hiroo fujishima

ブランディング&クリエーター

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北海道札幌市中央区
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  • 『時に海を見よ』

    最近話題の「時に海を見よ」を読んだ・・
    卒業式を中止した高校の校長が
    卒業生に贈った言葉(メッセージ)である。

    この文章が様々な人々の共感を得た事・・
    今の日本人に“嗚呼そうだった”と
    忘れかけていた感情を呼び起こす
    きっかけをつくったということらしい・・

    文脈や文調は、とてもとても高校を卒業しようとしている
    人たちには難解かのようにも思えるが・・
    ストレートに直球で投げてくれた言葉は
    やがて多くの卒業生達の人生に影響を与え続ける
    だろうなぁ〜・・・っと思った。

    PHOTO:松前の海(津軽海峡)




            ●

    【以下:本文転載】 


     卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。

     諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
     また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。

     とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。

     未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。


    このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

     諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

     大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

     大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

     多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。

     楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

     君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

     学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

     誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

     大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

     言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

     中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

     大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

     大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

     池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

     「今日ひとりで海を見てきたよ。」

     そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

     悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

     時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

     いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

     いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

     海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

     真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

     鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

     教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

     「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32

     一言付言する。

     歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

     泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

     今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

     被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

     巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

     本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

     被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

     梅花春雨に涙す2011年弥生15日。

    立教新座中学・高等学校

    校長 渡辺憲司

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  • ●泊崎「もどかしい」004

    歌津

    国会中継が放送されている・・
    災害のあった地域の事は遠い地方の事であるかのような・・
    もどかしい議会の進行に聞こえる・・

    政治に何ができるのか?・・
    国民に選ばれた議員には何ができるのか?・・
    被災者の望む事とはかけ離れた議会が
    今日も行われている・・。

    日本ってこんなレベルだったのかぁ〜・・

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  • ●泊崎「もどかしい」003

    歌津

    柏崎の手前、岬の付け根の街「歌津」・・
    ニュースやネットで見ると
    震災と津波の被害は甚大である・・

    早く私の見た静かで穏やかな港の風景を
    取り戻せる事を願いたい。

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  • ●泊崎「もどかしい」002

    泊崎(歌津町)

    泊崎には南三陸の海の幸が自慢の「泊崎荘」があって・・
    フカヒレや牡蠣などを楽しむ事ができる。・・

    泊崎荘は、地震の被害はあったものの岬の高台に位置する事が
    幸いして津波の被害は無かったという事らしい・・。

    宿泊施設なので・・現在は避難場所として
    地域に貢献しているとの事・・

    早い復興を願う・・

    PHOTO
    金華山へ続く太平洋が美しい。

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  • ●泊崎「もどかしい」001

    泊崎(歌津町)

    北上川での“川の学校”等々のNPO支援の為に
    東北、宮城は自分にとって身近な感覚のある地域で・・
    大好きな地域である・・

    3.11の震災と津波のニュースは
    自分にとって驚きであり、どこか心にぽっかりと
    穴が開いたようで・・ニュース映像を見ても
    いまだに震災の事実は認めたくないという心境である。

    毎年、東北各地をドライブするのが楽しみであったが・・
    今年はどうするか決めかねている。・・

    PHOTO:
    2008年に「ふかひれ丼」を食べに立ち寄った気仙沼の隣町
    泊崎(歌津町)に立ち寄った時・・あまりにも美しい「冬の海」に
    感激して撮った写真。

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  • 新年を待つ・・

    北海道神宮(旧:札幌神社)

    しっかりと清掃が行われ・・
    新年の参拝客を待つ準備が整った北海道神宮

    時代が流れている・・
    想像もできなかった方向へシフトしてしまう事への
    期待や不安が入り混じる・・

    経験則だけでは判断できない事態が生じたりもする・・
    知識の範囲では太刀打ちできない事も当然ありうる・・
    しかし、特に今の時代だけがそうなのではなく
    これまですべての時代に生きてきた人々も
    同じ感情だったのだろうと思う・・。

    そして、自分以外の物に願いや希望を問いかけた・・
    それがこの神社という形で継承されてきているのではと
    考えている・・

    すべての答えは自らの中にあるという事はわかっていても
    神社へ脚を運び自分自身に問いかけた・・。

    人々の“知恵”に期待したい。

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  • ●自分のイメージを伝えるということ・・

    自分の頭の中に湧き出たimageを他に伝えるという作業を、
    これまでに幾度となく繰り返してきた。

    初めは手描きのスケッチや絵コンテで何とか伝えていたが・・
    作品が仕上がっていく段階で作業に携わる人たちの完成や
    技術的なレベルによって、仕上がったモノが私の思い描いていた
    のとは程遠いという結果も珍しくない・・

    沢山の人が携わる事でそれぞれの感性や知恵やイメージが
    ミックスされて、より厚みのある深さのある作品に仕立てたいと
    思って「余白・ゆるみ・未完成」等々を残しながらバトンタッチ
    しているつもりなのだが・・・どうしても私のイメージからは
    だんだん離れていってしまう・・・。

    妥協して校了にするか?・・それとも・・
    一人オーケストラの多重録音でシンフォニーを奏でるか?・・

    いつもそんな事と背中合わせのプロディユース人生だなぁ・・と
    気がつくと夜があけはじめていた。

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  • ●地上の楽園があるとしたら・・

    北海道の夏は短い期間に一気に緑が噴き出し花々が咲き誇る・・。

    春から夏にかけての季節は、いつも仕事が忙しいのと・・
    野の花が次から次へと現れる季節でもあるので・・大忙しの季節となる・・。

    仕事を考えると東京は外せない・・・しかし・・
    自分のライフスタイルを維持継続させようとしたら・・
    やはり北海道に住む方を選択してしまう・・

    なぜなら・・自分の中では北海道の自然に触れる事で
    かろうじてバランスが維持されてるのでは?と思っている。

    地上の楽園があるとしたら・・それはきっとこんな場所・・。

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  • ●Today,Tomorrow&Yesterday

    朝、目覚めると・・数時間前の事が
    昨日の出来事と変貌していて・・どんどん過去のモノとなっていく。

    時間は・・毎日、留まることなく川の流れのように
    「今」が次の瞬間には「過去」となって過ぎ去っている。

    クリエイターは、次から次へと新しい創造を繰り返すが・・・
    プレゼンを行って・・・形が出来上がったと思った瞬間から
    その創造されたモノが過去のモノへと変化している・・。

    仕事柄・・ネットで様々な情報を見て廻る事が多いが・・
    結局PCから得られる情報もすべて・・・過去のモノなのである。・・

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