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2010/04/27
エンスヘデ活字シリーズ60の花形装飾活字のアウトライン化したデータ差し上げます。
詳しくは
http://www.fengfeeldesign.org/printshop/insatu/printers_flowers/ensuhede/index.htmlをご覧ください。
お待ちしております。
なんだか微妙な違いですが、
今回は前回の配置を逆転させ、
少しその効果の意味を変えています。
こっちの方がわかりやすかったかもしれないですね。
こうなったら「対岸」ではなく岸になっちゃう訳ですが、
こういう場合は何に対して対岸かという事が重要になります。
とくに2つの情報がある時なんかは、
水草が無い場合に比べて紙面が拡張されて表現されます。
実際の見た目も2つの情報が離れ、
遠くから見ているようなイメージを抱く事になります。
つまり外側の空間を「波紋」で動かし活発化させる事で、
関連する情報との距離感を発生させています。
この場合、
右下の情報に左上の情報の全てが降りかかっており、
空白による空間の動きの演出と意識は、
例え同じ文字の組み方、配置をしたとしても、
その紙面におけるイメージの推移を、
水草によって変化が可能だという事も同時に分かります。
何が書きたいかというと、
日本語書体においては、
しばしば空白や余白を意識して文字組や配置をする事が語られ、
その上で美しさを説いている場合が多いですが、
この水草の理論からすると、
空白や余白に変化は可能なので、
その美しさの理論は、
正しき組版を揺るがす事になるんではないのかと考えています。
まあ、出すぎですが、
定義された美しさ程うっとおしいもんはありませんからね。
重要なのは意図であって、
どれだけ必然性を整えて、
その中の偶発性を生むかという点において、
あまりに文字一遍通りでは自由が無さ過ぎるように思います。
これは、
文章がブロックの塊だけではなく、
1つの紙面上での多ブロックによる組版の可能性を示唆しています。
あんまし専門で勉強してないのでこの当たりは言葉が間違ってたらすいませんが、
わかりますでしょうか。
極論なところ、すなわち視覚的なあり方として、
文学が変わるのでは。
漫画との領域とややこしいかもしんないですが。
ボクは少なくともそう思っています。
漫画を学ぶ上でわかった事は、
そこに文字がある以上は文学であり、
どんなに優れた文章でも文学でも、
単なる一方通行のブロックとして世界観を結局構築しているのは、
印刷という技術に照らしあわした結果で、
そこに美しさを求めるのは、
いささか疑問であると思うのです。
1冊の本でも良いです。
1枚の紙面でも良い。
印刷されたものがあまりにも定義されすぎな気がします。
あ、水草と関係ないかもな、
どうしようかな。
でもいいや書きます。
漫画でも文学でも新聞でもない文字の印刷。
水草理論はそれが可能だと思います。
大切なのは、
それを画策する人だし、
ボチボチ、テクノロジーとは別の部分で、
違うところにいくべきでは。
ボクはもちろんそうします。
それが文学か漫画かはわかりませんが、
大切なのは水草を使う事ではない。
もしこれを評価してくれるなら、
水草を作った事ではなくって、
この水草理論を考えた事です。
グラフィックデザインの達観の部分として、
2010年3月15日現在の立ち位置にて。
あ、終わらないよ。
結局なとこ何が書きたかったんだか。
まだまだつづく。
2010/04/24
エンスヘデ活字シリーズ60の花形装飾活字のアウトライン化したデータ差し上げます。
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お待ちしております。
「波紋」に「対岸」を被せるとどうなるかです。
画像を見れば一目瞭然ですが、
左上と右下の空間の圧倒的な差を感じる事が出来ると思います。
左上なんかはちょっとした浮遊感のような軽ささえ感じられます。
右下なんぞは深く沈み他の空間との一切の関係を断たれた状態になっています。
これは「対岸」による止まっている異質空間の中に、
動きである「波紋」を「対岸」に放つことで、
思いもよらない程のイメージの断絶が起こっている事によるものです。
つまり裏を返せば、
この形を作る事で左上部に関しては、
一切の紙面への影響が無い状態を作り上げる事が出来ます。
これくらいのイメージとしての圧縮を作り出してしまえば、
例えば西洋のようにシンメトリーで囲む事での装飾も可能になります。
また、この事象の特徴は、
互いの余白、空白に依存をします。
水草がそのまま左上に移動していくと、
右下の断絶感は緩み、
同時に左上の紙面における支配感が緩みます。
ただし、互いの関係は変わる事なく維持し続けるので、
均等に断絶している状況になるだけなんですが…。
この場合の正しさとしてはやはり、
組む自然さを考えると、
画像のように右下を圧迫するようなやり方の方がいいんですねきっと。あ、文字の情報逆だったかも。ま、そういう感じです。
2010/04/23
エンスヘデ活字シリーズ60の花形装飾活字のアウトライン化したデータ差し上げます。
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お待ちしております。
例えば、この水草をガバっと取ったり、
好きなお気に入りな版があったりなんかして、
それらを組み合わす行動は、
ボクは別にグラフィックデザイナーじゃなくってもいいと思う。
この水草を作った願いというのは、
そうじゃない人がキチンとグラフィックデザインを意識出来るような、
グラフィックデザインが紙がイメージが、
使う人の手にあって、
それを彩る一端として水草があればなあと考えていて。
グラフィックデザインは広告やメディアに拠りすぎだとも思う。
それはやはりオフィシャルを意識する心と、
発するという公開するという意識の中で、
プライベートがそれを求める領域まで辿りついてないだけなんじゃないかな。
果たして「ブランド」が正しい答えなのか、
戦略や価値や雰囲気や時代や人や、
そういう嘘くさいグラフィックデザインは終わりにしたいと思いませんか?
ボクは思います。
せっかくこんなにたくさんの紙があって、
せっかくこんなにたくさんの印刷のやり方があって、
これはずっとずっと書いてますが、
そんな願いみたいなものが、
この水草に込められています。
作法は作り上げるもの。
ボクが示す作法なんかはボクが作ったものでしかない。
重要なのは、
出来上がった物事やイメージというのは、
かならず個としての人間が誰かが言い出した事であって、
なおかつ誰かが決めた人がいるんだよね。
花形装飾活字というもののカテゴリーでさえ、
アラベスクというキーワードでさえ、
それが好きだから水草じゃないというのは、
いささか悲しい決断だなあと思います。
あ、そうだ作法について書くんだった。
ついつい今やってる事を書く傾向にあるという事で、
少し宣伝。
ツイッターでは3月と書いていたけれど、
来る4月に新しい印刷システムをfengfeeldesign発のサービスとして開始します。
多分、今出来る全力投球です。
当分、グラフィックデザインとしてはこれに注釈する事になると思います。
追々の計画と絡んできますので、
おっとまだこれは書けないのでこのへんで作法!
今回の画像は、
基本の3作法を使いつつ、
異質空間の融合を行いつつ、
一本のイメージで構築しています。
2つの異なる異質空間を同軸に存在させる事で、
紙面への緊張感を一層強めています。
凄くパワフルな配置です。
例えば今回は同じ向きでの配置でしたが、
これを内と外で向きをちぐはぐに変えると、
なんとも緩い空間が出来上がります。
つまり物質化された空間という事になります。
ちなみに今回は動的な空間という具合です。
2010/04/21
エンスヘデ活字シリーズ60の花形装飾活字のアウトライン化したデータ差し上げます。
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そして、
この形の元になったイメージとはいったいなんなのか。
単に都合のいい抽象に仕立て上げた訳ではありません。
1つの長年付き合ってきたモチーフを元にしました。
これを最初に何にするかで答えは変わっていたと思います。
なんというかやはり形にする以上は完全な想像などは有り得ません。
例え抽象画であろうともかならず眼に映った記憶のあるものの繰り返しによって、
得られるものであると信じています。
それと今まで一番多く描いてきた「曲線(WAVE)シリーズ」を基にする事も決めていました。
自分が1番長く多く描き続けてきたものを、
今回の「水草」にぶつけてやろうと考えたわけです。
今自分に出来る最強のドローイング、
そして今まで散々書いてきた「水草」コンセプト。
この2つが掛け合わさる事で、
水草の考え方がグラフィックデザインに関わってきて10年の集大成なら、
版の形そのもののドローイングは、
生まれてきてから今まで描き続けた技の集大成にしようと考えました。
前振りが長くなりましたが、ではここで答えを。
答えは「植物」です。
1つ1つが「植物」であり、全部で1つなんです。
葉であり根であり茎であり花である訳です。種でもあるかな。
その形の根本を追求し、
組み合わした時にどのように組み合わせたとしても「植物」になるような図案に仕立てあげました。
これは技です。
グラフィックデザインの関係のないところ。
もしくは巧みの一致を見たと言ってもいいと思います。
ずっと研磨し続けてきた事をただただ掛け合わせただけ。
その2つが組み合わした時に予想をしてそうしたのではなく、
単に、単に、その化学変化を楽しんだだけ。
言わば新しい生命です。
これはグラフィックデザインでありグラフィックデザインではありません。
絵画であり、絵画ではないのです。
まったく新しい平面もしくはビジュアルの誕生なんです。
そしてボクの全てです。
つづく。
2010/04/19
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「波紋」「対岸」「道標」。
そして改めまして『新・花形装飾活字、水草』の世界へようこそ!!
うむうむやっとここまでこれました。
今まではあくまで、
水草がグラフィックデザインとしてタイポグラフィとして、
いかなる視点で考えられて、
それはどのように使うべきなのかを重点的に書いてきました。
ここからは、
装飾の部分、飾りとしての水草に触れていきたいと思います。
その中で配置の妙みたいなものも画像でお伝えをしつつ、
この水草が今後どのようなシーンでスタンスで、
使われる事が望ましいかも含めて書いていけたらなと考えております。
なので、
まず、今回は、
今までに紹介してきた作法の3つを一同に並べてみました。
いかがでしょうか。
既に装飾としての根本は実はこれでオッケーな水準になっています。
というのは、
考え方として、
西洋の花形装飾活字が全体主義というか統合主義的なモノの捉え方に対して、
今回の水草は部分的で文字を支配せず開放的に捉えたまま、
全体を把握するというのが特徴なんです。
つまり、
めちゃんこ整理された瓦版と言ったところでしょうか。
瓦版は言わば本文さえも描き文字で行っていましたから、
そのまま活字になる事でその発想での花形装飾活字は、
今ある表彰状等を見れば一目瞭然ですが、
紙面として階層ではなく一枚の絵として、
の美術文化をどう生かすのかという点において、
今回の水草は打ってつけという訳です。
だいたいからして四角い紙面において、
どのように配置をしてもバランスを崩す事もなく、
装飾としての機能を活かす事が可能です。
時には生け花のように、
時には日本庭園のよう、
自然が織り成す現象もありでしょう。
もちろん西洋的に囲う方法も、
キチンと部品を作り装飾としてのバランスを考慮しながら組めば、
これまた不思議な絵になります。
その時時の文章の内容やシーンによっても、
イメージを変える事で柔軟に対応する事が出来ます。
そしてこの時に忘れてはいけないのは、
水草はあくまで主体となる現象の事象でしかないという事です。つづく。
2010/04/16
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少し作法から離れて、これから「波紋」「対岸」「道標」この3つが織り成す、紙面へのアプローチの前説を少し書かせてください。大体は前回に書いた視覚の反応の話なのですが、今回はそれをもう少し突っ込んだ内容になると思います。視覚という感覚は物の動きを捕らえる役割を担っていて、決して、色や形を見分けるものではないと書きましたが、色や形認識の以後か以前かという話に戻っていくのだと思った訳です。色という発想、形という認識は、動きを捉えるという視界における制限によって、光を読み取る眼球の装置が引き起こした化学反応の結果、今、人間が把握している視覚という感覚に帰属しているという考え方です。ちょっとわかりにくいな。つまり、紙面上の動かない形状や色は、動くと認識する感覚で結局のところ見ちゃってるんだよね。という事は「動き」のパターンや「止め」のパターン、または、そのどちらでもない、もしくはその両方の図案は、作成が可能であり、それをいち早く取り入れているのが書道であり、日本における文字の発想というのは、美意識に直結しているのではないでしょうか。例としては、漢字と平仮名の関係ようなものであり、動きの微妙な調整やバランスによる美が、既にそこにあるのではと考えています。その動きと一致しているのが、既存の花形装飾活字であり、そりゃ、重なって同じ動きのものを並べたら見難くなるよなてなもんなのです。たとえそれが狙いの部分であっても、狙いなら文字組み、タイポグラフィ的には尚更失敗ですよね。グラフィックデザインとして優秀だとは言い難い。これは日本の美意識独特の版画的な一層的の美術だと言われたら、それまでですが、それはあくまで美術であって、今回の目的は、グラフィックデザインであり、今一度、日本において花形装飾活字の在り方を考えようよというのが主旨なのですから。話が外れてしまいましたが、紙面を見る視点において、この「動き」を重要視する事でグラフィックデザインのある一方の底辺が見えてきます。ただしあくまで一方の底辺であり、数ある中の1つであるという事は注釈しておきます。もし日本人が西洋よりも早く、グラフィックデザインという着眼点で物事を見た時に、何をしていたのか、輸入されてきたされ続けている西洋のグラフィックデザインとは違う。グラフィックデザインが生まれていたのではと、今の幻想にも似た状況が続くのが文字組みや書体を見直すブームの中で、今一度、この視点でも考えてほしい話は別なので置いといて、ここでいう異質空間とは、この「動き」の操作を意識的に行う事で得られている事を、まず踏まえていただき、感覚としての視覚、そして日本の美意識が育まれた平安時代の色創造の文字文化に戻っていただけると、次回以降を読んだ時により楽しめれるかと思います。
2010/04/15
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あ、そうか、
3つの関連性を書く前に、
「道標」の紙面効果についてです。
前回も書きましたが、
画像のように異質空間の形成が出来ていないのが判ります。
短い間隔で「動」「止め」が交互にある為に、
非常に短い運動で素早く移動しているからなんです。
オブジェクトそのものの動きが俊敏で早くなったとしても、
紙面への影響は極僅かなので、
このような結果になっているという具合です。
波紋や対岸と比較して貰うと簡単なのですが、
どうやら、
オブジェクトが与える紙面のへの影響は、
オブジェクトが抱えるイメージのスピードに関係しているようなのです。
つまり自然現象そのものであり、
人間が目にしている視覚における経験、
もしくは遺伝的な感覚要素として備わったものであると考えられます。
これは、
文字を形成するイメージにも大きな関係があるとも考えています。
なぜなら、
単純に日本語と英語の読む感覚や、
読み取る際の視覚運動、
補足的には意味の思考も影響しているでしょうか、
それらは装飾における、
いわゆるイメージにも関わっているんではないでしょうか。
視覚は色や物体、動きを察知する能力があります。
考えたのですが、
もしかしたら視覚という能力で最も重要なのは、
色や物体を把握する能力ではなく、
動きそのものなのではないでしょうか。
眼球は物体から反射してきた光を察知する事で、
見るという感覚を得る事に成功しています。
そして視界という視覚の限界要素の中で、
動きに変化があるものには、
視界からフレームアウトしたり、
目で追う向きを変える等の補助的な動作によって、
動いていると認知しています。
例えば海岸は、
浜と水の領域に分かれています。
これは「動」である水と、
「止め」である浜を視覚で認知する事で、
互いに違う領域、もしくは空間として察知する訳です。
で、
ここが重要、
感覚の部分として状況はどうあれ、
視界という限界がある以上は、
光を読み取る装置はいわゆるカメラでいうところのCCDでしょうかね。
つまりそれは常に一定であるという事です。
どんなに視点を変えようとも、
向きや視角を変えようと、
読み取る装置そのものは単に、
入ってくる光そのものを一定に捕らえているだけなのです。
つまり視界を変えようとする動作は、
感覚の上では動く物体を捕らえる動作と同線上にあるのでは、
というのが今回伝えたい事なんです。
ずばり「動き」がイメージである。
形ではないという事。
もしくは形というイメージを形成しているのは「動き」なのでは。
その上で、
次回以降のこの3つの兼ね合いをお楽しみに。
つづく。
2010/04/13
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お待ちしております。
「道標」です。
基本的には動的グループと止めグループを組合わした時に発生する現象です。
動的グループは動きを表わし、
止めグループはポイントを表わしています。
つまり、
道と標しの組み合わせという事になります。
この特徴は空間を隔てるのではなく、
また異質空間を作り出す訳でもなく、
枯れ枝のようなものです。
もしくは地割れ。
関連性等という発想もなく、
ただただ視線を遠回りさせるだけの存在。
1つ、
サジ加減によっては動的にも止めにも出来る丁度中間くらいに位置する配置です。
基本的には長く伸びていくだけなので、
例えば端と逆の端で、
動的に終わらしたり止めで終わらしたり、
それによって紙面のイメージがガラリと変わります。
真ん中あたりが動的でも面白いかもしんないですね。
今回の画像は丁度中間くらいにしてます。
紙面のバランスによって、
いろんな組み合わせに対応出来る作法、
「道標」でした。
これがまた「波紋」と「対岸」に絡んできますんで、
次回から当分は、
この3つを使っていろいろ実験になります。
つづく。
2010/02/19
http://printersflowers.fengfeeldesign.org/
動的グループはひとまず置いてといて、
今回の画像は、
止めグループです。
文字通り紙面のイメージが止まります。
前回の動的グループの説明で、
止める機能を紹介しましたが、
これは単独でその機能が備わっています。
形状の特徴としては、
どちらかというと円に近い楕円で、
「根」が腹の部分に短く備わっているのが特徴です。
水草の中で一番小さくイメージも弱い図案のグループですが、
紙面を占めるパワーは動的グループよりも圧倒的強く。
さすがこればっかり集めると紙面に窮屈ささえ感じます。
同じように動的グループを配した場合に、
ここまで紙面における存在感は出せないと思います。
今回は適当に配しましたが、
本来はその都度のポイントに配するのが基本であり、
最初に書きましたが、
紙面の止めるとともに、
小さいですがイメージの受け皿としての役割も担っています。
情報上部に拝した場合には、
押しピン機能も備わっており、
該当する情報を釘付けにする事も出来ます。
「根」の役割については、
受け皿とする対象に向ける事を基本としていますが、
動きすぎる動的グループと同じ向きにする事で、
動きすぎているが止める事なく動きを持続させたい時に、
緩急として使用する場合に役に立ちます。
その逆に配すれば、
「根」の向きが内側になり、
例え動的グループがたくさん繋がって配置されてあっても、
単独で動きを止め内側と外側の異質間を容易に作り出す事が出来ます。
ただし、
今回の画像を見てもらってもわかるように、
圧倒的なパワーを持っているので、
位置づけるという意味ではプラスな方向に働きますが、
動的グループのような使い方では十分な能力を発揮する事は叶わず、
なんとも不細工な紙面を作る事になります。
つまり動的グループの基本所作をしっかりマスターしてからの使用をお勧めします。
その上できっと足りない要素が出てくるので、
それから使い道として使った方が自然な紙面が構成出来ます。
動的グループと止めグループの要素が組み合わさった時の、
紙面構成の面白さは、たまらんものがあるんですが、
それはまだまだ先の話。
止めグループの基本でした。
続く。
2010/02/18
http://printersflowers.fengfeeldesign.org/
停滞したイメージ。
イメージは停滞すると物質となります。
動的イメージもそれは同じで、
流れをぶつけると自ずと動きを止め物質へと変化を遂げます。
このやり方ってのは、
西洋の花形装飾活字図案に見られる特徴でもあって、
あれって結局流動系とかあったけど、
図案内でウマイ事流れを外に出さないように完結させてるんですよね。
それが同時にあれほどの完成度を実現しているだけど。
今回のこの停滞したイメージ。
物質化しているのにも関わらず、
まだ文字が勝っているのに気付きますでしょうか。
それは、
この「水草」今までのイメージの在り方を根本的に変えたからなんですが、
考え方として水滴を主体とすればわかりやすいかもしれません。
その効果というのは、
今回の停滞したイメージに限らず、
一定の流れで動的パターンを使ったとしても実は現れています。
水滴とする事で、
ぶつかるインパクトのイメージを、粒子と粒子が、
融合(吸収でもいいか)するようなイメージでお互いを取り込みあう瞬間を、
クローズアップしているのです。
楕円の形状的も単に綺麗な楕円せず、
このような楕円にしている理由の1つに上記のが言えます。
インパクトの瞬間の力を抜く事で、
むしろお互いがにじり寄ったと言うべきか、
力強さと組合した時の不自然さを一切排し、
むしろ受け入れる形状にする事で、
物体化そして停滞イメージへとスムーズに移行する事が出来ます。
この機能を多様すると、
紙面そのものの視点移動は、
流動的であるその時よりも限定的になる事は避けられず、
情報同士の関連弁としての役割は下がる事になります。
ただし、
それは機能でもあるので、
ウマク使う事が出来れば、
要所要所の情報のイメージの釘付けのような役割を与える事が出来、
また遮断する場合にも、
動的パターンを使用する方法の中では、
最も効果の高い方法であると言えます。
なんだろう、
紙面の無重力感が増す方法、が伝わりやすいかな。
動的パターンの停滞イメージ機能でした。