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2010/03/02
描いていて、いちばん「中実系」を感じるのは、人体デッサンじゃないかと思います。
人体は、ホントにセザンヌのいうとおり、「球と、円錐と、円筒……」
頭髪なんかもマッスとしてとらえるから、ぜんぶ中実系になってしまいます。
人体デッサンや彫刻デッサンを主とする美術教育を受けた人の目は、やっぱり中実系に敏感になっていると思う。
セザンヌにいわれなくても、自然を、「球と、円錐と、円筒……」で見ることができる。
これに対して、そういう教育をとくに受けていない「ふつうの」人の目は、やっぱり「自然を、球と、円錐と、円筒……」というものの見方はしないのではないだろうか。
ふつうにものを見る場合、やっぱりどんな人でも、「自分の価値観」によって相当にゆがみの入った状態で、世界を見ていると思います。
それは……いってみれば「価値観」というフィルタによってとらえられる世界像……
以前、なにかの実験で、成人男性と成人女性にいろんな映像を見せて瞳孔の開き具合を測定する……というのがあった。
結果は……男性が最も興味をもって眺めた対象は女性の裸体、女性の場合は赤ちゃんの映像であったとか。
男と女では……おんなじ世界を見ていても、全く違う……ということになりますね。
人体や彫刻のデッサンを主体とする美術教育は、こういう「人によってちがう価値観」をできるだけとりはらって世界を見る訓練……ともいえるけれど、それが本当に客観的なものなのか……それについては、やはりにわかには結論がでない。
たとえば、伝統的な日本の絵画技法においては、やはりセザンヌ流の「自然を、球と、円錐と、円筒……」というものの見方とはまったくちがう観点からの、しかしながらやはりある種の客観的な「ものの見方」が教えられていたと思います。
印象派における浮世絵の影響を云々するまでもなく……現代でも、「スーパーフラット」とかいって、西欧の伝統的な「世界の客観視」とは異なる見方を導入しようとする試みもある(多分にプロパガンダ的ではあるものの)。
こういうものは、やっぱり「中実系」を主体とする美術教育へのアンチテーゼとして、とりあげられるのかな……と思います。
アニメの世界だと、以前は、「中実系」を主体とする美術教育を受けたアニメータはあんまり多くはなかったのではないか……。
セルアニメの世界を見ていますと、そんなふうにも思う。
おもいっきりスーパーフラットですもんね。
ところが……
最近の3Dアニメを見ていると、事情もかわってきたなあ……と思います。
ポリゴンにテクスチャをはりつけて……というのは、まさに「中実系」のつくりかたではないか。
今、アニメの世界は伝統的スーパーフラットセルアニメとポリゴン3Dアニメが奇妙なふうにないまぜになってできているように感じる。
ポリゴン3Dアニメは、服みたいな「枚葉系」まで中身のある中実系でつくってしまっているみたい。(だから、どんな服でもゴムのよう)
髪の毛みたいな線形は、カタマリのアツマリとして、完全に中実系で再現しています。
おそらくは、これは過渡期であって、将来、もう少し安定した様相が出てくるのでしょうが……
それがどういうものになるのか、楽しみではあります。
セザンヌ氏を生き返らせて、見せてあげたいなあ……
「自然をポリゴンとして……」
なんて、言ったりして。
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