「クルマは便利だ」などと言うが、迷信だと思う。
免許証と駐車場は必要だし、ガソリン代もかかり
手続きやメンテナンスも手間。
また、たとえクルマAの乗員が便利だと感じても
歩行者やクルマBの乗員にとってAの存在は
邪魔で危険で迷惑でしかない。
クルマを使う以上、車道の建設や整備、法規制による管理も必要。
個人の大いなるプラスが他人のわずかなマイナスになるだけ
としても、わずかなりとも負の要素が集まれば大いなる負となり
交通渋滞、事故多発、騒音公害、大気汚染を招く。
ケータイだって、そう。
便利なだけではない。
ケータイあるゆえに、ケータイを持ち歩かねばならず
充電せねばならず、着信を確認せねばならず、連絡せねばならず
そのようなケータイのシステムに囚われて生活せねばならない。
機種更新の対応、基地局の確保など
システム全体の整備も大変なはず。
また、ケータイを使うことで恩恵を受けるとしても
ケータイを使わないことで受けたかもしれない恩恵は失われる。
たまに電車に乗ると
ケータイを見つめる自閉症患者ばかりで不安になるが
不便なクルマやケータイを便利または必要と感じる状況が
すでに問題ではなかろうか。
パソコン、インターネットも然り。
それがなければできないことが
それがあることによってできるとしても
それがなくてもできるはずのことが
それがあることによってできなくなってはいまいか。
・・・・とまあ、そういうわけなので
これら文明の利器なるものを使用する理由は
決して「便利で簡単だから」などではなく
「不便でも面白いから」「面倒でもできるから」
などと言うべきではなかろうか。
ログインするとコメントを投稿できます。