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2012/02/01
このところイラストや絵画の公募を見てもちっとも燃えないのは、
自分が変化したせいか社会が変化したせいか賞金が足りないのかバカ高い参加費(を求めざるを得ない文化)がバカバカしいのかそのどれでもないのかどれでもあるのか、と思っていたけれど、
むろん社会情勢の影響もあろうけれど、
公募情報を見たときに、若いときなら何らかのチャンス、と思っていたものが、今はその母体の理念とか、意義なんかに透けて見える意図をやっとわかるようになって、自分のようなものが参加する意味があると思えたら参加する、というスタンスに変わっているのだと気づいた。
華やかなステージは素敵だけれど、そのあとそこにいたものがどういう人生をじっさいに歩んでいくか、そこにいなかったものがどういう人生を歩んでいくか、審査員はどれほどの人でその後どうなるか、観客席の人はどうなっていくか、のほうが、興味を持てることになっている。
私は運良くKFSの学内コンテストで二回も賞と仕事を頂いたし、
社会に自分を放り出したあとすぐに、絵で賞金をいただく機会に恵まれた。
ファインアートの分野から足を踏み外して苦しんでいた自分にとって、
それは神様のご褒美と勇気づけだったのかもしれない、と今は思う。
いま、自分の作品を絵画として扱ってくださるギャラリーが二つあって、
折があれば仕事を承れる体制も多少は整っている。
10年前の自分が、なりたいなあと思っていた姿と、ぴったりではなくても、少しは似ている感じになっている。
それでいながら、いま、(今に始まった話ではないかもしれないけれど)
心の中ではいつも、これでいいのか?これでいいのか?と不安を抱えていて、これからの展開をどうしていったらいいのか、考えあぐねている。
イメージの枯渇のような状況(あるいはそれ自体、妄想や懸念かもしれない)になりながら、
鉱脈をたづねて、掘ったり休んだり。あまり活動的とは言えない。
線が心を「すべる」モチーフの共通点を探ったり、苦手なことを発見したり、ようやく何年もこんなことを繰り返して、うっすらととっかかりの輪郭が見えたような、いやまだまだ・・・なような。
辛抱強くお付き合いいただいている皆様、本当にありがとうございます。
そんななか、ひとつ面白い公募の誕生を目にしました。
「<a href="http://www.tosho-sekkei.gr.jp/tokyosouga/" target="_blank">東京装画賞</a>」
インスピレーションを言語に求めるやり方は、古来からの常套といいますが。
私は昔から本を読むのが好きで、文を書くのも好きだった。
本という存在のそのものが好き。電子書籍でなく紙の本が好き。
占い師に、あなたは本を書くとものすごく人気が出るでしょう、と言われてから、
いつか本に関わりたいなあとおもいながら、
病気をしてから、文章の構成や組立など思考を要する作業にひどく障害が残ってしまって、なかなか自分でうまく組み立てられないし、読むことも難しくなってしまっているのだけれど。
読みたい書きたい意欲だけはある。
同じ意欲を持った作家の芸術を汲み取れるかどうか、わからないけれど、
そして自分のようなちょっとかたわな創作活動をする者がどれほどの絵をかけるかわからないけれど、可能ならば挑戦してみたいと思えた公募だった。
そうでなくても、文学作品をモチーフに装画(もしくは絵)を描くというアプローチにはどことなく肌がしっくりするというか惹かれるものがある。
問題となるのが、画像加工ソフトの扱い。
イラストレーターがうまく使えないんです。
もし、今回の公募にあたり、私の装画とコラボしてデザインワークをしてみたい、という奇特な方がおられましたら、ぜひご連絡ください。
賞金が取れたら、山分けしましょう(とれたらね)(笑)
2011/03/14
東北関東大震災にあたり、被災された方をはじめ心を痛めておられる日本全国また全世界の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
私も弟が仙台で医者をしており、微力でも何かお役に立てないかと考えます。
長野も12日に大きな地震がありましたが、幸い無事でおりますので、今日は自治体の義援金受付に行きました。そのくらいしか今はできないのがなんとも心苦しく、テレビを見つめすぎて具合悪くなる情けなさです。
自分が元気でいませんと。
絵描きなら絵で元気を与えられないかと、踏ん張って、小さな金鳳花科の花たちを描いてみました。不肖ですが、支援しようとする皆さんの小さな努力がやわらかくつながってゆくことを祈って、掲載してみます。