように思う。
みゆちゃんもそうなのだろう。おかげで、三角の耳から体の横にくるりと行儀よく巻きつけたしっぽまで、描くことができた。
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