山本 薫(やまもと・かおり)

イラストレーター

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長野県上田市

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http://www.kaorisi.com/
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    Works 36

山本 薫(やまもと・かおり)

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山本 薫(やまもと・かおり)

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  • 年賀状ダウンロード販売のご案内

    2011/10/12

    お知らせ

    このたび年賀状とフォントのサイトに作品提供いたしました。

    Aflo Mall(アフロ モール)
    http://mall.aflo.com/

    ダウンロード販売形式で、3点載せています。

    辰デザイン一点と同じく辰デザインの写真を入れられるタイプ、
    そして日本にお住まいの海外とかかわりの深い方をイメージした扇子と地紙のデザインです。

    ぜひ来年 辰年の年賀のご検討に加えていただけましたら幸いです。



    来月のNY展示を控え
    25日過ぎからゆとりができますのでお仕事ご依頼は個人ホームページからご相談お願いいたします。
    http://www.geocities.jp/kaorisi_atelier/

    もしくはメッセ等でもご相談下さいませ。

  • NY展示のために

    20人の若手日本人アーティストin ニューヨーク展2011
    < 20 Young Japanese Artists 2011 in New York Exhibition>
    に参加することとなりました。

    詳細はこちらのページに。
    http://www.artrates.net/20y2011.html

    11月10日〜16日
    11月17日〜24日
    どちらになるかまだわかりませんすみません。

    出展作品は画像のものではありませんのでご了承下さい。

    会場におけるポートフォリオを作るために、自分の経歴やコンセプトをまとめています。
    その後英訳しないといけないです。
    また、アーティストステートメントは、おきまりの必要な項目があるということだから、
    ここに記載したものとはまた変えていくことになりました。
    文化の違いから、これでは抽象的でよく伝わらないだろうということで。
    日本語では充分立派なコンセプト文と翻訳家の方に言われたのですが。
    むずかしいものですね。



    Kaori  Yamamoto 山本薫

    British royal dog for kids room (second edition) ,2011,25.7cm×36.5cm,10.1inch×14.3 inch, paper, print, crayon, conte,


    経歴

    1977年 長野県生まれ
     長野県上田高等学校 卒業
     茨城大学教育学部総合教育課程美術文化コース 中退
    2002年 WHO神戸センターグローバルイメージコンテスト銅賞
    2006年 上田市の喫茶店「ザイデンシュトラーセン」にて個展
    2008年 銀座のギャラリー「ミレージャギャラリー」にてグループ展
        蓼科高原の陶芸工房「陶仙房」にて、写真家藤澤直紀と二人展
    2010年 蓼科高原の「蓼科クラフトヴィレッジ」にて写真家藤澤直紀と二人展
    2011年 東京・国立「アートイマジンギャラリー」にてグループ展
        蓼科高原の「蓼科クラフトヴィレッジ」にて個展


    【主な仕事】
    2005雑誌「食の科学」(発行:光琳)年間表紙イラスト
    2007雑誌「食品工業」(発行:光琳)年間表紙・目次カットイラスト
    他和食店内使用イラスト、温泉施設スタンプ、年賀状、食品パッケージ、文芸同人誌表紙など
    2006〜蓼科クラフトヴィレッジにて 額・カード類販売  
    2011〜国立 アートイマジンギャラリーにて常設展示販売



    作品コンセプト/解説


    モチーフを選ぶときには、そのときどきで異なる物質が自分を呼ぶように感じているものを選ぶ。
    それは、私に残された時間のなかでの必要性を、体がはじき出したタイミングであるからだ。
    照準を合わせると、あらわすべき構図が感じられたり、白い紙やPC上で再構成を試しているうちにあぶり出しのように形が見えてきたりする。
    それをもとにして、現実の必要性に応じて手を加え、美しさや価値を与えたり、自分なりの解釈をあらわそうとしたりしている。

    根本では世界の成り立ちを探求し具現化することを自らの使命と感じており、
    作品制作は自己探求に端を発した心象や既視感の定着を目的としていたり、物理学的な美や時間の追求の過程であったりする。

    「塊茎」がカバラやそれ以前の「生命の樹」に類似していると指摘された経緯は、制作過程と占術やシャーマニズムとのつながりを実感するきっかけとなった。
    手法としてはペンやシャープペンを用いたスケッチや写真のトレースの成果をPCで再構成するものであり、作品は印刷またはそこに手彩色や手描きを加えたものとなる。
    印刷と手描きの価値を自らに問いながらの試行とも、モチーフと交信する脱魂の記録ともいえると思う。

    -----------------

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    しかし、海外に送るのは初めてなので、ちょっととまどうことも。
    あちらではエアパッキンが余り手に入らないということで、搬出の際に再使用できるように剥がせるテープを使わないといけなかったり、
    何よりEMSでなにかを送ったことが無いので、伝票のかき方がわからなかったり。
    でもいちばんはやはり、ポートフォリオの解説文と、自分の作品の選定です。
    社会に疎いこともあり、持ち前の病的な部分もあるのかどうかわからないけど、、冷静に自分を見つめるのってとてもむずかしいです。
    アドバイスをくれたり感想を言ってくれる相方に感謝。


    最近薬が変わっていろいろみえ方も変わってきました。
    ものごとの感じ方なども。
    今後の作品にどう影響するかわからないのですが、
    生きるのがちょっと具合よくというか、楽になってきたし、集中することが出来る用になってきたので、
    車ぶつけるほど戸惑っているのからもうすこし慣れてくればいいなと思っております。
    ペースはゆっくりになってるかもしれませんが。おそらくこれが本来の私のペースに近い感じがします。

    これまで、人が怖かったり死にたかったり被害妄想があったりかなりつらかったです。
    西洋医学に対する疑問視もいろいろあるだろうけれど、今回は救われた感じがしました。
    生まれたときも、血液の関係で薬に救われていますし、おしっこを我慢して腎盂炎になった4歳のときも救われましたし。
    いまの持病も生まれもっての要因が強いようですし。
    考えると結構私は体弱いですね。精神力は強いっていわれたこともありますけどどうなんでしょうね(笑)。

  • ちょっぴりダリアな気分

    2011/09/21

    活動記録

    ダリアと書くとだるいのが和らぎます。たぶん。

    ストリートミュージシャンの仲間入りをした兄の誕生日がじきなので、
    気持ちばかりですが一輪郵便「はなてがみ」を贈ってみる事にしました。

    自由に選べる一輪のお花を郵送でポストに、というこの企画は
    グッドデザイン賞もとったそうです。はじめて知った時、なんて素敵なんだろうと思いました。今後拡大していくだろうけど、本音を言わせてもらえばあまり有名になってほしくないなー、もらった人がはじめてこういうアイデアを知って、おお、いいね!と思って欲しい・・・そんなことを思います。

    ちなみに贈る花はダリアではありません。あしからず。


    最近、物語をかきたいなあと思い始めて。
    じつは以前にも、てなぐさみに妄想やら幻想の類をまとめて形にしてみたことはあるのですが、そこからちょっと離れてみたくて、あえて文を書かない日々を送ってみていたのです。二年くらいかしら、だいぶ、文との付き合い方もかわってきたし、考えることの立ち位置も変わったように思います。少し冷静になれたかな、いやまだまだかな、そんな感じです。

    久し振りに文と向き合おうと思ったら、手が動かないのですね。
    で、同人でなかなか素敵な純文学系の文を書いてる相方に話を聞くと、遊びやスケッチみたいに情景を描くのを繰り返していると、そのうちそれらのピースがはまりはじめて、集中して書けるようになってくる、自分はそういうやり方をしているね。と言うのです。


    私は以前自分だけで書いてたとき、ノイローゼのように集中してしまうかき方をしていたのですが、いま、ちょっと自分が変化したときに、集中の仕方に戸惑っていたんですね。
    ヒントをもらえて、書くのが少し楽になりました。まあ何しろブランクも変化した調子もあるから、様子を見ながらですけれど。やっぱりイチローの言うバッティングが生き物、というのと同じで、文筆も生き物なんですな。


    以前というかいまもかもしれないですけど、絵をかくときにもおなじ感じがします。
    やっぱり動きづらくて、線がのってこないときがあったり、集中できなかったり、ってことがたくさんあります。遊びみたいにかいてみてるうちに動けるようになってくることもあるかもしれませんよ、と主治医にアドバイスをいただいたりしたことも。

    実際、うまく行くときって、無駄なことが無いんですね。一見、無駄に思えることの先にちゃんと足場があって、次の枝に飛び移れるようになっている。何枚下図をかいても苦労じゃないんです。自分の状態の問題か、やり方の問題か、みえないのが心もとないのですが・・・
    そのあたりを自分でコントロールできるようになってくれば、こわくないし内容もよくなっていくとおもうんですけど。一作つくりおわると崩れてしまう砂地の塔のようなこわさといつも隣り合わせなのです。

    ツイッターで、名言を集めたbotをフォローしていますが、
    今日、こんなものがありました。

    meigenbot 名言bot
    食欲なくして食べることが健康に害あるごとく、欲望を伴わぬ勉強は記憶をそこない、記憶したことを保存しない。 (Leonardo Da Vinci) http://amzn.to/jV9uBs


    ひょっとして私の活動って、欲望不足なのかもしれません。
    つながるもの、続くものを無意識に避けている、それは責任逃れ?それとも欝?

    もう少し人生を素直に楽しむことをを考えながら
    生きてみたいと思う、秋の昼下がりです。

  • 軽井沢雑感

    年賀状のダウンロード販売の企画に参加することになりました。
    詳細はまた、年賀状の季節になってから。

    昨日、軽井沢に行きましたら、暑い日でしたね。
    25度ありました。

    御代田のメルシャン美術館が閉館するというので、もったいないなーと思いつつ、最後の企画展示を見てきました。
    アンリ・ル・シダネル。印象派のような感じかとおもっていたら、やや違いました。
    光に対する独特のこだわりがあったようです。
    シダネルの描く光は、夜や薄暮時や明け方のような、一瞬の奇跡のような時間。
    内容もとてもよかったです。
    パリ時代の作品にもいいなとおもわされましたし、その後のヴェルブロワに居を構えた頃やその前後もいいですね。

    作家にもさまざまいるけれど、私は安定して一定のレヴェルを保ち続けるタイプに憧れます。
    多分自分が、不安定でアップダウンの多い性質だからだと思います。
    旅しながら絵をかき続けた頃のシダネル、羨ましく思いました。
    かつて自分も、旅する画家を夢見ていた頃がありましたから。

  • 料理に関するメモ雑文

    近頃、家族とちょっと条約締結をして、定期的な金額の納付と生活や食事などの自立を試してみています。

    食事作りって、やってないといろんな感覚が鈍っていくもので、たとえば食材の扱いの基本事項とか、火加減の微妙なところとか、いためる順番とか、味付けのカンとか、だいぶなまってしまってまして。体調を崩す前に、茨城で一人暮らしをしていたのですが、その頃培ったものがいくらか役立っている感じなのが幸い。
    相方のように、魚をおろして〆て押寿司を作っちゃうってとこまでは到底及ばないような気がするけど・・・
    料理の基本が、できてるようなそうでないような、いや、本を片手に、分量をはかるならいいけど、基本的な体系がなってないとこが心もとない。

    最近のツイートに、夕ご飯のメニューが頻繁に飛び出すようになりました。

    近頃は畑でなすが大量に取れるものだから、必ず茄子を消費しないといけない我が家。
    で、ご飯作りは茄子の選別から始まるのです。籠とかビニル袋に保管しといた中から、丸茄子にしようか、長茄子にしようか、悩んで。たいてい鉄火なすか蒸しなすか茹で冷しか焼きなすあたりになるんだけれど、たまにはオリーブ油でただ焼いてポン酢でいただいたり、アンチョビソースを作ってみたり。先日茹で茄子に生姜と茗荷を載せて出したら、家族に好評だった。ひき肉とあわせて柚子胡椒風味のショートパスタを作ったら、相方においしいといってもらえた。

    にがうりも最近大量に採れます。ときには一個で800グラムもあるものも。
    にがうりの絵でデビューした私だけれど、ビジュアルではものすごく思い入れがあるのに、調理法にはあまりこだわってません。
    焼き海苔をまぶしたお浸しや、ゴーヤーチャンプルーなどで、あとは母がお得意の佃煮を作るものだから、その手伝いをしたり。
    揚げるのもいいですよね。あまりやらないけれど好き。
    にがうりは、出来具合で苦味ややわらかさがかわるので、本当は野菜の顔を見て調理したいところです。ふくよかに育ったものは、苦味もあまりないので、塩漬けにしてもいいかと思っちゃう。これ、佃煮にするとふよふよしてあまりよろしくないんですよ。


    そのあたりで、おかずがきまってきたらバランスが取れるように、メインとかたんぱく質系をてきとうにあわせて、(豆腐とか、冷凍庫の下処理済お魚とか、納豆とか、ヨーグルトとか・・・)
    ご飯と牛乳でいただきますってなるのがたいてい自宅の食事。

    この脳の使い方で生きていると、メインディッシュにごちそうを作るという思考が抜けていってしまう気がします。何を食べるかってことに興味が向かないと言おうか、あるものを消費するだけといおうか。どっちかというと副菜に趣向を凝らしたり工夫の仕方が偏ってしまう感じ。野菜、乳製品、豆製品、などをそのまま食うのが中心、肉や魚の調理がたりないというか。

    前々から思っていたんですが、私はとくに魚の扱いの蓄積がほとんどない。
    アジの三枚おろしはむかしぜんごをとるとか何とか言って家庭科でやったけれど、あとほかに何も知らない。イカの下処理すら知らなかった。下手をすると、魚買ってきたら内臓もとらずに丸焼きにしてしまいそうな勢い(笑)
    小あじの素揚げをするときには手でえらからちょっと剥ぐと内臓までとれる、ということもしらなかった。
    いつか、何だか思い立って鯛の潮汁を作ったことがあったけれど、鯛を一匹買ってきて、本を見ながら切り分けたんです。そのときは何とかなったけれど、あとで相方に聞くと、鯛は内臓をうまく取らないと全体が生臭くなる難しい魚だから、ということで、知らぬが仏ってこのことですね。



    母親が折に触れて、料理教室に通うことをすすめてくれたんだけれど、私は行きたくなかった。料理を教わりながら、複雑な人間関係とコミュニケーションをこなすほうが大変だと思ったからで、たぶん、私の中でそれほどの必要性を感じてなかったんだと思う。素材の扱いを知っていれば、応用はできるだろうし、いくらでも本が読めてそのとおりにできるなら、必要ないと思ったのかもしれない、それに、身近に、信頼してよいと思える料理人がいなかったのもある。母から教わる料理は習いたくても、どこか他の土地で勉強したゆかりのない方の、関連性のわからないエッセンスを、自分の料理に混ぜたくなかったという偏狭な気持ちがあった。

    料理の、いわば科学反応的な内容というか、根本のメカニズムには興味があるけれど、調理味付けしておいしく食べることにはあまり興味がむかない、ある種の生きることとやや反する志向が私の中にあるのも、一役買っているのかもしれない。わからないけど・・・


    ここへきて、料理って、私が思っていた料理のおもしろさとちょっと違う角度の方向性が必要なものなんだ、と思えてきて。なんというか、仕事みたいな方向性ですね。食べるものを作るって事。当たり前なんだけれど、料理ってちょっとした労働なんですよね。実のあること。私は、多分これまで、料理って学術だと思ってたとこがありますね。私の中ではこれも実のあることなんですけどね。自分の個人的な研究のための、素材に過ぎないと思ってたようなとこあります。
    どっちか選ぶ必要もないんだろうけど、やはり家族のためにおいしいものを作りたいと思ったら、労働も楽しくなりますよね。自分のためにおいしいものを作りたいと思うには、なかなか難しいものがありますけれど。

  • 2011/08/26

    活動記録

    この時期は年賀状の依頼が入るのですが、今年はダウンロード販売の話など。
    暑い時期に、年末の気分を思い描くのって、結構難しいんですよね。
    根が、周囲の環境に左右されやすいたちなものだから、自分のコンディションというか、
    気持ちの持ち上げ方というか、集中の度合いには気を配らないといけないのです。

    たとえば写真を見て書くときなど、実物を見て書くときと同じかそれ以上のライブ感が持てるように、ちょっと病的なほど入り込みます。
    以前、ひどく体調を崩して精神科に入院したときに、主治医の先生が私の写真と絵を見比べて驚きました。写真はまったく絵にならないのに、抽出されたものを見ると構図になってるところがすごいですね、とか。
    私の感覚としては、見えているものをかいてるだけなんですけど、他の人が見るその写真と、私の見ているその写真の使いようというのがずいぶん違うみたいです。わたしが逆に驚きました。あー、私って、常識と思ってたことがまったく常識はずれのとんちんかんだったんだなーとやや落ち込んだほどです。

    人の世界の認識方法って、カメラのレンズとも違うし、なかなかこれと言語化や表現がしづらいもので、デッサンはそれを冷徹な3次元認識に近づける方法なんだろうけれど、
    私まだデッサンの目的とするところと、表現が目指すものとどう自分の中で折り合いをつけたらよいかわからないでいるんです。というか、描いてしまえばそれが現時点での答えなんだけれど、言語で整理しようとすると、あわや混沌の渦にのまれそうに。

    どなたかクリアな説明をしてくださいませんかね。

    掲出の作品は、辰です。(竜です)
    以前に所属している団体で、辰年の年賀状の大量募集があったのですが
    西洋の竜のデザインがやや不足気味という話がありました。
    結局それには間に合わなかったけれど、
    星の王子様の下へ愛するバラを運ぶような、素敵な竜がいてもいいじゃない。
    ということで描いたデザインです。

    皆様のもとへも、愛するものが届きますようにお祈りしています。

  • 紅茶に思う

    今日の長野は昨日、一昨日よりやや過ごしやすいです。

    この暑いのに紅茶をホットで飲むのは気が知れない方もいらっしゃるだろうけれど、
    相方の紅茶好きにつられて珈琲党から紅茶愛好家の仲間入りを果たしてしまった私は
    きょうも汗だらだらしながら紅茶をホットで飲んでいます。
    今日の紅茶は、普段飲み用のジャンナッツのダージリン。

    ダージリンて、季節ごとに味の特色がかわるもので。
    春摘みは爽やかで薄い色合いの緑茶を思わせるニュアンス、
    夏摘みはしっかりしたボディに骨のある味わい。時にはマスカットのフレーバーを感じることも。
    秋摘みはウッディ、枯葉のような趣の、落ち着いた味わい。

    気候が如実に味わいに反映されるものだから、農園ごとの個性も際立つし、やはり年によって出来具合も微妙に違ったり。繊細な植物でありお茶なんですね。

    ジャンナッツがどの季節のを使ってるかしらないけれど・・・
    これはフランス製ニュアンスのブレンドといわれることも。わたしはまだ、国ごとのブレンドの傾向ってわからないけれど、わかる人にはわかるみたい。
    おなじフランス製でも、エディアールと比べるとやや香りが薄く地に根を張るような穏やかさが感じられる。

    相方も私も、ダージリンはともに秋摘みがお気に入り。もっとも、季節や体調や気分によって、飲みたいものってちょっとずつかわるものですけれど。

    相方は、ダージリンの穏やかに感覚が開いてく感じをはじめウバ、スリランカ系の爽やかさが好きらしいし、
    私はダージリンも好きだけれど、ニルギリのブロークンやアッサムの目覚めが無性にほしくなることもある。

    相方が不眠系、私が過眠系、というのとかかわりがあるのかな、なんてひそかに話したりしてます。

    東御市にある紅茶やさんいい紅茶ドットコムで扱う、ニルギリのカーゾン茶園産が好きでして、アレを飲むと脳味噌が目覚めると同時に清浄になる気がする。ネパールのミスティ・バレー茶園の紅茶もチョコレート系のニュアンスがなんともいえないですし。

    先日、ちょっと東京まで出かける用事があって、紅茶専門店として有名なリーフルに寄ってきました。お値段は高めの紅茶を扱っているけれど、品質は確か。というより次元が違うというか。品数があれば無料でポットでたっぷり試飲させてくれるのがなんとも嬉しいお店です。
    そこで、ネパールのグランセ(石楠花)茶園という畑でつくった紅茶に出会いました。
    茶葉の状態の香りが、衝撃。何の抵抗もないのに華やかで、つい鼻の穴を広げて奥深くまで吸い込みたくなる。春摘みの、ウーロンハンドロール(ウーロン茶のように手で撚る)は香りをかいでるだけで美しさと幸せを感じました。

    紅茶として淹れると、またちょっと違った趣き。けしてオーバーでなく、高原のすがすがしい空気そのもののような。


    で、いま手元に春摘みと、秋摘みがあります。秋のほうは相方からのプレゼント。
    気分がよくさらに良くなれそうなときだけを見計らって、あるいはちょっとすぐれないときにカンフル剤として。大事に大事に飲んでいます。

    いつもそうなんだけれど、私は、おいしいものやいいものに触れると、アドレナリンが出るというか、自分だってこれに匹敵するくらいいいものを作らねば、とファイトが湧く性質なんです。生活の張りや変化というかしがみつくものが適度にないと退屈で(不安で?)死にたくなるというか(笑)

    環境の変化に過敏なとこ、ひょっとしたらダージリンと似てるんだろうか・・・


    そのおかげでいろいろ遠回りもしてるんだろうし
    歩くべきところをスキップもしてるんだろうしなさけないところもあるけれど、
    謙虚な気持ちを忘れず、なるべく目の前のことに照準を合わせ集中しながら周囲のサポートに感謝しながら歩いてかないとねと心新たにする今日この頃でした。

  • 展示終了

    本日午前中、相方に手伝ってもらって、蓼科クラフトヴィレッジの展示の搬出を行いました。
    最後のほうは、なかなか様子を見に行けなくて、売切れてしまったブックカバーがそのままだったり、売れてしまった壁の補填に行けなかったりして、来てくださった方にはほんとうに申し訳ありませんでした。

    かねてよりの友達がたずねてくれたり、密かに私のことを見守ってくださった方からご感想と励ましのメールを頂いたり、ノートにたくさん書いてくださった方もいました。可愛い女の子からも書き込みを頂きました。また、今回をきっかけに新たに広がった出会いなどもあり、皆様に感謝の思いで一杯です。
    日ごろ私を陰ながら見守ってくれている家族、相方、クラフトヴィレッジの北條夫妻やスタッフの方、モデルになってくれた愛犬やじゃがいもや花たち。竹紙を漉いてくださる小山さん。本当にありがとうございます。
    皆様からのご好意を、今後のより良い制作に生かしてゆけるよう、頑張りたいと思います。

    竹紙作品「ふたりのいす」は今後も陶仙房カフェあたりに、飾られることになりました。また、もうひとつ、同様の額(どちらも、家具製作のKIZENさんがつくってくださったもの)に入れた竹紙の作品「掌からうまれおちた」も、陶仙房のどこかに展示販売される予定です。ポストカードやグッズの一部はこれまでどおり、陶器売り場の一角にて販売しています。

    私が展示をしたギャラリーB棟は、8月は家具製作KIZENさんの展示会場になりますが、そこでも今回展示した一部が飾られています。壁が寂しいのでお借りしたいといわれたのですが、かねてより憧れの家具とのコラボが嬉しいのが本音です。(あのイスは座ると時間の流れが変わるのですよ…ソファより気持ちいい)


    今年は冷夏なのか、あと半月で短い信州の夏も終わりそうなのに、この陽気でお米など農産物が心配ですね。

    我が家の菜種はすくないながらも多少数が取れたので、今年また、私がシールをデザインした菜種油が絞れるかもしれません。ケーキを焼くのに入れると、アーモンドみたいないい香りがするという話を聞きました。もしまた販売できたら、おためしくださいね。


    掲出の写真は、展示風景の一部です。今回は、書き物机を作ってみたのでした。

  • 日々の徒然と、7月の展示告知など

    さて、告知です。
    7月1日から一ヶ月間、蓼科クラフトヴィレッジ(旧 陶仙房)
    で展示させていただけることになりました。
    バンガロー一棟貸切で、作品とグッズなどを展示販売します。

    交通の不便な場所ですが、自然の心地良さは格別です。どうぞお立ち寄り下さい。
    ついでに陶芸体験やおいしいカフェでお昼などもおススメです。




    以下、日々の徒然活動記録。


    【問】ここ最近、嬉しかったことを三つあげなさい。


    1.家の中がいくぶん穏やかである。

    母が退職を機にゆとりを持てたらしく、いらいらしたり金切り声をあげることをしなくなった。おやつが常に用意されているのはありがたいような、ちょっと食べすぎでまずいような。

    2、相方とアンドレ・ケルテス展を見に行かれた。

    メルシャン軽井沢美術館の企画。ここは今年の11月に閉まってしまうらしく、いい企画をしているのにほんともったいないと思う。
    ひとりの写真家の生涯の仕事を一気に見られる圧巻の展示。
    生き方としても、芸術の内容にしても、考えさせられることが多く
    自分にとって、のちの実りの希望のようなものが垣間見えた印象でもあった。構図感覚、というだけじゃない、まなざしの確かさというか強さのようなもの、ずば抜けているのを感じました。写真家にとってもそうであろうし、私のような写真を傍らに別の芸術を探索するものにとっても、ケルテスは偉大な作家とおもいます。

    相方は試飲コーナーで意気投合したカメラを抱えたおっさんと一時間ほど歓談、酒飲みっていいですね。わたしはおいしそうに飲むひと(相方)を見るのと、自分がちょっとだけ舐めるのが好きなだけで、コミュニケーションがへたなので、なんかうらやましかった。


    3.友達が、海の生き物の本を贈ってくれた。

    先日、国立の展示の際にちょっと喋った大学時代の友達が、海の磯あたりにいる生き物のいい本を見繕って送ってくれた。
    私が魚の絵がすすまず海に関する知識や下地が足りなくて困っていることをこぼしたので、心配してくれたんだ。
    本当は生の魚をおくりたいけど、と手紙が入っていた。

    いろいろ指定されてかなりがんじがらめになってて、動けなくなってたけど、純粋に姿のおもしろい写真がたくさんあったので、

    食欲を盛り上げないと、一品注文を増やさないと、ひとひねりあるものを何とか搾り出さないと、なんて無茶を無理やり描こうと考えて苦しくなってた自分を冷静に見つめ直したいと思っている。

    食の雑誌の仕事のときにいろいろ言われたことや、自分の中での過去の成功や失敗体験を、引きずりすぎたのかな。

    ありがとう。またツイッターでも宜しくね。

  • 芸術の存在意義「展」No.4 in国立

    東京・国立のギャラリー アートイマジンにて開催の企画

    芸術の存在意義『展』ーこの時代における作品の在り方ー No.4  

    5月26日(木)ー6月14日(火) 
    12時ー19時(火曜日12時〜16時)

    に出展します。私の登場会期は 
    第3期 6月9日ー14日です。

    11日は午後3時30分よりギャラリートークに出ますです。人前で喋るのは緊張しそうです。

    サイトにもアップされています。

    アートイマジン
    http://www.art-imagine.com/index.html


    線画、淡彩作品を中心に20点弱を展示予定。
    自分の心にどこか引っかかるもの、そのルーツを探る旅でもあると思います。


    会場には9日、11,12日、13か14はどちらかに行かれたら行きたいと思っております。
    お会いできましたら幸いです。

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