サカグチテツキヨ

グラフィックデザイナー

7

大阪府

0

http://www.fengfeeldesign.org/
social
  • 3

    Fav 1
  • 9

    View 144,903
  • p

    Works 36

サカグチテツキヨ

m
r

サカグチテツキヨ

グラフィックデザイナー

  • 3

    Fav 1
  • 9

    View 144,903
  • p

    Works 36
  • 写真と肖像権について。

    2008/09/12

    写真

    ここのところ写真を撮っていても、
    最近の警察の一件やその他もろもろ大変な目にあって、
    どうも撮影する時の罪悪感に苛まれていました。
    実は9月に入って一度もシャッターを押していません。
    恐怖さえある。覚悟はあるが怖さまる。
    カメラさえ持って外へ出かけていない。
    けれど、
    それに負け時と良い機会だと、
    今まで撮ってきた写真を作品としてまとめる作業をする一方で、
    図書館に出向き、
    特に肖像権と人格権、プライバシーの権利について調べる事に徹底しました。
    文章による裏付けと、
    それを踏まえたキチンとしたスタイルで撮影する事で、
    少しでもその罪悪感を軽減したい気持ちと、
    そういう場合にキチンと知識を得ている事で、警察の一件しかり、
    アマチュア写真家が臆病にならないように、
    牽引的な活動、
    如いてはこの文章を公開する事で、
    実はこうであるという勇気になれば、
    今、自分自身への間違いである行為かもしれない写真を、
    もう一度、あの時の感動を奮い立たせるカンフル剤になればと考えています。

    まず、
    調べていて分かったのは、
    多くの人が大きな勘違いのまま、
    肖像権と人格権(財産権も)、プライバシーの権利を認識しているという事でした。
    現在でのスナップ写真の撮りづらさは、
    それが一番大きいように思います。
    同時に、
    日本での「表現の自由」の効力無さ、地位の低さにも驚かされました。
    そういう事も含めて書いていきます。

    肖像権の実体は、
    日本国憲法第十三条「幸福追求権」の下で保護される権利であるという事です。
    そして重要なのはこれについて法律上では具体的に明記されていないという事、
    例えば、写真にクローズアップするなら、
    写真の中の被写体が、
    その写真が公開される事で問題、不利益が生じた場合に、
    被写体は肖像権を行使して撮影者に写真の公開の取り下げを請求(賠償金も)出来るというもの。
    その時点で裁判が行われ一件ずつの争いにて決着を付けるのが、
    今の現状のようです。
    ポイントは撮影時に肖像権を犯していないし、
    同時に公開しても不利益が生じなければ肖像権を犯していないという事です。
    世間一般的に、
    同意を得るべきだという意見は、
    その前準備であり、
    もしもの場合に備えた撮影者側の防御策であるにすぎないのです。
    それがあたかも許可を得ないと撮ってはいけないという勘違いに発展しているように思います。

    では、
    肖像権が法律で明記がされていないのに、
    何故、裁判で争う事が出来るのか、
    これについてはわかりやすい文章がありました。
    以下転載です。

    「肖像権には二つの顔があり、人格権の一部として
    の権利の側面と、肖像を提供することが対価を得る
    財産権の側面とである。人格権は、前述した憲法上の
    根拠を持つと言われている。
    憲法13条、幸福追求権は基本的人権の一つであり、
    その性格は人格権とされている。みずから一般人か有
    名人かを問わず、人は誰でも突然断りも無く他人から
    写真を撮られたり、自分の過去の写真が勝手に他人の
    目にさらされるなどという精神的苦痛を受けることな
    く平穏な日々の生活を送ることは、プライバシー権と
    同様に法的に保護されなければならない「人格的利益」
    の一つと考えられている。」

    という事です。
    つまり、
    「表現の自由」と「幸福追求権」との摩擦が起こっていて、
    同時に肖像権との混同が行われる結果になります。
    プライバシーを侵害する事(つまり人格権)は、
    多くの事例で法的に保護されており、
    これもまた肖像権を構成する1つになっているようです。
    ここで取り上げなくてはいけないのは、
    撮影をする行為そのものが、
    肖像権、人格権、財産権、プライバシーの権利のコンビネーションのおかげで、
    被写体は完璧に守られ、
    撮影の行為は事実上の規制を受けているという事になります。

    そして、
    多くの人が口を揃えてこう言います。
    「ルールを守ろうね。」
    「許可を取ろうね。」
    「一言言ってよね。」
    同意を得た撮影が合法であり、
    じゃあ同意を得ない撮影が違法なのでしょうか。
    もしも「表現の自由」と「幸福追求権」が隣合わせならば、
    撮影者側も配慮すると同時に被写体になる側も、
    「表現の自由」も意識して撮影者と接するべきだとも思います。
    一般的な視点に合わせて書くとこういう事になるのでしょう。

    しかし、
    肖像権に関して言えば、
    撮影の時点でそれが脅かせるというのは、
    いささか急ぎすぎのようであり、
    知らないどこかで不利益を生じる心配も、
    実際なとこ想像しすぎの考えすぎのように思えてなりません。

    これまで多くの人を交えたスナップ写真を撮ってきました。
    他にもたくさん撮られた方もいるでしょう。
    ボクの場合、
    話しかけずに撮るというスタイルを貫き通しています。
    場合には話しかけて撮る場合もありますが、
    一貫して話し掛けずに瞬時に撮る手法を採用しています。
    そこで気付くのは半々だと言う事です。
    レンズを向けて大概は撮られたかそうでないかわからないくらいに、
    瞬時に撮るのですが、
    時々は早く気付く人がいて、
    中にはニッコリ笑ったり照れたりピースしてくれたりする人がいます。
    いい具合にレンズを見てくれる人がいて、
    いい具合に話しかけてくれる方もいらっしゃいます。
    逆に凄く嫌がる人もいて、
    顔を隠したり怖いくらいに文句を言うてきたり、
    今回のプライバシーがどうとか肖像権がどうとか言ったり、
    多いのは「何勝手に撮っとんじゃい。」と言ったり、
    警察の人はファックユーです。
    殆どは無関心で過ぎ去っていく場合なのですが、
    反応する人は半々なのです。
    これは意識の問題だと考えています。

    ボクは1つの解決方法を求めます。
    それは正しき写真家の数が増える事です。
    悪意に満ちた撮影ではなく、
    心の底から写真を愛し撮影している人の数が、
    被写体と真剣に向きあう写真家が、
    圧倒的に増えればイメージは少しでも改善するはずなのです。
    そして出来ればそれを公開するところまでは認めて欲しい。
    正しき公開の数が増えれば、
    撮影者とっても被写体にとってもプラスになると思うのです。
    訴えるなら、その時点で訴えてください。
    それが肖像権の本来のあり方であり、
    肖像権を盾に撮られる事そのものを悪にするべきではないのです。
    そういうのをキチンとやっていけば、
    ほんまにアカンものに対してアカンといえるようになるんではないでしょうか。

    人格権、財産権、プライバシーの権利ついても、
    守られている側がキチンと認識をして、
    考えなくてはいけないと思います。
    もしも、これらを意識して写真の撮影というものに接するならば、
    同時に被写体側にも配慮が必要だと思います。
    それを懸念するという事は、
    撮影を規制するという事につながります。
    あまりにも、
    この問題については、
    撮影者側ばかりが気を使って配慮しているのに、
    撮られる側の意識が低い場合が多いように思います。
    どのような場合に人格権に触れ、
    どのような場合に財産権に触れ、
    どのような場合にプライバシーの権利に触れるのか、
    撮影する側は中には無礼なヤツもいますが(ボク?)、
    恐ろしく気を使って配慮しているのが現状であって、
    権利を被写体側が意図するのであれば、
    その撮影がマズイ事を撮影者に伝える努力をすべきです。
    被写体側も意識的に考えて撮影者側に伝えないといけないと思います。
    もちろんそれは撮影者側が配慮しているという前提のものでもあります。

    なんだかまとまらなくなってきましたが、
    どうも、
    写真における肖像権とは撮影する事で、
    犯すものではないらしいというのが分かりました。
    それを無許可で公開する事も違法ではなく、
    それがその被写体に不利益になり、
    被写体本人から取り下げ請求がきたら応じなアカン訳ですな。
    ていうかそんな写真は無しでしょ、
    そんなの普通は撮らないよね。
    ただ、
    撮影するという行為でアカン可能性が高いのは、
    人格権と財産権を織り交ぜた、プライバシーの権利の複合体が、
    それを規制する形になっているようですがな。
    けど、
    実際問題、
    知らない人の家に勝手に上がりこんで写真を撮るのは変である。
    これはアカンでしょう。
    企業の秘密研究室で盗み撮りするのもアカンし、
    ましてやラーメンの秘密スープレシピを盗み撮りはいかんのでしょう。
    盗んでますからね財産権を脅かしちゃってる訳で、
    最初のやつなんて人の家に勝手に上がってるからなあ…、
    スゲーマズイ気がする、プライバシーの権利やら人格権の前に不法侵入やがな。
    なんかアカン人が増えて、過敏なり過ぎてて、
    それに写真家が巻き込まれた形になるのかもしれんねえ。
    ボクのスタイルの場合はモロにそれ引っかかる訳ね。
    それに最近の写真作家に気付くのは、
    それを意識してか、
    海外に逃げたり、
    風景に逃げたり、
    どうもファインダー的に逃げてる写真が増えてるなあという印象なのです。
    梅佳代はそこらへんウマクやってんのやろね。

k
k