1万8000人の登録クリエイターからお気に入りの作家を検索することができます。
2010/01/10
自転車をひいてあるく
帰路
帰路は「あいだ」
あんなにたわわにざくろが実っていたり
たくさん知らない花をさかせる木が茂っていた庭を持つご近所の家
こないだ一本残らずみんな切り倒してしまった
こういう出来事は一人暮らしの私には辛い
なんだか偉そうに残る冷たいブロック塀のすぐ横を
猫のように前を見て通る
スイッチを入れればあたたかくなるこたつや
その他私のひとり生活するのに事足りるもろもろが
ある程度つまった家に向かって歩く事は
嫌な事でもないけど、たいそううれしいことでもない
きちんと毎月家賃と共益費と光熱費なんかを納めて
なんとかかんとか保たれている
屋根と壁と床
一人暮らしも3年目に入りだいぶ慣れた
自分の事をきちんとこなして
掃除もするしご飯も作るし仕事もする
飲み物の種類だったら下手なカフェよりいろいろある
ピアノだって弾く
だけど
何かが足りないな
おかえり
ただいま
それだけ
言える事は
どんなに幸せなことなんだろう
慣れて来てあらためて分かった
しっくりとひとりをかみしめることで
やっと分かって来た気がする
ちょうどこれを感じる時期なんだろう
初々しくもなく
かといって浸りすぎてもいない
このちゅうぶらりんなときだから
こうやって思えるんだろう
欲張りになるのね
付加価値がほしくなるのかな
寂しさの変化球が私を殴る
じわじわ
だから泣くほどじゃないし
絶望的でもないんだけれど
確実に心の表層を塗りつぶして行くような感覚
なんだか今は普遍的ないとなみを
無償に繰り返したい
おはよう
いってきます
いってらっしゃい
ただいま
おかえり
おやすみ
おうちって
そういう場所なんじゃないかな
お風呂に入ったりご飯を食べたり寝たりする以上に
そういう言葉が交わされる場所なんじゃないかな
それが一番の機能なんじゃないだろうか
西岡さんに先日頂いた
江國香織さんの詩集
まるで袋に入ったお菓子をかいつまむように
ばらばらのページをめくって楽しむ
「エペルネーのホテルの部屋で」という詩があった
夫と出かけ先の海外のホテルで目覚め、窓を開け
「ホーム」とつぶやくのだ
「わたしはホームごと旅をしている
あなたごと
私の帰る場所ごと」
ふむ
そういうものなんじゃないかな
どんなに家財が揃っていたって
心地よい温度が保たれていて
一定の食料や娯楽で満ちていたって
そこが本当に帰る場所になりえるかどうかというのはきわどい
それってまるでスーパーなんかで
袋に詰められて一斉に売っている冷凍食品みたい
つくりつけの、一時おいしいだけの
あたためても、なんだかつめたい
もしかしたら砂漠の真ん中でも
「おかえり」なんて言われたら
そこは「ホーム」なんじゃないかしら
最近寂しいって日記しか書いてないなぁ
どんだけ寂しいんですかっていうのも
これ書かなくなったら完全に麻痺してきたと思って頂いて結構です
寂しさがあるうちは味わおうと思ってます
それにしても江國さんはいつでも
恋のエネルギーを補充してくれる
さ、なんか、私
どうしようね(ふふ)
http:..www.watanabe-haruna.com/
ログインするとコメントを投稿できます。
2010/01/09
以前
KDDI iidaのディレクションをされている
柳本さんにトークセッションでお会いしたとき
当然のような流れで
昔のデザイン、今のデザインという話になった
ブームや流行というのは
足りない部分を補うように
常に新しいものが上に塗られているようで
実はほとんど新しいものというのはない
物事の本質を考えるとき
外堀から攻めるように
知識の地盤をかためていく柳本さんだからこそ
何もかもにルーツや流れがあって
「繰り返している」ということが
分かるのだそうだ
分かりやすく言えば70年代の食器や器
家具なんかが流行したとして
それは過去の流行を今に持ってきているということが
往々にして言えて
それが行き過ぎるとそこに足りないナチュラルであったり
自然的なものが流行したりする
ぐるぐるぐるぐる
何もかもが旋回して
世界は大きく繰り返しているらしい
それはきっと
私の思考なんかも同じ
そこで私は柳本さんに聞きました
「人は進化しているんでしょうか、
それとも繰り返しているんでしょうか」
即答された言葉は前者だった
ただ
その進化というのはやはり
旋回なしにはありえないということだった
過去と同じところをたどっているようで
ほんのすこし上にあがっているんだと
まるでバネのように
少しずつ少しずつ上って行く
なんども何度も繰り返しながら
それを聞いたとき
ふと思った
さっと直線で上ってしまった先に
何があるんだろうと
そしてその地盤はひどく
脆いにちがいない
細く、長く、風が吹けば折れてしまいそうな
か細い人生になってしまうんじゃないだろうか
本当の安定感や経験値や
そういうものはきっと
いくつもいくつも同じことを経験して、失敗して
少しだけ成功しながら
そうやって上っていく
そういうふうに何度も旋回した地盤は
抜きん出て高くならなくても
強くて頑丈なものになるんじゃないだろうか
高くなるには
続けるしかないような気がする
ぐるぐるぐるぐる
だから
あせらなくてもいいかなって思った
どうせいつか死ぬんだから
それまでどれくらい大きく
どれくらいの回数、旋回できるだろう
ふと息が切れる時に
さきっぽにちっちゃい花を咲かせたい
戦争はちっとも終わらないけど
人間は進化するんだろう
私も、進化するんだろう
http://www.watanabe-haruna.com
新作かかってます
なかなか星座にとりかかれない
そしてきっと個展終わるまであんまりアップできませんで
つまんないかもしれませんが
気が向きましたらお付き合いください
ログインするとコメントを投稿できます。
2010/01/08
いまさらですが
実は私の2010年初笑いは
これでございました
実家での元旦
父も母も年越しは普通に過ごすのですが
私は10年以上
ずっと地元の親友とふたりで
山の上の除夜の鐘をつきにいってます
今年も行ってきました
家に帰って来て
さてお風呂に入って寝ようかなと思ったら
お風呂の扉にこれが貼ってありました
「次 お風呂入る人へ
シャワーの温度は
調節してあります
E.T.」
!!!!!!!!??????!!
あ、、、ありがとう!・・E.T.・・!!!(ひとり吹き出す)
弟の買って来たUSJのおみやげ
E.T.メモでした
せっかく神が用意してくれた初笑いを
危うく読み飛ばすところでした
いやいやなんかさ
文字の大きさと位置が
ベスポジすぎるでしょ(笑)
すごい家庭的・・そのささやかな優しさに
私・・・涙が出そうだよ
いわずもがな
母ですけどね
E.T.の正体は
すごいよE.T.は
そしてわざわざ日記に書こうと思って
ゴミ箱に捨てられていたメモを拾って
実家から持って帰って来て(寂しさも手伝って)
真面目にスキャニングしているあたりで
私も相当重症ですけど
ありがとう、母、そしてE.T.
よし!このメモ冷蔵庫に貼ってがんばるぞ!
http://www.watanabe-haruna.com
ログインするとコメントを投稿できます。
2010/01/06
昨日
数年ぶりと言ったらいいか
いいえ、もしかしたら
はじめてかもしれない
本当のありのまんまを、とある人に
お話することができました
こういうこと書くと語弊が生じるのだけど
普段すごく取り繕っているわけではなくて
「出さない」ってことも
ある意味で本当の私で
みんなみんな出してたら
それはある意味異常なんじゃないかしらと・・
言い訳みたいだけど
それは敬意であったり
相手の許容値にあわせることって
普通にすべきことだと思うから
(私が上手にできているかは別として)
だから私がありのまんまじゃないってことで
できれば嫌だとか思わないでもらえたら嬉しいです
きっと誰でもしてることだと思うし
とにかく
でもずっとずっと
多分私は
頭の裏側に妙な何かが張り付いていて
具体的には言えないけど
悲しみでも寂しさでもない
例えばまぶたをふと閉じた瞬間に
「無」があるような感じ、ぽっかりとした感覚
イマジネーションの果て
これを吐き出したら
やたら心配かけたり、引かれたりするんだろうなって思って
言おうと思わなかった
一度だけどうしようもなくなって吐露した事はあったけど
やっぱりうまくいかなかった
私は傷つけてしまったと思う
だからこんなにも自然に
お話できたことが
私はすごく嬉しかった
驚くでも、心配するでもなく(してくださってるとは思うけれど)
うろたえるでもなく
否定するでもなく、励ますでもなく
ただ行き場のなかった気持ちが
箱の中にころりと収まったような感じでした
経験値も本質もあるんだと思う
正直
親にさえ
怖くて言えなかった事
でもそんなに重大な感じじゃないし
別に口に出さなくたって
この先やっていくことだってできたんだろうけど
だけどどこかで
本当はこういう形で
誰かに知っていてほしかったんだと思う
第六感がつなげたような
不思議な関係です
誰かが私の妙な部分を
知っていてくれるということは
なんてじんわりと安心するんだろうと思いました
失礼ながら決して強い人ではないのです
強いから、懐が深いから受け止められるっていうのは
また別の次元の話だと思う
柔は剛を制すと言うけど
きっとやわらかなふろしきのような感じなんだと思います
涙が出るでも
舞い上がるでもなく
ただしっとりと
あるべきものが、あるべき入れ物の中に収まったような感じです
もちろん不安は消えるわけじゃないし
解決するもしないも
問題すらはっきりしていない状況なのだから
別に何が変わったわけじゃないです
でも不思議な感じというか
ある意味必然的だったというか
とにかくありがたいことです
私にも何かが与えられていたら嬉しいな
確かなものなんて
きっと何もないから
あるとしたらそれは実は
感覚だったり直感だったり、心情だったり
そういう目に見えないものなのかもしれないなぁ
そんな感じで
私はだいぶ落ち着いてしまって
昨日は冷静に向き合うのをしないでおきたくて
そのまんま眠りました
仕事がはじまりました
いろいろと決まりました
まだ発表はしないけど
感謝を忘れず精一杯やります
たぶんまたあんまり寝れないけども大丈夫と思います!
全身全霊で
一区切りついたら
南へ行こう
あとほんとにそろそろ
海にいろいろ流しに行かないとね
http://www.watanabe-haruna.com
かかれ!エンジン!(ぶるーん!)
ログインするとコメントを投稿できます。
2010/01/04
ほぼ1年以上放置していた
手のひらサイズワンセグテレビを起動
あぁあ・・・やってしまった・・・
更にこういうときに
役に立つのがアンプ内蔵スピーカー
ワンセグテレビにつなぐと
音だけはでっかいテレビのように聞こえます
画面観てなくても人がいる感じがする・・・
実家にいるあいだ慣れないテレビが
ずーっと流れていたので
気持ちだけでも実家にいる感覚
というわけで名古屋に帰ってきました
渡邊です
みなさまご機嫌いかがですか
この状況だと
「ねぇ」って声かけると
誰か家族の返事が返ってきそうな気配です(怖い)
前にも書きましたが
私は保育園に通っていた時
送迎バスが店から遠くなるだけで
毎日軽く泣いていた覚えがあります
基本的には何にも変わってません
相当寂しがりです
どんだけしょっぱなホームシックなんだ
ひとりの時が長いとぜんぜん平気なのに
実家にいる時間が長いほど
意識がしみついてしまう
いつ帰っても良い分
今は甘えたら本当にだめなような気がするから
最後の”しま”として残しておくのです
弱いなぁ、やっぱ
もうすぐ一人暮らし3年目に突入します
この心細さもそのうち慣れて
どうでもよくなってくるに違いありません
いろいろお気遣いいただいて
渡邊はなんとかやっております
今日は夕方近くまで実家でメニューつくってました
帰って来て送って頂いた年賀状を見つつ(ありがとうございます)
どうしたらいいのか分からなくなって
いきなりYouTubeで「日本むかしばなし」を観てしまいました(笑)
どんだけや
もうこの寂しさを楽しむほかありません
「帰る」という言い方が今の私にはすごくちゅうぶらりんで
不思議な感じです
実家に帰るのも「帰る」というし
名古屋の家にも「帰る」というし
それはいいことのようにも思えるし
なんだか寂しいことにも思えます
明日は掃除しつつリズムもどす!押忍!
画像は今日追加で作ったカフェメニュー
ttp://www.watanabe-haruna.com/
ログインするとコメントを投稿できます。
2010/01/03
今日は実家のお店のメニューをつくりました
今まで何度か作った事はあったけど
実家にあるA3がプリントできるプリンターの問題とか
なんか要領悪くて実現しなくて
私のMacにドライバーをいれて
ようやくプリントアウトできるようになりました
今までのメニューは父が既存のソフトで作っていて
それは見辛い部分があったけど
それでも
経営も料理も時には接客も広報も
みんなやっている父には感服します
美大にも通わせてもらって
今の仕事もできている
新年最初の私ができる親孝行です
父の作ったコピーも申し訳ないけどがっさり編集
コピーのついてなかったものも作りました
ずっと長い事食べて来た味だから
いくらでも宣伝できます
もっと文字詰めしっかりして
もとある写真を使ったから
ほんとは写真もとりなおしたいな
勉強、したいな、もっと
明日名古屋帰ろう
なんかひとりになるのが少し怖いな・・
でも大丈夫です
この場所は、この店は
私にとってどういう場所なのか
幼い私にはほんとのことはまだ分からないんだろ
ただ産まれて育ったことだとか
安心するとか、甘えられるとか
そういうんだけではないと思う
もっと他の何かがある気がする
見えない糸みたいなものが
わたしのおへそあたりにつながっていて
例えばここが海の中に沈んでも
地図がなくても
私が好もうが好まざろうが
ここに辿り着いてしまうような感覚です
さぁ、そんな場所に
ごはんたべにきてください
(なんかへんだ)
http://www.watanabe-haruna.com/
画像は昼のメニュー表
まだ作らなきゃいけないのいっぱいある・・
父すごし・・
ログインするとコメントを投稿できます。
2010/01/02
どうして
こんなにしくりと胸が痛むんだろう
なんというか彼女ができたばかりの
幸せいっぱいの弟
私だって
「別れる事前提で付き合ったりしない」って思っていたし
今だってそう思う
うんうん
そう思う
高校生かぁ
高校生
うんうん(笑)
そんな私が経験してるわけでもないけれど
長い事続いてほしいなぁ
とかも思いつつ
なんだか憂いてしまうのだ
彼の笑顔と、泣き顔を
経験は、するんだろうな
誰でも
私もこれからなんだろうな
年齢が離れているせいか
私は
なんだか弟を遠巻きに見守っているような感覚があって
親でもなく、なんとも言えない感じで
思わず遠い目をしてしまう
だから大人は
敢えて口をつぐむことが多くなるんだろうか
知っていても言わない事や
言わない方が良い事
それで均衡が保たれていたり
思いやりだったり
何割くらいあるのかな
終わりを想像するのも
永遠も今の私には怖いように思う
今年はできるだけ
素直に
今日は割とよく働きました
父も母も
「ひさびさに働くと楽しいな」と言っていました
私もそう思います
ひさびさってほど休んでもいないけれど
お正月は長い、性分ですね
小冊子の構成を組んでいます
たのしい
明日は店のメニューを作り直し・・・たい!はい!がんばります!
http://www.watanabe-haruna.com
ログインするとコメントを投稿できます。
2010/01/01
雪は静かに降り続いていました
父も母も私も
今日は驚くほど何もしない日を過ごしました
こんなに何もしないと
二日分ほどの長さに感じます
「たまにはぼーっとせないかんよ」と
祖父は言いました
そうだなぁ
祖父だって忙しい日々だっけれども
いままでどれくらい
ぼーってしてきたんだろう
どれくらい流れる雲や空をゆったりと眺めたんだろう
ひさびさに文庫本を買いました
「読む」という行為は
文字に意識を乗せる事
環境でうまくのせられるときと
うまくいかないときがあって
同じ早さで同じ文字を読んでいても
頭の入り方がぜんぜん違って
もっと早く気づいていたらさ
教科書だってもっと読めたかなぁ
母は年賀状のお返しを
「このペンはやっぱりいいね」なんて言いながら書く
出が良いボールペンは
気分がよいものなので
何本もあるペンでも減りの早さが違う
こんな平穏が
穏やかなあたりまえが
静かに降り続く雪が
石油ストーブのぬくもり
おいしいごはん
家族や親友との会話
ぜんぶが
不安も心配も
みんな覆い隠していくように
輪郭がぼんやりとぼやけていく
そういえば保育園の時に
私は店からバスが離れるたびに
いつもちいさく泣いていた
今の私も
ほんとは軸は何にも変わってない
ながい
ながい
1日
よし
エネルギーを人と空と大地から
明日は店で働いてます
http://www.watanabe-haruna.com/
渡邊春菜のブログを見て来たとおっしゃってくだされば
アイスクリームサービスだそうです
「レストランものがたり」
(ほんとです)
ログインするとコメントを投稿できます。
2010/01/01
あけましておめでとうございます
本年もよろしくおねがいいたします
みなさまの2010年が希望に満ちたものでありますよう
お祈り申し上げます
今年は本当に
良い年になります
精進いたします
2010年元旦
渡邊 春菜
壁紙作りました
よろしければお使いください
http://www.creatorsbank.com/download/detail.php?download_work_id=1979
ログインするとコメントを投稿できます。
2009/12/31
実家に帰ったりしてます
思う事はいろいろあります
大晦日
いろんな出来事は
起こるべくして起こってるんだなと
今の私はなんだかすごく
からっぽなのです
きっといい意味でです
今はおばあちゃんとこたつにはいってます
雪が降ってきました
私の暮らしてる家はすりガラスなので
外が確認できなくて
実は今年は雪見たのはじめてです
来年はもちょっと実家に帰ってこよう
しろいしろい
そっか
白ってこれだなぁ
降って来るものですね
ひさびさに
雲と空をゆっくり観て
ガラスごしに入って来る日の光を浴びて
みんなと話して
いっぱい笑いました
こうやって息継ぎすることで
なんとかかんとかできるのね
ほんとに
家族の事とか、お金のこととか、仕事のこととか
こっから先の事いろいろ
心配な事はいっぱいあるけど
みんな
私がきちんと
自分で生活できてからだな
あと2日くらい休みます
あんまり休むと脳みそ溶けそうなので
働こうと思います
最近酷く朝に弱くなったので
これを機に生活リズム戻そうと思います
私はやっぱりロングスリーパーみたい
改めまして
白展、ドラコン
ありがとうございました
キュレーターの濱崎さん、たつやさん
スタッフのみなさま
私の作品に貴重な票をくださった方々
本当にありがとうございます
私はこないだから本当に
自分の未熟さを噛み締め続けています
こんなんじゃだめだなって
これからです
自分が思い切って出せる作品を
作って行きます
しんどくなるんだろうなって思います
だけど楽しくもなるんだろうと思います
今年最後のアップする絵は
「白は白の中に存在するか」という絵です
白だと思う
今の私は
なんにもない
そう思いたいだけなのかもしれないけど
そうありたい
いろんな奇麗ごと
しゃらくさいとか思ってたけど
それは格好付けでしかないのかもしれない
軽はずみな意味じゃなく
がんばろうとか、生きて行こうとか
前向きな言葉を言いたい
ね、がんばりましょ
今年もどうもありがとうございました
残り数時間良いお年を
ログインするとコメントを投稿できます。