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2010/05/26
ふつう、能楽堂の鏡板には、枝ぶり豊かな老松が描かれます。
ところが……平成9年にできた名古屋市能楽堂……鏡板の松の絵を、この地方では有名な杉本健吉画伯に依頼したところ……なんと、若松を描かれてしまいました。
能楽師の方々からみれば「なんじゃこりゃ」というできそこないというかむちゃくちゃ。でも、杉本さんは「若い名古屋には若松が似合うんじゃー」と譲らない……。
まあ、杉本先生の世代からすれば、こうなるのはわかっていたはず……依頼した市の方では、「巨匠」にお願いすればまちがいない……ということだったのでしょうが……。
この杉本健吉さんという方、名古屋に地下鉄ができたばかりの頃に、やっぱり市から依頼されて車両の色を決めた。
ところが……その色が、なんとレモンイエロー!
「地下は暗いから一番明るい色がええんじゃー!」ということだったらしい。
さすがに、もうその時代の車両は走っていませんが……ちょっと前までは時折見かけた。レモンイエローがグレイッシュに汚れて、なんか悲惨だった……。
ちなみに、能楽堂の方は、現在、きちんとした老松の絵(松野秀世作)と一年交代でかけかえているそうですが……「若松」のかかっているときは、その前に「老松」を描いたタペストリを懸けてやってる場合もあるそうです。
舞う方の気持ちとしては、変な「若松」の前では絶対舞いたくないだろーなーと思います。……まあ、見る人によっては「珍しいから見たい」という方もおられるようですが。
能楽堂の件といい、地下鉄の色の件といい……
「巨匠」はオールマイティーではない。
特に、昔の「巨匠」に頼む際にはよく見極めて……
まあ、それぞれの専門化にお願いするのが、一番無難でベストでしょう。
絵描きの「社会的責任」を考えさせられます。
「絵描き」だから、何でも許されるわけではない。
健吉さんは、依頼を受けたときに
「その件は私の分じゃないですから……」
と、お断りすべきであったと思います。
*杉本健吉さんは、絵描きとしてはそれなりの業績を残された方だったと思うし、絵に対する取り組み方も真摯であったと思います。ただ、「個人の作品」と「社会的公共物」とは違うので……まあ、このあたりは、依頼する方の「眼」の責任でしょうね。
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2010/05/23
粘膜って……とても大事だと思います。
イネ科の花粉症で、粘膜という粘膜をやられてしまいました。
目が、鼻が、かゆい……くしゃみはなみずになみだに咳まで……。
粘膜、張り替えたい!
……粘膜は、肉体の最前線防衛基地かもしれません。
個が、個として分かれるところ……
個が、世界に対して立つ最前線……
……というおおげさなことをいわなくても
粘膜は、大事にしたいものです。
粘膜に愛を!(なんのこっちゃ?)
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2010/05/20
まねる……というのは、大切なことらしいです。
人間は、人間を「まねる」ことによって人間になる。
脳内に、ミラーニューロンというのがあって、なんでもまねちゃうそうです。
人間をまねれば人間になり……オオカミをまねればオオカミになる。
インドの「オオカミ少女」は、ついに人間に戻らなかった。
……ということになりますと……
「創造性」って、なんだろう。
完全オリジナルで、いままでだれも見たことのないもの……
そういうものは、おそらく「認識」すらされないでしょう。
デュシャンの「泉」は、展覧会場から排除されたそうですから、少なくとも認識はされた。
まあ、ぎりぎりの線だったのかもしれません。
もうちょっといくと、見ることさえできなかったかな?
「見えるもの」は、まあ安心ですね。
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2010/05/17
借金も能力のうち……といいますが、ホントかなあ……。
個人の借金は負債。
会社の借金も、やっぱり負債ですね。
でも、株式会社の「株」も、やっぱり借金のうちではなかろうか?
「社債」というのもあるし……よくわかりません。
日本の国債発行残高が何十兆円、何百兆円……といわれても、ピンときません。
ひとりあたま、何百万の借金といわれてもねえ。
だいたい、国債って、なんですか?
「国の借金」って説明するけれど、では、誰から借りてるのか……。
まあ、国債を買った人から、なんでしょうが。
赤字大国といわれる国にお金を貸す人がいるなんて……ちょっと信じられない。
国が潰れることはない……という前提なのでしょうが。
国を、株式会社にして、株を買ってもらう……というのはどうなんでしょうか。
総理大臣は社長。各大臣は部長……かな。
国会議員は株主代表ですね。
税金じゃなくて、国民はみんな国の株を買って株主になる。
国が儲かれば配当がもらえるから……いいシステムじゃないかなあ。
以上、経済オンチのひとりごとでした。
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2010/05/16
アメリカや日本が下降線でも、中国やインドはいいのでは?
……ということは、人類力全体では、やっぱり上昇じゃないの?
国が交代するだけで……
という考え方もできるけれど、微妙に違う……と思います。
アメリカや日本の上昇時代には、自分の国のことを最優先に考えたけれど、それでもそれと平行して、常に「人類」という考えがあったように思います。
70年万博のテーマ「人類の進歩と調和」が典型的にあらわしているように。
だけど、今は、中国やインドの人たちでさえ、「人類」という視野は持ちえないように思う。
むしろ、日本やアメリカの方が、「人類」という残像をひきずっているように思われます。
これは……夢見る力、未来力の低下にほかならないのでは。
昔は「未来」があった。
そして、それは、自分の未来、自分の国の未来であると同時に、「人類」の未来でもあった。
でも、今は、世界中で、この最後の項が、消えつつあるように思われます。
自分の未来も、自分の国の未来も、結局は「人類の未来」に左右される。
この認識を持てなくなった今……本来の意味での「未来力」というものは、もはや存在できない……そういう領域に、「人類」は入りつつあるように思えてなりません。
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2010/05/15
シャトル引退も間近とか。
アメリカは、「宇宙空白時代」に突入するようです。
オバマさんは「火星、行ったるで!」とのたまう。
でも、なんか白々しい気もします。
日本では、「人の命は地球より重い」から、有人はムリ。
だいたい、事業仕分けで、「なんで宇宙に行く必要があるんですか!」と……。
人類力……全体に、低下してきています。
後の歴史書に「人類のピークは20世紀」
と、書かれたりして。
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2010/05/14
宇宙開発が後退気味ですね。
お金がない……ということも、一つの理由なのでしょうが……
「人間力」自体が、今世紀に入って、ちょっと下降線を描きだしたような気がします。
中国やインドの元気もあるにはあるのですが……
人類全体、ということになると、どうなのかな?
「進歩」や「進化」にたいして
今は、無条件に信頼を置いてるのだろうか?
なにが、変わってきたのでしょう……。
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2010/05/13
高速増殖炉もんじゅ、ついに稼動。
来年に出力40%。さ来年には出力100%になるらしい……。
未知の世界に突入……ですね。
(前のナトリウム漏れ事故は、出力40%で起こった。40%超は未知の世界)
出力100%になるさ来年は、あの、2012年!です。
ちょっと、気になりますね……。
まあ、せいぜいお気をつけて。
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2010/05/10
連休に、半蔀(はじとみ)を見てきました。
夕顔の霊が出てくる、あの能です。
今人気の友枝さんがシテを務める……
というので、満々の期待で、鑑賞。
今回は、演出が「立花」といって、舞台中央前に、花が生けられる。
それが……邪魔でしたね。
また、メインが松の立花だったので……鏡板の松と重なって、興ざめ。
うーん……ああいうことで、よかったのでしょうか……。
そしてまた、今回は、作り物が一の松あたりに置かれる。
そこから半蔀を開き、夕顔が登場するのですが……
目付柱が邪魔になって、見えない。
なんか、ことごとく邪魔が入って見えない舞台でしたが……
友枝さんの舞、やっぱりすごかったです。
この能は、謡曲の本だけ読んでると、すごくはかない感じです。
また、解説なんかにもそのように書いてあります。
ところがところが……
友枝さんの舞は、ものすごいエネルギーに満ちていた。
まるで原発の炉心のように……内からじくじくと湧きあがるエネルギー。
しかし……そのすべてを、第1身体の内側に、封じこめてしまう。
まるで、原発が、大量のエネルギーを、厚い隔壁の中に封じこめているように……。
だから、舞の外見は、きわめて静かでおだやかです。
その動きはさながらAIのように、見事にコントロールされている。
自動人形、オートマトンの動きさながらに……。
この作品は、今回がはじめてなので、他のシテ方の方がどのように舞われるのかはわかりません。
友枝さんだったから、ああいうふうなのか……それとも、この作品に懸かってくる夕顔の霊自体が、あれだけのエネルギーを持っているのか……。
他のシテ方の舞も、ぜひ見てみたいなあ……。
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2010/03/02
描いていて、いちばん「中実系」を感じるのは、人体デッサンじゃないかと思います。
人体は、ホントにセザンヌのいうとおり、「球と、円錐と、円筒……」
頭髪なんかもマッスとしてとらえるから、ぜんぶ中実系になってしまいます。
人体デッサンや彫刻デッサンを主とする美術教育を受けた人の目は、やっぱり中実系に敏感になっていると思う。
セザンヌにいわれなくても、自然を、「球と、円錐と、円筒……」で見ることができる。
これに対して、そういう教育をとくに受けていない「ふつうの」人の目は、やっぱり「自然を、球と、円錐と、円筒……」というものの見方はしないのではないだろうか。
ふつうにものを見る場合、やっぱりどんな人でも、「自分の価値観」によって相当にゆがみの入った状態で、世界を見ていると思います。
それは……いってみれば「価値観」というフィルタによってとらえられる世界像……
以前、なにかの実験で、成人男性と成人女性にいろんな映像を見せて瞳孔の開き具合を測定する……というのがあった。
結果は……男性が最も興味をもって眺めた対象は女性の裸体、女性の場合は赤ちゃんの映像であったとか。
男と女では……おんなじ世界を見ていても、全く違う……ということになりますね。
人体や彫刻のデッサンを主体とする美術教育は、こういう「人によってちがう価値観」をできるだけとりはらって世界を見る訓練……ともいえるけれど、それが本当に客観的なものなのか……それについては、やはりにわかには結論がでない。
たとえば、伝統的な日本の絵画技法においては、やはりセザンヌ流の「自然を、球と、円錐と、円筒……」というものの見方とはまったくちがう観点からの、しかしながらやはりある種の客観的な「ものの見方」が教えられていたと思います。
印象派における浮世絵の影響を云々するまでもなく……現代でも、「スーパーフラット」とかいって、西欧の伝統的な「世界の客観視」とは異なる見方を導入しようとする試みもある(多分にプロパガンダ的ではあるものの)。
こういうものは、やっぱり「中実系」を主体とする美術教育へのアンチテーゼとして、とりあげられるのかな……と思います。
アニメの世界だと、以前は、「中実系」を主体とする美術教育を受けたアニメータはあんまり多くはなかったのではないか……。
セルアニメの世界を見ていますと、そんなふうにも思う。
おもいっきりスーパーフラットですもんね。
ところが……
最近の3Dアニメを見ていると、事情もかわってきたなあ……と思います。
ポリゴンにテクスチャをはりつけて……というのは、まさに「中実系」のつくりかたではないか。
今、アニメの世界は伝統的スーパーフラットセルアニメとポリゴン3Dアニメが奇妙なふうにないまぜになってできているように感じる。
ポリゴン3Dアニメは、服みたいな「枚葉系」まで中身のある中実系でつくってしまっているみたい。(だから、どんな服でもゴムのよう)
髪の毛みたいな線形は、カタマリのアツマリとして、完全に中実系で再現しています。
おそらくは、これは過渡期であって、将来、もう少し安定した様相が出てくるのでしょうが……
それがどういうものになるのか、楽しみではあります。
セザンヌ氏を生き返らせて、見せてあげたいなあ……
「自然をポリゴンとして……」
なんて、言ったりして。
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