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2011/12/21
http://blog.fengfeeldesign.org/?eid=1152464
この度、箔押しにむけての渾身の作、「箔押し六重奏、パターン装飾@秋バージョンのポストカード」を無料で配布いたします。六版で構成しております。紙は「マットカラーHG」です。前回配布した五重奏との違いは5版から6版になった違いも、もちろんあるのですが、何よりも五重奏が抜きの版に対して、六重奏は重ねの版であるというところにあります。絵が重なっている下にもキチンと絵がある状態で箔を重ねる事で、メタリック箔と顔料箔の透過率の特徴を活かす事が出来ました。光の角度を変える事で下の絵が透けて見えるので、光で見せる箔の在り方にいっそうの魅力を引き立てる事も出来ました。これはインクでは絶対に出来ない、箔だからこそ出来る美しい表現だと思います。是非、手に取って光に当たる箔の魅力を堪能してみてください。
■入手方法
<give_me_work@fengfeeldesign.org>まで、件名を「箔押し六重奏、パターン装飾@秋バージョンのポストカード希望」にしていただき、本文には「住所」と「お名前」を記入しお送りください。
※今回、箔押しをしていただいたコスモテックさんでも紹介していただいております。作品の詳しい解説はこちらを見ていただくと一目瞭然です。是非ご覧ください!
→http://blog.livedoor.jp/cosmotech_no1/archives/51715688.html
2011/11/30
記事はこちら→ http://blog.livedoor.jp/cosmotech_no1/archives/51715688.html
先のパターン装飾@秋バージョンのポストカード(http://blog.fengfeeldesign.org/?eid=1152458)が五版の箔押しに対して、
今回は六版にて箔押しを行いました。箔の配置や考え方とか凄く工夫したので、そこらへんも解説していただいております。
是非にご覧ください。
2011/11/30
文章書いてくれた方に花形装飾活字のアウトライン化したデータ差し上げちゃうんだぜ!!http://bit.ly/rzlkpZ
2011/11/19
http://blog.fengfeeldesign.org/?eid=1152458
この度、箔押しにむけての渾身の作、「パターン装飾@秋バージョンのポストカード」を無料で配布いたします。5版の箔で構成しております。紙は「ぐびき」です。fengfeeldesignとしても、グラフィックデザインの集大成という形で制作いたしました。全4連作(春夏秋冬)の内の1作になります。ウィリアムモリスのパターン装飾を模倣し、日本の友禅の雛形をリミックスさせました。西洋式のローカライズをいわゆるまんまの輸入方式ではなく、漢字を平仮名に変えた時のような少しの遊び心を加えつつ、より、日本人に受け入れやすい西洋のパターン装飾を、現在の感覚に合わせて、もう一度受け入れる試みを行いました。
■入手方法
<give_me_work@fengfeeldesign.org>まで、件名を「パターン装飾@秋バージョンのポストカード希望」にしていただき、本文には「住所」と「お名前」を記入しお送りください。
※今回、箔押しをしていただいたコスモテックさんでも紹介していただいております。
作品の詳しい解説はこちらを見ていただくと一目瞭然です。是非ご覧ください!
→http://blog.livedoor.jp/cosmotech_no1/archives/51712388.html
2011/08/03
このたび、fengfeeldesignにて配布している、花形装飾活字のイラレデータの配布条件を変更いたしました。もう、覚悟決めます。20代の全てをかけて制作したデータを、どうぞよろしくよろしくお願いします。
http://printersflowers.fengfeeldesign.org/
2011/04/28
http://printersflowers.fengfeeldesign.org/?eid=807275
な、なんと、ボクのデザインです!そういえばネットで真面目気味のやつを出すのって初めてな事に気が付いた…。普段こういう風な制作をしています。もしよろしければご依頼ください。友達の結婚式のペーパーアイテムを一式、デザインさせてもらいました。結構ここにある、花形装飾活字を使用したというのもあって、紹介していい?って聞いたら「良い」って言ってくれたのでご紹介です。一応解説しますと、招待状の封筒は、ハグルマ封筒のコットンを使ってます。業界的に言わせると、ハグルマ封筒は他を凌駕する質を誇ってまして、やっぱ違うなあと、いつも関心させられます。表紙にはロベールを使用し、オフセット印刷を施しています。間にタントセレクト(種類忘れた)を入れて、その上に、里紙でメッセージをレーザーで出力しています。紙の組み合わせ的に「おいしそう」になるように心がけました(なんのこっちゃ)。基本的に表紙以外は全部レーザーで出力しました。地図と返信はがきにはケナフGAを使用しています。表紙とメッセージ部にはエンスヘデのやつを使って、地図と返信はがきにはブルースロジャースのやつを使ってます。次に席次表ですが、表紙にはロベールを、ラベルは別紙として羊皮紙を使用しています。中身はケナフGA。ポストカードもそうです。全てレーザーで出力しています。花形装飾活字としては、 OLDTYPE001を使用しています。サンクスカードは紙にケナフGAを使用し、これもOLDTYPE001で装飾しています。色的に写真の他に2種類あって、装飾も全3種類で、いろいろな組み合わせを作りました。大量に並んでる姿はなかなかカワイイと評判だったみたいです。
2011/03/22
http://www.fengfeeldesign.org/
地震前と地震後の大きな違いは、
地震以外の話題が無視されている事。
そしてそれ以外の話題は耳に入らない事だと感じています。
何が正常か、
という話は今回は置いといて、
果たして、
ボク達の作った作品が今まで通りのニヤニヤ感で見てもらえるのかという点が、
なによりも判明していない。
何故なら、
皆がマジだから。
変な事したらマジで反応してくるっていうw
今はそういう時じゃないから!っていう大人が子供に叱るような目線を送ってくる。
うううう、なんかつまらんのー。
結局、静かに遊ぶか、
無視されるのがオチなこの状況!!
だって、あの仕事中にプラモデル作っちゃうようなミワくんが体調崩しちゃうんだぜ!
こりゃヨッポド!!
で、
今、西田辺ではどうしようかなっていっぱい話し合ってます。
つかまるくんの「RT」っていう作品も、その結果のものだし。
ボク達はどう頑張っても当事者にはなれない感を全開出さなきゃ、
もうダメなんだろうなと思ってます。
それはある種の覚悟が必要だし、
出来れば、
余裕に余力が残っている内に、
底が尽きる前に、
余裕が無くても楽しめるコンテンツの構築が出来れば、
今月中にまとめたいなって思ってます。
重要なのは、
東北に寄付する事が大事なんじゃなくって、
生き残った人達がどうするのかって事だと思うんだよね。
むしろさ、
東北ばかりに寄付じゃなくって、
ボク達にも寄付して欲しいくらいだよ!
当事者じゃないのに疲れているし、
前ほど面白いものを楽しめていない現状がある。
どうか自粛なんて言わずに元気な人は最強に楽しんだ方がいい。
なので、
西田辺から発信する事は、
地震の事じゃなく、パワフルにいつも通りはっちゃけた事をやれたらなと考えています。
何も変わらない。
ただ、見る人がどう思うかだと思う。
出来れば見て欲しいなって思うんだけど、
どうなんだろう。そんなに余裕ない?
地震ばっかでしんどくない?
少し肩の力抜こうぜ。
2011/03/22
http://www.fengfeeldesign.org/
最初に口火を斬ったのが、つかまるくんのツイートだった。
なんか大勢から批判を受けていたみたいだけど、
実際リツイートしたらフォロー数が減るくらいの内容ではあったけど、
決して間違った事を書いている訳ではなかったと思う。
むしろ、
つかまるくんのツイートにキチンと反応出来ていない人が居る、
という事が異常なのであって、
普段から考えれば普通の意見だったような気がする。
とくに変な事も書いてなかったし、
ただ「不謹慎」という独特な言葉で批判の的になっていたのだと感じる。
あの時のツイッターの状況って、
おじいちゃんの話してくれた戦時中の状況に凄く似ていると思う。
何か分からないけれど、
凄い事が起こって流れてきた情報をとりあえず大きな声で叫ぶみたいな。
そしてそれらが共感する1つの方向に流れていくっていう。
1つ確実だったのは、
「デマ」という言語に敏感だった事。
情報というのは信用におけるソースがあってこそ、
冷静に分析し対応する事が出来る。
それはツイッターでは自分の判断に委ねられるメディアだからこそ、
成り立っていたのに、
今もそれを引きずるかのように変な共同体的な意識が維持されているように感じる。
まあ、別にこんな分析じみた事を書こうと思った訳ではないので、
ここらへんで置いておくけど、
興味があれば、
今、
つかまるくんのツイートを読み返した方がいいと思うよ。
当時、「不謹慎」という言葉に踊らされた方たち。
そんなこんなで、
活動が止まっているのが現状です。
活動が止まっているというよりかは、
ネット全体が全ての興味を無くしたかのように、
静まり返っている印象。
これはネットに限らずリアルタイムでも起こっているのではないかな。
そして皆が疲れ始めている。
最初、譲り合っていた事が出来なくなる。
実際、阪神大震災で起こってたみたいだし、
友人は意味もなく些細なことで殴られたって言ってたし、
それが、ちょうど一週間たった時くらいの話。
マジで、余裕が無くなった時が恐い。
それはボクたちもそうで、
ミワくんが寝込んでしまっている。
制作が手に付かないみたいだし、
最初は無理してやっていたけど、
やっぱガクっと来たんだろうな。
なんかこう。
遊べなくなっている。
それは実際の制作にも出てきてしまってる。
どうしたもんか。
地震前と地震後、
状況がガラっと変わってしまった。
どう考えたって地震前に戻れる訳がない。
その上、地震後の手立てが見つからない。
寝込みながら、
友人に看病してもらいながら、
スペイン人の相手をしつつ、
あ、でも今回はホント助かった。
ホント大勢に助けられた。
東北ではたくさんの人が救助されていたけれど、
その時にボクも大勢に助けられていたのであった。
2011/03/22
http://www.fengfeeldesign.org/
何かが変わってしまった気がする。
地震の時、ボクは木曜日あたりから出ていた熱が悪化して寝込んでいた。
だから、起きた事も知らなかったし津波をリアルタイムでTVで見る事もなかった。
もちろん寝ていたからツイッターもしていないし、
そういう意味ではある意味幸福だったのかもしれない。
なんというか、
血相抱えて帰ってきたミワくんによって、
凄く大変な事になっていると教えられて、
大変だ!と思ったくらいなのだから。
それまで津波の事実さえも知らなかった。
その翌日、スペイン人が来る。
友人が旅先で知り合った人なのだそうだが、
東京に帰られずに泊めて欲しいという事なのであった。
普段なら絶対に断っていたのだけど、
「地震」という出来事と体調が悪いというダブルパンチで、
どうやら判断力が落ちていたみたい。
おかげで失恋を味わう事になるのだけど、
人の心を弄びやがって!!というのは別の話なので置いといて(お酒奢ってくれたら話すよ)。
後で思えば、
その日はミワくんの家で晩ご飯をご馳走してもらっていて、
もう少しゆっくりしていけば、
多分、断れていただろうし電話にも気付いていなかったように思う。
次の日に連絡しておけば、
こんな屈辱的な失恋を味わう事も無かったのだけど、
なんかいろいろ失敗だなあと感じつつ、
その時は知る由も無かったのだけど、
いろいろな事が一気に西田辺には押し寄せていたのだ。
かくして、
その日はミワくんちの地デジ対応テレビ点灯式の日で、
残念ながら映るテレビが地震速報ばかりという悲しい感じになっていたのだけど、
既に頭の中は、
今後の日本なんかよりも、
今進めているプロジェクトをどうしたらいいのかという事で、
頭がいっぱいになっていた。
確実に状況が変わるし、
同じスタンスで挑んでしまうと失敗を目の当たりにしそうだなという心配で、
思考がグルグル廻っていたのを覚えています。
少なくともボク達の活動は、
平常的な中でこそ輝くものであって、
異常事態の中で輝ける代物ではないのですね。
でもまあ、
その日から、
スペイン人、体調不良、失恋の津波に襲われて地震どころではなかったのだけどw
おかげで、
もしかしたら、現状として、
人より疲弊していないし余裕の無い状態じゃないかもしれないと思った。
まだまだ前の恋は引きずってるものの、
こんなの酔っ払って大泣きしとけば治るので、
急に大変な状況を見たボクとしては、
今のメディア、ネットの状態が、
異常な事にも気付く事は簡単でした。
こ、こいつら平常心を失ってやがる!!みたいな。
冷静を装ってるのが目に見えてて、
うわー恐いなあというのが最初の印象でした。
2011/02/25
http://printersflowers.fengfeeldesign.org/
西洋の美的感覚と、日本の美的感覚はここにこそある。何故こんなに日本人は外からの文化をフィルターで通して変化する事が出来たのか。その答えが出れば、自分たちはするべきグラフィックデザインに近づけるような気がしていて、おそらく、その答えが「水草」であり「みずくさ」だったんだよね。形である以前に、「さけがのみたい」という文字列にもなんの意味もない。その装飾は人の中にある。というのがボクの見解なんだよね。装飾が形を成すものではなく。人そのものの想いや念みたいなものが、形となったもの。それこそ平仮名に綴じるなら音そのものであるように、元来、日本に存在していたグラフィック的な何かというのは、これが基礎になっているように思う。むしろ見た目の優雅さに逃げた江戸時代後期あたりから、少し違ってきているのだけど、光琳のように西洋的な装飾は装飾でも、その装飾そのものをローカライズする事によって成り立たせている、もしくは、日本的なものにマッチさせているのは逸脱だとも思う。ただそれは新しい何かへのドキドキ感や追求、帳尻合わせであり。本来の日本的な美意識を内包させたとは言えないように思う。工芸としてなのか、生活としてのなのか、そういう点で言うと、文字というのは生活行動、社会行動には欠かせないものであり、それが平仮名のような形になったのは、賞賛に値するが、それらを今までグラフィック的な何かに照らし合わさる事は無かったように思う。というよりかは、独自な違う道を辿ったような気がする。むしろ、日本の各種、友禅等に代表される装飾は、西洋的な「文字」の英字に似ている。それが何かという伝達機能を、それを物質化させた時の美しさのようなものが図案という言葉くくられるなら、なるほど、正しいねという訳である。平仮名は機能的に、そういう点で言うと無視されているように思うし、いささか、西洋画の印象派に近いものさえ感じられるのだ。それを活字としてではなく、グラフィックデザインとして捕らえると、合点がいく場合が多い。「さけがのみたい」、これは単なる文字列ではあるが、同時に風景なのだ。感じたものを綴ったものでもあって、伝達ではないと言い切った方が、文字として存在感が果てしなく高まるし、英字との使い分けや、何故、こんなに平仮名を書体とし、デザインした場合の失敗感、いわゆる、英字のようなセリフ体、サンセリフ体に代表される、各種書体の視点、平仮名を作った時のダサさは、これが記号や形ではないからで、情景や風景のように、それを記したタイミングや誰がという事も含めて、圧倒的に違うものを感じた方が懸命であるように思う。それが何かという明確な答えは、まだ得る事は出来ていないが、というより、得ているが、言語化できていないのだけど。ただ1つ言える事は、「さけがのみたい」のはボクだと言う事だ。伝えたい訳じゃない。だからそれが判読性がどうたらはあんまし関係なく。ボクが「さけがのみたい」という状態を他の誰かが汲み取る動作そのものに、この平仮名という完遂があるのだと感じている。つまり、平仮名をデザインするという事は一体なんなのか、その部分を考えるだけで、平仮名への姿勢が大きく変わるし、今までの平仮名書体という考え方に違和感を感じずにはいられないのだ。