Haruna Watanabe Portfolio

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渡邊 春菜

グラフィッククリエイター

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愛知県
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    Works 371

渡邊 春菜

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渡邊 春菜

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    Works 371
  • 2018年のこと、そしてずっと前からのこと。

     

    ここで書くことは、誰にでも見られることですが

    でもブログにしたことで一定の興味や

    私のことを心配してくださっている方が

    見てくださってるんだというつもりで

    記していこうとおもいます。

     

    でも、とても綺麗に書ける自信もなくて

    全く気持ちよくもなく

    ぐずぐずの、べたべたした代物になってしまうと思うので

    もし大晦日にそんなのごめんだわという方や

    強い渡邊さんだけを見ていたい人は

    ぜひブラウザバックをおすすめします。

    というか、正直

    見てもらいたいのかもよくわかりません。

    (じゃあなぜ書くんだという話ですが)

     

    どうにか大丈夫です

    なんとかやっていますということろまでは

    もっていきたい

     

    ---------------------------------------------------------------------------------

     

     

    こういう自分が形成されたのは

    何がきっかけなのか

    いつからなのか

    思い当たる節はいろいろあるけれど

    それははっきりとはわからない

     

    育った家の接客業である環境のおかげか

    いじめのおかげか

    そのあとのいろいろか

     

    私は自分の持つ「自尊心のありか」を

    見失っている

     

    「自分のことを幸せにできない人間は

     誰も幸せにできない」

    という言葉をよく見かけるけれど

    申し訳ない

    私には1mmも理解できないし

    とても傲慢な話に思える

     

    傲慢というのは幸せになることに対してではなく

    幸せの受け手のとりかた

    自尊心のありかを見失った私にはこうとれてしまう

    「空腹の人から食べ物をもらっても

     誰の空腹も満たされない」

     

    いや、受け取ってくれよ、

    満たされてくれよと

    あなたが「ありがとう、きちんと満たされた」

    というその言葉に、たとえ空腹であれ

    よかった、私は誰かに何かを与えられたのだと

    やっとそれで自分の存在証明ができる人間が

    少なからずいるという

     

    それが

    私なのではないか

     

    暗闇の中で誰かに触れられなければ

    自分の体の所在すら疑えてくるように

    自分の存在そのものを

    誰かに、任せてしまっているようで

    怠惰だ、欺瞞だ、脆弱だ

    そう感じて、ますます嫌悪がループしていく

    暗闇に自分の体が溶けていく

     

    というか、私は空腹ではない

    仕事も順調、家族もいる、五体満足の体

    誰がどうみたって

    空腹ではない

    ほら、ほらと、一体誰に言っているのかもわからない

    情報を吐き出し続けるのも疲れてしまって

    何も発信できなかった

     

    前から休むのが苦手と言っていたけれど

    ほんとうに私はそれで

    誰かに何かを与えていられなければ

    何か生産的な自分でいなければ

    休むことにも焦りを感じてしまう

     

    自分のために何かをしてあげられる人のほうが

    とても人間らしく

    とてもとても素敵に思えた

     

    だから、発信しない

    書かないという決断は

    私に対して私が許した怠慢で

    もしそれまで許せないで、今の状況で

    幸せハッピー情報発信ばかりしていたら

    私はますますおかしくなっていっただろうし

    ましてやこんな仄暗い気持ちを垂れ流せるほど

    ツイッターをトイレにもしたくなかった

     

    というのも

    一番そばにいる主人が

    気落ちしていて仕方がなかった

    ずっとずっと

    私より大事な人をなくして

    元気がなかった

     

    「私より大事な人」

    という表現は、おそらく私が拗ねているから

    報復的な意味で書いているのかとか

    そういうのもあるだろうけれど

    そんなかわいらしいものではなく

     

    そう考えていなければ

    とても耐えられるものではなかった

     

    大切な人を失くすのは辛いことだ

     

    凹むし、考え続ける

    何日、何週間、何ヶ月、何年

    考えて忘れることはできないのだろう

     

    当たり前のことだ

    とても当たり前で

    誰でもそうなる

     

    もし私が旦那にとって大切な存在ならば

    私は信じているよ?そばにいるのに?

    なのにどうして?と考えて矛盾が出てしまうので

    私が「二の次」であれば

    大事な人のことが忘れられず

    ずっとそばでため息をつかれ続けても

    それは仕方がないことだと

     

    そうやって生活を整合させていた

    自尊心のありかを見失っていた私には

    自分が二の次に回ることは、とても得意分野だった

    むしろそうすることで

    自分の存在意義を確認していたのかもしれない

    (自分で書いていても相当共依存っぽいなとも思う)

     

    もちろん普通に元気のない人のそばに居続けるのは辛かった

    いくら自尊心を見失った私だって、そりゃ普通の人間だし

    誰だって元気のない人のそばにずっとずっと居続けるのは

    堪えるものがある

    エネルギーを吸われるし、感染する

     

    なのでもちろん、この状況をしっかりと地に足をつけて

    継続していくための自分の整備として

    今の自分の状況と切り離せられる

    全く無関係の場所と時間を作ってはいるんだけれど

    それは本当に、私にとっては

    今の全ての現状と切り離せてこそ

    こんな嫌悪をかかえた「私と私を取り巻く全て」と切り離せてこそ

    心の避難が成立するもので

    あぁ、精神障害の分離というのは、

    こういう感じの応用なんだろうなぁと実感たりもして

     

    ただ私が避難することで

    旦那の孤独感を増長してしまっているんだと思う

    このバランスについては今後の課題で

    私は避難所から徐々に離れる準備を進めている

     

    他人からすれば

    「それはおかしいよ」と思われるだろうけれど

    世界中にある人と人との関係なんて

    大概が奇妙なものだ

    アンバランスで、アンフェアで、いびつで

    矛盾を孕んだまま成立しているのが

    この世の中だと私は思っている

    ノーマルなんて誰が決めるのだろう

    どんなに狂っていても、その人の持つノーマルが日常だ

    だから私だけがおかしいなんてことはないのだと思う

     

    とにかくいろんな手段、言い訳、

    自分と他人への説得ををもってして

    私にとって私よりも一番大切な主人や家族

    近しい友人たちのそばで

    精一杯息をしていたここ一年以上

     

    麻痺している

    自分でも感じるけど

    でもそんな格好もつけたくないしな

    私は別に病気じゃないし

    自分のこと普通じゃないなんて

    なんか....酔ってるみたいでやだな

    私なんかより苦労している人はいっぱいいるわけだし

    自分だけが辛いなんてことも決してない

    旦那だって戦っているんだろうし

    別に誰のせいというわけじゃない

    自尊心のありかを見失ったのは

    特定のなにかのせいじゃない

    ぜんぶ

    自分がそうしてきて、自分が歩んできた道だ

    そんなことを思う

    毎日思う

     

    私が一番しんどいのは

    自分が自分のありかを

    自尊心のありかを考える時

    辛いかどうか

    それを判断するのもとてもエネルギーがいる

     

    改めて言われたり、いろんな知見から

    アドバイスされるのも怖くて

    誰にも会わずに、なるべく心配をかけないようにと

    どんどん世界が閉じて行くのを感じた

     

    休んだら?おいしいもの食べる?

    贅沢をする?旅行する?友達としゃべる?

    ううん、何か

    何かどれも違って

    とにかく私が自尊心がどこにあるのか

    見つけない限り

    というか、自分で探しに行くことをまず

    許すことから始めなければいけない

    許可の許可をとるような感じで

    それら考えると、とてつもなく時間がもったいなく思えて

    それなら仕事して何か作っているよ

    制作してこの気持ちも作品にいれられて

    ちょうどいいじゃない

    あぁ、こんな私の作品じゃ...

    なんてとも思う

     

    自分が自分のために悩んでいる時間は

    とてももったいなく感じた

     

    別に生きているからいいじゃないかと

    仕事もできているし

    そう思うことくらいは

    許したっていいじゃない

     

    別に空腹じゃない

    私は決して不幸じゃない

    むしろかなり幸福な部類で

     

    だから、私の作ったもの

    今まで築いてきたもの

    どうか受け取ってくれる人がいますように

    満たされる人がいますように

     

     

     

    この文章を読んでくださって

    私に会う方がいるなら

    どうか何事もなかったかのように普通に接して欲しいし

    なんなら気にかけてほしくないです

    そんなの普通だよ?って笑いとばしてほしい

    私のぐちゃぐちゃ考えていることなんて

    ばかだなぁと、そんなに考えることないのに

    なんて笑ってほしい

     

    厄年が終わる

    やっと今年が終わる

    きっと、世界のどこかに

    私みたいな人が

    いるんだろうなって思う時

    ちょっと救われる気がする

     

     

     

    入れ子になってる

    ここまで読んでくれてありがとう

    私は大丈夫です

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