森羅万象な必然的世界に腰を据えて製作
2010/01/30
全ての事象は起こるべくして必然的に起こる。
僕が作品作りをする上で大まかなコアたる形
中心に添えるものの、残り8割は偶然性によるもの。
つまり、毎日ニュートラルな状態で画面へと突入する感じなのだ。
始めの脳内活動が停滞している初期段階において
意図してなぞり描いた形がちらほら滲み出てくる。
わざとらしさ満点の作為が
顔を覗かせ、それが見ていて卑しく味気無い。
そんな形を打ち壊す様に絵の具を上から塗したり、降りかけたり、
色水を使った洪水で綺麗さっぱり
打ち消したりする事を繰り返す。そうして偶然浮き出てきた
形態からぼんやりとした思いがけないモチーフが顔を靡かせるんだ。
偶然が産み出した形にそこから見えてくる必然的イメージ、
注意力払いながら、一つずつそれらを拾い上げ
画面へと貼り合わせてゆく。全ての出会いや別れ、
偶然遭遇した様々な事柄や出来事は必然的な成り立ちへと
必ず回収されてゆくのだと思う。人の人智を超えた大きな所でそれは
揺れ動いて、とめどなく、本来あるべき場所へと
帰ってゆくのだと思う。
最近図像に強く追い求めているのは、そんな儚く
無慈悲でとめどない世界観。
それと同時に生命の煌きや灯火などの希望や光。
それらはずっと
今も現在もこれから先も、延々繰り返される森羅万象ん中で
淡々と巻き起こる営みの様なモノを
動物と自然物を融解させながら、描き表して
ゆきたいと思う次第なのであります。もはやそれらはアニマルの
形態を留めていないモノなのかも知れない。別の生命へと変換され
朽ち果てて土に帰還した後、別の命がそこから芽生えて
そこから巻き起こる惑星世界の生き証人として腰を据え
存在していたりだとか。自然物との一体的世界から
さらに先へと踏み込み考察した図像を提案出来ればと思い
日々奮闘しております。
今日はイメージスープが体内から心地良く溢れ返り
絵筆をキャンバスへと勢いよく噴射疾走出来た感じがする。
要するに調子良いコンディションで描けた日なのだと思う。
やはり僕は苦しい事や心の嘆きや叫びを画面へと
ぶつけかますより、些細な楽しい事柄から
イメージを募らせて弄くる時の方が進み具合が
断然良く、描いていて良い方向へとダイス転がせれる
感じがしたのだ。あまりに苦しい事や狂おしい事が
自身の身に起きた時に画面へと発狂ぶつけ飛ばした所で
僕の場合、自己完結なそこから何も産み出せない様な
散乱したイメージに収束してしまうんだなぁ。
今日はモヤモヤした後にウキウキ踊る様な楽しい気分になれ
そこから画面の流れも潤ってきた様な感じがしたんだな、うん。
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