岡田千夏

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京都府京都市

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  • ゾウムシ出た!

     先週、息子が食器棚の横にしゃがんで、「なにこれ」と床を指差し言うので見てみたら、どんぐりの中から出てきたゾウムシの幼虫だった。外は寒いので気の毒だけれど、しょうがないから出てもらったその翌日に、食器棚の横のまったく同じ場所で、またぷにぷにした白いゾウムシの幼虫が転がっているのを発見したので驚いた。どんぐりから出てきた幼虫は、本能にしたがって同じようなルートをたどるのかしらと思っていたら、数日後には今度は別の場所に幼虫が落ちていた。家には、息子が植物園とか山とかへ行くたびにポケットいっぱい拾ってきたどんぐりがあるから、その中に虫が入っているのが結構あったとしてもおかしくないけれど、どのどんぐりから出てきたのかと思っていたら、壁際に置いてあるCDラックの裏に、いつのまにかクヌギのどんぐりがいくつか転がり落ちていて、拾い上げてみると、その半数くらいに穴が開いていた。
     そのさらに次の日くらいに、食卓の端っこをちょこちょこと歩いている小さな虫がいて、息子がこれなんだと聞くのでよく見たら、可愛らしいゾウムシの成虫だった。たぶん、数週間前にどんぐりから出てそのまま行方不明になっていた幼虫が、家のどこかで蛹になって、無事羽化したものだろうと思う。幼虫の大きさから考えたら当然だけれど、なんとなく想像していたよりもずっと小さくて、よくよく見たら、ゾウの鼻に見えないでもないような口吻がちょっとついたとても可愛らしい虫である。我が家で羽化してくれたことはうれしいけれど、部屋の暖かさのせいで、出てくるのが少し早すぎたんじゃないかと思う。

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  • にせ猫ちぐらの復権

     おととしの冬にホームセンターで買ったアニマルベッド(勝手につけた通称「にせ猫ちぐら」)を、その年は気に入って毎日使っていたのが、去年は気が向いたら時々使うという程度になって、今シーズンにいたってはまったく見向きもしなくなっていたのだけれど、ひょんなことから、また愛用し始めた。というのは、みゆちゃんの使わなくなったにせ猫ちぐらの中に、息子が入って遊んでいるのを目の当たりにして、みゆちゃんの息子に対するライバル意識みたいなものが刺激されたようなのである。息子が遊んでいるあいだ、みゆちゃんは横に座ってそれをじっと見ていたのだけれど、息子がちぐらに飽きて別の遊びを始めた頃、みゆちゃんの姿が見えないと思ったら、ちぐらの隅っこで毛布と一緒に丸くなって眠っていた。
     にせ猫ちぐらは息子が入れるくらいだから、みゆちゃんにとっては、そのままでは上の空間が広々と空いて寒々しい感じである。そこで、毛布を何重にも敷いて狭くして、ぽっかり開いた入り口もフリースのブランケットをかけて熱が逃げないようにした。すっかり居心地がよくなったのか、みゆちゃんはにせ猫ちぐらにこもりっぱなしである。
     もっとも息子の方も、まだにせ猫ちぐらを気に入っていて、みゆちゃんが寝ているときは使ったらだめと言い聞かせているけれど、みゆちゃんが起きて、伸びをしながらちぐらから出ていくと、「もうみゆちゃん起きたから、ぼく使ってもいい?」と断って、自分が入ったり、中にミニカーを並べたりして遊んでいる。
     にせ猫ちぐらが復活したのは、場所を変えたこともあるかもしれない。以前は、部屋の角のたんすの上に置いていたから、ちょっと仲間はずれっぽい雰囲気があって嫌だったのかもしれないけれど、いまはソファの上に置いているから、眠っていても、家族の輪の中心である。おかげで二人掛けのソファは一人しか座れなくなってしまっているけれど。

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  • 池田満寿夫の火曜日

     きのう青虫を見つけた交差点を通ったら、判然としないけれど、何かがつぶれたようなあとがあって、見た瞬間、やっぱりまた歩道の上に出て行って轢かれてしまったのかと心苦しく思った。虫の意志(あったらの話だけれど)というのは意外に強くて、私が近くの植え込みの中に転がしたあとも、あきらめずに当初の目的地へふたたび向かって行こうとしたのだと思う。そうだとしたら、私のした行為は、ゴールへ向かって一生懸命進んでいる青虫をスタート地点に戻してしまったということで、結果的に人や自転車に踏まれる危険を増してしまったわけだ。きのうのことを覚えていた息子が、「もうちょうちょになったの」と聞いたけれど、まだ2歳の子供に真実を伝えるのは気が引けたから、「多分まだだと思うよ」と答えた。
     そのまま、京都国立近代美術館に行って、「池田満寿夫の版画展」を見たけれど、銅版画の少しにじんだような黒い線が、ごちゃごちゃになった毛糸玉みたいにもつれあって、そのわけのわからなさがすごいと言えばすごいけれど、正直なところ、凡人にはよくわからなかった。女性の肖像画とか、わかりやすいものでいくつかいいと思ったのもあったけれど、一番印象に残ったのは「虫としての自画像」という絵で、絵自体はやっぱり黒い線がぐちゃぐちゃのわけがわからないものだったけれど、「虫としての自画像」という視点の面白さが気に入った。
     今日は曇りだったけれどそんなに寒くもなくて、美術館の一階のオープンカフェで、ようやく色づいた桜の木を見ながら食べた漬物ピラフは美味しかった。

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  • 怒れる青虫

     息子を連れて公園へ行く途中の交差点で、歩道の上を横切っている大きな青虫を見つけた。長さが五センチくらいあって、尻尾に黒い角がついているやつで、それがその種類の正常な歩き方なのかもしれないけれど、何となく前につんのめるような、びっこを引いているような歩き方に見えた。とにかくすごくのろいから、青虫が目指していると思われる数メートル先の植え込みまで到達するまでにはかなりの時間がかかりそうで、現に息子も踏みかけたことだし、自転車なんかにあっというまに轢かれてしまう危険性が大いにある。
     そこでまたおせっかいにも移動を手伝ってやろうと思って、植え込みから一本長い草を引っこ抜いて、その上に乗せようとしたのだけれど、これがなかなか乗ってくれない。横で息子は、「(手で)持って」とか勝手なことを言うのだけれど(じゃあ、自分で持てと息子に言ったら、いやだと言った)、さすがに素手で持つのは抵抗があるし、相変わらず草の上に乗せようと頑張っていたら、そのうち青虫が怒り出した。
     体の前半分をすごい勢いで、体が二つ折りになるまで右、左、とぶんぶん振り回す。人間でそんなことをやったらものすごい体力がいるだろうけど、青虫は大丈夫なのかなと思う。だけど、あんまりその「イヤダイヤダ」を繰り返すものだから、もう草の上に乗せるのは不可能になって、仕方なく、葉っぱで転がして、近い方の植え込みの中に放り込んだ。
     青虫が目指していたのと反対方向だったかもしれないけれど、道は危ないから、ありがた迷惑といわずに、そのあたりで満足しておいて欲しい。

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  • みゆちゃん、食に目覚める

     いままで、自分のドライフードだけでじゅうぶんで、あまり他の食べ物に興味のなかったみゆちゃんが、最近、食に目覚めたようである。
     おそらくきっかけは、カニカマ。子供がおやつに食べるたびに、「みゆちゃん、どーぞ」といって分けてあげていたのがくせになって、そのうち、以前にはあまり食べなかった猫用のカニカマおやつも美味しさがわかってきたらしく、冷蔵庫をあけるたびに、横のテーブルの上に飛び乗って、「ニャー(カニカマー)」と顔を突っ込んでくる。
     それだけではなくて、人間の食事のときにも参加するようになった。人間が食べ始めると、テーブルの上にのぼって黙って座っているので、とりあえずカニカマをやる。それを食べ終わっても、やっぱり黙って食卓の上に座り、おでんをつつく私の箸の動きをじっと見ている。そんなに見つめられると、食べないとわかっていても、一応、「みゆちゃんも食べるの?」とがんものひとかけらなんかを勧めてみないわけにはいかなくなるけれど、もちろん食べるはずもなく、ちょっとにおいを嗅いで、また眠そうな目でじっとなにかを見つめている。そういうみゆちゃんの視線を受けながら、自分だけがぱくぱくご飯を食べるというのは、なんとなく気が引けてやりにくい。また、みゆちゃんがそばにいてくれるのはうれしいけれど、決まって私の右前座るので、箸が動かしにくくてしょうがない。

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  • カニの季節の猫おやじ

     カニカマに目がないちゃめだけれど、やっぱり本物のカニはたまらないらしい。
     そんな可愛いちゃめのために、父は、自分ではカニは食べないくせに、慣れない手つきで、せっせと身を取り出してやっている。

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  • 秋の新猫入荷

     実家の外猫が一匹増えた。キジのぶち模様の若いオス。今年の春くらいからときどき外猫用の餌を食べに来るようになって、最初のうちは、ポチやちゃぷりにケンカを吹っかけながら食べていたから、こちらも距離を置いた付き合いをしていたのだけれど、そのうち、猫同士互いに敵視し合うようなことはなくなってきて、いつのまにか、家の庭に居ついてしまった。
     それで、家の猫になったからには名前をつけなければいけないということになって、ついた名前が「タマ」である。ポチとタマ。もっとも、ポチは猫だけど。
     タマは、頭がいいのか、世渡りが上手なのか、すぐに馴れた。ご飯をもらうからには、愛想良くしておかなければ、と思っているのかどうか、家に居つくようになってすぐに、なでるとごろんと横になってお腹を出すし、無理やり抱っこしても決して爪など立てないし、ノミ取りまでさせる。先住のポチさんのご機嫌も取っておかなくちゃとばかり、ポチの体に頭をすりつけに行くのだけれど、迷惑顔のポチは、猫パンチでそれに応じた。
     ポチとはそんなふうにうまくやっているのだけれど、ちゃぷりのことはやっぱり追い掛け回す。おかげで、ちゃぷりは終日納屋にこもりっぱなし。もともと孤独が好きな猫だから、あんまり苦にはしていないのかもしれないけれど。
     ともあれ、人懐っこいタマは可愛いので、実家で人気が上昇中。タマを撫でていると、それ以上に人懐っこいポチが必ず隣にやって来て、黙って座り込んで待っているので、両手を伸ばして、タマとポチを同時に撫でてやらなくてはならない。

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  • ミケを探して

     どんぐりが枝から落ちて、石畳の上に当たり、こーんと軽快な音を立てて跳ね返った。植物園には立派な樫の木がたくさんあって、どんぐりがたくさん落ちている。ときどき、枝を離れたどんぐりが、ぱらぱらと葉を叩きながら、頭の上から落ちてくる。
     ミケを探しに来た。このあいだ来たときは、日曜で人が多かったせいか、ミケは姿を現さなかった。もっとも、まだ植物園にいるという確証もないけれど、もしまだいるなら、お腹を空かしているだろうと思って、探しに来た。
     この前ミケを見た場所に向う途中で、別の猫にあった。さび色の小さな猫で、細い体に、とても小さな頭がついていた。呼んだら、人懐っこくにゃあにゃあと鳴いてやって来て、お昼のサンドイッチが入った紙袋の中に頭を突っ込んだ。このサビもお腹がすいているようだった。背中をなでたら、毛並みはきれいだけれど、背骨がこつこつと手のひらに当たった。ミケのために持ってきたキャットフードを袋から一掴み出したら、あっというまに平らげて、もっとほしいと膝に前足をかけて伸び上がった。もう一掴みあげてもまだ足らず、さらにもう一掴み分を食べて、ようやく落ち着いたようだった。
     次に、ミケのいそうな場所へいったけれど、ミケの姿は見当たらなかった。前に来たときにお皿に入れておいたキャットフードはすっかりなくなっていたので、やっぱり近くにいて食べに来たのかもしれないと思って、また足しておいた。
     それで帰ろうと思って、北門の出口の方へ戻りかけたら、おばさんにお弁当を分けてもらっているミケを見つけた。猫なのに白いご飯なんかを食べていたから、相変わらずお腹が空いているのだろう。しかしいまだあまり人には馴れていなくて、近寄ったら、花壇の中の背の高いカンナの花の下に隠れてしまって、呼んだら返事はするけど出てこなかった。キャットフードを置いてきたところから遠くないから、きっと気づいて食べてくれるだろうけれど、ミケと仲良くなろうと思ったら、もっと足繁く通わなければならなさそうである。

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  • おでんの鍋

     大きな鍋を持っていなくて、たとえばおでんだと、卵がひとり一つずつ、大根がこれくらい、じゃがいもがこれくらいずつと人数分を入れていくと、最後に練り物を入れる頃にはもう鍋がいっぱいになってしまっていて、今さら二つの鍋に分けるのも面倒だし出汁も薄まるし、結局、どうにも入らなさそうなところに練り物を無理やり押し込んだり、それも無理なときには、練り物だけ二段階で入れることになる。またハンバーグ入りのホワイトシチューを作ったら、具が多すぎて鍋の中でぎゅうぎゅうになってしまい、混ぜるのに必要な空間がなくなって、せっかく作ったハンバーグが、シチューの中でばらばらになってしまった。
     そんな話をしたら、私の台所事情を聞くに聞きかねた母が、このあいだ一緒にショッピングセンターへ行ったときに、大きな鍋を買ってくれた。
     ステンレス製の頑丈な鍋で、これならもうおでんを作るときにも、こんにゃくが一人当たりいくつまでと、ぎりぎり限界の許容量を頭をひねって見積もらなくても、どんどん放り込めばいい。実際、ぴかぴかのあたらしい鍋の中で、いっぱいに入ったおでんがぐつぐついっているのを見るのは、なんだか心楽しい。
     鍋を買ってもらったその日にさっそくおでんを作って、しっかり味がしみこんだ次の日、実家に持って行った。

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  • ヨウシュヤマゴボウの思い出

     砂遊び用の大きなダンプトラックの荷台に、どこかから採ってきたヨウシュヤマゴボウの実と水道水を入れて、ひしゃくの先っぽが取れて柄だけになった棒でかき回し色水を作っていた。ずっと立ったままうつむいて作業をしていたから、鼻水が、ぽとんとヤマゴボウの色水の中に落ちてしまった。あわててかき混ぜたら、一滴の鼻水は、紫色の水の中に混じってわからなくなり、私は罪悪感を感じながらも、ほっとした。
     小学1年の夏休み、母の田舎に遊びに行っていたときの話である。母の実家の隣には、小学校6年生の女の子が住んでいて、よくその子に遊んでもらった。1年生から見ると6年生というのはものすごく「大人」だから、彼女のことを尊敬してちょこまかと付き従っていた。
     その彼女が、たぶん、色水を作ろうと提案し、私に作業を任せてどこかへ行ってしまったのだろうと思う。どこかの家の裏庭で、夏の午後、白けたようになっていて、周りには誰もいなかった。さらに鼻水が、数滴落ちて、紫色の水面に二つ、三つ花火のようになって、あわててかき回すと、また消えていった。
     お姉ちゃんがいつまでたっても帰ってこないので、何となく不安になって、狭い路地に出てみたけれど、迷路みたいな道には人の気配はなかった。
     それからあとは、よく覚えていない。おそらくしばらくして、お姉ちゃんが戻ってきて、出来上がった鼻水入りの色水を使って、何かの遊びをしたのかもしれない。おままごとようのコップに注ぎ分けて、私は鼻水のことばかりが気になって、後ろめたい気持ちでもじもじしていたような気もする。肝心の遊びの部分は、全然覚えていないのだけれど、ただ、鼻をたらしながら、一生懸命色水を作っていたことばかりが、なぜか鮮明に、記憶に残っている。

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