岡田千夏

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京都府京都市

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  • 浅蜊

     買った浅蜊を塩水につけて、いまはじっとしているけれど、しばらくすると貝の足が出てくるよと息子に教えたら、見てみたいと言う。すぐには出てこないから、出てきたら教えてあげると言っても、はじめから見ているのだと言って聞かないので、一緒に観察することにした。
     二人してテーブルの前に座って、ボウルの中の浅蜊をじっと見るのは根気のいることだと思ったが、しばらくすると、塩水の底に沈んでいる貝のあいだのところどころから、小さな泡がぷくぷくと昇り始めた。
     そして、ときどき音はしないがごと、と動く。前にテレビでダイナミックに泳ぐ二枚貝の映像を見たことがあるけれど、そこまでではないにしろ、普段は口を閉ざして石ころみたいに見える浅蜊も水の中でこっそり動いている。
     浅蜊の模様は千差万別で、人間の顔や指紋みたいに、ひとつとして同じものはないのだろうと思う。貝をがらがらとこすり合わせて洗っているときに、そっくりな模様の貝を見つけると、兄弟して捕まってしまったかなどと考える。粋な着物の柄のようなきれいな模様の貝を見つけたときには、中身を食べたあとに殻を取っておこうといつも思うのだけれど、火にかけて貝汁にすると、色がくすんで、どれも同じようになってしまうように思われる。
     ボウルの中の浅蜊たちは環境に慣れたものから順に、固く閉ざしていた口を少しずつ開いていく。五十ばかりの浅蜊が入っているのだけれど、個体差がずいぶんあるように思う。慎重なのはいまだ一分の隙間も開いていないが、いい加減なのは早々と口を開けて管や足を出している。
     入水管と出水管が開いたり閉じたりして、塩水が貝の中に入ったり出たりしているのがわかるようである。そういう貝の動きを息子とじっと観察していたら、貝って可愛いねと息子が言った。可愛いなどと言われては、煮て食べるのが可哀相に思えてしまうかしらと思ったが、そのあといつもどおりに殻を洗って鍋を火にかけたときには、もう何とも思わなかった。

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  • 京の朝市

     この土曜日と日曜日に平安神宮のあたりで「京の朝市」という催し物が開かれて、平安神宮の門の前と岡崎公園に京都の名産品を売る店がたくさん出て、大道芸の披露なんかもあるというから、近くを通ったついでにのぞいてみた。
     「朝市」という名前がついてはいるが、開催時間は朝の9時半から夕方の4時までで、私が訪れたのは午後3時ごろだったのだけれど、小雪の舞う寒さのためか、岡崎公園内に出ていた店はもう早々と閉めていて、赤や白のテントがぱたんぱたんとどんどん畳まれていた。
     拍子抜けがして、平安神宮の前のほうへ行ってみると、こちらはまだ割合に人出があって、広場の両側に並んだ店も開いていた。門の階段の上に作られた舞台に、鉢巻にたすき掛けの、ちょんまげをした侍がちょうどでてきたとこらしく、前に人だかりができていた。しばらく見ていると、別の侍や髪を結い上げたお上さんも登場して、門の朱に塗られた柱の周りをぐるぐると走り回った。人だかりの中には外国人観光客も多くいたが、とくに外国の人にとっては、ああいう時代劇は面白いだろうと思った。
     私が行ったのは土曜日だったが、日曜日はさらに寒くて大雪が降った。日曜日には太秦の映画村から俳優が来て新撰組なんかをやる予定であったらしいけれど、さぞかし大変だったろうと思う。

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  • にゃあ、すぽ

     みゆちゃんの好きな場所のひとつが、洗濯物を部屋干しするときのスタンドの上である。当然、洗濯物が乾きやすいようにエアコンの風のよくあたる場所に置いているから暖かい。一気に飛び乗ったり、ジャングルジムみたいに下の段からよじ登ったりするのだが、登りきると、あごを上げ尻尾をぴんと立て、上機嫌でこっちを見るので、頭や背中、お腹をなでてやると、ごろごろ喉を鳴らしている。
     物干しスタンドの細い棒の上を上手に歩くのだから、猫の運動神経には本当に感心するけれど、猫も時々は失敗する。干している洗濯物の上にのせた足が滑って棒と棒のあいだにずり落ちると、体勢を立て直そうと不細工な格好であたふたしている。
     この前は、にゃあ、という掛け声とともに飛び上がったのはいいが、着地したのがちょうど足場のしっかりしないバスタオルの上で、そのままタオルと一緒に、棒と棒のあいだにすぽっとはまり込んでしまった。
     その「にゃあ、すぽ」というのが可笑しくて、たまたまその場に居合わせた家族全員が、2歳の息子まで一緒になって、「にゃあ、すぽ、にゃあ、すぽ」と言って大笑いした。もしもこれがプライドの高いネロだったなら、きっと必死に毛繕いをして失敗を誤魔化そうとしたことだろうけど、みゆちゃんは笑われてもなんとも思わないのか、いたって平気な顔をしている。

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  • 家猫ポチ

     実家の外猫ポチは、近ごろ家の中で過ごす時間が長くなっている。以前は、家の中に入れようとしてもあまり入りたがらなかったのに、遠慮していた内猫のネロがいなくなったからか、去年若い雄のタマが外猫の一員に加わったから外の居心地が前ほどよくなくなったのか、老体に家の中の暖かさが心地よくなったのか。
     5、6年ほど前に家にやってきたポチは年齢不詳であるけれど、毛並みなどあまりよくないから、それほど若くはないだろうと思う。猫は、人間ほど寄る年波が顔に出ない。何年か前に20歳で大往生を遂げた散歩道のクロちゃんは、私が相手をしていた頃すでに16、17歳になっていたのだろうけど、そんなことは微塵も感じられなかったから、ポチもそれなりに年を取っているのかもしれない。家に来たときに比べると、近ごろ、体格が少し頼りなさげになった。
     おじいさん猫だけれど、甘えん坊である。ポチ用のピンク色の毛布をよく両前足で揉み揉みしているから、毛布の手触りからお母さん猫の柔らかいお腹を思い出して、子猫に戻った気分なのだろう。そういうときに背中をなでてあげると、「うにゃー」ととても甘えた声を出す。
     新聞を読む母の横に座ってこっちを見ている目が、照明が薄暗いので黒目がちになって、周りの顔の毛がばさばさしているぶん、よけいに瑞々しくきれいに見える。呼んで欲しいのだろうと思ったので、ポチ、ポチと呼ぶと、いつもはそんなことはしないのに、珍しく机の上に上って私の座っている前にまで渡ってきたが、私の横にはすでにデビンちゃん用の猫ベッドが場所を占めていて、ポチの寝られそうな隙間はなかったので、そのままUターンして、母が机の上に広げている新聞の、ちょうど母が目を落としている記事の上に座り込んだ。
     仕方がないので母は読むのをあきらめたが、みんなに愛されているポチである。

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  • ポータブルちゃめ

     父はトラ猫のちゃめをひいきにしているが、ちゃめのほうも父に一番懐いていて、少々大げさに言うと、もう片時も離れたくないというほどである(実際には、ベランダなどで自由気ままに遊んでいるときもある)。
     父が二階の居間へ来て、なかなか下の自分の部屋へ戻らないときなど、ちゃめが迎えに来る。階段へ続く扉の前に座って、早く戻ろうよとじっと見つめている。父が留守をすると、どこへ行ったかしらと探し歩いて、見つからないとつまらなそうにしているから、ちゃめのことが気にかかって、父はなかなか長時間家をあけることが出来ない。
     そんなちゃめのために、父は、買い物かごを少し浅くしたような手提げのついたかごに座布団と毛布を敷きつめて、移動式ベッドを作った。さすがに外出にまでは連れて行けないけれど、二階へ来るときなどは、ちゃめの入ったかごを手に提げて上ってくる。テーブルの上にかごを置くと、ちゃめは毛布の下から顔だけをちょっと出して、丸い目をしてあたりをうかがっている。
     相思相愛の二人であるが、移動式ベッドの中で気持ちよく眠ったちゃめは、父が眠る頃にすっきり起き出して、寝ている父の身体の上を足元から胸のあたりまで歩いてみたり、ドライフードの入った箱をひっくり返してじゃらじゃらと大きな音を立てたりするから、父はこのところ寝不足気味である。

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  • 川端康成と東山魁夷

     川端康成と東山魁夷。二人の美の探究者のあいだに交わされた往復書簡や言葉をもとに、魁夷の作品を見つめなおすというユニークな展覧会が、京都文化博物館で開催されている。
     東山魁夷の展覧会はだいぶ昔に一度見たことがあるけれど、その頃はまだ子供だったためか、彼独特の青い絵や白い馬のみが、鮮烈に印象に残っていた。だから、今回の展覧会に出されていた魁夷の「青くない」作品は、まず自分にとって新鮮であった。
     それから、魁夷の画面の切り取り方にはっとさせられた。たとえば、「京洛四季」という京都を描いた連作があるのだけれど、大徳寺では寺の塀、桂離宮では敷石というように、素人が思い描くようなその名所の特徴的な風景というよりはむしろ、何気ない一こまが切り取られ、描かれている。そして、その一こまがどれも美しい。魁夷の目が捕らえたその小さな一部分に名刹や離宮の美が凝縮されているかのようである。
     川端康成と親しく交流していた魁夷が、康成の文化勲章のお祝いに贈った「冬の花」という北山杉を描いた作品も展示されていた。私には、杉ばかりが植えられて何の面白味もないように見える北山の風景が、魁夷の目を通せば、こんなにも美しいモザイクの文様のような絵になるのだと思った。
     上の「京洛四季」は、「京都は今描いといていただかないとなくなります」という康成の提言を受けて、魁夷が描いたのだという。山が見えなくなった京都は京都ではない、ということも康成は言っていた。今の京都は、醜い建物が好き勝手に立ち並んで、もはや康成が書き、魁夷が描いた京都ではない。彼らの愛した古都の風情がこの街に戻る日が来ればいいと思う。

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  • 猫はこたつで丸くならない

     水曜日はこの冬一番の寒さで、また雪が積もったけれど、軒下でUターンしてしまった先週の雪の日とは違い、みゆちゃんは果敢にも雪の降る庭へ出て行った。
     みゆちゃんの肉球はあんなに可愛いピンク色でふわふわ柔らかいのに、冷たくないのだろうかと思う。意外と平気そうに雪の上を歩いていく。立ち止まって、澄んだ空気のにおいを嗅いでみたり、雪の積もった枯れ草のあいだに鼻を突っ込んだり、雪を口に入れたりしている。庭の木の下でじっと上の方を見ているのは、裏の家の木にメジロが来ているらしい。
     寒いから家の中に戻りたいというような素振りもないから、しばらく放っておいたあと、どうしているかと外を見たら、みゆちゃんの姿がない。どこで遊んでいるのかしらと思って窓を開けて呼んでみたら、にゃにゃにゃーっという返事の声が聞こえて、死角になった裏口のほうからまっすぐ飛んで戻ってきた。窓が開いていないから、裏口のトタン屋根の下で止みそうもない雪をしのいでいたのかもしれない。
     それで懲りたのかと思えばそうでもなく、しばらくするとまた雪の中へ出かけて行った。前回と同じように少し経ってから様子をうかがうと、またもやみゆちゃんの姿が見えないので、窓を開けて呼んでみたら、今度は、抑えた声でにゃにゃ、にゃにゃ、という返事だけが返ってきた。見ると庭の木にメジロが来ていて、私のみゆちゃんを呼ぶ声に驚いて飛んでしまい、同時にみゆちゃんが物陰から飛び出してきた。みゆちゃんの抑えた声の返事はきっと、「メジロが来てるの、静かにしてよ、もう!」ということだったのだろうと思う。

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  • メジロの来る冬

      冬の楽しみのひとつは、家の小さな庭にメジロが来ることである。もともと、この季節に花をつける庭木の山茶花の蜜を吸いにやって来るのだが、大好物だろうと思って木の枝に刺しておいたみかんを予想通り気に入って、一日に何度も何度も食べにくるようになった。窓から庭を見ると、風もないのにみかんを刺した枝だけが上下にゆらゆらと揺れていて、ちょうどメジロが飛び立ったあとらしいということもよくある。姿が見えなくても、ちきちきと可愛らしいさえずりが聞こえているから、いつもどこか近くにいるようである。
     みかんは、皮を半分ほど剥いて木に刺しておくのだが、そこからメジロは中の実を小さなくちばしで少しずつついばんで、薄皮まできれいに全部食べてしまう。実がすっかりなくなると、また、あたらしいのを刺してやる。
     あるとき、あたらしいみかんを持って庭に降りると、古い実がまだ少し残っていたので、二つ並べて枝に刺しておいたところ、そのあと半日も姿を現さない。なぜだろうと考えて、もしかしたら、畑やマンションのベランダなんかに吊るされている鳥よけみたいに二つのみかんが目玉に見えるのかしらと思い、みかんの位置を目玉らしくないように変えてみたら、しばらくしてメジロが来た。もっとも、本当に目玉に見えたから来なかったのかどうかはまったく憶測の域を出ない。本当に確かめようと思ったら、もっと長い時間をかけて目玉配置のまま観察すればよいのだろうけれど、そんなことをしてもしメジロが来なくなったら嫌なので、そういう試みはしない。
     あるときは、枝の先に止まってみかんをついばんでいたメジロが、ふと食べるのをやめて、首をかしげるようにきょろきょろとしているので、どうしたのかしらと思ってじっと見ていたら、空の高みから、ぴーひょろろとトンビの鳴く声が聞こえてきた。メジロがトンビに捕らえられたりするのは嫌なので、こちらも心配して見ていたが、そのうちぱっと枝から飛び立って、裏の家の常緑樹の陰に隠れたからほっとした。メジロにとってトンビは恐ろしい天敵に違いないから、緊張して上空の様子をうかがっていたのだろうけれど、無事がわかったあとになって思い返せば、もともとが目に白い縁取りをしたひょうきんな顔のメジロが真剣な表情をしているというのはなんだか可笑しい気がした。
     先日、家に寄った母が庭のメジロを見て、ちょっと太りすぎなんじゃないのと言った。確かに、うちに来るメジロは一日中みかんを食べている。公園などにいるハトやスズメが人間の食べ物を食べすぎて肥満になっているという話はときどき聞くけれど、みかんのような果物は自然にも存在するものだから、そういう問題は考えずにいたのだが、どうなのだろう。さらに、みかんばかり食べているから、本来鶯色のはずのメジロの羽が、何となく黄色っぽく見えるのだけれど、こちらは明らかに気のせいだろう。

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  • 雪の大原三千院

     山里の雪景色が見たかったので、日曜日に大原の三千院へ行った。
     三千院のあたりへは、十年くらい前にも行ったことがあって、そのときは友達と二人で、バスに乗って行った。雪が降っていて、バスが市の中心地を離れるにしたがって、本降りになっていった。牡丹雪がバスの窓に次々とぶつかって、窓の外を眺めると、道の横の河原やその向こうの竹やぶや、灰色に沈んだ山々の上を、おびただしい量の雪片が飛んでいた。
     大原のバスターミナルから三千院の前まで坂道を上っていったけれど、学生の時分であまりお金も持っていなかったから、中へは入らずに、苔むした石垣と荘厳な山門だけを眺めた。塀の向こうの杉木立のあいだを、雪がひらひらと絶え間なく落ちていくのが見えた。自分の周りに降る雪とは落ちていく速度がまるで違っていて、杉木立の中と外で時間の流れが違っているかのような錯覚がした。
     それからまた坂を降りて、今度は寂光院のほうへ向ったのだが、畑の中の道を下校する地元の小学生が、落ちてくる牡丹雪を受け止めようと口を上に開けて歩いているのが、自分たちの昔と同じで、懐かしいような心持がした。
     当時と同じような大雪が前の日に降って、街でもたくさん積もったけれど、日曜日には一転して暖かないいお天気となり、街の雪はほとんど溶けてしまった。それでも大原は山の里で、畑や、かやぶきの屋根の上には雪がしっかりと残り、車から降りると、ひゅうと冷たい風が通り過ぎた。
     三千院では初午の大根焚きが行われていて、会場である金色不動堂前の広場へ続く小道にはずらずらと人の列が出来ていた。よく晴れた暖かい日で、境内の杉木立の中では風も吹かないから、高く伸びた木のあいだからは日光だけが降り注いで、じっとしていても少しも寒くない。人々の行列のうしろにくっついて、赤い器に湯気の立つ大きな大根を入れてもらった。
     大原の地元でとれた有機栽培の大根であるそうで、ちっとも大根くささがなく、出汁が隅々まで染み渡っているが、大根そのものが持つのであろう甘味がやさしく感じられて、とても美味しく、からだがほかほかと温まった。

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  • 雪の日

     土曜日は、朝起きるともう雪がたくさん降っていて、山茶花の木や車の屋根の上に、数センチの厚さで積もっていた。小鳥のために庭の木に刺しているみかんにも雪がのって、昔小学校の給食に出てきた冷凍みかんみたいに凍っているのじゃないかと思われたけれど、それでも雪の中を小さなメジロはついばみに来た。
     私が裏口を開けると、みゆちゃんが一緒に外へ出たので、雪で遊んでおいでと言ってやったが、みゆちゃんは裏口を出てすぐのトタン屋根が終わるところでちょっと立ち止まり、大きな塊でどんどん空から落ちてくる雪を見上げて何か考えていたようだけれど、そのままくるっと向きを変えて、さっさと家の中へ戻ってしまった。
     外へ出て鴨川を見たら、広々としたところに、雪がずっと奥行きを持って降っていて、家があちこちに立ち並んだところに降るのとは全然違っていた。川の上の空間を埋め尽くす無数の雪が、上流から吹いてくる風でそろって横へ動いたり下へ動いたりした。
     そんな大雪が昼を過ぎても降り続いたのだけれど、夕闇が降りる頃になると静かに止んで、次の日には朝から日が差して気温が上り、久しぶりに降り積もった雪も、午後にはおおかた溶けてしまった。

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