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2007/05/17
日大闘争を起こそうとした件で、両親は大学へ呼ばれ、僕は処分を喰らった。
そして、さらに僕は友達から真剣に怒られた。
そんなことをしても結果的にはめんどくさいことにしかならないし、両親がかわいそうだし、僕が学校を退学になったら学校がつまらなくなる。
だから、そんなことはやめろ、と。
僕は、めんどくさいことになってもいい。それが楽しいんだ。
両親!? クソ喰らえ!
僕は君に何もしてあげれていない。
だから俺が退学になったところで、君には何も影響は無いよ。
俺がいなくなっても、いつもどおりの楽しい学校生活が送れるさ、と彼女に言い返そうとした。
だけど今回は言い返すのは止めておいた。
彼女とは将来結婚しようと話している。
もちろん冗談でだ。
だが遅かれ早かれ将来的に僕らは本当に結婚してしまいそうな気がする。最近、頻繁にそう思うのだ。
それは僕をものすごくおかしな気分にさせる。
別に彼女との結婚は嫌ではない。
むしろ光栄だ。
結婚に対する価値観も似ているし、それ以外にも似ている部分がたくさんある。 僕は彼女を幸せにできる自信があるし、彼女もきっと僕を幸せにしてくれるだろう。
だけど、僕は彼女を
4月に東京学生映画祭というものが行われる。
僕らはそれに向けて映画を作って出すことになった。
僕は3日で脚本を書き上げた。
そして、それを彼女に見せた。
彼女からは、かなりの駄目だしを喰らった。
彼女には僕の作品のよさがわからないんだ。
僕の映画の定義『映画で映画をつくってはいけない』ということを教えてやろうと思った。
映画で映画を作ってはいけないというのは、映画を作るにあたって演出っぽくなってはいけないということだ。
映画では“自然”な演出が僕の中では要求されているのだ。
実際にありそうなことを映画にすべきであって、やりすぎた演出などは思想自体から排除すべきなのだ。
そういったことを彼女に教えてやろうとした。
だが、そこは逆らわずに彼女に駄目だしされた部分を素直に書き直すことにした。
学校の掲示板に『8mm映写機、差し上げます』という紙が張られていた。
僕らはその張り紙を見つけたとき、とても喜んだ。
8mmで映画を撮ろうとしていて、それを映写する機械がタダで手に入るからだ。
僕らは記載されていた電話番号に電話した。
僕の携帯は壊れていて通話することができない。
だから彼女の携帯を借りて、僕が電話をした。
電話をすると、声からして50代か60代くらいの男の人が出た。
僕はその男に用件を話すと、その人は「少し前に来た人にあげちゃった」と言った。
僕らは一足遅かったのだ。
そして男は「申し訳ないのだが、掲示板にまだその紙が張られているのなら、剥がしておいてくれないか?」と言った。
僕らは張り紙を剥がし、粉々にちぎって、学校の屋上からばら撒いた。
それらは、まるで桜が散っているようであった。
日大を潰そうとした件で僕は何も成長しなかった。
子供にもならなかった(なれなかった)し、あいにく大人にもならなかった。
だが彼女のお説教のおかげで、僕の中で何かが変化しはじめた。
少しずつではあるが何らかの変化がはじまったのだ。
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