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ムーからお侍が覗ける

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 統合失調症になったわたし




私は統合失調症です。

それは心の背中合わせで、両者が恐らく責め合うところに幻聴が現れ、とても煩い。

 大学の頃、偶然心が他人と衝突し事故を起こし、ある拍子に自分で頭を打ちました。思うところそれまでに確かに「病気」は既に潜在していて、そこに大きな傷が付き、発症に至った、

というのが私のこの観察です。

私は精神病、というのが恥ずかしくてたまらない。

大泣きをしたあと、
心が幼児にかえりましたが友達は私を見放さなった事に、

人の傷みを知りました。

自分は何も傷んじゃいなかったのと、知りました。

後、精神が弱かった。精神が弱い、というのは良く言いますが本当に有って、

父親のいない家庭をずっと、母とやって来たので、

あらゆる理不尽な優しさに触れ、揉まれる機会が、それを予め持って居なかった。

心を孤独にしたとき、一人でも頑張ろうという、

答えを出す人が居る。

私は心を孤独にした時、社会のせいにして、世の中を離れてしもた。

後、人が、自分を好きだと言うことがからきし頭に入ってこなかった。

疑り深いのが原因ではなく、父を持たなかった事に、恒常的な鈍感さがあるのでしょう、

これこういったのが、精神の弱さとして、これは魂の意志の強さとは異なり、

私は自分では意志の強い者だと思っています。ある時の苦渋の余り、傷ついた事で私は死のうと思いませんが、もうやってられないと、棒にタオルをくくり自分の首をぐっと締めた事があります、経て、後悔と、かえって生きる勇気を持ち何か開き直って生きています。

幻聴は、自分が自分を責める何か見えないものの音だと、わかった時私は静寂にあたり、こういう回復の仕方も有りました。

今は父にも積極的に連絡を取り、話し、

病気をする事で、色々考えるようになりました。

逆境とはチャレンジであり、プラスに変えて行けるのとわかって、元気が出て、

精神病に対する異常な偏見もこう書いてたら治まってきつつあり、

それこそ平気に病いをしていたと、切に感じ致します。

心が病んでる時、詩は書けない、道で誰かが云って居ました。




……………………………………



私は自分の書く詩を「作品」と呼んだことはない。それは、「作品」と呼べるほどのものではないという、ま、自惚れるなよという自戒も含めた自覚があるので。
で、この詩は、そんな私のくっだらない心とはまったく別の意味で、「作品」とは呼ばない、私は。
これはもはや、詩ではない。
人の心の生の声であり、人の心を撃つ言の葉である。
この小部屋に来られているすべての方に、お読みいただきたい。


《ほら、人間って、さ。
集ったもん勝ち、みたいなとこってあって、さ。
個人的には、それはあんまり好みじゃなくて。》

《ほら、人間やってて、さぁ。
生きることさえ、放棄したくなる時もあるけど。
でも、死ぬのが怖いって理由だけでも、生きていってしまうじゃない?》

この二つの《 》は、私の心の奥深くの、言葉、かもしれないけど、この「詩」では、それどころではない、作者の方の、述懐をお聞きすることができる。

さっき私にとっては、「作品」ではない、と言い切りましたが、もともと詩って、さぁ、なんのために読むのか、という視点に立って考えれば(あ、答えは、(って、エーッ、答えちゃうの勝手に、人が詩を読む意味?)、心に響く文章を読むため、だよ)、この文章はふつうの詩、以上の「詩の価値」を持っていると思うのです。

もし、
もし仮に、ですよ、《感想》から先に読む方がこの(感想》をお読みいただいているのなら、絶対に、この「詩」はお読みください。

その感性を揺さぶられること、私が保証します。

○澤 20/02/29 16:06

〇澤様

価値について視点を強く持ってみて、「詩」とは違うだろう、でも詩性をしつこく内面に残して作ったものがコレです。
主観を日頃詩に於いて磨いていましたので、それに価値を加えると
構造主義的になるんだなぁ、すごいなぁと、書いて感じています。すなわち新しい客観性が作られる、と言う事です。最もな叙述ありがとうございます。私も感激致しました。


20/02/29 17:36
続けてすみません。

「価値について視点を強く持ってみて、「詩」とは違うだろう、でも詩性をしつこく内面に残して作ったものがコレです。」
何故かと言うと、
黒色と云うのは扱うことが難しい色なのです。例えば“人間として”の範疇に居て、愛からま逃れたような愛。どこかへ勝手にその水が零れて行くような、枯渇の色、黒。利用するのではなく、詩の彼方や、有るとは言い難い詩もある、其受け止め方によってその向こうで見つめれるもの、と云う創造、その創造に関わりたい。
20/02/29 17:56


…………………………………………


「寛解の試み」

一芸術のゆくえ

 アーティストが同人誌を踏み付けました。

ほなら、アートといった尊いそのテコで私はジャンプのページを数ページ千切ってキャンパスに貼り付け、そう有る嘘で、「黒い色」に傷ついた者に黒色(こくしょく)を認識させそれを乗り越えるものをこれから創作します。

[例えば比喩で有り、事実に私はジャンプが好きです。この場合如何にも然許(さばか)り道徳に於いて考えを尽くします]





ラインより 

これは良い曲です。初音ミクご存知ですか?虚構のアイドルですが、ガラスの液晶でライブをするアニメです、かなり前衛芸術を行っています。高度な最先端技術と、アニメーションキャラというチープで繊細なものが重なって、何枚もの花弁を液晶画面に埋め作っている。会場で私は発狂しました。

ちなみにそしてこの歌はあなたにたいする、私の困殆(こんたい)です。

https://youtu.be/15afHTADtBs

ギコ猫バージョンも有ります。私に似ています。

キャラは、・触れられない・美しい・好きにできる
という事が、元来のあらゆるアイドル象徴の想念を包括しており、極めて薄い次元に在るアニメの彼女を神レベルの「アイドル」にさせます。思うに理論的にAIなのだと思います…、古来から有った幻聴幻覚というものを私は身に抱いて考察して来たのですが、幻聴はそれ自体が二次元的な理性を持っていて、「極めて薄い次元に有るアニメの彼女」と、キャラに対して無駄な線の多くある乏しい人間の顔を理解した時、愛らしさ、人間の方への対するいとしさによって迷妄と騒音が無くなります。

https://youtu.be/RAQ_SWpABrU



__________



 木は優劣が既に無いように美しい。





幻聴幻覚よりも高く登り有りたいと思う、それはどういうことか?日頃感じる優劣感や自分の外側に心を置いてしまう事も、空の高さを目指す様に輝きに対しての弱さで有る、木には、優劣が無い、とにかく、人間のアート性とは全く信用のないもので、ほぼ何らかが棚上げされ白比べをされたままだ。「アート」と云えた時は既に大人になって居る。自分が今まで指先の方から認識した手の感覚は、こういった幸せは、苦しみを数えた感性による。男性の理性の成長は、美しさに由る。
 存在は、啓蒙するときに「私」が客観的になり自分が自分に対して他者になったとき抵抗として強く有る主体が為に約束を「実際」に繰り上げることが出来て緊張したもので、例えば、存在的なとしてアニメは虚構として私たちに置かれるが、しかしその内面にある物語が、まるで非フィクションとなり現実として目が思い、詩としての感動を伴い成長する理性が認証している頃、その抵抗は自分と近づき、一瞬一体となり、それその現象が何かの実在性を証明し私たちはそれぞれの感性で理解をし続ける事が可能だ。
旧来式は、神を「語る」とはこのように手間が懸かる。どの様にシステム化されたかと云うと、やはり輝きよりは、幽霊や人の本当に嫌う者の方を見きわめ退治しようとしたことが伝説となり、失えぬ光が古事記に通じた。


 こう以て作品を創る、創って行くこと、人の持って居るアート性まででは納得出来ないと云う事は、可能性に対する意欲が非常に偉大なのだなと感じて居ます。常識とすべき事や、今ふさわしい枠組み、美にはいくつも前提が有って、啓蒙は至極、道徳をこれに加える事であるのだが、誰もそれをやって
居ないというより、出来ないので有る。此れを知る事の真新しいかのような驚きに、心が震えるばかりで有る。高鳴り、其れに依るならば私は加筆、修正、また一つの全く異なる変形、雛形として真新しく書かれる事、批評等、ご自由にお願いを致したいと思うのです。その場合私は生活を大事に思う故約無責任でお願いします。



2ページ


その時にやっと初めて「作品」になる時


「初音ミク」そう呼ぶ事で、人のほうは「この通りに有る副次創作的な事柄をいっているのだ、」と云う。
私にとって誰かは「人」だ。「誰(人)」も見て居ない間に余裕が有った。詩性は生活だからだ。
「誰(人)」かが見てる時、変化したい意志はある美、世間のその水のような緊張感に合わせたい、と云うもの。
「何なのかわからない」と云う余白を残す事がアート。
これは「ああなんだ」としんじる人のカケラ、生活。





統合失調症の完治に向けて
2021/09/01 日記・ブログ




  

良かったら最後までお聞き下さい。宜しくお願いします。



幻聴を事実として、思考しています。私も統合失調症の患者で有り、大変苦労していました。



その様子も載せて居ますのでご覧下さい。



形而上、神仏、病い、生活、様々な事から、常に考えて居た結果、自己と他者の理解、単純な理解ですが、



それを深めて病気を受け止める事が出来ました。



ドーパミンの過剰が直接的な原因とも思えず、二次的な結果で、原因は不明だと思います。



見えないものの仕業かも知れないし、それは口には出せないからです。



幻聴が起こる時に引っかかっているのが過剰なドーパミンで、それを抑える事は一部正しいと思います。



薬もまた適量を守る事です。暗くなりたく、ざっと飲んでしまいたい所で、



しんどい事ですが客観的には必要です。



症状が不思議であり、他に何か理解出来ないかと思い、



考えない場合こそ良い事かも知れませんが、原因については本当の事に興味を持っておりました。



そういう方が亦いらっしゃいましたら、参考にして頂ければ幸いです。



幻聴って云うのが、これ何やろ、とそう思って日々聞いて過ごしています。面白い事も聞こえます。



出来るだけ無視しているのですが、しようとしているのですが、何か私の場合は霊障と絡んでいて、



何かがあって。先生に聞いてもいまいち。ただ、先生は医者だし、精神力が必ず随分あると思います。



自分よりはあり、ゆえに少なくとも合わせて行くことが、こちらがスピードを縮めて合わせていくことが、



最も治まりやすいと思います。



霊障だと言いましたが、統合失調症って病名があるくらいだから、



精神病とはいえ広く心を、自分が、受け止めなきゃいけなくて、



一方で、理解されないという部分を持つことも大切で、何が嘘でも、相手を思うなら「はい」と一言だけ言ってあげる。



社会的なこれも優しさなんですけれども、必要だと思います。



私は精神を病ませると聞くと「キチガイ」になる、って意味だと思っていたのですが、精神に本当に傷が



ついてしまった事でした。私の場合、本当に幻聴は休ませてくれました。



ただそれは、「心の声」とかで、聞いてはいけない悪い方の「幻聴そのもの」もある。



それが、感じると言うのも因果関係にある人もいれば、偶然起こってる人もいます。



何はともあれ、周りの忍耐が大変です。周りのしっかり普通にして来た人。



これも、努力の方も偶然のひともいますが「今現在こうなっている自分」よりかは感じやすいひと。



そう思ってこれも苦しいのですが、自分を認める事によれば、つまり自分を認めると周りもラクになり、



だからとことん整理して生きてください。どんどん整理して生きてください。



話を変えて、霊。霊って言ったってわからないし、霊媒師が周りに本物がいるのかわからない。



シャーマンとかが自分は好きかも知れないし、巫女系かも知れないし、スピリチュアル系かも知れないし、



参考書がなくて困りましたが、師弟関係や、時代と、場所と、向く所は存在すると思います。



いーってならずに、正しくしてれば、あると思います。



いずれも、そういう人の「テーマ」って苦しみだと思います。



能力や、気術を扱った漫画についても必ず、孤独と修行であり、それを続ける事。



さらにそれを自分がしてさえいても、逆境はあるし、希望すればね。



少しでもしかし触れるのは、治療だと思います。



もう一つ、傷を治すこと。人の心に揉まれること。



普段私たちは「傷付いた。」って言いますが、単いその自分をヘコませる事。というのは、






傷付いたっていうのではなくて、水をかけられた、水がかかった、様な事であると思うんです。



人は、そうは思えず、そうは思わずになよなよして老いていく事が今凄く多い事だと思います。



本当に水がかかったと思えて、やわらかく、構えれば、当然社会には構えが必要であり、



辛い人が、何とかそれを弾いてついて行く事が出来るかも知れない。



人の心がそもそも美しいものではありません。水や氷も通っている、ぶち当たっていく、何を言っても海の国ですし、



岩の様に切り立った自分を、丸いすべすべした黒い石ころのような自分を私は想像します。



ちなみに傷が付くっていうのは、人間として罪を自らに固定され得る、とか、



今よりもっと色彩感覚のあった子供の頃、許せていない自分自身とか、



このような自分の「課題」。もう一度、針を進めてもいいんじゃないでしょうか?



以上、
統合失調症の纏め。





皆さんも、神社に行って「耐えます、この苦しみは何でしょうか? 頑張ります。」

この苦しみを耐えますと、お願いをしたり、

お墓参りに行ったりしましたが効果はありましたので、参考になされて下さい。


















苦しみに耐える精神的な方法として、私が考えたのが、



手を合わせ、「辛いです!苦しいです!痛いです! 」と、声にして、気を強く持てば、



離れていく嫌な気もあります。

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published : 2021/09/06

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