HARU WORKS(柴山晴)

イラスト・日記

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神奈川県

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    ああ、仕事柄の癖で、タブでカーソル飛ばしちゃった。

    グルーミーですが、カゲキなのですがやっぱりいいです。このムービー、激Mじゃないですか。顔面蒼白になるまでやられても口角がわらっているとは。筋金入りのグルーミー飼いですね。文字通り、手に汗を握ってしまいました。いや、ほんとに手のひらが脂汗でべとべと。

    この前の回に瞬殺グルーミーを載せておきました。こちらもどうぞ。ツインもお好きでしたら気に入っていただけるでしょう。

  • Pinterest

    http://pinterest.com/shibayashiki/
    こういう便利なサイトもあるんですね。おすすめです。

  • トラベルライター

    こういう陽気は、自分でハンドルを握らずに、路線バスにゆられて街から山の中へ最前席でゆられて行くのが似合っています。身体を張って取材旅行。これまたいいんですわ。

    きょうは、こういう所へ行ってきました。

    題して、オギノパン名物揚げパンを探して。半原(はんばら)からはんぱなくきつい国道を30分登って歩き、揚げパンゲット。うまーい。

    今日はこれだけで終わりませんでした。服部牧場へ。ジェラートを食べていると、居着いたネコがわたしのジェラートを恨めしげに見上げてます。あ、僕が好きじゃなかったのね……。集まった人たちの子供がネコをしきりにかまってます。

    つづきはこちらでどうぞ。ドイツから来た人たちも宮ヶ瀬一帯を散策してます。
    http://sagamihara-sight.blogspot.jp/

  • 「はだしのゲン」作者逝去の報に接して

    初めて眼にしたときはわたしは小学生だった。あの衝撃は忘れない。父親世代もまだ戦時中のことを(しか)知って(知らない)いた。しかも、父は長崎の近辺の出身であり、原爆とはどういうものかあとの世代よりも鮮明に覚えたように思う。

    学生の頃にそのマンガがアニメーション化され放映されていた。思い返すと本の時よりもバックに流れるリアリティーが保たれていたかどうか、と感じることもある。

    それからさらに時は流れてこの国の核武装化の危険、原発事故の収束しない現実。中沢先生安らかに眠ってくださいというには酷かも知れない。憶えていること、それを伝えること、それを受け取ること。どれが欠けてもいけない。

  • 昼食の定食から鶏肉が消えた日

    きのうから職場の定食で、鶏胸肉のフリッターから牡蠣フライになっている。

    いや、こんな高級なもの食べ続けていいのかしら。

    モスやケンタの前を帰りながらはっと気づいた。世間はクリスマス一色。クリスマスといえば、鶏肉料理。

    こういうところで季節の変わり目を感じるとは。この時期は鶏肉が仕入れにくいから苦肉の策として、牡蠣フライが出るのだろう。たぶん、24日ぐらいまで牡蠣フライ定食かも知れない。

    慣れないと消化不良を起こすこともあるんですよね。

  • 551蓬莱×パルナス=最強

    オダQ百貨店のメールマガジンを見て、「これは!」と仕事の疲れも忘れてひらめいてしまいました。

    あるSNSの旅仲間の友人が中村メイコの「パルナスの歌」をすすめてくれたのを思い出します。サビの後にロシア語が入ってくるあの歌です。

    で、今日の551蓬莱です。豚まん10個入り約2,600円。たぶん、量も多すぎて家人と二人ではケースの半分も食べきれないかもしれません。最寄りの新横浜から新幹線に乗って新大阪まで旅する思いをすれば、安いでしょう。ああ、金はそんなに要らないから5日間ぐらいの休みがほしい……。

  • 避けて通れない道〜ダウンロードファイルをめぐって

     先日は喪中ハガキを二種類アップしました。慶弔とはいいますが、人は生まれてくるということはいつか必ずいなくなっていくということと表裏ですので、喪中ハガキは避けて通れないアイテムになってしまうわけです。
     毎年この時期になると、この歳になるとおじやおばが、櫛の歯の欠けるようにひとりまたひとりといなくなってしまうわけです。やっぱりそれだけわたしも歳をとってしまったということでしょうか。
     父の入院の度、病棟の中庭からNICUのある病棟に目が行ってしまいます。なかで保育器をてきぱきと消毒する看護師。生まれて間もなくいなくなってしまう子もいると、中庭に出る度私は思い致します。いなくなることに順番はないのだ、と。お盆の時秋田の親戚のうちへ連れて行かれたときも、近くのお寺のお堂で若い人の遺影があることに幼心に引っかかるものがありました。何十年も前の若者、数年前の若者。
     親より先になくなるのは親不孝ともいわれますが、自死する人が「先立つ不孝を」というのはこの意味なのでしょうか。仏教ではこのようなことを「逆縁」ともいうそうです。
     私がいなくなった後の喪中ハガキ、今一緒にいる親戚のどの人が出してくれるんでしょうね。その分、生きている限りは親戚を支え続けたいと思います。

  • 「なぜ、気づかない?」

    あの映画がブームになっても、町田の映画館はがらんどうでした。

    先日、その通りを仕事帰りに歩いてみると「町映」の名はビル名に残っていました。なぜ、映画館がないのに「映」なのか。

    そのタイトルは、「マトリックス・リローデッド」でした。三部作最後の「レボリューションズ」はなぜか観てません。

  • 遅ればせながらスマホ使い始めました

    電池の減りが激しいのも気にはなります。でも、どんな地方へ行ってもアンテナが立っているのでD社のにはいつも助けられています。

    で、Wimaxですが解約しました。違約金付きですが使わないときの方が多いのでプラスマイナスゼロです。

    やっぱり、打て打てシ○ホのレトリバー入り車内広告に刺激されて、スマホですね。テザリングも出来るのでiPad持ち歩いても可です。

  • あきらめるのもじつは他の希望がある証拠

    本業ですが、なんというんでしょうね、不在証明を追って不作為を残す人たちに閉口します。結論先に言っちゃいますね。私が思うに、人間、時間は限られているのだからやりたい仕事が出来るかに生き甲斐かかってます。

    先ほども家人と話したのですが、両親とも高齢でいつ最後の日かわからない、予測がつかないというわけです。予測どおりしねる人は少ないかも知れません。話の中で、母方の60過ぎの嫁が末期ガンで程なく逝ってしまったエピソードも出ました。けっこう、乗ったまま車を立木にぶつけたりとか、後日聞いたところだとかなりやけになっていたそうです。

    「死の受容の五段階」もわかるのですが、わたしも含め、決して生きることに絶望してはいないということです。「絶望」とは読んで字の如く、望みがゼロになってしまうことではないでしょうか。ゼロより下は?わずかでも望みが残っていれば、それは絶望ではないかもしれません。

    「息をする限り、望みを持つ」(ラテン語の格言)

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