岡田千夏

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京都府京都市

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  • 猫狭(ねこぜま)な机

     もともと小さな机であるうえに、いろいろ物も載っているから、ふくちゃんに寝られたら非常に狭い。
     これがみゆちゃんだと、からだも少し小さいし、何よりみゆちゃんはわきまえているから、机の左半分の、スケッチブックなどが立て並べてある前に寝そべるので、たいして邪魔にならないし、作業にもほとんど差し支えない。
     ところがふくちゃんは、机の真ん中に寝る。大きなおなかを投げ出して、いっぱいに伸びて寝る。ふくちゃんの耳や顔で、モニターの下のほうが欠ける。手足も好き放題に伸ばして、ペンや鉛筆、消しゴム、本など、机の上にあるもの何でも押し出して、つぎつぎ下に落としてしまう。
     キーボードの上にもかまわずからだを持たせかけて背中でキーを押し続け、警告音がプープー鳴っていても、気にする様子はない(これはみゆちゃんも一緒)。
     ときどき変換キーがおかしくなっていたり、ソフトが勝手に操作されていたりするから、ふくちゃんが机に寝に来ると、キーボードは机の右奥の、ほとんどモニターの下まで避難させる。これは非常に使いにくい。ふくちゃんの背中を越えて腕を伸ばして、かつ、机の右のほうにはセロテープやら花瓶やらが置いてあるから、肩を狭めるようにして、キーを打たなければならない。その結果打ち間違いも多くなるし、削除キーやバックスペースは文字のキーよりもさらに遠くて打ちにくいしで、作業がはかどらない(ふくちゃんの背中に乗せた左腕だけが、ふわふわして気持ちがいい)。
     そういう机の事情に加えて、椅子のうしろ半分はみゆちゃんが占領しているから、私は落ち着いて腰をすえられない。劣悪な作業環境である。
     季節が進んで、もう少し寒くなると、二匹一緒にかごの中で寝たりするから、こっちにはこなくなるのだろうけど、暑さがぶり返してまだ涼しくもならない。
     もうしばらく、猫にまみれる日が続きそうである。

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  • 落猫注意

     涼しくなって、床に伸びるのをやめたみゆちゃんふくちゃんは、私の仕事机に進出してきた。たいてい、ふくちゃんが机の上、みゆちゃんが椅子の上で、二段ベッドみたいである。
     せまい机の上でのびのび寝ているふくちゃんのおなかをさすってやったら、上機嫌でのどをごろごろ。うーんとさらに伸びて、ごろんごろんと寝返りを打って机の端まで転がり、そのまま落下。椅子で寝ているみゆちゃんの上に落っこちたから、みゆちゃんがびっくりして飛び起きた。尻餅をついたふくちゃんは、落ちた椅子の上できょとんとしている。

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  • 猫も食欲の秋

    涼しくなったと思った途端、キャットフードの減りが早くなった。
    とくに、ふくちゃん、たいして夏痩せもしてないのに、ヤバイよ…

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  • 百日紅の思い出

     よく通る道の角の家に、百日紅がきれいに咲いていた。落ち着いた色の家の、塀の上から枝がかたちよく放射状に広がって、濃い紅色の花があふれるようについていた。「百日紅」という名前のように、夏の初めから夏の終わりまでの長いあいだ、暑い日の下で鮮やかな花を咲かせている。
     ここへ引っ越す前の家には、小さな庭に、百日紅の木があった。この角の家の木のようにきれいな形ではないし、花ももう少し薄い色だったが、この道を通るたびに思い出すのである。やっぱり今年も、咲いているのだろうと思う。
     最初の年には、まだ木もそれほど高くはなくて、庭に面した台所の窓から、ピンク色の花の咲いているのが見えた。その家には5年いたのだけれど、最後のほうの年になると、木がどんどん高くなってしまっていて、梢の先についた花が、家の中からは見えなくなった。夏の初めに、今年はまだ咲かないのかしらと思っていたらじつはもう木のてっぺんに花の塊がついていて、縮れた花びらが地面に落ちているのを見つけて初めて、花の咲いているのに気がついた。
     「サルスベリ」というけど、猿どころか猫でも登れて、みゆちゃんはよくこの木に登った。その枝の上から塀を乗り越えて外へ出て行く脱走経路になっていた。脱走しないよう、木の幹に猫返しを取り付けては破られ、また新しいのを取り付け、破られ、みゆちゃんと知恵比べだった。
     前の家は、古くて、ねずみは出るし、お風呂も極端に狭いし、冬はじんじんと冷えて寒かったが、いろいろな思い出もできた。車にはねられて瀕死のみゆちゃんを拾って帰ったのもその家である。
     そこに住んでいたあいだはなんとも思っていなかったけど、今は、夏に元気そうに咲く百日紅の花がきれいだと思う。新しい家には百日紅の木がないから、道の角の家にある濃い紅色の花を見るのが楽しみだったのだが、少し前に植木屋が入って、まだ花が散るまでには少し間があると思うけれど、花のついた枝を全部、切り落としてしまった。
     隣のお家では、まだ白い百日紅の花の塊が枝の先で揺れているけれど、角の家の木は、一足先に冬支度をしたようで、うろこ雲の下に寒そうな姿をしている。

        *    *    *    *    *
    百日紅の絵を描くのに、実物をスケッチしたいと思って、どこの木を描こうと考えたところ、実家の裏庭にも一本あったのを思い出した。地面から出てすぐふたつに枝分かれした幹が斜めに伸びていて、足をかけやすい樹形だったから、猿もすべる木に登れた、と子供の頃得意がって登ったりした木だった。
     実家に行って、窓から庭にあるはずのピンク色の花を探したが、いつのまに大きくなったのか、隣にあった山紫陽花が茂っているばかりで、見当たらない。母に、百日紅はもうないの、と聞いてみたら、もうだいぶ前に、カイガラムシか何かにやられて枯れてしまったということだった。知らなかった。

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  • 冷蔵庫の番猫

     うちでは普段、猫たちのご飯はドライフードをあげていて、缶詰は滅多に出さないのだけれど、このあいだ、コインパーキングにいた茶トラの子猫に食べさせようと思って開けた缶詰の残りを、小皿に少しずつ盛って、みゆちゃんふくちゃんにもあげた。当然のことながら大喜びでむしゃむしゃ食べた。もっとも、大喜びといっても、お皿がぴかぴかになるまできれいに食べたふくちゃんに対し、みゆちゃんのお皿には魚肉のかけらが点々と残っていたから、大喜びの程度の差はある。
     その缶詰のまだ残りが冷蔵庫にあるのをふくちゃんは知っていて、私が冷蔵庫を開けるたびに、「くれー、くれー」とにゃーにゃー言いにくる(もちろんみゆちゃんも知っているだろうが、ふくちゃんほど食いしん坊ではないため、寄ってこないのだろう)。
     冷蔵庫を開けないのに、冷蔵庫の前でがんばっていることもある。少しでも近づくと、きらきらした一所懸命な目をして、「にゃー」と訴えるから、ついあげたくなってしまうけど、ふくちゃん、君の胴回りはがっしりしすぎているからなぁ、一日に一、二回、少しだけをおやつとしてあげる。
     そうして、缶詰の残りはなくなってしまい、もう冷蔵庫の中にないのを知っているようで、冷蔵庫を見張りにくるのはしなくなったけど、私が台所に立つと、今度は、ふくちゃんはもちろんなぜかみゆちゃんまでが、カウンターの上に並んで、缶詰を開けてくれと4つの目で見つめられるようになった。

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  • 京都の蜂蜜専門老舗

     京都の真ん中辺りを通る三条通と、富小路通が交わるところに、「ミール・ミィ」という蜂蜜専門の店がある。
     その一本西の筋の、柳馬場と三条通の角にYMCAがあって、そこのスイミングスクールに、子供の頃泳ぎを習いに行って、その帰り、母と一緒に蜂蜜を買いに入った覚えがある。30年くらい前のことだったと思うが、そのときからあるお店である(創業80年というから当然だけれど)。
     その頃は、今のような欧風の可愛らしい雰囲気のお店ではなくて、古い商店といった趣だった。名前も老舗「金市商店」だったのだと思う。
     昔のことで、あまり記憶がはっきりしないけれど、れんげの蜂蜜を買った。母が、れんげのお花ばっかりからミツバチさんが集めてきた蜂蜜よ、と教えてくれて、どこかで見た、田植え前の春の田んぼにピンク色のれんげの花がいっぱいに咲いているのを思い出した。
     YMCAには何日か通ったはずだが、スイミングスクールのことはほとんど何も覚えていなくて(泳げないのに泳いでごらんといわれて、泳げませんとも言えず、両腕だけ頭の横にそれらしく伸ばして泳ぐふりをしながら、上の階の観覧席から母が見ているかしらと気まずく思ったことくらい)、記憶にあるのは、蜂蜜屋さんのことだけである。
     それから、30年ほど経った今年の夏、今度は私の5歳になる息子がYMCAのスイミングスクールに一週間通った。がらりと様子の変わった三条通の中で、すっかりきれいになった蜂蜜屋さんが、30年経った今も同じ場所にあることはうれしい発見だった。
     息子の手を引きながら、帰り道、ミール・ミィの前で立ち止まり、まだ泳げないけれど、楽しそうな顔をして、プールでいっぱい水しぶきを散らしていた子供に、蜂蜜入りのジュースを買ってやった。

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  • 茶トラ親子

     幼稚園の近くのコインパーキングに車を入れようとしたら、駐車場の突き当たりに小さな茶トラの子猫のいるのが目に入ってきた。
     あっと思って、まだだいぶ距離があったが、子猫が驚かないように車を止めて様子を見ると、駐車場を囲っている塀に前足をかけて立ち上がり、首を上のほうへ伸ばしている。塀の上には、同じような茶トラに体の下半分が白い母猫がいた。
     駐車スペースに入れるために仕方なく、車をできるだけそっと動かしたけど、やっぱり驚いて塀沿いに横走りに走り、隅っこまで逃げた。
     塀のこちら側へ落っこちてしまって、あるいは降りてみたものの上れなくなって、母親のいる向こう側へ戻れなくなってしまったのかもしれないと思った。私に抱っこすることさえ許してくれれば、塀の上の母親の横へすぐにひょいと上らせてあげるのだが、そんなことはまずさせてくれなさそうなのが、歯がゆかった。
     車道のほうへ行ってしまっては危ないので、うかつにも近寄れず、結局何もできることがなくて、渋々その場を離れた。
     子猫のいたコインパーキングから道を挟んで斜め向かいにある駐車場に、また猫がいた。茶トラに白で、体の大きさやふてぶてしい顔の感じから、オスだろうと思った。もしかして、さっきの子猫の父猫かしらと思った。
     幼稚園の用事を済ませてコインパーキングに戻ったら、やっぱり子猫がうろうろしていて、駐車場の裏の家の一階の屋根から、母猫がそれを見ていた。
     家に帰って、寒い季節ではないし、しばらく雨も降らなさそうだが、子猫はどうしているだろうと気になった。
     次の日に、キャットフードを持っていってみたら、もう子猫も母猫も姿が見えなかった。杞憂に過ぎなかったのかもしれなかった。

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  • 敏感なやつら

     台風が過ぎて、しばらくぶりに雨が降り、きょうは気温が30度に届くか届かないかというくらいだった。ようやく秋が訪れたかというとそうではなくて、明日からまた30度を越える真夏日になるようだけれど、今夜は久しぶりに、エアコンなしで寝られそうである。
     この気温の変化を、猫たちももちろん感じているわけだが、みゆちゃんふくちゃんの反応は極端だ。みゆちゃんは、寒い季節の定番、猫タワーのてっぺんの座部で丸くなって寝ているし、ふくちゃんにいたっては、私の膝の上にやってきた。いくら涼しくなったといっても、ノースリーブで、扇風機を強で回してちょうどいいくらいである。膝の上のふくちゃん、暑いのだけど…

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  • 行列のできる猫用お水

     うちには、猫たちの飲み水として用意してある水が二箇所あって、ひとつはキャットタワーの一番下に置いてある小さなバケツ、いまひとつはキッチンカウンターの上のコップである。
     バケツの水はキャットフードのお皿のそばにあって、最初から猫が水を飲むために置いているものだけれど、カウンターの上のコップは、もともと猫の飲み水として用意していたのではない。半年くらい前に、手ごろな大きさの花瓶がなかったのでコップに花を挿していたところ、そこから好んで水を飲むようになったので、花が枯れてしまったあとも猫用コップとして常設されることになったのである。
     みゆちゃん、ふくちゃんのふたりともコップの水ばかりを好んで飲んで、バケツのほうはほとんど飲まなくなった。ときどきふたりが水を飲む時間が重なると、狭いカウンターの上に前後に並んで、順番に飲んだ(もっとも、みゆちゃんはお行儀よく順番を守るが、ふくちゃんはときどき無理矢理割り込んで順番抜かしをする)。バケツの水なら並ばなくても飲めるのに、見向きもしない。行列に並びたがるのは人も猫も同じなのかもしれない。
     ところが、それほど気に入っていたはずのコップの水なのに、ここ最近、ぱったりと飲まなくなった。ふたりともである。別に何かを変えたわけでもないけれど、人にはわからない、猫にとっての何か変化があったのかしら。少し前に、ふくちゃんがバケツの水を飲んでいるのを見て珍しいなと思ったような記憶があるから、まずふくちゃんがバケツに乗り換えて、それをみゆちゃんが見習ったのかもしれない。でも理由はわからない。
     どういう気まぐれか知らないけれど、設置してから半年ばかりずっと飲み続けていたコップをやめて、いまはどちらもバケツの水を飲んでいる。カウンターの上から水を飲む猫の姿が消えて、ただ水の入ったコップだけがぽつんと置いてあるのがちょっとさびしい。

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