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2011/09/21
ダリアと書くとだるいのが和らぎます。たぶん。
ストリートミュージシャンの仲間入りをした兄の誕生日がじきなので、
気持ちばかりですが一輪郵便「はなてがみ」を贈ってみる事にしました。
自由に選べる一輪のお花を郵送でポストに、というこの企画は
グッドデザイン賞もとったそうです。はじめて知った時、なんて素敵なんだろうと思いました。今後拡大していくだろうけど、本音を言わせてもらえばあまり有名になってほしくないなー、もらった人がはじめてこういうアイデアを知って、おお、いいね!と思って欲しい・・・そんなことを思います。
ちなみに贈る花はダリアではありません。あしからず。
最近、物語をかきたいなあと思い始めて。
じつは以前にも、てなぐさみに妄想やら幻想の類をまとめて形にしてみたことはあるのですが、そこからちょっと離れてみたくて、あえて文を書かない日々を送ってみていたのです。二年くらいかしら、だいぶ、文との付き合い方もかわってきたし、考えることの立ち位置も変わったように思います。少し冷静になれたかな、いやまだまだかな、そんな感じです。
久し振りに文と向き合おうと思ったら、手が動かないのですね。
で、同人でなかなか素敵な純文学系の文を書いてる相方に話を聞くと、遊びやスケッチみたいに情景を描くのを繰り返していると、そのうちそれらのピースがはまりはじめて、集中して書けるようになってくる、自分はそういうやり方をしているね。と言うのです。
私は以前自分だけで書いてたとき、ノイローゼのように集中してしまうかき方をしていたのですが、いま、ちょっと自分が変化したときに、集中の仕方に戸惑っていたんですね。
ヒントをもらえて、書くのが少し楽になりました。まあ何しろブランクも変化した調子もあるから、様子を見ながらですけれど。やっぱりイチローの言うバッティングが生き物、というのと同じで、文筆も生き物なんですな。
以前というかいまもかもしれないですけど、絵をかくときにもおなじ感じがします。
やっぱり動きづらくて、線がのってこないときがあったり、集中できなかったり、ってことがたくさんあります。遊びみたいにかいてみてるうちに動けるようになってくることもあるかもしれませんよ、と主治医にアドバイスをいただいたりしたことも。
実際、うまく行くときって、無駄なことが無いんですね。一見、無駄に思えることの先にちゃんと足場があって、次の枝に飛び移れるようになっている。何枚下図をかいても苦労じゃないんです。自分の状態の問題か、やり方の問題か、みえないのが心もとないのですが・・・
そのあたりを自分でコントロールできるようになってくれば、こわくないし内容もよくなっていくとおもうんですけど。一作つくりおわると崩れてしまう砂地の塔のようなこわさといつも隣り合わせなのです。
ツイッターで、名言を集めたbotをフォローしていますが、
今日、こんなものがありました。
meigenbot 名言bot
食欲なくして食べることが健康に害あるごとく、欲望を伴わぬ勉強は記憶をそこない、記憶したことを保存しない。 (Leonardo Da Vinci) http://amzn.to/jV9uBs
ひょっとして私の活動って、欲望不足なのかもしれません。
つながるもの、続くものを無意識に避けている、それは責任逃れ?それとも欝?
もう少し人生を素直に楽しむことをを考えながら
生きてみたいと思う、秋の昼下がりです。
2011/09/10
年賀状のダウンロード販売の企画に参加することになりました。
詳細はまた、年賀状の季節になってから。
昨日、軽井沢に行きましたら、暑い日でしたね。
25度ありました。
御代田のメルシャン美術館が閉館するというので、もったいないなーと思いつつ、最後の企画展示を見てきました。
アンリ・ル・シダネル。印象派のような感じかとおもっていたら、やや違いました。
光に対する独特のこだわりがあったようです。
シダネルの描く光は、夜や薄暮時や明け方のような、一瞬の奇跡のような時間。
内容もとてもよかったです。
パリ時代の作品にもいいなとおもわされましたし、その後のヴェルブロワに居を構えた頃やその前後もいいですね。
作家にもさまざまいるけれど、私は安定して一定のレヴェルを保ち続けるタイプに憧れます。
多分自分が、不安定でアップダウンの多い性質だからだと思います。
旅しながら絵をかき続けた頃のシダネル、羨ましく思いました。
かつて自分も、旅する画家を夢見ていた頃がありましたから。