川瀬大樹

画家

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京都府城陽市

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    Works 305

川瀬大樹

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川瀬大樹

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    Works 305
  • トレパネーションなホムンクルスに熱狂いたす!

    今更ながら、ホムンクルスにはまっております!
    ブックオフで1〜7巻まで購入して、一気に読みふける。

    頭蓋骨に穴を開ける行為をトレパネーションと言って
    術後、眠っていた第六感が覚醒するのだ。海外では法的に合法で
    いくつかの事例が存在するらしい。
    主人公の名越は、車ホームレスで元は金融系のコア的な
    重要ポストを任されていた、いわゆる富裕層な身分。
    現在はホームレスの住まう貧困エリア付近に車を駐車させて
    そこで路上生活を日々営んでいる。
    浮浪者の視点と富裕層の視点の両方を経験してきた、
    この男の、ホムンクルスとしての物語が
    一人の医大生との遭遇により突如始まる事となる。
    トレパネーションを施された者達は世間で言う第六感的な
    超能力を身に付けれる様になる可能性を多々秘めている。
    名越が身につけた特殊能力は、ホムンクルスという能力でして。

    人間の五感で経験し、蓄積された記憶の立体物が
    純正のホムンクルスと呼称されるものでありまして。
    現代ではホムンクルスは脳の中の小人という呼び名として使用されている。
    この男の能力を簡潔に言ってしまえば、人々の
    心の深層に沈んだ闇がビジュアルメタファーとして
    立ち現れて見えるのである。人の身体が様々な形に
    変形して各自の最も歪んだ形態が
    如実と垣間見えてくるのだ。砂の形をした自身をマニュアル的に
    合わせてしか行動取れない者や
    ロボットに身を包まれし忌まわしき過去を封印しようとしてるモノなど。
    これらの捻じ曲がった思考を浄化させるには無意識を
    意識のレベルまで引き上げ、本人と向き合わせる事で
    浄化させる事が可能なのだ。

    深層心理の危うい動きをビジュアル通して、
    ユーモラスで恐々しく描写されており、これからの続きが
    待ち遠しい感じでございます!8巻以降は100円では買えそうに
    ありませんが300円くらいまでなら買っちゃいそうです!

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  • 絵描きのお金にならない哲学

    アート活動を始めて以来、365日、常にアートと関わる
    何かしらの事柄と接している様に思う。
    絵を直接描いてない日でも、アートの書籍呼んだり画集見たり、
    作家ブログや関連のツイート読む事が習慣ずいてる。
    外に外出する時は必ず表現と関わる場所へと出向くのが
    当たり前になっていて、美術館だとかギャラリー巡ったり、
    自身の展示搬入する事や、それの準備に前日明け暮れるのも
    作家活動の一端であるわけで。夕食を作家同士でテーブル囲い、
    日々の成果や節々で思う幾多の事象など話し込むのも、
    製作する上での着弾的なモチベーション向上へと繋がりゆくだ。
    なんだかんだで、学者と似ているなぁと思うのは、
    日々、自身の研究哲学を掘り下げ、突き詰め考え抜く癖が
    自然と付いているという所だと思う。
    絵描きの場合、お金にならない仕事と呼称される
    世間から見ればほとんど何の役にも立たない事に、
    自身の情熱を絶え間無く注ぎ込み、終わりなき探究心を御旗掲げながら、
    日夜奮闘している人達の様に思う。
    芸術的成功というのは結局は紙幣に変換出来るかどうかでしか無くて、
    ゴッホにしろヘンリーダーガーにしろ生前は
    ただの変人.奇人で奇人でしかなかったわけで。
    つまりお金にならない仕事を自身の欲望赴くままやり通して、
    後付けの結果として後世の歴史に残る名画になり、
    社会的役割を担えたんだな。そんな事を沸々考えながら、
    製作していた今日であります。
    一般的世間の評価というのは絵の内容で認められて付いてくるのとは別に、
    名声得た後で評価が一人歩きしてネームバリューだとか
    これは凄いモノであるというブランドから認知して
    認められゆく事ってのがある。なので一般の絵が分からない方々は
    肩書きやら略歴から入っている場合が多いので、
    日本美術館には温度差があり、
    メジャーな印象派やアールヌーヴォーには
    大勢の群集が押し寄せるのに対して、マイナーで認知されてない展示会は
    閑古鳥が鳴くかの如く美術館スペースはいつも
    ガラガラ静寂に包まれているのである〜。

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  • 大作画面が齎す高揚感

    F50サイズに続きF30号サイズが念願の完成いたしました。
    長い時間、手間隙&手塩にかけて作りあげた大作は
    出来上がった時の高揚感..、とても気高い感じですね。
    心の奥底が熱く火照ってきて、ジンワリしている感じです。
    こう言う時浸かる湯船は格段に心地良いです。
    なんだかんだで今月は巨大なサイズが二点立て続けに完成いたしました。
    今迄の作家製作ん中で、一番手数を入れられた
    記念すべき月になったのではないでしょうか。
    引きこ森って製作積み重ねた分だけ、作品図像が
    より良くなっていく喜びを噛み締めつつも、気を緩めれば
    元の地点へと舞い戻ってしまう恐怖感を同時に恐々と実感いたす。
    気を抜いて手を休めてしまえば、せっかく切り開かれてゆきそうな
    進化したイメージの先にある形を取り逃してしまい、
    それは二度と自身の手元へと転がり込んできてはくれないんだよ。
    緊迫感ある状態で欲求不満な満たされない状況を常に
    意識しながら間を挟んで休息止なせず
    すぐ様、湧き出てきたイメージを
    次なるキャンバスへと転写させてゆくのだ。
    いくら時間があっても足りない、到底足りないんだ。
    イメージの探求に終わりなどありはしないのだから。
    次は少しだけサイズを押さえたF20サイズの製作に取り掛かりつつ
    企画公募展に出展する作品を並行し、
    日々絵筆を一定のリズムキープさせながら動かしゆく事といたします。

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  • 絵のハードルバーの高さを設定〜

    ハードルのバーを少しずつ調整させながら上へ上へと引き上げてゆく。
    いわゆるこれが目標設定の高さになるわけです。
    最初の段階は低くても良いので、自分が自信持って
    飛べるであろうラインを設定して飛び越えてみる。
    それが成功すれば次なるハードルを目の前へと置いて
    高さをほんのちょっとだけ高く上へと引き上げてみるのだ。
    それも成功すれば、また、ほんの少しだけ高く設定する感じで。
    躓いてしまった場合、再度同じ高さのハードルへとリトライするのだ。

    絵のコンクールおよび公募展に変換して考えると
    まずは多人数取ってくれる入選からスタートさせる。その後
    搾り取られて厳選される入賞を目指して、それも獲得出来れば、
    さらに上の箔を付けれる賞歴へと挑戦するか、むしくは応募した
    公募展よりさらにレベル高くてメジャーなコンクールへと
    トライしてみるのも一挙でよろしいかと。

    作品販売の場合だと、始めは安く値段設定しても構わないと思う。
    まずは自分の作品に価値見出し、お金を出してくれる
    支持者を獲得する事を最優先すべきであろう。
    自身の作品が必要とされてるのだ!という喜びをまずは
    深く噛み締めながら体感してほしい所だな。
    これを一度味わうと絵描きとしてのプロ意識が
    肌を通してじんわり体感出来て、確固たるプライドや
    絵に対しこだわる姿勢が格段高くなると思うので。
    仮に始め売れた絵が5000円だったとしよう。
    その値段に見合う手仕事をきっちり出来ているのかどうか?
    それを自覚しながら絵と向き合う癖を付けながら、
    次は10000円の価値を自身の絵に見出そうと
    設定したハードルに向かい走り出すのだ。
    少しずつ、スキルを磨き作品をキラキラと輝かせながら
    価格設定を上昇させゆくのである。
    15000円→20000円→30000円→50000円という感じでね。
    作品価格を上げるという事はそれだけ質の高い絵仕事を
    課せられるのだと思う。ほど良い具合で身体へと圧し掛かってくる
    緊迫感や重圧を跳ね飛ばす事によって許容量のキャパシティーが
    増大.拡張されゆくのです。

    僕の今迄売れた中で一番高額なのがF8サイズの50000円。
    今年は一気にハードル無茶して跳ね上げ、F50号サイズを
    500000円で展示販売するつもりだぁ〜^^数字が6桁になると
    アートだけで生活するという淡い夢も、
    販売に繋がった場合現実味帯びてくる感じがする。

    一度売れた設定価格より
    安く絵を販売するという安易な選択肢は絶対に取らないつもりだ。
    自身の絵師としての、こだわりに見合うだけの価値を算出させ、
    挑んでゆく事となりそう。滑れば収益0円、成功すれば
    ネクストステージのハードル設定にシフトを移行出来る感じだな。

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  • 自身の作品との記憶照合.照会

    自身が初期から現在まで作り上げてきたアート作品達。
    それは自分の歩んできた歴史でもあるし、
    それぞれの時期に巻き起こった出来事や記憶を作品介して頭の奥底から
    手繰りよせ過去の場面蘇らせてくれる
    メモリー装置の役割を果たしてくれたりなんかもするのだ。
    いわばフォトアルバムを一枚一枚捲りよせて
    物語を回想しながら辿ってゆき
    懐かしんだり、思い出耽ったりなんかしたりするみたいな。
    初期の頃味わった初々しいメモリーに顔をしかめたり、
    色がカラフル乗っていた頃の、淡くてほろ苦い記憶、ふと思い出したり、
    作品介して出向いた場所で新しく出会った数多くの人達と
    後々まで深い絆で結ばれた事なんかを再認識したり。
    あの時、あの場所で..、それぞれ経験した幾重にも連なる数々の体験が
    現在の時間軸まで、長き一本の横スクロール軸となり繋がっている感じだ。

    これから描きし作品から、新たな人との遭遇であったり、
    置かれている環境の変化や、それに対しての心境の変容だったり、
    この先展開されゆく日々の積み重ねによって
    さらに図像が緩やかに変化しながら、移り変わってゆくのだろう。
    これから突き進むログポースは果たしてどの島へと
    航海する様、針が向けられてゆくのだろうか。

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  • ゲイサイの持つ異質性について一言

    アートフェスタならではの緊張感が今ひとつ欠けた
    緩くて締りっ気の無い空気感。これは出展する場所が
    関西.東海.関東と違えど、ひとくくりに共通している所だと思う。
    要は会場全体がお祭りムードでハッピーな浮かれたテンションに
    染め上げられるからだと思う。終わり駄目でも、まぁそれでも
    諦めつくみたいな..「笑」

    今日入ってきた情報で芸祭が延期ではなく中止である事が
    決定したらしい..。これにマイミクで出展者の一人である
    東海地方のクリエイターがえらく落胆していたのを呟きから察する。
    芸祭はアートフェスタでは無く、アートフェアという位置づけとも
    違う様な気がする。極めて特異なポジショニングに在って
    年に一度一日だけ開かれる、ドラゴンボールで言う所の
    天下一武道会みたいなものではないだろうか..。
    展示するのは作品原画がメインで、それを元に競い合い、
    シビアに数字置き換え採点される過酷で気の抜けない
    張り詰めた空気感へと会場全土が覆いつくされるのだ。
    展示後は首位から最下位迄の採点表と名前が
    同一平面状の張り紙の様なモノに赤裸々に会場内掲示される。
    これを見る勇気の無い者は展示後、荷物をそそくさ梱包して
    夜逃げする様に尻尾を巻いて帰宅しゆくのだ。

    芸祭自体、無名及び無所属の若手作家を発掘.掬い上げるために
    多くのアート関係者が会場へと足を運ぶので、
    この開催される一日が各自のアーティストにとって
    千載一遇のチャンスとなりうる可能性を大いに秘めているのだ。
    アートフェスタの場合だと、大体は一過性の流れで
    終焉する傾向にあるケースがほとんどである。
    芸祭の場合だとイベント終了後、
    チャンスを得て出来上がった繋がりを継続して持てる事の方に
    意義や価値がある様に思う。
    企画ギャラリーとの契約を結べたり、
    有名雑誌に取り上げられたり、
    海外での展示機会のチャンスなどにも恵まれたりするのが
    芸祭の持つ大きな魅力なのではないだろうか?
    なので、出展するアーティスト達は誰もが命がけなのである。
    周りの作家は全て敵とみなし、背中も向けられないくらい
    お互いピリピリした険悪ムードへと包まれ、重苦しさが漂う。
    だから1日だけの開催なのかもしれませんね..。
    これが2日連続だと、その場の醸し出す負の怨念に耐え切れず
    気が滅入りリタイヤするアーティスト..
    ちらほら出てきそうな気がするのだ..。

    そんなこんなで芸祭とは、アート発展途上な日本で、
    数少ないチャンスに恵まれた作家の一生を左右しかねない、
    潤いあるアートレーシングサーキットなのである。
    これが地震のためだとは言え、中止になった事で
    出展予定だった多くのアーティストの悲壮で無念な残念度合いは
    計り知れないものであるのだ。

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  • 鯨を描きしアーティストへの燃え滾る対抗意識

    暑い暑い真夏が終わりを迎える頃に、なのギャラリーで
    開催された多人数企画展クロージング交流会。
    夏に開催されてたギャラリー提携企画、
    ピースサマー企画の一環として
    なのギャラリーでも展示会が催されて、
    僕は展示会には参加してないけど、交流会には出席したのである。

    鯨の絵を主軸に描く画家と初めて遭遇したのは
    そこでの交流会であった。勇猛果敢な野心家で
    上昇志向が極めて高く、自身を自ら画家であると堂々名乗り、
    絵に対しての自信と誇りを体内から
    ギラギラ発散しているの姿がとても印象的であった。
    この人との出会いが、僕の失いつつあった絵に対しての
    突き進む勢いだとか這い上がってゆくモチベーションに
    業火なる灯火を再点火していただいた感じがする。

    今だから言える事なんだけど2010年前半は
    自身の図像に陰りが出ていて。2009年の12月以降
    バロメーターが急降下堕ちている状態であったと思う。
    カラフルに画面を構成してみたり、ボールペンや
    マジックを使って製作するも、それが絵の進歩を
    促す要素には合致してくれず、手薬煉引いてる状態であった。
    2009年のキリン群像だとか逆さに上下ぶら下がった猿などが
    一番好きなんだと、小さな小人の友人が言ってくれた。
    その人は今もアイフォン携帯のデスクトップに
    猿の画像を貼り付けてくれている。

    なんとか停滞した悲惨なる状況下を脱却せねばと言う
    思いもあったが、こればかりは足掻いてみた所でどうしようも無くて。
    そんな時、遭遇した鯨を描くこの男が、大阪のアートシーンに
    彗星の如く突如現れ出してから、徐々にだが自身の停滞した
    図像に光が差し込んできてくれた気がしたのだ。
    作品ジャンルが同じ動物画を扱っているので
    身近にライバル視出来る感じがしたのと、いろいろ通じ合える所が
    多々ある事にお話してゆく内、分かってきたんだ。
    何より、すごい速さで結果を叩き出してゆく勇士に
    羨ましさと対抗意識が相乗効果で絡み合い、
    モチベーションの原水がその都度雄叫び上げ上昇していったのだ。
    世界ので10本の指に入るアートフェアKIAFへの出展、
    そこで物凄い数の絵を売り捌き、向こうで若さと勢いのある
    所属ギャラリーと契約まで結んで、帰国報告受けた時は、
    とにかく羨ましい気持ち、溢れ返りました。
    時たま電話してくれる時の結果報告や絵に取り組む直向な姿勢、
    アートで実現しようとする方向性が、自分の目指すべき
    理想的ビジョンにピッタリ当てはまっていて、
    正にお手本として最高の作家と巡り合えた感じ。
    これがきっかけで、自身のぼんやりぶれていた軸が
    足固めとしてガッチリ固定されてきたんです。
    競うべき相手として申し分無く手強くて、自身より
    遥かに結果と実績を積んでいる
    最高のスパーリング相手を見つけられた感じだ。
    停滞していた作品が2010年9月以降から
    昇り調子でグイグイ形が洗練してきて、今年の3月に至る感じなのだ。
    今年の夏には池田財団がバックに付いた
    駅構内にある全面ガラス張りの30坪にも及ぶ巨大な
    ギャラリースペースで鯨を描く者始め、
    腕っ節満点の作家達に加わらせて貰い
    5人でコケラオトシというタイトルの展示会を
    開催する運びとなっている。周りの強豪達に引けを取らぬ様、
    最高の状態で作品を着陸させ池田市へと搬入いたしたいものだな。

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  • 天体観測するキリンまでの道のり

    今日も丸々一日ざっくりと製作三味〜。朝はそこそこ捗ったのですが、
    午後からF30号が煮詰まってきて、あくせくしとりました。
    ひとまず、F30号は今日の所切り上げて、
    出来かかりつつある縦長サイズキャンバスに点描を描き施し完成〜。
    完成後はいつもながら燃え尽きて、5時半に今日の製作活動終了。

    一人でひたすら画面と対話してると
    この世界にポツリと、ただ一人取り残されたかの様。
    外で時たま聞こえてくる音に耳を傾け、
    周りの人々が息づいている事を認識。
    人類が細菌で死滅してたった一人生き残った男の映画をふと思い出す。
    主演がウィルスミスだったのを
    覚えてはいるが、映画のタイトルがどうしても思い出せない。
    有名な台詞があって、「誰かこの放送を聞いていたら
    俺の問いかけに応えてくれ」..。
    ラジオ電波を使って、自分以外の人類が生きている
    確認問いかけるのを毎日の日課として続けていて、
    ペットの大型シェパード犬と共に
    ニューヨークの街中で慎ましやかに暮らしているお話でした。

    そんなこんなで描く事は誠にしっとりした孤独なる行為なんだけど、
    近い未来、発表させるスペースが確保されているから
    それに向けて頑張れるんだな。いわば発表するステージと言うのは
    アーティストにとってのキラキラ輝ける表舞台なのです。
    アートフェアや個展なんかを開いてる作家達に対し
    観覧車は憧れを抱き、自分も絵描きになりたいとか、
    あんな風な素敵な作品を自分も作り上げたいと
    強く思われたりする事が多々ある様に思う。
    けれどそれはあくまで表舞台の煌びやかなステージの断片であり
    一部分であって、氷山の一角にすぎなくて。
    ステージの舞台裏では、数え切れない血の滲む様な努力であったり、
    節約および質素的な生活の連続であったり、
    たくさんの苦悩や葛藤が日々連なった上に
    ようやく日の目を見れる表舞台へと立てるのである。
    そんな自分も近い未来に待ち構えている
    挑むべきステージを成功へと導くために、
    モチベーション高めながら制作活動に奮闘するのである。

    8月までに今後の作家活動を左右する様な重要な展示会が
    幾つか待ち構えているが、全て後悔の無い様、
    邁進してゆきたいものである。

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  • 人との会話.ラジオ的チューニングについて

    ラジオで言う所の周波数、わわゆるヘルツについて。
    初対面の相手と会話をする時、人見知りも加味してか、
    かなり、ぎくしゃく緊張している自分と言うのが常に存在していて。
    初めてお話する相手とは、言うなれば知らない者同士な訳でありまして。
    アートの交流会や在廊している人と話す時に
    それぞれのリズムやテンポや間合いというモノがあるんです。
    周波数を相手むしくは自分と程よい位置で間を計りながら
    音が許容出来る範囲へとチューニング合わせ、
    トークしてゆく感じなんですかね。
    ファーストコンタクトで互いが思うのは
    この人は何者なのか?と言う問いかけが相互に浮き出てくると思うんです。

    僕は受動的な相手に対しては聞き取り形式で
    質問を投げかけてゆく形式とっております。
    いわゆるインタビュー形式な感じでして。
    どういった系統の作品が好きなのか?とか、好きな料理の事だとか、
    趣味の話とか、いろいろ探り探り聞きとりながら、
    相手の会話が弾むテーマへと持ってゆき、
    そこを始発にしてキャッチボールしてゆく感じですかね。
    会話を継続的に自然と紡ぎ出せる形にしてゆくんです。
    会話がある程度盛り上がってきたら、少しずつ自身の事も
    織り交ぜて自己アピールさせてゆく感じ。

    僕は基本、人見知りで警戒心が強い性格なので、
    二度、三度、会ってゆく中で信頼度が
    少しずつバロメーター上がってゆく感じなんです。
    以前にギャラリーオーナーから指摘された事があって、
    君はいつも交流会で顔馴染みの人とばかり話をするけど、
    もっと新しい人とも会話せないかんよー..ってな事を
    言われちゃいましてさ〔笑〕たしかそれは一理あるんだけど、
    これがなかなか難しくて苦手なんですよね。
    初対面の人との会話になると表情が硬くなって
    目をまともに合わせられず
    挙動不審満点な感じですから、僕の第一印象って最高に
    印象悪いんじゃないかな、うん。
    まぁ、そんなこんなで、今日は普段どの様な打開策で
    トークセッションしてゆくかについて
    冒頭からツラツラ書き上げた次第でございます。
    結論言ってしまえば、長い付き合いの人とでは
    すぐに周波数合わせて分け隔てなく、ほのぼのと会話出来るんだけど
    ファーストコンタクトの人とは、周波数を見極めるまで
    ある程度、直に接する時間が必要なんだと思いますなぁ^^

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  • 自由と束縛、返信

    2011/03/20

    メモ

    吾然有さん、こんにちわ^−^自由と言うのが仮に無制限に
    存在しているとしたら恐いよなぁ..って思うんです。
    365日、24時間、全て自分の好きな様な事をしてもよいと
    仮に言われたら、逆に漠然としてしまい
    何をしていいか混乱してしまうと思うんです..。
    吾然有さんのお知り合いの陶芸作家さんが言われた
    がんじがらめになってしまうって言葉が、それに
    ぴったり当てはまる気がいたしますなぁ^^

    日々慌しい日常の雑用だとか、細々した事柄をクリアーしながら、
    その合い間合い間で製作していると、限られた
    時間のありがたさが身に染みてきて
    製作も気持ち引き閉まる感じいたします^−^

    これから製作が捗りやすい季節になってきたので、
    ほど良い気候の中、ハイクオリティーな名画を
    お互いたくさん誕生させてゆきましょうね♪

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