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2008/07/11
紹介しておりますエンスヘデ活字シリーズ60の花形装飾活字のデータ差し上げます。
詳しくは
http://www.fengfeeldesign.org/をご覧ください。
お待ちしております。
2241。
続いて留める系の装飾。
ただこれは装飾色を強く押し出したものになりよります。
並べるには少し飾り多いように思う。
例のように単線を延ばして、
ポイント的に釘を刺すようなイメージで使うのが正しそう。
逆に線を多用出来るきっかけを作れるので、
「区切る」という意味では強い役割を持つ事が出来る。
装飾部分のおかげで繋げる部分を省略出来るので、
単に線で繋ぐよりも、
緩和されたイメージで達成が可能。
これを見てわかるように、
エンスヘデ活字鋳造所のシリーズ60は、
装飾を強める事で、
「緩和」するという印象を持たせるように努めている事がわかる。
イメージの強さとは関係をおかずその達成を可能にしていて、
これはアラベスクという伝統の継承をその時代に合わせいると言えるのです。
そして120年くらい前で既に伝統が重いものであるという認識であって、
それを解消すべく考えられた装飾であると言えます。
じゃ、今、
これを新しいシリーズとして考えた場合にどういう形になるのか、
それは考えるだけで面白そうです。
そして形にも出来そうな気がします。
2008/07/10
紹介しておりますエンスヘデ活字シリーズ60の花形装飾活字のデータ差し上げます。
詳しくは
http://www.fengfeeldesign.org/をご覧ください。
お待ちしております。
2240。
2237と同じ系統。
ただ、2237は短剣だったのに対して2240は長剣といった印象。
使い方も2237ようにたくさん並べて使うのは一遍だけにしてもう一遍は簡略したり、
線の部分を接ぐ事でその整理性を高めている。
文字に使う時も同様で、
両端に並べるとどうも情報が限定されすぎて役割としては不十分。
片方だけにするのがベターに感じる。
もし対象的に配したい場合は、
真ん中のように情報をわける役目としては便利な装飾。
長さと少しの装飾が違うだけなのに、
ここまでイメージが変わるのはスゲーね。
2237は留めるようなイメージだけれど、
今回のこれは閉じ込める要素も持っていて西洋的だなあと思う。
2008/07/09
紹介しておりますエンスヘデ活字シリーズ60の花形装飾活字のデータ差し上げます。
詳しくは
http://www.fengfeeldesign.org/をご覧ください。
お待ちしております。
2239。
これも基本形。
単に線を引いて隔てるだけでは、
細くしたり太くしたりでは芸がないんで、
その中身の肉の部分を作る事で、
見た目にも美しく機能的に優れているというもの。
線で囲むだけとか2235、2236で囲む以上に、
その情報の分断性能は極めて高く、
整理というより強制的。
柵というよりかはコンクリートの壁のような印象です。
ただ、これ以外に使い道が思いつかない哀しい装飾のような気がします。
もちろん機能としては十分に重要な役割があるので、
それは憂慮したほうがいいんだけど、
なんかもっとアイデア次第な気もしないでもないと言った感じ。
なんか他に使い方あったら教えてください。
だども場所を限定出来るので、
線とコンボじゃなく単体でも使えるかなあと思ったんだけど、
なーんか覚束ないというかノッペリしちゃうというか、
地に足が付いてない感じになる。
かといって他のものと組併せて使えるかというとそれほど拡張性も感じられない。
なんなんでしょうこいつ。
一言で言うとクドイ。そんな印象です。やっぱり肉。
2008/07/08
紹介しておりますエンスヘデ活字シリーズ60の花形装飾活字のデータ差し上げます。
詳しくは
http://www.fengfeeldesign.org/をご覧ください。
お待ちしております。
公式にアナウンスをいたしましたが未だに文章が届きません。
ああ、誰かこのデータ欲しいと思ってくれないかなあ。
こんなに楽しいデータなのになあ。
1日しか経ってないのに待ち遠しくて仕方ない。
裏ルートも大歓迎なんだけどなあ。
気軽な感じでお待ちしています。
3500文字はやっぱ多いのかなあ。
3500文字なんて小一時間あったら書けちゃうもんです。
この愛でるなノリで全然オッケーですよう。
という事で今回は、2238。
これもこのシリーズでは基本形。
これを基点にいろいろ用意してるって感じ。
今まで紹介してきた装飾との大きな違いは、
並べて使わないという事。
というか使ってるのを見た事がないというだけだけどね。
そりゃあ自由に使えばいいんでしょうが、
これは並べるよりも、
ワンポイント的な使い方した方が生きてくるみたい。
ここが中心ですようと言ってくれたり、
ここが始まりで、終わりはここですよって教えてくれたり、
文字を整理するといった感じよりかは、
整理した中でもっとわかりすく「目印」みたい役割をしてくれます。
個人的にはこの対象的な形のシリーズは大好きで、
他の装飾と組み合わせる事も出来て、
無限とまでもはいかないけれど、
無数の可能性を感じさせてくれる形です。
囲ったり並べたりせずとも1つでその用が足せてしまうのはスゲーなあと思う。
2008/07/04
http://www.fengfeeldesign.org/
今回は2237。
槍というかピンというか前回の2235や2236と比べると、
その形状のイメージに違いがある事がわかります。
前回の役目が文字の位置付けなら、
今回のこれは釘付けでしょうか。
文章に釘を打って留めるような役目があるような印象です。
塀のように囲むというよりかは、
どこか攻撃的でまさにランス、槍や矢のようです。
この形状については今後似たものが数種出てくる事になりますが、
イメージの段階といいますか、
今回のこれが基本であり役割を崩すことのない設計は、
これがどれだけの精査の元で考えられたか理解が出来ます。
その検証については今後ゆっくり書いていく事になりますが、
これ以上線を減らせば崩れてしまう、
ギリギリのラインを知った上でのこの形なのです。
そしてそのイメージがどこの部分で構築されているのか、
わかった上での設計だと言えます。
前回も書きましたが、
このように装飾活字はあくまで文字を整理するために準備されたものであって、
逆を突けば、
その役目を探る事で装飾活字の正体もまた具体的な実体として理解が出来、
美しくはあるけれど、
あくまで制限の中で成立するもので、
もっと書けば、
1つの装飾活字の追求をすれば、
こういった再現ではなく、
まったくの新しいシリーズとして自主的での制作は可能なのです。
これって200年前の時代性にあったデザインであり、
現代の感覚に合わせた装飾活字もまた実現はありえると思うのです。
例えば、
懐古的にこういったものを嗜むのもありかもしんないし、
研究や検証を追求も凄くありなんだけどね。
なんだかなあという感じです。
たしかに美術的な要素として捉えられリスペクトの元で、
イラスト等に使われている場合もあります、
これももちろんリバイバルといえるし時代性に合わせた使い方なんやろうけど、
もう一回書きますが、
これは文字の整理という役割以外のなんでもないんですよね。
単に装飾として捉えた場合に、
その物足りなさは目に余る物があるし、
それやったらミュシャぐらいの装飾に対するデッサンを見習った方がええですわな。
当時の活字印刷の限界、単色印刷としての限界の袖を、
絶賛するような価値観でありなのかどうかちゅう話で、
汚く書くと、
その上っ面だけを掬うとどうしても美術的な美しさに目がいくのです。
今回の2237なんてのは単体で考えると、
その美しさは無ですよね。
がその役目で使う事で「美しい」が際立つのです。
わかるかな。
今日はこの辺で。
2008/07/03
解説の最初は「2235」と「2236」。
互いに対照的な図案であり、今回の中では最もシンプルかつ汎用性に優れている。
そもそも花形装飾活字は装飾という一面がクローズアップされるが、
その利用はルールの取り決めにある。
文字にその役目を与え読む人にその補助をおこなうのが、
なによりもの使命。
ようするに視覚的に美しければ人の目を惹き読みたくなるんじゃねえの?
という、
きっと凄く安易な理由で生まれたもんである。
んな訳なかろうがきっとそういう事である。
しかしその追求された汎用性と美意識は賞賛に値する。
しかも100年以上に流行ったシロモンである
とまあ、
ここまでが花形装飾活字なんだぜって事で、
今回のこの2つは、
その中でも単純で線が少なく簡単な図案である。
単に文字を整列させる為に普通の線で行えばその目的は達成される。
が、あえて装飾を与えている。
それも必要最低限のアプローチ。
これ以上減らしても、
これ以上増やしても、
そのイメージはすぐにでも崩れてしまうのだと思う。
そのギリギリを良く知り、
どちらかというとこれ以上増やせないギリギリのライン。
増やせばきっと目に邪魔で、
この目的にそぐわない意味ないものになるんじゃないかな。
減らしても同様で、
単なる線になるやろうし、
その中間を取ったとしてもここまでの美的センスは得られない。
使い道は多種多様。
これ1つでも多くの事が出来る。
まず文字を囲むというやりかた。
単なる線以上にその束縛の効果は大きい。
そして抑圧。
文字のイメージに天上を作ったり地面を作ったり安定性を与える事が出来る。
これも単に線で行うよりも、
片方に装飾がある事でその強さは明確なものになっている。
最後にテーマ性。
いわば題名と文章をわける小さなきっかけを作る事が可能で、
これも装飾だからこその絶対性を得ている事がわかる。
単純だからこそ、
これだけの事が出来るし、
これだけのオブジェクトであるにも関わらず、
ここまでのイメージを構築する事が出来ている。
構成している装飾が簡単だからといって侮ってはいけないのである。
上の例の他にもアイデアを膨らませれば、
まだまだ使い方があるはず。
最後にコンピュータと印刷を連動させた新しいやり方として、
まず、
色を多岐に渡って提案出来るという事。
そしてそのアイデアは無限にあるという事。
一番の上で言うと、
1つはそのままの色で白い紙に刷る事は可能であるし、
その場合にはオレンジの部分のインクの乗り具合が非常に楽しみであり、
真ん中の白いインクの乗っていない静けさに薄い色の装飾がくる事で、
線と文字の黒に負けない強さがあるように思う。
アイデア次第では、
オレンジの紙に白の紙に刷った真ん中部分を貼る事で、
2種類の紙を使う事が出来ちゃったりする。
次に写真との組み合わせである。
これってカッコイイよね。
単にデータで流して印刷しても良かろうし、
写真と版を分けて刷っても良かろうし、
写植的に焼くときにOHP等のフィルムに刻印しておいて印画紙を重ねてやれば、
それそのものを製版というやり方も面白いと思う。
下のやつは、
こういう版をつくっておけば、
色を変えていろいろ遊べそう。
2008/07/01
http://www.fengfeeldesign.org/
エンスヘデ活字鋳造所による花形装飾活字シリーズ60のアドビイラストレーターにてアウトライン化したデータを一定の条件の元で無償にて配布いたします。
配布条件は3500文字以上の文章で、テーマ「花形装飾活字」と「印刷とデザイン」のどちらかをお選びいただきprinters_flowers@fengfeeldesign.orgまで件名を「データ希望」にしていただき、本文には「題名」「各種情報(活動名やURL等)」「本文」を書いてお送りください。楽しい文章をお待ちしております。また、お送りいただいた文章は当サイトのLOGにて公開いたしますので公開する事も同時に同意していただく事になります。
■データの取り扱いについて
データはアドビイラストレータ10で制作されたものです。1つ1つのオブジェクトがアウトライン化されており、ある程度の拡大にも耐える程度のクオリティです。標準サイズをA5に設定しており最大はA3までを想定しております。ただし活字を組むという想定ですので使い方次第ではサイズの制限はその限りではありません。
本データは著作権を主張するものではありません。あくまで研究目的のものでありその利用の範囲を広げる事で花形装飾活字の認知とその深まりを促す事が目的です。商用についても使用については制限を行なうものではありませんが、その際には使用者が全責任を負う事を同意していただいたものとさせていただきます。
■配布時のデータ形式と流れについて
データ形式はアドビイラストレーター10のイラストレーター10形式にて配布いたします。形式やバージョン等については可能な限り対応いたしますので、お気軽にお問い合わせください。 データをお渡しするタイミングは文章をお送りいただきましたら、その後、お礼と感想と一緒にダウンロード出来る専用のアドレスとパスワード等を記載したメールをお送りいたします。
■文章について
文章と言ってもかならずしも完璧なものを求めていません。もちろん博学的で美大とかで提出しそうな難しいものでも大歓迎ですが、出来れば「可能性に満ち溢れた」ものであればもっと大歓迎です。確定的な内容よりも何かこう否定出来るところいっぱいなんだけれど「花形装飾好きだ−!」がいっぱいなのが凄く嬉しいです。気軽な感じでお送りください。ウキウキ出来るような文章をお待ちしております。
■裏ルートの設置について
今回のデータ配布はあくまで文章によるシェアがメインのルートとさせていただきますが、実際問題3500文字も書いてる時間が無い!という方の為に裏ルートを設置したいと思います。その条件は「お酒1本(出来れば一升瓶)をくれたら」「呑みにおごってくれる」「千代紙な名刺を買ってくれたら」「欲しいものリストの中からなんかくれたら(準備中)」「ボクに嬉しい事をしてくれたら」を条件に個人的にコッソリ差し上げたいと思います。裏ルートがご希望の方はprinters_flowers@fengfeeldesign.orgまで件名に「裏ルート希望」、本文には条件を書いてお送りください。なんてったって裏ですから、お待ちしております。ゲヘゲヘ
2008/03/19
http://www.seiko-do.net/online_shop/name_card/index.html
従来の「季節の名刺」に加えて、
春夏秋冬、4つの季節の名刺をセットで値段もお得にご購入いただけるサービスと、
決められた柄の中からお好きな柄を選んで、
自分だけの10枚をご購入いただけるサービスを追加いたしました。
選べる柄は今後定期的に増やしていく予定です。
ご利用お待ちしております。
2008/02/25
この2ヶ月程、
弟君に日本橋を社会見学させて貰いました。
ああ、いろいろ安いお店を知る事が出来たので、
その際は声を掛けてもらえると教えます。
で、
その日本橋に、
今までかつてない程の素晴らしいシステムの存在が明らかになりました。
それは何か。
つまり「爆乳解禁」なんですね。
スゲーなーと思った。
やられたと思った。
まずこんなの一般の広告じゃ絶対に使わないもんね(AVは除く、あのカルチャーは否定組です)。
それよりも、
いわゆるオタク文化とされている、
アニメ、漫画、萌え、メイド。
それに群がる商業ベース。
あれらはどちらかというとオイラは否定組なんやけど、
そのシステムのおかげで、
なんかピカピカに光って見えた。
というか見えざる得なかったです。
音楽にも同じようなシステムがショップ事にあるけれど、
あんなの屁だと思った。
明らかにこっちの方が盛り上がってるし自由を感じた。
これに関しては、
もちろん個人ベースでやってる人もいるし、
そういうもんでしょってノリなんすけど、
日本でカルチャーが生まれる際の物足りなさを、
解決する1つの手法をボクはここに見た感じがします。
そりゃ、
そこにあるクリエイティブは真似でありレベルの低さで言うと下の下なんすけど、
ありっちゃありで、
これを例えば映像作品とか写真とか音楽とか表現ちゅう言葉に置き換えた時に、
あの規模でこれらを出来るシステムが盛んになったら、
例えばこの日本橋という特定の場所で、
そういう文化とかそういうシステムを採用した店舗やスペースが増えれば、
いわゆる「自分で見つける」という事が出来るんじゃないでしょうかね。
たまたま見つけた音楽が最高にイカシテタり、
映像が写真集が、
VHSで売ってたりDVDやったり、
インクジェットとかコピーしただけとか。
ああいう、
フェス系のイベントテイストなやり方じゃなくって、
そういうのをフォローするシステム。
しかもそれが商業ベースでありうるという事。
さっきも書いたけれど、
個人ベースでやるのも凄いけれど、
こうやってシステムにしてるのはアニメとかオタクの文化は全然理解出来ないけれどフツーにスゲーでしょ。
リスペクトをマジでします。
認められた作品だけが世に出る昨今で、
綺麗なパッケージで彩って、
たくさんの人が参加して…。
そういうのもありですが、
わっかるかなあ。
ほんまのほんまに天才って、
そういうとこから盛り上がってくるもんな気がするんよねえ。
著作権とか気にするのはレベルの低い話やし、
ほんまにスゲーのって、
そういうのを卓越した凄さってのがあるんよね。
そういうのを産むチャンスがそこにあると感じました。
そして、
これから挑戦しようとしている人達にとっても、
大いなるチャンスになるとも思った。
こういうのって、
見せられた時よりも、
見つけた時の感動の方が大きいんよね。
で、
認められてない、
どう考えても認められないものが、
認められるようになる、
その瞬間が、
きっとカルチャーやと思うねん。
ずっとずっとアンダーグラウンドやったもんが、
ふっと浮上する瞬間。
それが何よりも面白いし盛り上がるし、
そういう挑戦出来る場所があるアニメオタク達(そういう方向でクリエイティブしてる人達)が羨ましかった。
なんちゅうか、
わかりますかね。
挑戦とかでもなくても、
個人ベースで高まったものをフト持っていける場所。
発表とか大それたもんでもなくて、
その世界にいくでもない、
ピンからキリ。
どうしようもないグズなものからスゲーもんまで揃ってる風景。
それが音楽に限らず、
いろんな種類のものが集まってる一つの場所が日本橋!!
になればなあと思ったのでした。
町の規模でそういうとこがあったら面白いと思うねんなあ。
もっといろいろ書きたいですが、
今日はこのへんでさようなら。
爆乳解禁。
2008/02/18
なにかフツフツと。
今、ここで、この作業場で出来ない事はない。
全てが整った。
幾つかの制限はあるけれど、
その限りある可能性を実現するには満ち足りた場所である。
それを1つずつこなしがら、
過ごす日々は凄く幸福であり、
特に社会的不安やお金の問題は抱えつつも、
これらを全うしうるだけの価値があり存在がある。
その1つ、1つが、ある到達点への道しるべになるのならば、
ここで、
ただ、ただ、
その作業を日々おこない永遠ではない時間を過ごそうと思う。
せめて後、
1ダースの鉛筆を使い切るまでは終わらないで欲しいと願う。