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2010/12/19
http://www.fengfeeldesign.org/
ボクの勝手な想像なんだけど平仮名は物静かなんだよね。あんまし存在感があってもダメだと思う。主張するような形状のものは実際に無いし、どちらかというと消えていくような儚ささえ感じる。前回の時に、識別出来るギリギリを目指したのも、そこが理由なんだよね。次の瞬間に煙に巻くというのかな、水に溶けて無くなるくらいの、見逃したら最後くらいな勢いじゃないと、それが平仮名になるのは難しいのかなと思ってて、喋る事が恥ずかしさに溢れててほしいし、それでいて時間が経過している要素も今回は加えたんだよね。ボクは昔から大人の女の人が書く綺麗な平仮名が凄く好きで、可愛い文字よりも、誰にも知られていないけれど、凄く綺麗な雰囲気にやられる事が多い。可愛いさもたしかに時には愛嬌だけど、乱立されるとムカっとする時があると思う。もちろんそれは、漢字の補助的な役割を持つ事が一つの方向であったにせよ、だからといって、主張はダメなんだよね平仮名って。静かで、今にも消えそうな細そさみたいな崩れた感じが、やっぱり理想なんだよね。その理想を遂げたのが小野道風の書でもあるんだけど、そんな書とは裏腹に文献を紐解けば紐解くほどに、相当いやなやつだったりと、色々と残念なところではあるんだけどwちなみに小野道風の漢字は草書に独自のアレンジを加えたものになってて、それを上手く自身の平仮名とマッチさせているのはさすがだなあという感じです。よくよく考えれば、この「みずくさ」は明朝体に合う訳ではないので(使い方次第です)、そもそもが本文に使うのが難しいんですが、実際のところ、その本文の性質によっては可能だし、どのように潜り込ませるかで、その本質が見えてくるように思います。だから、今回の「みずくさ」について言えば、タイポグラフィという書体の一面を持たせつつも、グラフィックデザインという。平面における、文字の表現というベクトルも持ち合わしていると言えるのではないでしょうか。「書」と「書体」は次元の違うものであり、とくに平仮名の場合は、道筋がスッパリ分かれてしまったんですね。今回は、その分かれてしまった道筋の、お互いに持ち合わせている要素の交わる可能性の1つを示したにすぎない訳です。そうした、というよりも探っていく内に作りたいものが、具体的になっていけばいくほどにそうなった、としか言いようがないのだけど、これを作った心境としては、もしくは、MAC以降のデザイナーとしては、なんで今までこれをやってこなかったのか、という疑問が、やっぱ出ちゃうんだよねえ。もちろん平仮名書体という名目で崩れた文字というのは出てるけれど、それでもやっぱり、がちゃがちゃしていて騒がしいってのが本音かなあ。何故なら技術的にいろんなものを取り入れすぎているというか、売ろうという使ってもらおうという意識が見え見えすぎてガックリきちゃうんだよね。こういうのってさ、もしくは、書体であるんならさ、それを新しくするというのはやっぱり無理だと思うんだよね。どこかでやはり歴史とかそれまでの流れみたいなものがあって、生まれるものだからさ、ただ、それをデジタルフォントとして上乗せって訳にはいかないと思うんですよ。なんか話が逸れてってるような気がしますが、じゃあ「みずくさ」はなんなのって話でさ。このみずくさに関していえば、今だから生まれた書体な気がしています。実際に売っちゃってますけど、売るとか使ってもらうとか、あんまし意識せずに、作られるものって、今まであんまし無かったと思うんだよね。しかも、コンピュータでこういう事が気軽に出来るようにもなってきてて、そういう背景ってあるような気がしていて。なんだろうな、なんというか、文字を表現もしくは表示する技術っていろいろあると思うんですよね。石とか木とか紙とかモニターとか生地とかの素材にインクとか箔とか電気とか版とか、なにかしら表示しちゃう訳でしょ?そのたんびに文字の感じとか変わってってる訳ですよ。目的とかも含めてね。その上で、ボクが作った「平仮名書体みずくさ」ってのは、平仮名の1つの在り方を示したんだと思うんですよ。なによりも、オイラの場合なんて、あんましオフィシャルな場所でデザインしてこなかった人だから、どちらかというと、ウマイ人の真似しまくって、それで結果出してきた人だから凄く感じるんです。書体とかにも金かけずに、パクリまくってきたからね。中には書体の名前すら知らないものとか、ああ、あれねウーロン茶のポスターのやつねみたいなwMAC以降のデザイナーってそういう中でデザインしてきたから、どこか諦めてるところがあって、だから物質的な回帰の部分で印刷が持て囃されてるのも分かるんだけどさ。それでもやっぱり、思うんだよね。そんなの意味ねーって。話が最初と凄く変わってしまったけれど、それを受け止める側が間に合ってないってのは感じないのかなあ。表現の面で射抜かれるくらいの痺れる感じってやつ?それらと媒体がマッチした時にビビっとくる訳ですよ。もう、ずっと疑問なんだけど、なんで誰も作ってないんだろう。平仮名書体で検索したら、既に俺が上位に出てくるとか終わってねーっすか??昔もっと居たよね。なんかわからないけど、変にいっぱい作ってた時があったと思うんだけど、やっぱあれですか、モリサワとかになっちゃうんですか!?単にやっぱネームバリューですか?たしかにモリサワの書体は完成されてるけれど、すぐに真似出来るべ。そういうのを華麗に操るからデザイナーですか、ああそうですか。だから面白くないんだよな、日本のデザインって。そういうの全然クラフトマンシップに溢れてないと思うんだよなあ。下手でもいいから作ろうぜ書体!!!!
話が変わってしまったから次回へつづく…w
平仮名書体「みずくさ」をリリースいたしました。
2000円で販売中です。どうぞよろしくお願いします。
詳しくは下記アドレスまで!
http://blog.fengfeeldesign.org/?eid=1152415
2010/12/09
時代背景は、平安時代。今回は書体開発。という大風呂敷の中で、その視点をどこに持っていくかを考えました。英字的な変化を与えての書体開発という事にはやはり今回もなる訳もなく、その関係は、先の花形装飾活字「水草」を日本におけるグラフィックデザイン再起という視点と、まったく似たものであると感じたのです。目的そのものが書体に対するレスポンスなのだとすれば、果たして、その美的要素というのは、平仮名という生い立ちに沿ったものかというのは大きな疑問であり、それは平仮名そのものの役割や可能性を辞めてまで行なうかどうかという点で、考えなければいけない課題だと思いました。単に、現在の書体に対して否定の考を下すのではなく、それはそれ、これはこれといったように、そこはグラフィックデザイン的に、やはり一度見極めなくてはならないと思います。また、技術的な側面から言っても、活版という背景を持ちつつも、そこはやはり何がテクノロジーかという事に重きを置き、その利用の可能性と、「平仮名」というポテンシャルを引き出す上で、それが「書体」であるという落とし込みにしなくては、今回の開発の肝は無くしてしまうのだろうなという予感は既にあったのだと思います。「書」ではなく「書体」にしなければならない訳で、「書」そのものを行なうのであれば、それがデータである必要もなく、単なるサンプリングで終わる作業であり、「書体」という枠を無視した行為なのだと感じました。データである価値と、それが何を経てそうなったのかという説明出来るだけの構築の両立は、今回の開発には必須だったのです。作りたかったのは素材ではない、「書体」として使えるものです。それがアウトライン化されたデータとして新しいテクノロジーの元、単なるリバイバルなどではなく、1つの可能性として、感覚として伝えれる事が出来ればと考えました。そして、本来の「平仮名」の魅力を引き出すべく、「書体」開発が始まったんです。これが最初です。で、平安時代となった訳です。平仮名の設計そのものは、平安時代には積極的に行なわれていました。平仮名そのものが乱立的に作られたのと同時に、平仮名を使用した「言葉」も生まれたのが特徴です。有名なのは「色言葉」で、それが色欲や色恋といった、文字に隠された妖艶な優美、もしくは雅なんて言葉で覆い隠す場合もありますが、結局は口説き文句であり、声に出さない音としての確立が、既にこの時代に成されていたのは、平仮名という存在を無視しては語れないのだと思います。美しくない平仮名を書く人は、きっとモテなかったでしょうし、それはどこか目で観るラップのようなものを感じます。口で言うより目で見るように仕向けた方が、その人に気持ちが伝わるというのは、単なる、想いを伝えるのではなく、その想いそのものを音と言う視覚に記録する感覚は、後の日本的な美に繋がってように感じます。意味を重視しない言葉が「平仮名」であり、それを並べた時の美しさが価値だったんですね。単純に「好き」という文字が、「好き」という意味を持っていたのではなく、もっと表層的に「好き」という文字の並びが綺麗だったのだと思います。もちろん意味としてはあったのだろうけど、平仮名を作るというリミックス文化の世界においては、それはより、視覚的な美しさに重きを置き、開発されていったのだよなと想像した訳です。しかし、意味が確定された現代において、そのポテンシャルを最大限に引き出すのは同時に不可能であり、意味を成さないものです。同時に、言葉としての意味合いも、「平仮名」のデザインも確定的に決められた時代にあり、その動作そのものが、より限定的なっているという事実は踏み越えてはいけないと考えました。踏み越える動作そのものは「書体」という考え方を否定する事になりますし、そこは何としても変えてはなりません。「書」の世界では、前衛という考えで、より日本的に変換させた「漢字」の「書」を書く流行していると聞きますが、やはり、その部分で振り切れてしまっては、この「平仮名書体みずくさ」を考える意義みたいなものから逃げてしまうように思いました。新しい平仮名書体を考えるというよりも、平仮名書体の新しい考え方を構築する方向に意識を巡らせたのが今回の開発に大きな影響を与えるのですが、それはまたつづきます。
平仮名書体「みずくさ」をリリースいたしました。
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2010/12/09
まず、この平仮名の事を書く前に、表態文字の可能性について先にまとめあげていた、紙ラボの野口さんに今一度、感謝とリスペクトを捧げます。そもそもの平仮名開発の発端というのは、花形装飾活字「水草」において、日本語書体でデザインしやすいように仕組んだはずなのに、その日本語書体に違和感を感じたところにあります。じゃあ、作っちゃおうと思ったんですね。無いなら作るしかない。だいたいからしての水草という根本が違うところにあるのだから、本来の書体と合わしても若干のズレが出てしまう事は致し方ないことなのだと考える事になりました。でも、実際に漢字なんて開発するには人手が足りない上に、これは日本の文字ではなく、中国の文字として割り切る事で、平仮名、片仮名オンリーの搾った開発へと踏み込んだ訳です。これから書いていく事になりますが、漢字は根本が違いますから、それはもう、なんというか仕方のない事なのだよなと理解に至った訳です。以前から、有名な書体をサンプリングして使う(買うお金が無いので)という作業は実際の仕事でもおこなっており(ダメですよ!)漢字に関していえば、さほど気を使うものではないというのは判明しておりました。むしろ平仮名ほど自由で奔放な文字はなく、漢字ほどルールと意味に縛られた文字はないよなと思ったのであります。この平仮名書体「みずくさ」の開発において、まず考えたのは「自由」です。ボクは既存の平仮名書体にはその「自由」が無いと考えています。自由を手放し、ルールを取ったと言ってもいいかもしれません。もしくは漢字にあわせるために平仮名の方が寄り添ったのですね。これは明らかで、現代仮名を見れば一目瞭然です。平仮名そのものが漢字に近くなっています。昔の文字と是非見比べてみてください。せっかく漢字を崩した平仮名をもう一度漢字に近づけている。こんなのどう考えたって無理が祟るのは当然なのです。では、平仮名とは一体なんなのか。平仮名は漢字のリミックスから生まれました。中国から輸入された漢字を全力で取り入れた日本は、後に平仮名を産みます。漢字以前の日本の言葉を探ると面白い事が分かります。「話す言葉」と「書く文字」がバラバラだったとあるのです。これは諸説いろいろあるんですが、とくに面白いのは漢字以前に韓国などで使われるハングル文字で、「話す言葉」を当てはめていた時代があったんだそうです。だから微妙に言葉がダブってたりするのかなあとか想像したりして、その上で「絵文字」(ペトログラフだっけか、ちゃんと調べてくださいw)を「書く文字」として扱っていたともあります。これは予想なのですが、恐らく、この感覚が今日の漢字と平仮名という日本語の形に繋がっているんじゃないかなと考えています。つまり、日本人は文字には「意味」と、より感覚的な「音」の要素の2つを常に求めていたという事になります。漢字を崩して平仮名という音に当てはめる作業は、これも予想ですよ、現在ではかなり確定された漢字による崩しが伝えられていますが、むしろ、当時はもっと平仮名があったんじゃないでしょうか(わかってる人にはわかってるんだろうけど…)。その中において、藤原行成が書「和漢朗詠集」という形が完成されたという考え方に落とし込めば、むしろ自然なように感じます。何が言いたいかというと、そもそも音があって文字があった訳です。なのだとすれば、「ふわふわ」「さらさら」は何故に「ふわふわ」と書く事が出来、「さらさら」と書く事が出来るのか。もちろんどちらが先天的なものかと問われればわからないのですが、「さらさら」が「さらさら」と書けるのは、それをウマクいかに表現しようかという平仮名創設の当時に既にあったのだと言ってしまっていいように思うのです。むしろ、「ふわふわ」は今でこそ、音で「ふわふわ」と表現されているし、僕たちは文字として「ふわふわ」という読み方が出来るんですけど、そこはだって、先に音があった訳だし。平仮名は音なんです。完成された音の文字なんです。それを無くしてしまった現代の書体に否定の言葉浴びせたいんだけど、それはひとまず置いといて、例えば、カセットテープの磁気みたいなもの。たまたま「阿」が「あ」なだけで、むしろ、それに意味が無いと言い切ってしまいます。平仮名においては、文字の能力として、どんなに言葉として繋がったとしても、それを意味として捉えてしまっては、その根本に辿り着く事は不可能なんですね。そこで漢字の存在なんです。それまで、「話す言葉」と「書く文字」がバラバラだったものを、片方にという訳でもなく、統一という訳でもなく、リミックスの方向に動いた。なんかもう!!この時点で大興奮なんですけど!わかりますか!?視覚的に整えられた音なんですよ平仮名って!読んじゃいけないんです。視な(聴かなきゃ) きゃダメなんですよ!つづく。
平仮名書体「みずくさ」をリリースいたしました。
2000円で販売中です。どうぞよろしくお願いします。
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2010/12/04
平仮名書体「みずくさ」をリリースいたしました。
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2009/11/15
作:MIWA KAZUKI 男のデジカメ(完動品) いろいろ条件ありますが、こういうのん欲しい人は連絡ください。
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