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2016/01/21
台風が上陸するという
この夜に
市内全域に避難勧告が発令された
この時に
わたくしは 出かけなければなりません。
狭くとも安らかで
生ぬるき棲み家を抜け出し
暴風雨を突っ切って ぬばたまの闇を
ひとり黙々と 歩んでゆかねばなりません。
まったく本当に そら恐ろしいのは
暴風雨による家屋の被害などではありません。
精神を甘やかせ 封じ込め
怠惰と腐敗を誘う 天国の安寧なのであります。
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2016/01/20
進化と呼ぶべきか、あるいは退化なのか
珍しいヒト型知的生命体が生息する惑星がある。
女性ばかりか男性まで乳房が大きく、つまり
いわゆる巨乳の、しかも巨乳ばかりの惑星なのである。
もしもこの星へ、胸部発育不全な、つまり
いわゆる貧乳の、ごく普通の地球人が訪れてご覧なさい。
身軽で動きやすい。
肩がこらない。安眠できる。
羨ましがられること請け合いである。
さらに、希少で珍しがられるため、性的な興味、つまり
おおいにモテることも確実である。
さて、諸君。
こんな巨乳の惑星は、いかがかな。
しかしながら、諸君。
こんな妄想で胸をふくらませてどうする。
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2016/01/19
ふと
目覚めて
ぼんやりして
君を抱こうとして
君がいないことに気づく。
そうか。
もう君はいないのか。
そうだ。
もう君はいないのだ。
君はいない。
君を抱けない。
僕は君を抱けない。
もう僕は君を抱けない。
そうさ。
僕が君を殺してしまったから。
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2016/01/18
どんなに風が吹いても
液晶の池に波は立たない。
まれに波紋がひろがることはあっても
ただ、そのように見えるだけである。
液晶の池の水面は「画面」と呼ばれる。
「スクリーン」または「ディスプレイ」
などと称する場合もある。
おおむね四角、縦長か横長の長方形が多い。
「液晶」は、固体と液体の中間状態。
液体の流動性と結晶の異方性を合わせ持つ。
小まめに光を透したりさえぎったりすることで
観察者の視覚をたぶらかし、幻をかいま見せる。
たった今、あなたがご覧になっておられるのも
おそらく液晶の池に違いあるまい。
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2016/01/17
この人である私が あの人であった
という場合はない とは否定できまい
たまたま この人が私であって
あの人が私でなかっただけ
私がこの人ではなく
あの人である可能性はあったのだ
だから 私は許せない
あの人にあんなことをする別のあの人を
私があの人でないとしても
私があんなことをされたら どうだろう
まったくの他人事ではないのだ
ほとんどそれは 私の問題なのだ
あんなことをする別のあの人が私なら
私は私を許せない
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2016/01/16
おそとは あんなに あかるくて
あんなに ひろくて あたたかい
なのに あたしは おうちに いるの
おうちは とっても くらくって
とっても せまくて おまけに さむい
ひとりっきりで かいわも なくて
だあれも こなくて どこへも いかない
なのに あたしは きにしない
がめんの むこうは もっと ひろくて
なにより もっと おもしろい
ことば ならべて えをかいて
うたって みたり おどって みたり
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2016/01/15
ワッショイ ワッショイ
みこしが通る
ワッショイ ワッショイ
きつねも通る
笛太鼓の音頭とともに
町内会の神輿が家の前の通りを通る。
ゆっくり走行するお囃子のトラックの後に
大人神輿と子ども神輿、および父兄の集団が続く。
その前後左右には町内会の役員の方々。
まことにご苦労なことだと思う。
この神輿がどこから来て、どこへ行くのか
また、どのような意味があるのか、じつはよく知らない。
おそらく普段は、近所の神社に納められているのだろう。
毎年、いくばくか神社奉賛会費なるものを支払わされている。
神社では獅子舞の見世物もあるそうだが
わざわざ行くのも億劫なので、まだ見物したことはない。
それはともかく、なんだかおかしい。
神輿を担ぐ人々の中に狐がいる。
大人神輿にも子ども神輿にも、どちらも一匹ずつ。
お面ではない。
着ぐるみでもない。
犬が立ったみたいな形の、本物っぽい狐だ。
目が悪いので、なにかの錯覚だろうか。
デジカメで写真を撮ろうとしたが
いくら探してもファインダーの中に狐の姿が見つからない。
とりあえず、狐がいたあたりを撮りまくる。
当然ながら、と言うべきか、やはり
どの静止画像にも狐の姿は写っていなかった。
つまり、なんということはない。
いたずら好きな狐に化かされたのだ。
そもそも、あの神社は稲荷神社ですらない。
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2016/01/14
うっかり小人の首まで刈ってしまった。
「いやあ、ごめんごめん」
私は素直に謝る。
「まったく、気をつけてもらわなきゃ困るな」
「だって君たちときたら、あんまりにも小さいんだもの」
「ふん。そっちが大き過ぎるんだよ」
小人は自分の頭を拾いながら文句を言う。
それにしても、小人の生命力はすごい。
首の切断面がふくらんで、もう小さな頭が生えている。
「その取れちゃった頭はどうするんだい?」
私が尋ねると、小人の新旧ふたつの頭は相談を始めた。
人間には聞き取れない甲高い言葉が飛び交い
ようやく相談がまとまったらしい。
双子のコーラスみたいに声をそろえて
「今晩のおかず」
どうも小人の考えていることはわからない。
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2016/01/13
君の目の前に扉がある。
実際には、そんなものないだろうけど
(横を向いたらあるかもしれないけど)
とりあえず、扉があるものとする。
君は、その扉を開ける。
扉の材質や形状は問わない。
両開きでも片開きでもかまわない。
引いても押しても君の自由だ。
すると、細長い廊下がまっすぐ延びている。
異国風の絨毯も敷かれている。
先ほどイメージした扉の材質と形状を
君は修正したくなるかもしれない。
しかし、それは君のセンスと好みによる。
なんとなれば、絨毯なんぞ
はじめから敷かれてなかったことにすればいいのだ。
畳が縦にならんだような変な和風の廊下とか
またはライオンやヒョウの毛皮に埋もれた・・・・
ともかく、先を急ごう。
廊下を歩いてゆくと、やがてあなたは大きな鏡にぶつかる。
(二人称代名詞が変わっていても気にしない)
その鏡には細長い廊下が映っていて
あなたが先ほど開いた扉の向こう、部屋の壁へと続いている。
そこで、あなたは振り返る。
やはり、そのような光景があるばかり。
他へ続きそうな廊下も扉もない。
あなたは歩いて来たばかりの廊下を歩いて戻るしかない。
締め忘れた扉を通り過ぎ、部屋の中に入り
そのまま進むと、すぐにあなたは大きな鏡にぶつかる。
振り返ると、やはり細長い廊下が扉の中に延びているばかり。
つまり、この細長い廊下は合わせ鏡の廊下だったわけだ。
なるほど、よくある話ではある。
しかし、今さらながらあなたは驚く。
あなたはやっと気づいたのだ。
向こう側もこちら側も、どちらの鏡にも
あなた自身の姿が映っていなかったことに。
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2016/01/12
バイクに乗って
僕はどこへ行こうとしていたのだろう。
やぼったい原付バイク
いわゆる農道バイクを押しながら
中学生だった僕は
狙いすました真夜中に
こっそり家を抜け出たのだ。
ただでさえ近眼乱視なのに
親父のサングラスまで借りて
深夜のツーリングとは
まったくもって危険極まりなし。
結局のところ
まったくもって情けない話
しばらく走って
パトカーの職務質問に捕まってしまった。
当然ながら無免許運転で
親は電話で起こされ
警察署に呼ばれ
のちには家庭裁判所へ行く羽目にまで
陥ってしまったわけだけれど・・・・
それはともかく
あの時の僕は
いったい
バイクに乗って
どこへ行こうとしていたのだろう。
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