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2015/10/19
学校へ行きたくありません。
同級生にいじめられるから。
友だちなんかひとりもいません。
みんな、私を軽蔑するのです。
血が汚れている、と言うのです。
私の血が不純だ、と。
泣いたって誰も同情してくれません。
涙も汚れているはずだ、なんて言われます。
くやしくて仕方ありません。
この前なんか、ひどいんです。
担任の先生にいたずらされそうになりました。
私、頭にきたので、噛みついてやりました。
でも、その血のまずいこと!
トマトジュースがおいしく感じられるくらいです。
そうです。
みんなの血こそ汚れているのです。
とてもまずくて飲めません。
変な病気になる可能性だってあります。
父はそれが原因で死んだんです。
普通の人間だった浮気な母。
かわいそうな吸血鬼だった美食家の父。
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2015/10/18
小学校に入学試験はなかった。
中学校にもなかった。
その日、高校の入学試験を終えて
まっすぐ帰宅したくない気分だった。
それで、同じ受験生の女の子を尾行したのだった。
よからぬ事をあれこれ考えながら
見知らぬ思春期の少女の後姿を眺め続けた。
なんとか高校生になれた。
ある日、定期試験を終えて、その解放感から
卒業した中学校の無人校舎に不法侵入した。
不用心にも、窓は施錠されていなかった。
懐かしい校舎を見たかっただけなので
欲しいものはあったが盗みはしなかった。
ただし、保健室で変態じみた行為はした。
それから何事もなく帰宅したのだが
しばらくすると駐在所のお巡りさんが現れた。
中学校への不法侵入を目撃した者があり
顔に見覚えがあったのか通報されたらしい。
ひどく脅おどされたが、ひたすら謝り続け
なんとか家族には内緒にしてもらった。
ただし、中学校の職員室では話題になったらしい。
その後、都会の大学の入学試験を終えて
逃げるように田舎を出た。
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2015/10/17
静かな砂丘に月のぼり
娘のように老婆は眠る
藍色の夜空に紫の雲ながれ
やや欠けた月は髑髏のよう
置き去りにされた古き戦車の
車輪に結ばれし老婆の髪
あてなき旅の途中か
貧しき群衆が視界を横切る
先頭に立つ老僧の法衣は破れ
その眼は人形のように動かない
埋もれた壁画のように足音も立てず
足跡も残さず去ってゆく
それっきり
もはや誰も訪れはしない
この静かな砂丘
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2015/10/16
四面体における各面の内接円は
対頂点を光源とする内接球の影とは限らない。
なぜなら球の影のほとんどは
楕円になるから。
さらに物理的に
光源は幅のない点ではあり得ず
また必ずしも
光が直進するとは限らない。
(そういう具合に僕たちは
しばしば君たちを誤解してしまうのさ)
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2015/10/15
召されるべき子らは
すみやかに召されるべきであろう。
もし召されぬまま大人になれば
やがてかれらの子孫が生まれてしまう。
それらのうちの多くは
やはり召されるべき者に違いない。
召されるべき子らが召されぬため
召されるべき者が増えてしまう。
召されるべきにあらざる者まで
召されるべき者とみなされてしまう。
なんのために生まれ
なんのために生きんとするか
それすらも
わからなくなってしまわぬよう
あえて今
召されるべき子らを召させたい。
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2015/10/13
スナップ写真の撮影において
シャッターチャンスを逃すことは多いけれど
考えてみると
逃したチャンスはそれだけではないはずだ。
気づくチャンス、知るチャンス、考えるチャンス、
改めるチャンス、始めるチャンス、作るチャンス、
・・・・いくらでもある。
ある小さなチャンスを生かすために
より大きなチャンスを殺していないとも限らない。
習慣という名の目隠しをしていないか。
マニュアルという名の耳栓をしていないか。
わずかなメリットを守り続けるのはリスクでもあり、
どうせリスクを伴うなら豊かなメリットを期待したい。
ことに創作においては
偶然性を取り込めるかどうかは大問題だ。
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2015/10/12
画家のアトリエ、汚れたままのパレット。
さびしそうに放り出された絵の具と絵筆。
未完成な肖像画、その背景は暗い海と空。
水平線はゆがんでぼやけている。
雲もないのに星は見えない。
月日はとうに画布からこぼれ落ちたらしい。
背景と人物が微妙に重なる。
黄金分率だけでは割り切れない気配。
着衣なのか裸婦なのか
そもそも男なのか女なのか
そんなのはどちらでもよい
と言わんばかりのパレットナイフ。
その人物のポーズやまなざしや
髪や唇、輪郭線に
どんな意味があると言うのか。
謎は残るものの、ただ沈黙だけが
この場にふさわしい気がする。
それにしても、いったい
画家はどこへ消えてしまったのだろう。
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2015/10/11
雪の斜面に男がひとり立っている。
黒い帽子、黒いサングラス、黒い防寒服のいでたちで
その両手には紅白の旗が握られている。
男から見て右手側より女子スキー選手たちが現れて
ストックを突きながら左手側へと滑ってゆく。
彼女たちが男の前を通り過ぎる時、男は
紅白どちらかの旗を振りながら進行方向を示す。
だが、男の旗を振る動作にはあいまいな点があり、
極端な場合、右手側へUターンする女子選手までいる。
そのような女子選手は疲れた表情をしており、
また、いかにも疲れたようにのろのろ滑っている。
どうやら男は旗を振る仕事を楽しんでいるようで
その証拠のように唇の両端がヒゲと一緒に上がっている。
観客の姿はまばらで、歓声も滅多に聞こえない。
主催者側の見解が発表されることはなさそうだが
どうやらスキー大会は失敗のようである。
いまさら説明するのもなんであるが、空は曇っており、
モノクロの針葉樹林の陰影が男の背景に立ちこめている。
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2015/10/10
花火見物の帰りであろうか。
浴衣姿の君と歩きながら
僕は夜空を指さし、説明している。
「あれは乳首座。
なぜなら、ふたつある」
君は無邪気に笑う。
「それじゃ、あそこの三つ星は?」
小さく三角形に並ぶ星を示す君。
パンティー座と陰毛座が浮かんだものの
残念ながら倒立していない。
額に巻く死装束の白い三角の布を連想させる。
しかし、それを言ったら
せっかくのムードが台なしだ。
適当な命名もできなくて
僕は言い淀む。
すると、君は振り向いて
「あれは三つ目座よ」
にっこり笑う。
ああ、なるほど。
君の額に光る、三つ目の目。
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2015/10/09
小学校に入学した頃、実家にテレビが流れ着いた。
丸みのあるブラウン管の白黒テレビ。
小さな画面を拡大して観るためのフレネルレンズがあった。
当時はNHKの他に民放一つ、計3チャンネルしかなかった。
切り替えはグリップ式のダイヤルだった。
おそらくその前後であろう、
いつの間にか洗濯機が風呂場に、冷蔵庫が台所に漂着していた。
どちらも子どもにとってテレビほどに興味ないため、印象が薄い。
そう言えば、洗濯機には手回し式の脱水装置が付いていた。
風呂は木の桶で、壁を隔てた隣室の風呂釜に薪をくべて沸かした。
近所の伯父の家は五右衛門風呂だった。
冬のコタツは炭を使い、アンカにも豆炭を使った。
伯父の家には囲炉裏があり、その真上には吹き抜けの穴があいていた。
いつ実家にプロパンガスが入ったのか記憶にない。
冬の学校の教室には石炭ストーブがあった。
生徒が当番で石炭置き場から教室へバケツで石炭を運んだ。
実家の台所には井戸があってモーターで汲み上げていたが
それまで使っていた手押しポンプも残っていた。
さして離れてない場所に汲み取り式便所もあったわけだから
今考えてみると不衛生だった気がしないこともない。
当時のトイレットペーパーは新聞紙だった。
よく手でもんで、しわくちゃにしてから使っていた。
最初の電話機にはボタンもダイヤルもなく、交換手との対話式だった。
そして、定時になると有線放送が勝手に流れていた。
家が改築されたり新築されるたび、流れ去ったり流れ着いたり、
時代の漂着物が次々と変わるのだった。
オープンリールのテープレコーダーで自分の声を初めて聞いた時は
あまりに変な声なので内心ガッカリしたものだ。
すでに解散していたビートルズのラジオから流れる曲を録音して
繰り返し聴きながらカタカナで歌詞を書き出したりしたっけ。
原付バイクの親子二人乗りで親父はお巡りさんに注意されたりしたが
そのうち中学生の私がバイクの無免許運転で捕まってしまった。
やがて親父が自家用車を手に入れた。
知人から5千円で購入し、修理費が5万円だったそうな。
高校2年の秋、親父は業務上のクレーン事故で亡くなった。
高校時代、レコードを初めて買った。
中古の歪んだレコードを買ったら、針がジャンプして困った。
高校卒業と同時に田舎を出て上京。
時代の流れの勢いの差に数々のカルチャーショックを受ける。
いくつか路上で詐欺商法に引っ掛かったりしたが
苦いながらも今では懐かしい思い出。
映画や出版物は次々と時代を反映し、ビデオデッキが出回り、
街にはビデオのレンタルショップが登場。
貸本屋も近所にあって、毎週のように漫画を借りていた。
ゲーム機は次々と登場するも、ついに買わずに現在に至る。
携帯電話が登場、今なお進化を続けているが
わずらわしいので必要に迫られて一時的に関わっただけ。
ワープロが発売され、すぐに壊れるので次々と買った。
出始めの頃の表示はたった2行だった。
パソコンは上京したばかりの頃から触れてはいたものの
Webにつないで本格的に使うようになったのは、ここ10年ほど。
現在、自作のスライドショー動画までブログに投稿している。
そのため、外出時にはデジカメ必携だ。
もうテレビは自宅にない。
観てもいないのに時代錯誤なNHKの集金人がうるさいので
壊れてもいないのに処分してしまった。
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