サカグチテツキヨ

グラフィックデザイナー

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大阪府

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サカグチテツキヨ

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  • 花形装飾活字を愛でる その84

    紹介しておりますエンスヘデ活字シリーズ60の花形装飾活字のアウトライン化したデータ差し上げます。
    詳しくは
    http://www.fengfeeldesign.org/をご覧ください。
    お待ちしております。

    3:7。
    これはポスターにおける活字とイメージの黄金比率です。
    活字が3でイメージ7。
    メッセージが7でイメージが3とも言えちゃうか。
    単に技法でしかないけれど、
    こういうのをいろんな分野やシーンで見極めていくと面白かったりします。
    かならずしも3や7である必要もないし、
    基準を知る事で変化への足がかりが生まれる。
    変化とはこの場合は、
    アルカリ性と酸性の液を混ぜた時に変なガスが発生する状況に近い。
    いわば現代のグラフィックデザインはその比率のプールと言い切っちゃえる訳です。
    重要なのはイメージが10で成り立つ場合が発生しているという事。
    逆に活字10で成り立ちもします。
    あくまでこの2つが重なりあう快感みたいなものがあって、
    住み分けが出来ているという事になります。
    つまり、
    活字はイメージではないという事になります。
    これは英文に比べて日本語書体の扱いのしにくさの原因の1つとして挙げられます。
    が、
    花形装飾活字が実は日本語の書体が英文の書体は違った趣を持つという事実。
    これは見捨ててはいけないと思います。
    イメージとしての強みを持ち、
    その中に活字としての役割を与えられた日本語書体において、
    花形装飾活字という比較的イメージよりに対して整理性をメインに持つオブジェクトが、
    寄り添う事で新しいグラフィックデザインが誕生しているのだと感じます。
    欧米的なデザインをそのまま日本語でやろうとすると無理が出るのは、
    英文がイメージに付き添ういい関係に対して、
    日本語でそれを行う場合に、
    イメージとイメージですから所謂ところの欧米的なデザインに出来る訳がないのです。
    近頃では、
    イメージとしての文字を最大限にまで押し殺した書体もあるにはありますが、
    その特徴を無くしてまで欧米「風」にする行為に疑問を感じずにいられません。
    この時。
    竹久夢二の名前を思い出します。
    彼は日本語においていち早く感覚的にはありましょうが、
    その理屈に辿りついた最初のグラフィックデザイナーであると言えるでしょう。
    彼のイラストは単純性と伝達性に優れており、
    これは日本画を表面上(文献ではそういう感じで書いてます…)のみサラリと学んだ、
    たまたまの偶然性が生んだ奇跡のイラストならぬ、
    まさしく「図案」であるのでしょう。間違いなく。
    彼のイラストは実に日本語の書体と合います。
    それに気付いて実行に移したのが千代紙な名刺なのは置いといて、
    これは、
    先日書いた友禅の雛形図案との関係性にも繋がります。
    花形装飾活字との共有は無理でしたが、
    それを1つのグラフィックデザインとして配置した場合に以外に合うのは、
    上記で述べた事が要因であると考えられるのです。
    あ、時間がきてしまいましたので今日はこのへんで。
    次は伝達性に優れた図案について書けたらと思います。

  • 花形装飾活字を愛でる その83

    紹介しておりますエンスヘデ活字シリーズ60の花形装飾活字のアウトライン化したデータ差し上げます。
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    活字におけるデザインの限界点、
    すなわち花形装飾活字の限界点でもあると言えると思います。
    残念ながら、
    コンピュータを使用した現在でも、
    その伝達は活字に依存しています。
    最近ではtomatoなんてデザインチーム(そうチーム向こうはチームでデザインが出来てていいよね)が実験と銘打ってなんかいろいろやってますし、
    特にヨーロッパの方ではやはりデザインの発祥という事もあって、
    グラフィックデザインに対する実験が実践とともに(ていうか日本は心がせまい)
    いろいろやられてるみたいですが、
    あ、あくまで日本で手に入る情報です。
    なんかスゲーのんがあるぜ!ていうのが是非教えて欲しいです。
    でね、
    まだまだ活字のかっこよさの魅力に打ちのめされてるって訳です。
    まだまだ使いこなせていないし、
    時代が変われば人が変わればその使いようも変わってくる。
    そのおかげで限界点を気にする事なく活字を使えているのだと思います。
    考えなければいけないのは「方法」にはかならず限界と欠点があるという事です。
    万能な「方法」なんてないんです!
    目を覚まさないとダメなんです!。
    ただ、
    その趣向における人間の興味のまま、
    永遠に続くパズルのように、
    しかもその完成は未完成でも、
    ある種の快感を得る事が出来ます。
    だからこそ活字は利用され続けているし無くならないのだと思います。
    なんとも便利です。
    こんなにも便利な幻想が今まであったでしょうか。
    しかもそれを紙に刷るなんて!
    現在ではコンピュータにも表示されて!
    その利用はテクノロジー、
    さっきも書きましたが時代や人が変わる事で、
    その限界線は変化し続けています。
    同時に花形装飾活字は装飾ではありますが、
    活字の1つだと考えます。
    変化し続ける活字の利用とともに、
    その装飾の存在はあるはずでした。
    が、
    現在では廃れています。
    その装飾性のみが重んじられたせいで、
    1800年代の後半頃から、
    写真や、それに伴う印刷技術の変貌の波に押されて使われなくなりました(徐々に)。
    コンピュータ以後のデザインの世界では、
    回顧的な要素として使われる場合はあるものの、
    その使用は限定的で実践で中心で、
    という訳にはいかないようなのです。
    残念なのは、
    その整理性にこそある活字の美学が置いてけぼりにされ、
    画面のイメージに注釈してしまっている事です。
    写真の伝達能力、イラストの伝達能力は、
    言葉ではない新しい快感なのは否定のしどころでは無いのはわかるのですが、
    というのは時間が来てしまったので次回に続く。

  • 花形装飾活字を愛でる その82

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    とくに否定論ばかりでもありません。
    当初は友禅の雛形図案を原案とし新しい花形装飾活字を作る意図にありました。
    可能性としては、
    両方が追求しつくされたものであるという事が挙げられます。
    そのエッセンスをウマク吸い出し融合する事で、
    なんとも使えるものになっていたと思います。
    具体的には四季の要素を版を組み合わせる事で表現できるようにし、
    それを図案としてではなく、
    文章を整理するツールの1つとして完成させるというものです。
    例えば「すすき」という1つのテーマを決め、
    そのカテゴリーで装飾を作り、
    組み合わせる事で整理性に加えて、
    季節や風景、情景に至るイメージを構築出来ればという考えです。
    単にパターンやルールによる装飾ではなく、
    茶の世界や菓子のように四季を織り交ぜる事で、
    使う側、もしくはそれを摂取する側が、
    一過性に留まることの無い、
    形式としてのデザインを作れると思っていました。
    今回はこの考えをボツにしましたが、
    惜しいと考えています。
    今、新たに花形装飾活字を作ろうとした動機として、
    日本における花形装飾活字の扱いの失敗。を感じているからです。
    日本は「見栄え」を重視するビジュアル的な文化を根底として持ち続けています。
    それはつまりイメージを先行して捉える方法。
    物事をイメージとして捉えるクセみたいなものです。
    逆にヨーロッパから伝えられた「デザイン」という方法は、
    それまでの日本の美意識を分解するに足る、
    まったくからしてこれも真逆な手法だったのは周知の事実であると思います。
    一応書いておきますと、
    「物事を見てからイメージする」という行動そのものであった訳です。
    これは日本における「イメージで物事を見る」とはまったく性質の異なるのは、
    前回、前々回と書いて参りました。
    その中で花形装飾活字をイメージの部分だけで捉える事によって、
    あの「賞状」に代表される装飾が出来上がったのだと思います。
    あくまで意匠の世界。
    それから半世紀は狂ったようにデザインの世界の虜にされます。
    今までなかった価値で構築するが故の新鮮さ、
    その影で根底にある文化としてのイメージ像やら、
    これは一からやり直さないとダメという事です。
    もう一回書くと、
    惜しいとこだったんですよね。
    視点としては間違っていなかったけれど、
    結局あの「賞状」的なものになるところだったのだと思います。
    単に花形装飾活字を使うのであれば、
    作ればいいのです花形装飾活字を。
    ただそれは多くの人が既にやっているし、
    ある程度の成功も収めているのですよね。
    と書きつつ次の視点が見つかりそれを模索中なのですが、
    基本としては間違っているのではなく、
    何をデザインとするのかという事にあるのでしょう。きっと。
    そして今回の友禅の雛形図案という考え方は、
    間違っていないがデザインではなかったというとこです。
    ほいじゃ。

  • 花形装飾活字を愛でる その81

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    では、
    花形装飾活字と友禅の雛形図案は可能性を共有する事は出来ないのでしょうか。
    答えはイエスです。
    共有する事はないでしょう。
    もし出来た、したとしても、
    花形装飾活字とは呼べない、
    もしくは雛形図案とは呼べないものとなるのは明白だと考えます。
    何故なら、
    その質に決定的な誤差があるからです。
    ただしそれは類似してるからこそ身余る部分でもあると思います。
    花形装飾活字は伝統的なアラベスク紋様を元にしています。
    それは写本から印刷技術の活版という流れなのは話がズレルので置いといて、
    その基本は唐草にあり、
    これは日本の伝統工芸にも多く用いられる所謂、
    唐草模様と呼ばれる装飾と一致する部分でもあります。
    が、
    重要なポイントでもあります。
    整理します。
    花形装飾活字のそもそもは活字であり、
    その活字の発生は写本もしくは装飾写本にあります。
    装飾写本とは調べればもっと奥がありそうですが、
    某宗教を布教、教えを広げる為のものである事を考慮に入れたとして、
    その目的は伝達性にあると考えられます。
    つまり活版印刷における印刷技術の目的とは、
    伝達性にあるので、
    この場合の花形装飾活字とは、
    罫線のように文章をより伝える為に作られたものであり、
    その上で装飾性における美意識の部分を最大源に高めたものであるのです。
    友禅の雛形図案とは、
    現在ではその目的は幅を利かせているが、
    友禅とは染色技法の1つであり、
    あくまで今回、「友禅の」と付けたのは、
    参考にすべき現代までも生き残っている資料であり、
    その技法を用いた雛形図案こそが、
    最高のものであると認識するからです。
    琳派の図案とすべきかもしれません。
    あ、多分和風とされている図案のほとんどは琳派からのものです。
    間違いなく言い切っておきます。
    これも説明すると長くなるので今回は端折って書きますが、
    興味ある人は書籍が結構出てるので読むとなかなか面白いです。
    とくに田中一光のグラフィックデザインはこの一連の流れに強く影響を受けたようです。
    で、
    友禅の雛形図案に戻ると、
    この図案というのは日本画でもある訳です。
    日本画の在り方とは「手本」が全てだと言われています。
    山の描き方、動物の描き方、植物の描き方、
    1つ1つ全てに「手本」がありそれらを習得した者が画家とされていました。
    その手本の修派の1つが琳派という事になるわけです。
    江戸の末期になるとこれらに反抗してロックに目覚める画家の話は置いといて、
    これは「茶」「日本舞踊」「華道」…etcの世界でも同じ考えですね。
    派という考え方が日本における芸術を支えてきた訳です。
    でで、
    これらを雛形にし図案として扱ったのが友禅の伝統工芸群です。
    装飾性、美意識の高められたものに、
    生産性を加えたものであると言えると思います。
    そして、
    花形装飾活字と友禅の雛形図案。
    逆ですよね。
    生まれた目的や理由や性質は凄く類似しているのに、
    逆なんです。
    共有出来そうなんだけど出来ない理由がここにあります。
    この事例は現在におけるグラフィックデザインの喪失感にメスを入れれる素晴らしい事例なんですが、
    この話はまたの機会に。
    ただし可能性についてはまた語れると思います。
    続きそうです。

  • 花形装飾活字を愛でる その80

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    花形装飾活字と友禅の雛形図案の在り方には大きな隔たりと、
    その利用と文化の違いからお互いが淘汰される事無く残り続けたのだと思います。
    日本における花形装飾活字の利用は非常に限定的でした。
    抜粋すべきは表彰状に見られるあの装飾。
    結局はあれが、
    日本における花形装飾活字の捉え方だったのでしょう。
    つまり、
    友禅の雛形図案との大きな隔たりの部分でもあったのです。
    何が隔たりだったのでしょう。
    大きな違いとは何なのでしょう。
    答えは複数に別れます。
    多くの要因が重なる事で、
    その技法の類似性もまた違うものとして扱われる事になったのです。
    日本は瓦版でした。
    活字では無かったのです。
    やがて瓦版は「描き文字」として変化をします。
    それは活字が主流になったが故の犠牲でもあり、
    生き残る為の変化でもあったのです。
    それでも消える事はありませんでした。
    現在の日本と海外とのタイポグラフィの違いにも実は根付いていますが、
    これについてはテーマが変わるので置いといて、
    瓦版は友禅の雛形図案とは違い、
    少しのその利用と文化において活字寄りであったと言えます。
    が、
    その影で性質は友禅の雛形図案寄りであり、
    それが今日までに残る結果になったのだと思います。
    日本には「見栄え」という言葉があります。
    伝統工芸等の書籍で良く出てくる言葉です。
    これこそが、
    その隔たりの部分を語るのに重要なキーとなります。
    明らかに日本における花形装飾活字(表彰状等)の扱いは「見栄え」を重視し、
    その整理性については瓦版の域を出ないものになっています。
    それは活字を使用していてもという事です。
    参考にして欲しいのは昔の新聞。
    図書館等で見れる場合が多いので是非見て欲しいのですが、
    それを見てもわかるように、
    「活字」と「描き文字(瓦版)」の関係性が非常に如実に現れています。
    「活字」における基本概念は大きく捉えて生産性と整理性ですが、
    「描き文字」における基本概念はその「見栄え」であると言えるのです。
    友禅の雛形図案もまた「見栄え」であると言える訳です。
    ここに花形装飾活字との違いはあります。
    「見栄え」を「イメージ」という言葉にすると分かりやすいかもしれません。
    もちろん、
    花形装飾活字においては単に文字としての活字と比べて、
    そのイメージは圧倒的なものがありますが、
    その目的における基本概念はあくまで生産性と整理性に重きを置いています。
    友禅の雛形図案は図案を配する事でそのイメージを構築します。
    つまり「見栄え」を良くします。
    逆に、
    花形装飾活字をどんなに配したとしても「イメージ」が構築される事はありません。
    むしろ無造作感の塊になるだけです。
    しばしば日本人の趣向として「見栄え」が重視され、
    その装飾性が絶賛される場合がありますが、
    とくに「イメージ」が構築されている訳ではない上に、
    その扱いは花形装飾活字としての使命を欠く事にもなります。
    やはり、
    その美しさが発揮されるべきは、
    その生産性と整理性が合理的に発生した時なのでしょう。
    あくまでオブジェクトが主役であり、
    それを踏まえると、
    友禅の雛形図案はオブジェクトそのものの構築の生産性を、
    美意識を損なう事なく最大限に高めたものであると言えるのだと思います。
    花形装飾活字の場合は、
    イメージの強みはオブジェクトの破壊にも繋がりかねません。
    が、
    その美意識もまた最大源に高められたものであると考えられるのです。
    どんなもんで。
    もう少し続きます。

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