山本 薫(やまもと・かおり)

イラストレーター

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長野県上田市

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  • 紅茶とKPM

    熱い紅茶の美味しい季節になりました。

    紅茶生活が板についてきたと思った秋深き頃からなぜか私の嗜好が紅茶から遠のいていて、
    ハンプステッドの缶紅茶が、ダージリンもイングリッシュブレイクファストも半分あたりで止まっていたのですが・・・(その分コーヒー率が増えてもいたのですが・・・)
     
    ながの東急の地下紅茶売り場でアッサムのいいのが手に入ったのをきっかけに再び勢いを盛り返しました。

    相方の誕生日が12月初旬なのですが、今年はリクエストにお答えしてIpod nanoをプレゼントしました。
    そうしたら、むこうはちょっと早いクリスマスプレゼントだといってKPM(ドイツ王立の窯)の手書き絵付けのデザートプレートを用意してくれていたのです。
    ついでにミルクティ-に最適な、アッサムCTC(粒状)もつけて。

    KPMは、私がその絵付けの職人技に対して、心から尊敬している窯です。
    マイセンもロイヤルウースターもいいんだろうけど、私にとってはKPMがお手本のような気がするところがありまして。
    聞くところによると、花を描くときは生の花を前に絵付けをしたとかで、なるほどですがそれにしても度肝を抜く描写力。一回きりの、しかも陶器に、どうやってこれだけの花びらの表現が出来たのか不思議だといつも思います。
    また夜中に絵皿を眺めてふつふつと闘志を燃やすことになってしまいそう。

    アッサムCTCですが、茶園はハルマリ。
    これは薄めに淹れるとストレートでもいけます。今年の出来は少しこげ味みたいな独特の香ばしさがあります。

    ミルクティーって、みなさんミルクを先に入れますか、後で入れますか?
    これ議論の分かれるところらしいですよね。
    相方は、スプーンを使うのが面倒だから+器を傷めないように=先に入れる、派だそうです。
    一説には温度変化の具合でこちらのほうが美味しいと聞くことも。
    私は、・・・今両方試してみています。どちらが美味しいか。
    大事な器を使うときは、もちろん先に入れますが、なんとなく、あとから入れたほうが、ミルクの量が加減しやすいんですよね・・・
    二杯目と三倍目では、ミルクの量を変えたくもなりますし、その具合って、紅茶を注いでからじゃないと実感がついてこないという。。。
    習慣の問題かもしれませんが、私は大体、紅茶を少し注いでから、ミルクを入れてみて、また紅茶を注いで、調整しながらです。
    多分私にとっての大事なポイントは、スプーン使うかどうかというより、最終的に美味しく飲める、微妙なミルクの濃度なのでしょうね。



    いただいたKPMの絵付けの技術や精神性に少しでも近づけるように、日々の暮らしも制作も頑張ろうと思いを新たにしています。

  • デッサンについての覚書②

    私にとって、デッサンは言語でも絵画でもない現実をとらえることであります。言葉は現実に根を持ち文のルールに従い何らかの世界を描くものであり、絵画は同様に現実に根を持ち二次元のルールに従って何らかの世界を描くものであります。
    創作である以上ほんとうの現実とは何らかの形で袂を分かつ部分と根のつながる部分とあります。現実と完全に一致する創作はありません。あるとしたらそれはたぶん芸術というより道具か物体か人生です。
    創作の深化や、消滅しない創作活動に深いところでかかわるのがデッサンのたしなみです。単に木炭と木炭紙とパンと石膏像を使う時間がデッサンではありません。それは訓練すればいつどこでもできるようになります。また、絵が下手なのとデッサン力がないのとは似て非なるものです。

    デッサンをするときに障害となるのが、表現とは無から有を生み出すという安易な思考です。勘違いしちゃいけない。無から有は生まれません。有から有が生まれるのです。有と有の境目に、0があると仮定できるだけです。
    人間は生命です。あなたは0の神様から生まれたのですか。親から生まれたんでしょう。思想的に0の神様から生まれたと信じたい、無を信じる、もしくは啓示をうけたと勘違いする人がアーティストの素質があるんではないかなと思います。(辛辣でごめんなさい)
    そこを勘違いしたままだと、どこかで壁にぶち当たります。

    実際の努力というか、無から有を生み出すと誤解されがちなところは、たとえば数字で表すと限りなく自分をゼロ(死)に近づけていくのが表現者の追及であり挑戦であり危険なことであることです。表現を志す者がときに病気になるのは、ゼロと1の境をたどる途中でバランスを失いゼロに転がり落ちるからです。
    また、黄金比が黄金比たるのは、割り切れないことであることも、参考までに書き加えておきましょう。

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