サカグチテツキヨ

グラフィックデザイナー

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大阪府

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http://www.fengfeeldesign.org/
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サカグチテツキヨ

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  • 花形装飾活字を愛でる その199

    http://printersflowers.fengfeeldesign.org/

    西洋の美的感覚と、日本の美的感覚はここにこそある。何故こんなに日本人は外からの文化をフィルターで通して変化する事が出来たのか。その答えが出れば、自分たちはするべきグラフィックデザインに近づけるような気がしていて、おそらく、その答えが「水草」であり「みずくさ」だったんだよね。形である以前に、「さけがのみたい」という文字列にもなんの意味もない。その装飾は人の中にある。というのがボクの見解なんだよね。装飾が形を成すものではなく。人そのものの想いや念みたいなものが、形となったもの。それこそ平仮名に綴じるなら音そのものであるように、元来、日本に存在していたグラフィック的な何かというのは、これが基礎になっているように思う。むしろ見た目の優雅さに逃げた江戸時代後期あたりから、少し違ってきているのだけど、光琳のように西洋的な装飾は装飾でも、その装飾そのものをローカライズする事によって成り立たせている、もしくは、日本的なものにマッチさせているのは逸脱だとも思う。ただそれは新しい何かへのドキドキ感や追求、帳尻合わせであり。本来の日本的な美意識を内包させたとは言えないように思う。工芸としてなのか、生活としてのなのか、そういう点で言うと、文字というのは生活行動、社会行動には欠かせないものであり、それが平仮名のような形になったのは、賞賛に値するが、それらを今までグラフィック的な何かに照らし合わさる事は無かったように思う。というよりかは、独自な違う道を辿ったような気がする。むしろ、日本の各種、友禅等に代表される装飾は、西洋的な「文字」の英字に似ている。それが何かという伝達機能を、それを物質化させた時の美しさのようなものが図案という言葉くくられるなら、なるほど、正しいねという訳である。平仮名は機能的に、そういう点で言うと無視されているように思うし、いささか、西洋画の印象派に近いものさえ感じられるのだ。それを活字としてではなく、グラフィックデザインとして捕らえると、合点がいく場合が多い。「さけがのみたい」、これは単なる文字列ではあるが、同時に風景なのだ。感じたものを綴ったものでもあって、伝達ではないと言い切った方が、文字として存在感が果てしなく高まるし、英字との使い分けや、何故、こんなに平仮名を書体とし、デザインした場合の失敗感、いわゆる、英字のようなセリフ体、サンセリフ体に代表される、各種書体の視点、平仮名を作った時のダサさは、これが記号や形ではないからで、情景や風景のように、それを記したタイミングや誰がという事も含めて、圧倒的に違うものを感じた方が懸命であるように思う。それが何かという明確な答えは、まだ得る事は出来ていないが、というより、得ているが、言語化できていないのだけど。ただ1つ言える事は、「さけがのみたい」のはボクだと言う事だ。伝えたい訳じゃない。だからそれが判読性がどうたらはあんまし関係なく。ボクが「さけがのみたい」という状態を他の誰かが汲み取る動作そのものに、この平仮名という完遂があるのだと感じている。つまり、平仮名をデザインするという事は一体なんなのか、その部分を考えるだけで、平仮名への姿勢が大きく変わるし、今までの平仮名書体という考え方に違和感を感じずにはいられないのだ。

  • プラモデルを撮影するようになって。

    2011/02/24

    制作

    という訳で、ミワくんの作品が第2回モデラーズギャラリーコンペ MGC2 に参加中です。投票お待ちしております。てな具合なんだけど、いやホントよろしくお願いします。テキストのリンクから投票ページに飛べます。まさか、自分がプラモデルの撮影をする日が来るなんて思ってもいませんでした。というのが本音なんだよね。15の時から写真の勉強を始めて、今に至るまで、プラモデルというものを撮るなんて意識さえなかったし、どこか見下していたところもあったんだよね。プラモデルといえばボクなんて小学生の時にBB戦士を作っていたのが関の山だし、中学に入ってからは見向きもしなくなっていた。ミワくんの面白いところは、それが幼稚園の時から始まって今に続いているという事、そして今の作業に繋がっているって事なんだよね。実はすべての源泉がプラモにあるっていう。しかも今もそれが止まらずに続いている。ミワくんの作るという要素そのものが全部詰まっているというか、同じ意識で手を動かしているというか。だから多分、このプラモデルという構築がミワくんにとっての先端のモノづくりの現場なのだと、ボクは考えています。これが元になって、SFシリーズ(アイフォンカバーやデジカメカスタム)やギターへのカスタムに息づいてるのかなと感じていて、その息吹をミワくんの作ったプラモデルを撮影する事で、より近く直に感じる事が出来ているんだよね。写真というのは、作ったものの魂というか、物質として形状も含めて、その意図や歴史みたいなものを撮影者がどのように感じ取るか、そして被写体との対面、ファインダーを覗いた時の感動の部分がその写る像に大きく影響する。その中で、初めて撮影したボールなんかは、最初は戸惑ったものの、撮っていく内に、その深い作りこみにのめり込んでいったのを覚えていて、あの感覚というのは、プラモに限らず、ミワくんの作り出すものすべてから同じものを感じとれてきて、同時に写真は真実を写す鏡でもあって、少しでも荒いところがあると、如実にその真実を映し出すんだよね。その面でいうと今回のコンペ作品は究極たっだ。ある種の生け花に近い感覚を覚えたし、むしろ、生け花そのものだったように思う。ある種の限定的な世界で組み込まれた1つの美として捕らえるなら、このプラモデルもまた、方法論を確立さえすれば、気品あふれる存在として写真に残せるような気さえする。今回は写真は全てストレートフォトで構成し、フォトショップ等で直接変更は加えていません。必要最低限、色味の部分を調節しただけです。それくらい、このモノづくりは良かった。おのずと撮りたい角度、撮るべき角度が導かれる感じ。何を表現したい明確な事と、物体そのものの存在感が合わさって、そのおかげというか、本当に素晴らしい撮影体験と、その完成を見させてもらってます。ぜひ一度、ミワくんの作品を見てあげてください。そして、もしよろしければ、投票いただければなと思います。

  • 花形装飾活字を愛でる その198

    http://printersflowers.fengfeeldesign.org/

    「水草」と「みずくさ」は表裏一体、同じ構成要素で出来上がっている。イメージの階層でいうなら、目に入らないものという表現の方が正しい。「みずくさ」の解説の時にも書いたけれど、一連の平仮名に対する意識というのは、やがて「水草」へと繋がるのは言うまでもない。形を成しているが、それが伝えるのはモチーフではなく、道しるべのようなもの。音にならない音。それは水草が字ではなく形であったとしても認識した事がないという事で、波長を図に表したような目で認識する固体。これがボクの提唱する新しいグラフィックデザインです。紙面上の音という考え方です。物質で言えばレコード盤のようなもの。ただそれはプレイヤーという機械があって初めて成せる技であり、音そのものを限りなく近く再現したものであって、この紙面の音というのは、視認出来る音の事を指します。何を見るか、それを何と見るのか。これは限りなく東洋、とくに日本のグラフィックデザインの為の提示であり、従来の花形装飾活字が西洋的なグラフィックデザインなのは言うまでもありませんが、これこそが、私たちが扱うべきグラフィックデザインの在り方なのだと信じています。何故、ボク達には土壌がないのか。これがボクがグラフィックデザインに対した時の初めての疑問でした。学問ではなく、技術ではなく、生命としてグラフィックデザインに対するという事はいかなるものなのかという、行き着いた1つの答えなのです。島の外の文化を常にリミックスをし、常に良い様に使ってきた日本人だからこそ出来るグラフィックデザイン。単に輸入してきてそのまま使うのではなくって、自分たちの土壌から出たものを平仮名が作られたように、グラフィックデザインも生み出したという訳です。

    『フェイスブック版「花形装飾活字を愛でる」よろしくお願いします。とくにfengfeeldesignにてデータを受け取っていただけた方の使用レポートや、質問、ご相談を投稿していただけたらなと思ってます!お待ちしてます。 http://on.fb.me/g3qecm

  • フェイスブック版「花形装飾活字を愛でる」

    よろしくお願いします。とくにfengfeeldesignにてデータを受け取っていただけた方の使用レポートや、質問、ご相談を投稿していただけたらなと思ってます!お待ちしてます。

     http://on.fb.me/g3qecm

  • コンペ作品を撮影しました。

    miwakazuki product project の活動フォローとして、コンペの為の作品の撮影をしました。現在、撮影した写真にて、WEB投票が行われています。死角のない意図に沿った写真になったかと思います。プラモデルのコンペではありますが、がんばって撮影したので見ていただけると嬉しいです。そして、もしよろしければ、ポチっと投票していただけると、なお嬉しいです!よろしくお願いします。

    ↓作品のページ
    http://www.modelers-g.jp/modules/myalbum0/photo.php?lid=513

  • 花形装飾活字を愛でる その197

    http://printersflowers.fengfeeldesign.org/

    ここで改めて、しつこいようだけど、文章の寄稿をお願いしたい。最初は3000文字だし、すぐ来るだろうとふんでいたんだけど、これが案外来ない。感覚としては、手軽には書けないが、決して労を伴なわない文章量かな。中には長く書いてくださる方もいらっしゃいますが、でもまあ、10000文字と言わないだけカワイイもんだなと思ってくれれば幸いなんだけどなあ。だってオイラにとっちゃ、ほとんど丸一年の作業を文章3000文字で分けようってんだから、身を切る想いなのは察していただけると凄いうれしいんだけどな。だって3000文字だよ…。2時間あったら書けるんだけどなあ。是非挑戦してね。それはそれとして、単に、いろんな人の考えが終結してるのって面白くないすかね。人の想いは単一じゃない。少なくともこの花形装飾活字のデータを欲しがる人ってのは、それが趣向か、少なくともグラフィックデザインに興味がある人間だよね。ていうか、花形装飾活字でこんなネットの辺境へたどり着いた時点でそうなんだろうけどwボクは知りたいです。本じゃダメだと思うんだよね、だってあれってなんだかんだいって限られた人の文章でしょ。会話もダメだと思う、そんな長い時間 1人の人間の話なんて聞けないもの、どこかで絶対意見しちゃう。なによりも自分の蓄積もミックスしちゃうしね。わかるかな。著名じゃないスゲーやつの話が聞きたい訳です。そしてそれを大勢で共有したい。会話という名の音じゃ、その場のものになっちゃうし、俺の仕事みればいいじゃんってのは無し。そのバックグラウンドが知りたいの。それが3000文字だとちょうどいいんだよね。提示する訳でもない。自分という紹介と展望にはちょうど良い長さ。将来的には 100人ぐらいは集めてたい。そしたら、20年後くらいにカルチャーの洗い出しが出来ると思うんだ。あの時はどうだったかをアウトラインじゃなくって、あぶり出ししなきゃいけない部分を棚上げして共有する事が出来るっていう。そしたら、今を知らない20年後の人たちが蓄積としてのモノづくりがデザインという行動が可能になると思うんだよね。ボクの20年前の人って言ったら、単純に20歳上の50歳な訳じゃないですか。今でさえ、そういう人達との会話は難しいと感じているし、実際に会話として成り立つかどうかが怪しいんだよね。結局そしたら、書籍を漁るしかない。著名人の?偏った知識?断片?こういうのって大きなヒントが隠されている。今だって実際に寄稿していただけた文章を読み返しても発見がたくさんあって、自分では考え付かない、行動が難しい事柄が十二分に記されている。これはホント凄い事なんじゃないかな。文字は伝えるだけじゃないぜ。「残す」役割もある。何を残すか、それは書く人間の想いや気持ちだったり思考、状況なんだけど、それを現在においてでも共有する事は大きなパワーだし、それが20年後、30年後になるにつれて、その価値は高騰すると思うんだよね。なによりも個人を残すデータベースとして、是非手伝っていただけないでしょうか。その中でもボクは花形装飾活字というものをデータ化し、配布している。それに呼応した人達がどんな人だったのか、花形装飾活字というグラフィックデザインの祖みたいなものから繋がる一つのグラフィックデザイン史みたいな現代版を一緒に作って欲しいです。お待ちしてます。

  • 花形装飾活字を愛でる その196

    http://www.fengfeeldesign.org/

    うーんうーん何書こうかな。最近、依頼で花形装飾活字を使う機会が増えてて、凄く有難い感じなんだけど(今度ギターの装飾に使うかも)、もしかしたら思っているよりかは、抜きを加えて使ってあげた方が現代にあってるような気がします。エンスヘデのやつにしろ、普通に使うとちょっとしんどい感じなんだけど、少し空間を空ける感じで、2,3個装飾を減らしたりバランスを整えると、なかなか使える感じでいいかもしんないです。その方が、なんか喜んでもらえます。歴史とか正しいとかの理屈うんぬんの前に、ボクの場合だったら作ってあげる人がって事になるんだろうけど、その人と共有する何かが先頭に立ってこそな気がします。なんかこう、底辺がないと主張を繰り返す、なんともエゴなグラフィックデザインが出来上がりがちですが、それが何に向いてのものなのかという点では、ボクのしたかったグラフィックデザインの在り方に花形装飾活字は凄く近いんですね。なんというか、どっちかだと思うんですよ。対象がパブリック的なのか個人的なのかで、それを使う目的や考え方が変わってくる訳だけど、ボクの意識は個人に向いていて、それがなんともハマったんだよね。だからなのかもしれないけれど、収益を所有したくないという姿勢になってしまって、凄く苦労していますwむしろ所有しない収益という在り方に考えは進んでいますが、その収益がボクの生命活動のなんたるかによって左右されないものであって欲しい訳です。それがボク個人のものではないという考え方。重要なのは何が個人の所有であり、それがどのような経緯で手に入れたものなのかという事なのだと思います。お金で買えるものは一見、なんでもという概念がありますが、残念ながら値が付いていないものが価値を付け辛くなるという現象も同時に抱えています。売る側が商品の価値を定め、必要な単位を所有していく。しかもそれにはリスクが売る側に課せられてるっていう。なんの話やねんて感じですが、これがグラフィックデザインが取り巻く、社会や経済の状況に大きな影響があるように思います。もし、この花形装飾活字が活躍する時があったとして、例えばOLDTYPE001がここでは5000円という価値で売っていますが、本来の価値というのはボクが定められるものではないと思います。例えばですよ、これが100円だったら、無料だったら、あなたはラッキー♪と感じて買うかもしれない。そうなった時にその価値が正しいのかというところは、無視しちゃってる訳です。別に50000円でもいいと思う。エンスヘデに関して言えば100000円積まれても売らないみたいな。残念ながらテメーで金作って活動出来るほどに、人の単位として個人が力を付けてしまっている。お金を払うという事は渡した相手に借りを作る事。お金という代用品を使って、物質を所有するという行為。重要なのはお金そのものに価値があるというものではない。価値はモノにこそある。それがつまり花形装飾活字を底辺にしたグラフィックデザインという事になる。お金を払ったあなたは、そのお金でボクの為に何かをしなくてはならない。その凄い広いバージョンが現在の経済ってやつなんだろうけど、広すぎるせいで、お金そのものに力があるように、価値があるように見えてしまっている。だからボクはお金が嫌いなんだ。お金を出せば、それはもうあなたのものだけど、同時にボクに借りを作るというリスクを負っているという事になるから。だからこそ、文章を書いて送って欲しい。文章という一定の価値基準があるものをボクに渡す事で、貸し借り無しの取引が出来る。以前に裏ルートを設置していたのはその為です。出来ればこの花形装飾活字ではお金による取引はイヤだったんだよね。でもやっぱ生活するのに必要だから設置しているけれど、本来はやっぱ文章を書いて送って欲しい。あなたの書く文章はあなたの産んだ価値でもある訳で、他人から渡されたものではない。知らない人の価値を受け取ったところで嬉しくないしね。出来れば本人が作り上げた価値で取引がしたいです。残念ながらボクはお金にはなんの価値を感じていない。何回も書いて申し訳ないが、生活にどうしても必要だから、花形装飾活字との取引という形にしているけれど、花形装飾活字を買ったと思わないで欲しいかも、出来れば、ボクがこの花形装飾活字にかけた時間給だと思ってください。あなたの為にこの時間を尽くしたのだと思ってもらっても結構です。お金がダメなら、文章を書くという動作にかかった時間で相殺してください。お待ちしてます。どうかよろしく。

  • 花形装飾活字を愛でる その195

    http://www.fengfeeldesign.org/

    なんだかんだいって、初めてのOLDTYPE001を仕事で使えるチャンスに恵まれまして、あーだこーだと使いまくってます。うむうむ思いの他クルクルする感じが前面に押し出されるのだなあ。出来るだけ軽い感じに仕上げたつもりだったんだけど、まあ、あくまでも想定していたよりもという範囲だけどね…。使っていて面白いなあというのが正直な印象。これは面白いです。圧倒的なルールを与える事で自然と導かれるように組めるという事がわかった。これこそ自由。デザインにおいて自由とは制限を与える事。その行動を際限なるまでに単純化し、考えられる全てを縛る事にこそある。その行動があってこそ、デザインにおいて自由という選択肢が用意される。作るという事そのものは自由であってはいけない。使用にこそ自由は用意されるべきであり、つまり花形装飾活字は「使用=作る」なのだ。作るという行動を自由にするツールが花形装飾活字にはあると思う。ボク達が与えられた自由とは、各種ツールや技術があってこそのものだ。ならば、作るという二次的空想論の中にも、ツールや技術を駆使した構築があっていいように思う。とくにデザインの初動は用意された自由以外の選択肢は与えられない。だとしたら、デザインという目的、技能において必要な事柄を、それらの項目をいかに自由に構築するかに注いだ方が明確に、その使命をまっとう出来るのはないかな。OLDTYPE001そうやって生まれたツールです。何回も書いてしまいますが、装飾はパターンでしかないんだよね。どうしても装飾の美しさや綺麗さばかりが目に付いてしまいますが、もちろん、その観点で使用する事が何よりも望ましいのですが、花形装飾活字というのは、ボク達にそれだけでは装飾と言うのは構築出来ないのだよというのを、物凄く教えてくれます。これは本当に素晴らしい事です。美しいや綺麗を感覚的な部分ではなく、知恵の部分として、それを構築出来る。偶然的に出来たものではなく、何が偶然かをも明確に指し示してくれる。ボクは、このOLDTYPE001を使っていてつくづく思い知らされています。今回、仕事で使う事になって、ここまで仕組まれて計画された装飾である花形装飾活字にとって、何が偶然という要素を形成しているのかというのが、物凄く、手に取るように伝わってきていて、作るとはどうあるべきなのか、グラフィックデザインとはどういう姿勢で臨めばいいのか、まだまだ勉強出来る余地があるのだと確信せずにはいられないのです。作る仕組み、根本。そしてグラフィックデザイン。まだまだこれからです!と言いつつも、やれやれ…この考察はいつまで続くのやらと思いつつなんだけどwリンクの文

  • 花形装飾活字を愛でる その194

    http://www.fengfeeldesign.org/

    簡単な話です。何を解説すればいいのかなあとずっと思ってて、言葉で喋るよりも見てもらうのが早いのかなあと思いました。実際とこガイド通りに組めばいいし、そんなにたくさん使わなくても、1種類でも装飾のパターンが構築出来るという優れものです。装飾、というよりも、ボク達が勝手に装飾と認識している形態と言ってもいいけど。まあ、こんなの形式でしかないしね。せいぜい頭と視点で制御出来る装飾のパターンは4種類程度、それを超えると一気に崩壊する。その4種類でいかにパターンを構築し装飾とするかが鍵になるかと思います(一応OLDTYPE001の解説です!)。どうしても仕組みの理解が浅いと、個々の完成度から1つとして装飾を組み立てようとしてしまいますが、それは花形装飾活字の全否定であり、重要なのは装飾の完成度ではなく、それを構築する、4種類がいかなるバランスを保っているかという点に集約するのではないかと考えられます。単に並べて綺麗ならいいじゃないかとボクは思いますが、出来れば思慮深いところで観察していただき、グラフィックデザインを楽しんでみてください。よく考えたら、ボク自身、これで遊んでる最中だしね。なんかやっと分かってきた感じ。そういう意味でも、出来れば別の人が作った花形装飾活字というのも使ってみたいんだけどね。個性やイメージを超えたグラフィックデザイン、自分じゃ作りえない土俵でのグラフィックデザイン。しかもそれをグラフィックデザインという共通認識で行なえるという。本当はこういうのは1種類だけ持っていて、それを色として勝負していくってのがセオリーなんだろうけど、なんかもう、この花形装飾活字的に言っちゃうと、そういうやり方は古いというか、どんなけエゴでデザインしてんだテメーらっていうwもっともっと主義や趣向以外の状況で生まれたイメージの中で使われる花形装飾活字を作っていきたいもんです。もっとミニマムにもっとクローズドで。本当の面白さってのは懐にしまっておきたいもんです。

  • 花形装飾活字を愛でる その193

    2011/02/08

    制作

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    むむ、なんだか見本ばっかなのも気が引けるのでなんか書く事にする。うーん、何書こうかな、まったくのノープランだからなあ。解説しようと思っていたのだけど、なかなかそれに向けた時間がとれないしなあ、かろうじて、組み見本てな具合なんだけど、でもやっぱ、知恵にも層があって、なんとも、この配布プロジェクトに関していえば、有償無償関係なしでサービスでもボランティアでもないんだよなあという事です(どういうこっちゃ)。是非、立ち向かってきてください。そしてわからない事があったら、グラフィックデザインの分野においては色々と相談に乗る事が出来るよ。それが依頼であっても、作る時の疑問であっても、それは変わらないです。なんというか、こんなのデータでしかないし、結局は使う人間の面白さにこそあって、もっと言えば、これを理解し知を深めさえすれば僕なんていらないんだよね。もしくは、このデータでさえいらないものになる。だってこんなの自分で作ってしまえばいいんだもん。これが、この花形装飾活字を使って金儲けなんて考えてないです。本当に金儲けしようと思うなら、こんな安い値段で売らないし、もっと違う方法でアプローチしています。別に配布する事が主の目的でもないとも言っておきます。もちろん趣向として面白いからやってるという一面もあるけど、それを掲げてやっているというものではありません。ボク自身が、作る事を作る側に提供する立場に立ちたくないんだよね。どちらかというと、これを手にした人と同じポジションでいたいんです。作る事が作る側のものだけであっていい訳がない。出来上がりの完成ばかりを手に入れて嬉しいですか?その点でいえばデザインは諸刃の剣でもあって、手に入れる側の知恵を押さえ込んでしまっている傾向にある訳で。消費者がバカであればあるほど、金は稼ぎやすいもんね。それだけはホント避けたいです。ボクの理想はどの地点においても消費者を作らない事です。全ての人間が使用者である事です。誰も買わない、買う事がない、売れないモノ作りが原点です。そういうヒントも花形装飾活字に隠されていると思ってます。作り方が変わるという事は売り方や、お金の発生の仕方が変わるんですよね。それこそ持続可能なデザインとは何か。の答えに凄く近いし、根本的な構造は、提供する側が腰を低くする事じゃない。どれだけ分かってるやつと行動を共にし、生んでいくか、今の広いフラットな構造では何も生まれないし何も発生しない。お金という基準では知恵が反映されないと思うんだよ。お金で反映されるのはせいぜい価値であり、それそのものの根本を表わすものではないんじゃないかな。もっとミニマムに、狭いフラット世界をまず作る事。それが、この花形装飾活字をウマク使うコツだと考えています。だからこその文章3000文字です。知恵こそが対価であり、いっそ、1文字10円でもいいけれど、そんな気持ちで送っていただけると嬉しいです。自分でお金を作り出してみてください。自分自身の手で価値を生み出し、それを対価として、この花形装飾活字を得てみてください。お待ちしております。あれ…oldtype001とは関係ない流れになってしまった…。ま、いっか。

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