岡田千夏

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京都府京都市

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  • 恐怖のジェットコースター(スキーの思い出)

     父がスキー好きだったので、子供用のスキー板を買ってもらい、よく信州のほうへ泊りがけでスキーに連れて行ってもらった。
     ところが、うまく滑れるようになってほしいという父の心も知らず、私と弟にとっては、スキーよりも、京都では体験できないような深く積もった雪の中で、穴を掘ったりかまくらを作ったりするほうが楽しかったのである。数時間、お愛想に滑ったあと、さっさとスコップに持ち替えて、スキー場の隅っこでかまくらを作った。何のために信州まで来たかと父は嘆いていたことだろう。
     そんな旅行が何度か続いたあと、それでもいくらかうまく滑れるようになって、ようやくスキーが面白くなってきた。そうなると、元来調子に乗りやすいたちである、あるとき父について、少し傾斜のきついコースに行き、滑り出したのはいいが、どんどん加速していって、止まらなくなってしまった。助けを求めたいのに、周りの人や景色は無音でうしろへ流れていく。足元の雪原は、恐ろしいスピードで滑っていく。このまま自分はどうなるのかと怖くなったところで、天地がひっくり返って何がなんだかわからなくなって、ようやく恐怖のジェットコースターは止まった。
     その夜、ペンションのベッドで横になってうつらうつらし始めたとき、寝ていたベッドの周りが昼間の雪原に変わって、ベッドが猛スピードで滑っていく夢を見た。
     しかしそれで懲りたわけでもなく、そのあともスキーはしていたけれど、そのうち私も弟も大きくなって、家族で旅行に行ったりしなくなったきり、スキーはしていない。

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  • 覗き猫

     雨のあがった日曜日の午後に、ふと、表通りに面する側の窓に目を転じたら、近所に住むハンサム猫のフサフサ君が、窓枠に前足を掛けて家の中を覗いていた。窓は磨りガラスになっているのでぼんやりとしか見えなかったけれど、毛足の長いシルエットは彼のものに違いなく、すぐにその影は引っ込んだが、そっと窓を開けて見たら、前に止めてある車の下にふさふさの尻尾とあと足のひとつが隠れていくのが見えた。
     窓のすぐ下にあるエアコンの室外機の上に上って覗いていたのだろうけれど、いったい彼の頭にどういう考えがあって覗いていたのだろうと思う。窓に手を掛けて覗く格好が何となく人間くさい感じがして面白いから、「家の中はどうなっているのかな」とか「ここに住んでいる可愛い三毛ちゃんはどうしているかしら」などと、フサフサ君の頭の中を、勝手に擬人化してあれこれ想像してみては喜んでいる。
     もっとも、室外機の下は砂地になっているから、用を足しに来たついでちょっと見ていっただけなのかもしれないけれど。

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  • 玉村方久斗展

     京都国立近代美術館に、玉村方久斗(たまむらほくと)展を見に行った。
     日本画とは美しいものだと思っていたので、私は面食らった。荒っぽい筆の感じとか、人物画のコミカルな顔とか、作品「雨月物語」の物の怪じみた画面に飛び散る粘っこいような赤い血の色など、意外で、衝撃的であった。
     そうかと思えば、すぐその隣に掛けられた掛け軸の千両は、墨の濃淡で描かれた葉に控えめな赤い色の実が乗っていて、すうっと突き抜けるようにすっきりとしていて、きれいである。
     前衛的なポスターがあるかと思えば、墨、紫、金で描かれた美しい藤の絵があり、洋画風の、色がごちゃごちゃと塗られた絵があるかと思えば、墨一色で描かれた、繊細な針葉と大胆な幹が伸びる大きな松が凛とそびえている。つまり、画家、玉村方久斗とは、因習的な日本画を嫌って斬新な日本画を描き、あたらしい日本画を広めようと尽力した革命の人なのである。
     何が出てくるかわからないような、面白い展覧会であったが、私は伝統的な日本画が好きなので、彼のざわざわしたような筆づかいや色は、なんとなく心が落ち着かないような気がした。その中で心に残るものもいくつかあったけれど、特に、黒い細い月が掛かって白けた夜に、一匹の黒豹みたいな猫が木の上に座っている絵は、落ち着いた色調の中に何か静かに漲る緊張と迫力があって、猫の絵だからというひいきの分を差し引いても、印象的だった。

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  • 猫のお返事

     父からメールが来ていたので開いてみたら、どこかのURLがただひとつ書いてあるだけであった。URLに“cat“という言葉が入っていたから、ああ、また猫ネタかと思ってクリックしてみたら、「知っていますか?ペットの気持ち 猫」というQ&Aのページが開いた。こんなサイトをわざわざ探して送ってくるとは、父も暇だなと思ったが、その中の「猫の言語能力」という項が面白かった。
     投稿者らが自分の家の猫の言葉を解する例を紹介していて、たとえば「熱い」「降りろ」「虫」などの言葉がわかる猫とか、「ねんね」と言えば、遊んでいてもちゃんと自分のベッドに入って眠る聞き分けのいい猫とか、いつもと違う猫缶をあげたときに、「美味しいですか」と尋ねると、「うん」と聞き取れるような声で返事する猫など、世の中には賢い猫がたくさんいるものだと思った。
     無論私も、うちのみゆちゃんが賢い猫で人間の言葉を多く理解していることを信じて疑わないでいるが、今までそういうことをはっきりと意識してコミュニケーションしたことはなかったので、ひとつ試してみようと思い、冷蔵庫の前に行儀よく座って意味ありげにこっちを見つめるみゆちゃんに、「カニカマが欲しいのですか」とあらたまって聞いてみた。
     すると、期待したとおりに、みゆちゃんは歯切れよく「にゃあ」と即答したので、私は気を良くして、よしよし、賢いねと冷蔵庫からカニカマを出してみゆちゃんにあげて、調子に乗ってさらに「美味しいですか」と聞いてみたところ、今度は返事はなかった。自分の利害に関係のないところでは返事をしないというのが、また猫らしいみゆちゃんであった。

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  • トラ猫の後継者

     実家のトラ猫ネロは少々手癖の悪いところがあって、ちょっと目を放すとすぐにお膳の上に登って魚や鶏肉などをつまみ食いしてしまうので、実家の台所からは、しょっちゅうネロを叱る母の声が聞こえていた。
     そのネロが去年の夏に死んで、いちいちテーブルの上に目を光らせておかなくてもよくなったから台所は平穏になった。なんだか張り合いがなくて寂しいと母は言っていたが、実際、テーブルの上にあがって盗み食いをするような猫はネロのほかにはいなかったので、焼いた秋刀魚の上にふたをして重しをしてというようなことをしなくても、そのまま置いて部屋を離れたって、大丈夫なのであった。
     それが先日、台所からかたこという物音が聞こえてきたので、誰かと思ってドアを開けて見たら、ちょうどテーブルの上の鱈子を皿から引きずり降ろしたところのちゃめと目が合った。私が「あ!」と言うと、あわててテーブルから降りて、ついで台所に入ってきた母が鱈子をちゃめの鼻先に示し「これ食べたの」と詰問すると、さっと自分でドアを押し開けて、こそこそと台所から退散していったのだが、その数日あとにも、また秋刀魚の尻尾をくわえてひっぱっているところを押さえられた。
     トラ猫ネロの意志は、やはりトラ猫のちゃめにしっかりと受け継がれているらしい。

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  • 花粉症の季節

     花粉症ではないけれど、軽い猫アレルギーである。普通に猫と暮らしているぶんにはなんともないが、あまりに猫が可愛くて、その眠っているふわふわのおなかに顔をうずめたり、こすりつけたり、においをかいだりすると、しばらくして目や口の周りが痒くなり、鼻がむずむずしはじめてくる。そうなるとわかっていても、やっぱり可愛くてたまらないので、おなかに顔を押しつけては、猫に迷惑されている。
     日本人にアレルギーや花粉症が増えたのは寄生虫が減少したからだというのは、「笑うカイチュウ」などの著書で有名な、寄生虫学者の藤田紘一郎さんの説で、実際に藤田さんは、ご自身の体内にサナダムシを飼われているらしい(だからといって、花粉症対策にサナダムシを飼おうと提言している訳ではない)。
     近ごろでは、猫の花粉症というのもあるらしいが、やっぱり猫にも虫下しを飲ませるから、昔に比べて寄生虫が減っていることなんかと関係があるのかもしれない。もっとも、藤田さんの説に対しては、寄生虫感染者と非感染者のあいだで、花粉症に対するアレルギー反応の割合は変わらなかったという反論データもあるらしいから、素人にはなんともいえないが、少なくとも、自由に外を歩き回ってカエルなんかを捕まえて食べていた一昔前と比べて、ペットに対しても過剰な清潔志向が進んでいることが原因の一つなのではないかと思う。

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  • ミケや、サビや

     12月最初の暖かい日に、ベンチの上で寝そべる姿を見たのを最後に、そのあとも何度か植物園へ行っているけれど、サビちゃんともども、ミケちゃんの姿を見ない。
     植物園内に猫一匹の姿も見られないから、もしかしたら、私が餌をやったことなどがきっかけになって、一斉に捕らえられて保健所へ送られたのではないか思うと、気になってしょうがないので、先日植物園に行ったときに、思い切って聞いてみることにした。
     まず北門の券売所の人に、園内の猫を捕まえて保健所にやったりすることはあるのかと聞いてみたら、窓口のおじさんが、すばしっこいから捕まえることなんて出来やしないと言うその後ろから、デスクのおばさんが、でも捕まえたら処分しますよと口を挟んだ。処分するくらいだったらもらい受けたいというと、そういうことなら事務所に言ってみてくれと言われたので、園内を歩いて、南の端にある事務所へ向った。
     道すがら、「捕まえたら処分する」と言ったおばさんの言葉を思い出して、気分が重くなった。あれほど人懐っこいサビちゃんやミケちゃんなら、いとも簡単に捕まえることができるだろう。
    最後にミケちゃんに会った日、ご飯をあげて帰るとき、途中まで私の後をついて来て、じっとこっちを見ていたミケちゃんの目はとても悲しそうに見えた。あのとき、一緒に連れて帰ってあげるべきだったのだ。
     事務所の建物が見えてきて、私は少し躊躇した。何を聞きに行くのか。処分したという事実をはっきりと知ることと、知らないけれど憶測ばかりの今の曖昧な状況と、どちらがいいのだろう。だけど、もしかしたら処分したという事実がない可能性だってあるかもしれないのだからと思いなおして、事務所を訪ねた。
     知り合いと思しき来園者を相手に雑談をしていた受付の気さくそうなおばさんに、猫の事を聞きたいのですがというと、「猫?園内の猫は飼ってるんじゃないのよ」としかめっ面をされた。その猫だけど処分するくらいだったらもらいたいというと、意外なことに先ほどの話とは違って、植物園の方で処分したりはしないという答えが返ってきた。もらってくれたらありがたいということも付け加えた。去年の秋頃にいた猫の姿が見えないのだけれどと言うと、少なくとも秋からこっち、猫を処分したということはないと念を押してくれたので、私は少々心が軽くなって、おばさんに礼を言って、事務所を出た。
     しかし、ミケちゃん、サビちゃんはどこに行ったのだろう。誰か猫の好きな人が暖かい家に連れて帰ってくれたのだと思いたいけれど、現実がそんなに甘いだろうかとも思う。冬のあいだは植物園を訪れる人も少ないから、もしかしたら、隣接する府立大学の構内とか、もっと餌にありつけそうな場所に移動したのかもしれない。
     冬空の下で二匹のことを思うと、やっぱり胸のうちもどんよりと曇った。

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    • 岡田千夏

      2008/02/02 23:39

      保健所が捕まえるということはないんですね。でも植物園が捕まえて連れて行ったら、やっぱり殺されてしまいますよね?
      家出したキキ君、とりあえず無事でいることがわかってよかったですね。猫のことですから、やっぱり気が変わって、おうちに帰ろうっと、となればいいですね。

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