山本 薫(やまもと・かおり)

イラストレーター

7

長野県上田市

0

http://www.kaorisi.com/
social
  • 3

    Fav 0
  • 9

    View 45,224
  • p

    Works 36

山本 薫(やまもと・かおり)

m
r

山本 薫(やまもと・かおり)

イラストレーター

  • 3

    Fav 0
  • 9

    View 45,224
  • p

    Works 36
  • 牡丹図花瓶

    2012/03/17

    活動記録

    線画のイラストレーター山本薫です。
    柄のある花瓶を描きました。


    ちょっとゴージャスにするなら芍薬を合わせて、
    手前で猪鍋でも囲んだなら、最強(やりすぎ?笑)。


    ところで、最近ブログを別に始めています。
    「快・画・手・帳」というタイトルをつけて、
    一日一枚の万年筆画のアップを中心に、展開しています。

    http://ameblo.jp/kaigatetyou/

    一日一枚は、日によって気合の入る日とめちゃくちゃ抜けてる日とさまざまですが
    私自身コラムと共に楽しみながら続けていますので、ぜひご覧ください。


    先日、ある出版社にファイル送付の可否を電話で確認したら、
    もともとその出版社のラインナップのファンだったのですが、
    編集部の電話の受け答えがものすごく感じがよくて、気持ちがよくなりました。
    お忙しいなか対応してくださった方々に感謝しております。


    明日も気持ちの良い一日になるかな?
    皆様にとっても良い日曜でありますように。

  • 点景

    温泉がてら相方と小布施方面へドライブしました。

    気になった風景をいくつか。

    今日はカメラを持っていかなくて、記録ができなかったです。



    ☆キリンの花屋

    屋根ほどの高さをした大きなキリンの親子のリアルなオブジェが、
    目を引く店があった。
    足元にいくつか売り物の花苗があることから、ようやく園芸品店らしいとわかる控えめさもある。
    小さな木地の看板が、ドアの上にあったが、名前は読み取れないうちに過ぎてしまった。キリンの表面のつやつやしたサッカーボールのような凸凹が、妙に目に焼き付いた。
    こんどは写真を撮らせてもらおう。


    ☆高い木とお墓のある古い家

    杉のようなのが5.6本だけ、しかも上の方だけ残してあとは禿げたように枝をはらってあり、高さは、5メートル以上はあろうかと思える。周囲は平らな畑ばかりなので不思議な光景であった。心無しか冗長してしまったような佇まいである。
    近づくと、たった一つのお墓の周囲に植えられたものである事がわかる。
    手前に家がある。木も高ければ家も古いようで、立派な日本庭園があって、少し門らしきものもあって、車が一台、大して感動もなさそうに停めてあった。


    ☆クリスマスローズ

    八重のもの、一重のもの、おお振りのもの、小さくいくつも咲くもの、
    白、ピンク、ロゼ、銀鼠、緑、黄、そして葉っぱも様々。
    原種を交配することで限りなく多様な品種が生まれる。
    フローラルガーデンの温室には、そんないくつかが所狭しと並べられていて、私は電話で母と相談してひと株買うことにした。
    うつむいて咲くのは、雄しべや雌しべを雪から守るためだとか。
    茎や花質は柔らかくて草っぽくてデリケート。花つきに、いかにも花らしい名の通りローズのような華やかさを感じるものもあれば、花というよりこれは萼の一部なんじゃないかと思えるようなのもある。

    夏は生育が止まるので、水やりは控えめに。冬は鉢植えならば室内に。植え替えは10月〜1月。
    その品種の多さに、とりつかれてしまう人もいるのだろう。

    私は八重咲きが好き、相方は一重咲きが好き。

  • 鶏の香炉

    2012/03/01

    活動記録

    こんなペン画を描いていて、素材の質感まで表現しようと執拗になればなるほど、
    ペン画の勢いから離れてしまうのか、
    美大受験の失敗のようなデッサンにはなるけれども、
    それ以上でもそれ以下でもない。(お恥ずかしい限りですが)
    さておき
    あの感じの書き込みとか仕上がりというのは独特のもので、
    ふしぎと美大受験関連以外の分野で見たことがないテイストだと思うのだがどうでしょう?
    書籍のイラストでも、あそこまで写実になってしまうと、引く手がないのかな。
    写真なみの描写力を、写真というものがある現在であえて必要とされないことの証かもしれないけれど。
    デッサンの途上の絵にはイラストとしての需要があるけれども、
    デッサンとして完結したものはうますぎる、ということでしょうか。


    学生時代、あれになりなさいと言われてあこがれても、
    どうしても心のブレーキからなれなかった自分。
    もっと描き込みなさい、もっと悪いやつになっていいんだ、
    そんな指導を幾度も受けた。
    でも無理やり進むと、必ず失敗した。完成した作品が、ほとんどなかった。

    ある夜中に、スケッチブックに自画像を描いた。シャープペンシルで。
    すべての線が、重なっていない、クロスハッチングというか面を表現する方向への線の連続だけで、顔の微妙な凸凹を表現した。そのとき、何かがわかった気がした。

    それから病気がひどくなって、だいぶ絵から遠のいた暮らしもしたけれど、
    あのたどり着いたイメージだけは忘れなかった。



    イラストを描いています、というと明るいポップなイメージを抱く方が多い気がする。
    実際を見せると、デッサンですね、という人もいるし、学生ならではの気概みたいなものを感じる方もいたようだし、もちろんこれはこれでイラストと捉えてくださる方も多いのだが、イラストレーターというより絵描きさんですね、と鋭く突っ込んでくださった方もいる。

    ペンで描くことを始めたのは、あのシャープペンシルの夜を意識したというわけではなくて、たまたま相方が万年筆を使っていて、一緒に使ってみたくて購入したのがきっかけだったけれど、
    線を大事にすること、っていうのはどこかでずっと持っていたのかもしれない。
    だから、美大受験のデッサンにあたって、線というものの存在を疑え、という方向性に馴染めなかったのかな。

    私は線を描くとき、
    一本で全て表して終わる、その繰り返しで絵を作っている気がします。

k
k