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2010/10/07
中学新聞で「ルーアン」をよく見ていました。いつまでも報われないけど、歳を取っていない。同級生のアーロンへの伝わらぬ恋。サザエさんたちがそのままであるように、ルーアンはおもしろかったです。
「ズッコケ」シリーズは、主人公達の中年期にまで入り込んだようですね。ひとえに、編集者と先生次第でしょうか。
2010/09/29
昨日の敵は今日も敵
今日の友は明日は敵
ゆめゆめ忘れるべからず
競争社会は足の引っ張り合いだ
人の成功は許せないけど、自分の成功は許してくれ……
きたないものである。
2010/09/28
2010/09/28朝日新聞夕刊から。中心になっている店の名前が「ルシファー」。ちなみに私が乗っている車の色も「ルシファーレッド」塗色。浅からぬ縁を感じて書いている。ミカエルでないところがミソか。
さておき、私が宇都宮をたずねたのは、那須塩原に行った帰りのこと。餃子をたらふく食べた。そのときにいっしょにいた職場の友人は、もうすぐ小学生の子どもを持っている。いまだにひとりきりで、出世競争では皆さんに追い抜かれた私。出会いを求めて様々なブームに乗っかってみたけど、却って傷を拡げただけ。
祖母を迎えに行くときに乗った新幹線も、宇都宮は通過。そうか、そこでそんな試みがあったのか。成婚カップル5組とか。うちにかえって、夕食後、マーラーの交響曲第6番を聴きながら。インバル指揮、フランクフルト放送交響楽団のCD。副題は「悲劇的」(Tragische)。アルマは社交界のやり手だったらしい。マーラーの孤独を感じる。なかでも、終楽章の中の「ベネディクトゥス」がいい。
またしても、「山上の垂訓」から。
だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。
(新共同訳『聖書』マタイによる福音書 / 6章 6節)
2010/09/26
しろうとなのにプロ仕様のものばかり買って使う私。使われている?
ともかく、それまで手持ちはFAVOだったのでかなり感触の違いがあります。ひとこと。イラストレーターで鉛筆画が描きやすい!どうもタブレット付属のショートカットキーよりも、キーボードのコマンドキーやオプションキーのほうが使い勝手がよく、ワークフローも何もあったものではない状態ではあります。
でも、キーボードショートカットは外せません。書き味はさすがワコム製といったところです。満足度80%。年賀状コンテスト作品は、1〜2時間で仕上がってしまいました。
2010/09/18
このことわざ、猫派の人たちには気にくわないことだろう。でも、面倒だからと野山に放ってそのままという人たちにも事情があるのだろうが理解できない。いつもお世話になるユースホステルの近くに、動物愛護施設がある。愛護というのも表向き、体のよい安楽死施設に他ならない。そこから二匹、ユースの人は引き取って大切に育てている。会えばいつも、互いの飼い犬の話になる。
では、12日飼えば12年恩を忘れないということか。メタファーのおもしろいところはそこにある。
イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。
(新共同訳『聖書』マタイによる福音書 / 18章 22節 )
これは調べればインターネット上至る所にあるのだが、決して490回まで赦しなさい、ということではない。無限に赦しなさい、という意味らしい。限りなく、である。
もともと、新約聖書の特に神の国の例示というように、あくまでも「例示」であり、黙示録にあらわれる生々しい「真実」ではないようだ。その意味で、メタフォリカルということは聖書に起源を持つように思われる。漢字文化の日本語は漢文の影響を受けており、「怒髪衝天」とか「白髪三千丈」と実際にはありえないことまで漢文から持ち込まれた。外国語としての現代の日本語は、その起源はやはり我々の知りうる限りにおいてせいぜい明治時代以降である。言語的な真実は、歴史学がそうであるとおり、悲しいかなその時代の為政者に都合のよい形となってしか、我々の目の前にはあらわれない。
大仰なことを書いてしまったが、柴犬は生きて十年から十五年、私も飼い犬の柴犬も人生の半分を過ぎてしまった。致命的な事故や病気のない限り私が柴を看取ることになるが、生きている限り愛したい。今日も仕事、でもこのルーチンは楽しい、これから散歩に行ってくる。
2010/09/11
最近、仕事の限界を感じている。いまの仕事への適性に私の能力の限界を感じる。
総務や庶務担当から見れば、私は末端の仕事ばかりだった。いまもそうだ。これで15年。時は命の浪費でもあるが何より、心つまり魂を消耗する。狭い水槽に育てられた金魚はそれなりの大きさにしかならない。これは、仕事でも同じだ。横にも上にも行けない。つまり、間接的に「辞めろ」ということである。
何かの間違いで大金が入ったら、もう一度、自分のこれからの人生を考え直してみる。悔しいけれども、これ以上、魂をすり減らすわけにはいかない。人のためになるにはどうしたらいいか、もう一度考え直してみる。妻は未だないが、親戚からいろいろと助言を受ける。精神的にも、管理職は無理だ。よくぞここまで平に据え置いてくれたものだ。見事な采配と言うよりほかない。私は金魚ではなくメダカだったかもしれない。水槽に応じて大きくなれない。間違った道を選んでしまった。自らに無理な要求をして。
2010/09/05
「和僑」の記事。東大卒のサラリーマンが日本に見切りをつけて上海に一家総出で引っ越して働いているという記事。150円で夢どころか悪夢を買っているようだ。宝くじ売り場で100円で夢を買う方が現実的だ。
「僑」の人偏を馬偏に変えるとどうか。ご想像に任せたい。女偏に変えると、どうか。先日の仕事帰り、部活帰りの見知らぬ女子中学生達が私の真後ろで叫び、しばらく頭が痛かった。
私も「暗い顔をして電車通勤するサラリーマンたち」のひとりだ。不本意ながら。
いつからこの新聞、プチブルの味方をするようになったか。私の父の家庭は、地方の労働者一家だった。新聞名を出すとブランド名が強すぎて差し支えるので、敢えて出さない。親子代々、毎日欠かさず読んでいる。東京の地方紙系の雑誌にも、「アウトドアのたき付けにブル新を」と揶揄して書かれて久しい。それは認めざるを得ないが、労働者の味方はどこへ?それでもなお、他紙にスイッチするには遅すぎた。持ったことはないが古女房と割れ鍋に綴じ蓋状態である。腐れ縁と言ったところか。
では、私のような貧乏人はどうなるのか。戦時中・戦直後なら、大変なことになっていた。絶滅収容所送りか、それを免れても連合軍の連日連夜の爆撃の犠牲になるか、ソ連兵に追われてシベリヤ送りになるか、である。天才科学者のように亡命することの出来なかった庶民は、戦争の犠牲になるしかなかった。ホームレスで食うや食わずやというワーキングプアの生活が現代日本には存在する。麦を食わされる方が何も食えないよりましである、貧乏以下の生活。残念ながらそれが現実問題だ。そういう失言をした先達を系譜に持つ、青い鳥を追う東西の秀才達にはこの気持ち、分かるまい。
2010/09/04
入院中の父を見舞った。私自身、午前中は通院があり、その足で向かった。その帰りのこと。中学受験塾「双璧」の一つのサッチェルをかけた女の子がバスを待っていた。都営バスは先払い前乗り後ろ降りだ。私は普段、後払い後乗り前降りの神奈川中央バスを使っている。その子はいつの間にか、まばらにバスを待っている人たちに紛れて、先頭に入っている。
しかし、そこで驚いてはならない。終点の駅でその子はバスの後ろからドアに向かい、前にいた私と降りる順番が一緒か一歩先になっていた。そういえば、職場の同期は気づかれぬようにして、一歩も二歩も職位が上になっている。父とも話したが、あの手の同期とは関わるなとのことだった。
帰りの電車に乗ると、行きと同じ駅で特急の通過待ちだった。普段から優等列車に乗ったことのない人に、どこが特急の始発駅で、どう切符を買ったらよいか、何時でどこ行きか、聞いても分からないだろう。私が小学生の時に、小学生新聞を読んでいたとき、ある塾のキャッチコピーに「人生のグリーン席へ」というものがあった。ただ、切符を買いたくても金銭的な問題で買えない人たちもいる。格差はいけないようで実は、このようにして代々、国立大卒の官僚や政治家、地方公務員、農協職員、その他会社員・自営業、無職等、いろいろあって、それぞれの階層で暮らしている。その階層の中にも上の方下の方と細かく分かれている。
小泉改革ではセーフティーネットが外されたことが問題になっていたが、私は最近、そういう問題ではないと思っている。芥川がカンダタに寄せた思いとは実は、そういうところではなかったか。「人を蹴落とすよりも(苦しみながら)つましく暮らしなさい」と。たとえば、通っている大学の研究室にある日突然、小中学校のいじめっ子が土足でとび職・あんちゃんのような身なりも構わずずかずかと入ってきたら、どういう気持ちか。実際、間接的にではあるが、私は以前、学校で仲間はずれにされ続けてきたことがある。そのため、そうした過去を気にしている異性の後輩達には避けられた。別に彼女たちに悪さをしたわけでもなく、むしろこちらが被害者なのである。
悪いことに、私が一番好きだった、ウィノナ・ライダー似の子に熱を上げていると、彼女の女友達の兄が私を仲間はずれにするリーダー格であることが、私が振られてから分かった。そのようにして、いまでは二児の母の彼女と当時、一緒になることは許されなかった。私と彼女は進学校の高校でも一緒だった。そこの高校の国語の先生はその辺を、年の功か私に、島崎藤村の『破戒』を読みなさいと勧めた。いまもって、丑松と十代の私を重ねてみるたびに、世の理不尽がにじみ出てくる。丑松は忘れていない。そんな相手に気に入られなくても良いと開き直る前に、心の傷がうずく。
挙げ句の果て、職場のインターネット掲示板で、私の名前が当て字ででているよと知らされ、読み、後で愕然とすることになる。なぜなら、職場の昇任レースで二歩も三歩も同期はおろか後輩にも抜かれることになってまる5年である。その間、計算すると手取りで160万円も差が出ているのだ。もっとひどいことに、私の郷里のインターネット掲示板でも、じつは私は仲間はずれにされるように中傷されて、戻るところはなくなっていた。
小中学校の友達とよりを戻したくて、一年以上前の5月、橋本で飲食のみのデートをした。相手も楽しみにしていたようだった。しかし、25年のブランクはきつかった。その後彼女から一切音信は途絶えた。別れ際、彼女はコンコースへの階段の数段上から私を見下ろす形で「はるくん」と呼びかけていた。後で父から聞いたのだが思い出せず、そうだったのかと考えるばかりで、私は小学生の頃愛称で呼ばれることをいやがっていたらしい。いま大学受験生のいとこも私を愛称で呼ぶが別に違和感はない。空虚な悪意だけが橋本の空に残った。相模原市指定都市移行一年前だった。気づけば未婚の40代(男性)、ひとりでできることの限界をことあるごとに感じる。
さて、渋谷のヤンキーが一人前の医者になるまでを創作したドラマも存在するが、あくまでもドラマはドラマ、現実とは違うのだから、人々は安心して被疑者とかになる怖れもなく安心してテレビを観ていられる。これが、私がテレビを観たくない理由の一つだ。現実はあまりに残酷すぎる。絵空事を観るだけ時間の無駄だ。ひとりでも多く、学校やインターネットで仲間はずれになった人たちの心が救済されますように。
2010/08/30
どういうわけか、ブラニフカップまで自作してしまった。実際にはないけども、エスプレッソカップは存在してオークションにもかけられていたらしい。というわけで、今日は「幻」ということばについて。
このことば、時間軸的に見ても「いま」は存在しないものを指す。「幻の航空会社ブラニフ」というとき、「かつて」存在したものを指す。形になる前に立ち消えになった場合も「幻の法案」などとも新聞は書く。こちらは「未来」にはありえないことを指す。
国語辞典を見ても見当たらない定義というのは、夢幻のようにメディアにあらわれては消える。「語用論」をやっている醍醐味も薄れる。現代の人類の記憶は、紙や革に記されることもなく、磁気嵐があればはかなくも消える運命にある。
2010/08/23
職場には口うるさいが、敵に回さなければ上々の上司がいる。その人は、いつも、なにかいわれるのではないか、だめ出しをされるのではないか、と内心びくびくしている。その裏返しか、私たち部下に攻撃的になる。係長を頭越しにである。係長も受け流している。
きょう、自宅なのだが外部の人たちに連絡を至急取らなければならなかった。そのとき、ああいわれたらどうしよう、通じなかったらどうしよう、そう考えてしまった。待てよ!それは、上司の口癖じゃないか。私自身、失敗せず仕事がうまくいっているときは、上機嫌で何とも思っていないのに。
つまり、ボスの言うことを無意識のうちに真似しているから、楽天的になれない。マイナスイメージで接してきたら、プラスにするには自分で心がけるしかない。上司が替わるごとに、振り回されてしまう心理状態なのである。強気に出られないのは、半分は組織風土、もう半分は受け手の私自身である。先日、自分を大切に出来ないと他者を大切に出来ないと書いた。そういうことなのである。能動的、積極的に行動できない、それは半分は自分の責任なのである。そこを意識するとどうなるだろう。また試してみたい。