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2008/09/24
ある年のこと、
ひとりの農夫が
鍬をかついで山の畑に着いてみると
畑の真ん中に大きな木の桶が置いてあった。
そして、その桶の中で
見知らぬ若い女が沐浴をしていた。
農夫は目を丸くした。
「あんた、なにしとるんだ?」
裸の女はにっこり笑った。
「うふふ。見てのとおりよ」
「ここは、おらの畑だ」
「あら、そうなの?」
農夫は、あいた口が塞がらなかった。
あたりを見まわしても
ふたりの他に人の姿はない。
畑と雑木林と青い空があるばかりだ。
「こんな大きな桶、どうやって運んだ」
「さあ、どうやってかしら」
「水はどこから持ってきたんだ」
「さあ、どこからかしら」
透けるような白い肌を見せつけるように
女は体を洗い続けるのだった。
「・・・・・・まあ、いいけどよ」
農夫は諦め、畑を耕し始めた。
畑の端から黙々と鍬を入れてゆく。
桶のある真ん中を残して
とうとう全部掘り返してしまった。
「あんた、ずいぶん長湯だな」
「あら、そうかしら」
「それに、ずいぶんおかしな女だ」
女はにっこり笑う。
「どういたしまして」
農夫は、おもむろに鍬を振り上げた。
「ここは、おらの畑だ」
「あら、そうなの?」
「この桶に鍬を入れてもいいかな」
「あら、だめよ」
「いいじゃねえか」
「よしなさいよ。だめだったら」
「おら、もう我慢ならねえだ!」
かまわず農夫は鍬を振り下ろした。
女の鋭い悲鳴があたりに響き渡った。
桶が割れ、水が畑にあふれた。
農夫は呆気にとられた。
桶も女の姿も消えてしまったのだ。
あとには濡れた畑があるばかり。
土に刺さった鍬を引き抜いてみると、
刃こぼれが大層ひどかったそうだ。
狐にでも化かされたのだろうか。
さて、それはともかく、
その年から数年間というもの
この畑では豊作が続いたという。
やれやれ、くたびれた。
どっこいしょっと。
2008/09/22
ぼくはニンジンがきらいだった。
でも、おかあさんがおこるから
いやなんだけど、むりに食べてみた。
そうしたら、甘くておいしかった。
どうしてニンジンがおいしいのか
ぼくにはわけがわからなかった。
「生のニンジンは甘いのよ」
おかあさんが教えてくれた。
「今のニンジン、においも少ないしね」
それで、ぼくはニンジンが好きになった。
まい日、おやつに生のまま食べた。
ある日、学校からはやく帰ったとき、
ぼくは一本の大きなニンジンを見つけた。
それは台所のテーブルの上にあった。
おかあさんはいなかったけど
おやつだと思って、ぼくは食べた。
信じられないくらい甘くておいしかった。
でも、すごく大きなニンジンだったから
ぼくは半分しか食べられなかった。
のこりの半分はテーブルの上においた。
それから、ぼくは
おなかがいっぱいになって
なんだかきゅうに眠くなって
じぶんのへやでねようと思って
かいだんをのぼって二かいへあがって
へやのドアをあけて
びっくりした。
ぼくのベッドの上におかあさんがいて
しかもはだかでねていたから。
おかあさんはニンジンそっくりの色をして
からだがちょうど半分しかなかった。
2008/09/21
一匹のナメクジが
あなたのからだを這っている。
突然変異による
太くて巨大なナメクジ。
気味が悪くて
あなたはつかむこともできない。
それをいいことにナメクジは
わがもの顔で這いまわる。
あなたのからだのいたるところを
上から下まで、裏も表も、内も外も
とても信じられないような奥の奥まで
ぬらぬらした半透明の粘液を垂らしながら
ひたひた、もぞもぞ、ぬめぬめ、・・・・・・
もうあなたは
気を失いかけている。
あまりのおぞましさに
鳥肌が立っている。
ところが、
この軟体動物は鳥肌が大好物。
ツノのような触覚が
微妙な皮膚の表面をさぐる。
あなたはもう
ほとんどキュウリの気分。
冷たく血の気が引いて
顔は緑色になる。
立ち上がることも
逃げることもできない。
死ぬかもしれない
とあなたは思う。
さらに
そのいやらしさを増しながら
突然、
ナメクジが分裂して二匹になる。
雌雄同体、
そっくりな二匹のナメクジ。
二匹はあなたをはさんで絡みつく。
ほとんどからだのすべてを覆われ、
あなたはもう
皮膚呼吸さえできない。
おいつめられたあなたは
幻を見る。
平凡な家庭のありふれた食卓風景。
あなたがまだ幼かった頃の記憶。
パパがいる。
ママもいる。
弟が笑っている。
きれいに盛り付けられた
料理の皿たち。
「ねえ、お願い・・・・・・」
あなたは温かな食卓に手を伸ばす。
「お塩、とって・・・・・・」
2008/09/20
二の腕に入れ墨を彫った。
初めてなので、怖い気持ちもあり、
比較的無難な場所を選んだのだ。
派手な色のクモの入れ墨だった。
熱帯に生息する毒グモなのだそうだ。
こいつに噛まれると悲惨なことになる。
三日三晩、踊り狂った挙句に死ぬという。
無害なクモよりはいい。
箔がつく。
仲間のほとんどは入れ墨をしていた。
トカゲとかサソリとか蛇とか蝶とか。
みんな、それなりに決まっていた。
クモの入れ墨をしている奴はいなかった。
クモが好きな奴なんかいないのだろう。
だが、他に適当な図案はなかった。
彫る動機なんかいいかげんだった。
仲間から軽く見られたくなかっただけだ。
いろいろやばい薬も使ったことがある。
危ない目付きも様になってきたと思う。
だけど、まだまだ生き方に甘さがある。
なんだかわけもわからず焦っていた。
仲間から彫リ物師を紹介してもらった。
老人だった。
その眼は酒で濁っていた。
腕がいいのか、そんなに痛くなかった。
「こいつに呪いをかけておいたよ」
濁った眼でいやらしく笑うのだった。
ただの酔っ払いの戯言だと思った。
それにしても、この毒グモは不気味だった。
なんだか生きてるような気がするのだ。
皮膚の上を少しずつ移動する。
まるで本物の毒グモが這っているようだ。
二の腕から、まず肩に移動した。
肩から胸に移り、しばらく蠢いていた。
さらに脇腹から背中にまわり、
反対側の脇腹から臍の下まで這ってきた。
通り道は疼くような感じがするのだった。
やがて陰毛の茂みに隠れてしまった。
こっちは疼いて疼いてしかたなかった。
ある晩、名も知らぬ女を抱いた。
女を抱くのはこれが初めてだった。
そんなこと、仲間には絶対に言えない。
入れ墨の通り道を女に教えてやった。
女は笑っただけで、信じてくれなかった。
でも通り道に沿って舌で舐めてくれた。
翌朝、疼きが嘘のように消えていた。
すぐ横で、女はまだ眠っていた。
まだあどけなさの残る寝顔だった。
妹くらいの年齢かもしれないと思った。
「いいもん。死んでやるから」
寝言だろうか。
女は寝返りを打った。
その白い背中に入れ墨があった。
それは不気味な毒グモのように見えた。
2008/09/07
やはり、嫁は狐だった。
私は厳粛な態度で嫁に言い渡す。
「尻尾は見なかったことにしておく」
申し訳なさそうに嫁が項垂れる。
押し殺せない笑みが私の頬に浮かぶ。
「それにしても、うまく化けたものだ」
顎に手をかけ、嫁の顔を持ち上げる。
「あの女優にそっくりだ」
嫁の両目から涙がこぼれ落ちる。
嫁は私の好きな女優を知っているのだ。
「なにも泣くことはない」
あの女優の泣き顔なら悪くない。
もっと泣かせてやりたいくらいだ。
「あの声は出せるか」
嫁は狐みたいにキョトンとする。
「あの歌手の声だ。できないのか」
「できます。・・・・・・この声ですね」
そっくりだ。
私の好きな歌手の声。
歌わせてみたいが、まだ早い。
嫁の足首をつかみ、私は命令する。
「この脚を、あのモデルの脚にしろ」
再び、嫁はキョトンとする。
あわてて私は怒りを呼び覚ます。
「できないのか!」
「できますできます、できます」
私の好きな女優の顔を曇らせ、
私の好きな歌手の声の持ち主は
私の好きなモデルの脚を震わせた。
まだまだ好きなのはたくさんあるが
とりあえず、
いい嫁ではないか。
2008/09/05
部屋の窓を開けたままにしていたので
隣の家のお姉さんに見られてしまった。
レースのカーテンさえ引いてなかった。
「ひとりでカード遊び?」
まるで肖像画のような窓辺のお姉さん。
その腰から下は隠れて見えない。
短いスカートならいいな、と思った。
「おじゃましていいかしら?」
声が出せなくて、僕は小刻みにうなずく。
握ったカードが汗に濡れていた。
「お留守番、えらいわね」
ハイヒールを片手に持って
お姉さんは窓から部屋に入ってきた。
すごく短いスカートだった。
「わたしのこと、占ってよ」
僕はうつむいたままカードを配る。
「お姉さんもカード遊びするの?」
僕もそうだろうけど
お姉さんの額には汗が浮かんでいた。
「さあ、どうかしら」
白いブラウスから下着が透けて見えた。
めくったカードは女王の絵柄だった。
「ねえ、知ってる?」
僕はお姉さんのこと、なんにも知らない。
首を横に振るだけ。
「背中の汗ってね、とっても甘いのよ」
お姉さんの声は少しかすれていた。
きっと喉が渇いているのだろう。
ひどく蒸し暑い部屋だったから。
2008/08/18
「ねえ、遊ばない?」
子どもっぽい声で誘われた。
その顔も幼く見えた。
でも、からだは違うと思った。
「よし、遊んでやろう」
まず、得意のカードを使って遊んだ。
ポーカー、ばばぬき、さらに神経衰弱。
ことごとく負けてしまった。
勝ち誇る女の憎たらしいこと。
頭にきたので、チェスを申し込んだ。
「はい、チェックメイト!」
あっ、という間に詰まされてしまった。
高価なチェス盤を斧でたたき割った。
それでも怒りはおさまらなかった。
「あんた、碁はできるか?」
「ええ、少しだけ」
これはなかなかの熱戦だった。
だが、最後に大石が死んでしまった。
「・・・・・・ありません」
碁に負けると人生に負けた気分になる。
もう立ち直れなかった。
黙って項垂れるしかなかった。
しばらくして、髪に女の指を感じた。
耳もとで女が囁くのだった。
「もっと楽しい遊びがあるはずよ」
ゆっくり頭を上げ、女の顔を見た。
震えるほど魅力的な笑顔だった。
なんだか、また負けそうな予感がした。
2008/08/06
父が怖くてしかたなかった。
酔ってない父の顔をあたしは思い出せない。
あたしと弟は毎日のように殴られていた。
母だって信じられなかった。
謝ったり泣いたりするだけの女だった。
なぜ父と別れないのか不思議でならなかった。
だから、あたしは弟を連れて家を出たんだ。
あたしたちは生きるためになんでもした。
さすがに人殺しはしなかったけど
それに近いことはしなければならなかった。
いやなこと。もう忘れてしまいたいこと。
家に帰るくらいなら死ぬつもりだった。
でも、なんとか生きのびることができた。
アパートだって借りることができた。
ボロくて狭くても、野宿よりずっとましだ。
結局、そこも長くいられなかったけど。
あれは、あたしが十七になった夏のこと。
突然、弟が奇病にかかったのだ。
朝、目が覚めてびっくりした。
あたしたちの部屋に木が生えていたのだ。
それもすぐ横に寝ていた弟の腹から。
仰向けの弟の腹から真上にのびて
木のてっぺんは天井に届きそうだった。
窓からの風に緑色の葉がゆれていた。
幹も太くてなかなか立派な木だった。
弟に寝返りでも打たれたら倒れそうだった。
あたしは眠っていた弟をそっと起こした。
「あのね、大変なことになっているよ」
夢をやぶられ、しばらく弟はぼおっとしていた。
それから、自分の腹の上を見て驚く。
弟は、泣きそうな顔をするのだった。
「ねえさん、どうしたらいいんだろう」
そんなこと、あたしにもわからなかった。
相談できる大人などいなかった。
「重くない? 苦しくない?」
「ちょっとだけ。そんなに苦しくない」
強がりを言ってるな、とあたしは思った。
こいつ、つまらないところで強がるんだ。
あたしは木の幹にそっと手を触れてみた。
「あっ」
弟が小さく声をあげた。
木がゆれて葉が一枚、敷布団の上に落ちた。
すぐにあたしは木の幹から手を離した。
「どうしたの? 痛かった?」
頬を赤らめて弟は首を振るのだった。
「ううん、ちょっと・・・・・・」
そのまま弟は黙ってしまった。
なにがちょっとなんだ、とあたしは思った。
いらいらさせる性格なんだから。
とりあえず、あたしは朝食を用意した。
そして、起きられない弟の口へ運んでやった。
ヒナの口に餌をやる親鳥のような気分だ。
「ねえ。お医者さん、呼ぼうか?」
弟はすぐに首を振った。
「いいよ。大丈夫、すぐになおるよ」
ぶっきらぼうな返事をするのだった。
そんなこと、あたしは信じられなかった。
なんとかしなければ大変なことになる。
弟を見下ろしたり木を見上げたりしながら
畳に正座したまま、あたしは悩んだ。
しばらくして、いい考えがひらめいた。
あたしは、決意して立ち上がった。
「ちょっと待ってて。すぐに戻るから」
ドアを開け、あたしはアパートを出た。
弟をひとり部屋に残すのは心配だったけど、
あたしは、近所の市立図書館を訪れた。
弟に生えた木の種類を調べるつもりだった。
わかれば、対策が見つかるかもしれない。
だから、たくさんの植物図鑑を借りた。
ところが、それは役に立たなかった。
帰宅すると、弟は部屋の掃除をしていた。
Tシャツに着替えた弟の腹に木はなかった。
すでに布団も押入れに片付けてあった。
あたしは呆然となった。
「なおちゃったの?」
畳の上の落葉を掃き集めながら弟は答えた。
「うん。まあね」
なにがまあねだ、とあたしは腹が立った。
あんなにおろおろしていたくせに。
「あの木はどこ?」
「消えちゃった」
「消えたって、どこに?」
「さあね。ただ消えちゃったんだ」
あたしは力が抜けて植物図鑑を床に落とした。
ものすごい音がして床に広がった。
ばかみたいだ、とあたしは思った。
こんなにいっぱい心配してやったのに。
「その葉っぱ、ちょうだい。調べてみる」
あたしは諦めなかった。
でも、弟はあたしを無視した。
ゴミ箱に最後の葉も捨ててしまった。
「もういいよ。もうなおったんだから」
それで、あたしは切れてしまった。
弟の頬を力一杯ひっぱたいたのだ。
あたし、はじめて弟を叩いてしまった。
一瞬、酔った父の顔を思い出した。
いやな顔。思い出したくなかった。
すぐに弟はあたしの手首をつかんだ。
弟は両手であたしの両腕を押さえつけた。
あたしはびっくりした。
こんなに弟に力があるなんて知らなかった。
背の丈もとうにあたしをこえていた。
弟の目を見た。赤く血走っていた。
もう弟じゃない、とあたしは気づいた。
「ねえさん・・・・・・」
その声は低く、ひどくかすれていた。
そして、あたしは感じていた。
弟がいままで狡猾に隠していたもの
むくむくふくらみ、突き上げてくるものを。