サカグチテツキヨ

グラフィックデザイナー

7

大阪府

0

http://www.fengfeeldesign.org/
social
  • 3

    Fav 1
  • 9

    View 148,866
  • p

    Works 36

サカグチテツキヨ

m
r

サカグチテツキヨ

グラフィックデザイナー

  • 3

    Fav 1
  • 9

    View 148,866
  • p

    Works 36
  • フェイスブックページあるよ!

    フェイスブックページあるよ!
    →花形装飾活字を愛でる( http://on.fb.me/NbOQVf )
    →PRINT PUB ( http://on.fb.me/KzM5Fn)

    よろしくね!

  • CDレビュー: 『Mujika Easel/Love & Realism』@西田辺レコード会

    {リンク:http://nishitanaberecordkai.blog130.fc2.com/blog-entry-58.html
    }http://nishitanaberecordkai.blog130.fc2.com/blog-entry-58.html

    Mujika Easel
    http://www.mujika.net/

    Love & Realism
    http://www.mujika.net/saito/Love_and_Realism.html

    どんなミュージシャンでも、たいてい1stアルバムの出来というものは非常によいものです。デヴィッド・ボウイとかボブ・ディランとか、逆に1stアルバムだけなんのこっちゃわからない、混乱の塊のようなものになってしまっている人も中にはいるにはいますが、どうもたいていのミュージシャンの人というのは1stアルバムを出す前に、出す前もずっと音楽のことを勉強したり真剣に活動したりしていて、その延長線上として満を持してアルバムを録音するようで、よく「1stアルバムはそれまでの人生の蓄積、あとのアルバムはただそのアルバムごとの間の時間だけの内容しかないから1曲を作るのに時間のかかる人ほどアルバムの間隔が狭くなればなるだけつまらなくなる。」と言われるように、まあたいていの場合、1stアルバムというのは「結構いい」か「その時点でどうしようもない」かの2つに分かれるものだと考えていいと思います。というかそういうことにしないとこの文章を書き進められないんだ!!


    今回このMujika EaselのCDレビューを書くにあたって、僕はいったいどういうところからこのアルバムを掘り下げていったらいいものかたいへん悩みました。
    ふだんアマゾンなんかにレビューを投稿するときは音楽なんてまったく聴かずに、あるときはもう何年も前に手持ちのCDを売ってしまったようなアルバム(The Shiningの「True Skies」とかね!!)をささーっと、キーボードでこんなもんだろとかたかた叩いてはい投稿、クリックぽちぽちみたいな感じで終わらせてしまうことがたいへん多いのですが、このアルバムについては一切そういう手法が通用しないという感じがあって、もうほんとに生まれてはじめてかもしれないくらいの経験なのですが、なんと散歩しながらメモ帳に気付いた点を書き込みながらレビューを作っていくという、前代未聞の労力を割かなくてはこのアルバムのことは皆目見当がつかない、という感じになってしまっていました。
    普段こういうジャンルの音楽をあまり聴かないということもあるのですが、なんといってもこう、このMujika Easelには「こういうジャンル」といった中でもさらに異端な、なんともこう記憶にとどめてそれを分解しながらテキトーにキーボードをカチャカチャ叩いていくというような感じではとてもレビューなんて書けないだろうハードルの高さ、音楽の難しさのようなものがあったのです。それで僕のメモ帳はいろんな言葉で埋め尽くされていきつつも、ちっとも本質そのものはつかめないという、なんとも情けない状態でだんだんと真っ黒になっていきました。


    しかしこの「Love & Realism」を100回くらい聴いたときのことでしょうか。(まあそんなに聴いてないんですけど、頭の中で思い出したりする回数も含めるとそれくらいいくんじゃないかと・・)唐突に、それまで頭をかかえてうーんうーん言っていたのがまるでうそだったかのように、ほんとびっくりするくらい唐突に、一気にああそうか、別にこれジャンルがどうとかいう音楽じゃないんだ、ということが判明したのです。
    この「ジャンルがどうとかいう感じじゃないんだ。」感というのはものすごく説明が難しい感覚なのですが、同時にこのアルバムを1回でも聴けばたちどころにわかるくらい簡単に音楽の隅から隅までいきわたっている感覚で、1曲目のイントロのピアノからもうすでに、そういう音楽が始まっているなということが、そういう感覚の耳で聞いたらたちどころにわかるようになっています。しかし一方でジャンルとかそういう感じの音楽ではないといいつつも、この音楽がものすごく外に開かれていて、同時に内に篭りまくってもいて、両者のバランスの中であっちに行ったりこっちに行ったりを繰り返してのたくりまわっているような生命感を感じさせるのは、これぞまさしく「1stアルバム感」、この文章の最初のほうに書いた、Mujika Easelの「それまでの人生の蓄積」の爆発に他ならないからだと思いました。

    そう!Mujika Easelは別に、ジャンルのある音楽をやっていないというだけで、別段何か特定の音楽のジャンルのミュージシャンに限定されるような音楽性を持っているわけでもないし、そういう界隈特有のファッションセンス的なオシャレ感を演出したがっているわけでもなかったのです。Mujika Easelというのはただただここに録音されている音の響きの1つ1つのことで、それ以上でもそれ以下でもなく、本当にどこまでもびっくりするくらい純粋にただそれだけ、ただそれだけ十段みたいな感じで、おそろしいくらい純粋無垢な音楽だったのです。


    もちろん純粋無垢な音楽と一口にいったところで、別にそれは聴後感がクリスタルガイザーがぶ飲みしたあと並みたいな感じだとか、そういうことではありません。なんかこう、僕は素人なので楽器のことは全然わかりませんが、ピアノの演奏もこうぐいぐい心に迫ってくるものがあるのでたぶんうまいんだろうし、歌も同じく綺麗な声だなと思うことがあるのでたぶんうまいんだろうと思うのです。
    こういうボケボケな脳みそで音楽聴いてるからたぶん感想が「別にジャンルジャンルしてないだけで、普通にいい音楽」みたいな無意味なものになってしまうのだとも思いますが、どうやらMujika Easelという人はちゃんと発声の勉強とか、楽器の演奏の勉強とかも1つ1つちゃんとこなした上で、その上で決められた(or作った)音楽を演奏する・歌うというよりは、自分のフレーズ(ある種の手癖的な一定の決められた動作の感覚と間合い)を自分で弾いて自分で歌うという、本当に技術があって初めて出来るとともに、おそらくそれをするための技術を習得していく際に技術に淘汰されてごっちゃになって消えてしまうのではないかと思えるようなもろい本能的、先天的な感覚でもって、自分の脳の中にあるそういう音楽というよりはフレーズ、手の動きや声帯の動かし方というようなものを録音して音楽の形に作り上げたのではないか、というふうに思うのです。
    おそらくこのアルバムを聴くときに多くの人が感じるであろうどことなく即興っぽいところとか、無意識っぽいところというのは、そういうのが如実に現れたところなのかなと思います。反対に「Foolish Woman」など、あきらかに曲を意識して作られた曲の中にはそういうものはあまり感じられない反面、どこかそういう歌を歌っている歌手になりきって遊ぼうとしているかのようなMujika Easelの姿が垣間見られて、なんだかそれはそれでおもしろい、動機的には変わらないものがあるんだろうなというふうに感じます。

    Mujika Easelの音楽が「別にジャンルジャンルしていない音楽」だとわかったときに、もう1つ気がついたのは、たとえ音楽の演奏者がそういう音楽を目指していたり体現できたりしていたとしても、できた音楽はその演奏者の選んだ楽器や音の感じなどによってファースト・インプレッションは特定のジャンルのかたちで伝わらざるを得ないので、どうあがいても第一印象や、その演奏者がスタイルをかえない限りはそれ以降ずっとその人の印象は、ある特定のジャンルの中に納まってしまうということです。
    よく考えればMujika Easelは「ジャンルジャンルしてない」と形容したものの、同じようにへヴィメタなのにフォークソングをデス声にしたような歌しか歌えないようなバンドや、現代音楽的な感性の持ち主なのに表現はすべてSSW的な領域にしか落とし込めないような人はたくさんいます。それは演奏力がなくて、自分のイメージしている音楽を表現できないからこういうかたちになった、という意味ではなくて、本当は○○のような音楽をしているのに、自分は××のような音楽をしていると思っている、的なことです。そしてまた、本当は○○のような音楽をしたいけど、それを表現する手段が××という音楽しかないから、(それが一番近いので)××のような音楽をしている、という感じの人もいます。Mujika Easelはおそらく圧倒的に後者の部類に属するミュージシャンなのではないでしょうか。

    そう、この「Love & Realism」を聴けば聴くほど、深く響くピアノが、旋律やほかの雰囲気彩り楽器が、一瞬、ふっとMujika Easelのボーカルとは全然関係ないところで、自分勝手に鳴っているかのような錯覚を覚えるときがあります。Mujika Easelの音楽と楽器との関係が乖離する瞬間というか、そういうものがあるのです。僕はここからMujika Easelは本当はこんな音楽をしたがってるのにできないんだ!!みたいな、AKBのファンみたいなあほあほ発言をするつもりはありませんが(というかこの文章全部僕の妄想だし・・)そういう観点からこのアルバムを聴いていくと、そういうMujika Easelの思っている音楽と実際の演奏されてる楽器や歌との間の距離の乖離というものが感じられて、ついにはそこに70年代の初期パンクスの演奏力とイメージが乖離しまくっていて取り返しがつかないぜ、みたいなパンク的なものさえ感じられてきます。そのパンク的な勢いが、きっと上述した「1stアルバム感」というものの形成にも付与している感じがしないでもないですが、なんか聴いててそういう、パンクのアルバムだなと思う瞬間も時々あるのです。

    ではそういうジャンルジャンルしていない、Mujika Easelの「Love & Realism」とはいったいどういう音楽なのでしょうか。
    一見旋律があるようで旋律がなく、歌があるようで歌がない。打ち込みのエレクトロニカを人力でやっているような趣があるとともに、クラシックの室内楽の独奏を隣の部屋で聴いているかのような感覚にもなります。トム・ウェイツの1stアルバム1曲目に近いものを感じるときもあれば、Aphex Twinの『Druqks』に近い冷たさを感じることもあります。ビョークにもスティーナ・ノッテルダムにも似てないと思いますがどことなくマヘル・シャヘル・ハシュ・バズや工藤冬里周辺を彷彿とさせる瞬間もあります(工藤礼子『夜の稲』はこれの対極か同じようなところにあるアルバムだと思います)戦時中のナチス社交界で流れていたかのような哀愁ただようワルツを聴いているような感じもするし、「ふるさと」ばりの童謡を聴いているかのような感じになるときも、ギターのかわりにピアノに持ち替えた女性アシッド・フォークシンガーのアルバムを聴いているような感じもします。ゑでぃまあこんの『あおいあしおと』や一部メンボーズ、二階堂和美とまではいかないけどそこらへんに近い声や音の質感を得ることができます。どちらかというとカラーの世界という感じがすごくして、澄んだ空気の透明感や、初夏の早朝のさんさんと太陽のふりそそぐ感じというものがあります。歌声の風通しのよさにはなんだかJ−POPの最末端を聴いてるような感じにもなるし、フランスのセルジュ・ゲンズブール的なものに耳をかしているような感じがします。全体的に平成というよりは昭和か90年代初頭を感じる音楽で、夜眠る前よりは朝起きるために聴きたくなるようなぴりっとした緊張感があります。クラシックでもなければジャズでもロックでもなんでもないけど個人的にはパンクっぽいものを一番感じます。バッド・レリジョンのボーカルの人が作ったアコギ1本のカントリーカバーアルバムのジャケットを見たときにイメージした音の感じと微妙に近いようなことをやっています。(ちなみにそのアルバムはちゃんと聴いたら機械加工されまくった人工糞カントリー音がゴミみたいにウザい大駄作で、バッド・レリジョンを聴かなくなるきっかけとなった作品です)XTCのアンディ・パートリッジが性懲りもなく出し続けるXTCの未発表スタジオデモ音源集で聴ける『Skylarking』のアウトテイク集のような風情もあります。ラグタイムやロカビリー、カントリーにブルーグラスの要素も感じないでもありません。

    Mujika Easelの音楽はそのような音楽です。
    つまり聴く人のそれまでの音楽経験によってどうとでもその人それぞれのものの感じ方で形容詞を変えられる、それだけ明確に「ギターがカッコいい」とか、「ピアノのへろへろな弾き方が最高」とかいう言葉では終わらせられない、そういう楽器発ジャンル経由の音ではない、ということです。
    まず楽器よりも何よりも先に動作とかそういうものがあって、それが楽器を通じて音になって耳に届いてくる。その音1つ1つの音色や音響がそれぞれ1曲としてCDのトラック分けをしていいくらいまとまっているようでブッ散らかっている、そういう自由で色彩豊かな音楽です。もしかしたらMujika Easelはよくいう「共感覚」の持ち主かもしれません。いや、たぶんそうだ!!そうなんだ!!だから聴き手によってその音の1つ1つの響きでもうジャンルが違うし、だからそれをまとまった曲や音楽の形として伝えられると形容詞がみつからなくて誌的な言葉でようするに「やられた!」という文章をそれっぽく書くか、何を書いていいかまったくわからないからとりあえずオシャンティー文章の最後にそっと「あなたの日常にMujika Easel。」的なことを書くしかなくなってしまう。それくらい1つのまとまった音楽だろとたかを括って挑むと大怪我をする音楽です。音楽というよりは仕草に近いものなのかもしれません。

    たぶんコードで音楽を作ってる人や、録音がどうこうとかボーカルがどうこうとかいう人は、きっとこの人のようなかたちでは音楽に向き合えないと思います。もはや録音されたもの、演奏され、音として野に放たれた音としての音楽が好きな人では、このMujika Easelのような、音よりも前、くらいの段階から音楽をはじめているような音楽にはなかなか到達できないことかと思います。ヘタウマという言葉がありますが、ようはあのウマ味というのは、その演奏者の腕の動作がそういう音に直結しているというのが根本の原因にあります。ダイナソーJrのギターの人の音は極論を言うとダイナソーJrのギターの人の体の動きなのです。そしてMujika Easelの場合は、その動きと音との関係を自分の中で完全に掌握してしまっているような感じを受けます。だからいちいち音楽は感情的だし、ものすごくシンプルな意味で一音一音に感情が篭っている。こういうのって普通死にかけの黒人のブルースのおっちゃんか、アフリカかどこかの意味不明な民族楽器をありえない高速度で奏でてほがらかな癒し系サウンドをかなで続けるようなおっさんしかできないようなことだと思うのですが、どう考えてもMujika Easelはこういうジャンルレスな音の世界の中で、ある程度の作りこまれた雰囲気こそまとってはいるものの、そういうアクロバティックなことができてしまっている・・。なんというかこのアルバム、「Love & Realism」はそういう意味でほんと奇跡的な1枚だと思います。とにかく、ありとあらゆる音楽に聞き飽きた、と堂々と自称できる方にこそ聴いてほしい音楽です。ジャケットや見た目は堅苦しそうな、いかにもマニアックそうな音楽ですが、聴いてみるときゃりーぱみゅぱみゅよりもずっと聴きやすくて、親しみの持てる音楽だということがわかります!!


    ※あとこのアルバムは、ジャケットもイイ!!4面見開き(こういう言い方でいいのだろうか・・)で、一度パッカーンと開いたあと、もう一度縦にパッカーンと開くというナイスな仕様になっています。そしてパッカーンと全部開いた右のところに歌詞カードやライナーが、中央にCDがどーんとあるという仕様です。そういう細かいところへのこだわりもグッド!!

    ※CD、音源は以下のところで買えます!!(ジュリアンレノンのときもこれ書けばよかった・・)

    Shop
    http://www.dear-air.com/shop/lnr.html

    itunes
    http://itunes.apple.com/jp/album/love-and-realism/id319230665

    Amazon.co.jp
    http://www.amazon.co.jp/Love-Realism-mujika-easel/dp/B000EIF8O6/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1339151333&sr=8-2

    HMV
    http://www.hmv.co.jp/product/detail/1393520


    たぶんこれ以外のところでも買えます!!以上久しぶりの長編レビューでした!

k
k