岡田千夏

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京都府京都市

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  • みゆちゃん記念日

     さる12月19日は、みゆちゃんがうちにやってきたみゆちゃん記念日なので、いまさらのようだけれど、みゆちゃんの特に可愛い点について述べて、のろけようと思います。
     本当は、19日当日にこの記事を更新すればよかったのだけれど、我が家にとって重要な記念日なのに、なぜか、私がみゆちゃん記念日を21日だと思い込んでいた節があって、それで去年も今年も間違えて、みゆちゃんが来たの21日だったよね、と昨日夫に確認したところ、19日だと訂正された。
     さて、みゆちゃんの存在自体が可愛さの権化みたいなもので、寝ている姿なんか、思わず真っ白なふわふわの毛に顔をうずめたくなるくらい可愛いのだけれど(本人には迷惑されます)、今回あらためて紹介するのは、「立っちしてスリ」と「立っちしてポン」である。
     どちらも、みゆちゃんに特異な行動ではなくて、他にもやる猫はいると思うが、「立っちしてスリ」は言葉の通りで、頭をなでてあげようと手を伸ばすと、「待ちきれにゃい!」といった感じで、後ろ足で立ち上がって、自分から頭をすりつけてくることで、私はこれをされるのが大好きである。軽く折り曲げて提げるようにした前足とか、うつむき加減でつぶった目とかが、たまらなく可愛い。
     もうひとつの「立っちしてポン」は、みゆちゃんが「遊ぼう!」というメッセージとして使うもので、やはり後ろ足で立ち上がって、両手で私の膝のあたりを挟むようにポン、と軽く叩く。半ズボンで膝を出しているとよくわかるのだけれど、決して爪は出さないで、柔らかくて小さな肉球の、可愛い感触がする。みゆちゃんが「立っちしてポン」をするのはいつも不意で、私の前を歩いていたと思ったら、突然振り返ってポンとしたり、うしろからだだーっと走ってきてポンしたりする。その唐突なところも好きだし、猫と接するときはこちらが一方的に撫でたり抱っこしたりということが多いけれど、そうやってたまにみゆちゃんのほうからスキンシップをしてきてくれること自体うれしくて、もちろんみゆちゃんの遊びの相手をしてあげる。
     ますます可愛いみゆちゃんを、これからも猫なで声で猫可愛がりしたい。

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  • 猫ちゃんはプリンターがお好き

     みゆちゃんはプリンターが好きである。というか、本当のところは好きかどうかはわからないけれど、プリンターが気になってしょうがないことは確からしい。プリンターを動かすと、寝ていても必ず起きてやって来て、印刷物が出てくるところに鼻や手を突っ込んだり(機械に巻き込まれないか心配なのだけれど)、うしろに回ってみたり、上に乗ったり(壊れないかしら)、チェックに余念がない。
     そうやってみゆちゃんがプリンターの周りをうろうろしている姿を見るのは面白いから好きなのだけれど、先日年賀状を刷っていたときに、八割がた出来上がって送り出されてきたはがきの端っこをみゆちゃんが加えて引っ張り出して、印刷に失敗してしまってからというものは、ちょっと警戒しながら、みゆちゃんの好奇心を眺めている。

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  • 猫用ゴーグル

     実家にいた頃、当時の外猫たちがよく近所の猫と喧嘩をして、ニャウーという声が表から聞こえてくるたびに、仲裁のために飛び出していった。寒い季節の夜中なんかに喧嘩の声が聞こえてくると、聞こえないふりをしようかしらと思いながら(実際、聞こえないふりをしたこともあるけれど)、上着を羽織って、懐中電灯を手に外へ出ていくと、やっぱり懐中電灯を手にした父や母も、猫を探しに出ているのだった。
     今では、実家の外猫のポチとタマがときどき近所の誰かと喧嘩をすると、父が仲裁に出かけていく。父が心配するのは、病気の感染もそうだけれど、目をやられないかということである。伯母は猫好きで、白黒猫を飼っていて、外の野良にもご飯をあげているのだけれど、その外猫の一匹が、喧嘩で片目をやられて、失明してしまったそうである。その話を聞いて、猫おやじの父は、猫用の防護メガネみたいなものが作れないだろうかなどと、突拍子もないことを言っている。

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  • 二十数年ぶりの快挙

     記憶にある限りで初めて年賀状を出したのは、確か小学校に入った頃の、いまからふた回り前の亥の年で、母に干支の絵を描くのだというようなことを教えられ、ボールペンで、紋付袴を着たイノシシがにこにこ顔で凧揚げをしている絵を描いて、仲のよかった友達や田舎のおばあちゃんなど、数枚の年賀状を送ったと思う。
     たぶんその頃は、余裕を持って年賀状を書いていたと思うけれど、それがいつのまにか、毎年、年賀状を準備するのは年の瀬が迫った29日とか30日とかになっていて、いつも間に合うかしらと気をもみながら作るから(間に合わないことも多いし)、来年こそは早く書こうと思うのだけれど、それが出来ずに去年まで来た。それが今年は、七福猫の図案を早くに作ったためか、信じられないことに、すでに全部書き終わってしまっていて(枚数が少ないということもあるけれど)、年賀状の受付はまだかしらなどと思うほどの余裕ぶりである。
     昔は、干支の動物を意識した図案を考えていたけれど、最近は猫ばかりである。干支の逸話によれば、猫はねずみにだまされて、新年の二日の朝に神さまのところに行けばいいものだと思い込んでいたため出遅れて、結果干支の動物になれず、それをうらんでねずみを追いかけるのだそうだが、猫年がないおかげで、十二年待たずに毎年猫の絵を描き送っても問題ないから、それで結構である。

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  • 水仙トイレ

     水仙に毒があることは知らなかった。切花を数本買ってしまったあとで調べてみると、ヒガンバナの仲間で毒があり、ニラと間違えて食べて中毒を起こしたりとか、牧草に混じっていたのを家畜が食べて中毒死したという事件があるらしかった。
     たとえば水仙を挿した花瓶の水をみゆちゃんが飲んだりすると、どれくらいの危険性があるのかわからないけれど、体に悪いだろうと思う。猫というものは、専用の容器に飲み水を入れてやっているのに、わざわざ、流しに溜まった水とか、金魚の水槽の水とかを飲むのが好きで、現に、いま机の上に活けているガーベラの花瓶の水を、みゆちゃんはしょっちゅう飲んでいる(ガーベラについては、調べた限り毒はなさそうだけれど、だからといってその水を飲むのは、あんまり体によくないかもしれない)。
     水だけじゃなくて、水仙は単子葉植物だから、猫草と間違って食べてしまう可能性もあるかもしれず、そうなると致命的だ。みゆちゃんの手の届かない水仙の置き場所を考えたけれど、犬と違って猫は上下方向どこにでも上り下りするから、結局、常にドアを閉めているトイレの中に飾ることにした。
     おかげでトイレは水仙の香りでいっぱいになった。天然の芳香剤みたいである。トイレの定番として、水仙の花はいいかもしれないと思いはじめている。

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    • 岡田千夏

      2007/12/14 02:24

      海浜鉱石さん、こんばんは。コメントをどうもありがとうございます。
      花壇に生えている水仙を猫が食べたと言うような話もきかないので、あまり神経質になる必要はないのかもしれないですが、一応、隔離してます…

    • 海浜鉱石

      2007/12/13 23:41

      洒落が上手い!
      (いきなり叫んですみません)

      それにしても、植物の置き場所に気を遣う必要があるんですね。
      よくよく考えてみれば人間の話にしても、この地球上、食べられない植物のほうが圧倒的に多いですよね。

  • 百日紅の紅葉

     植物園のホームページには、今年は例年以上に紅葉のきれいな年だということが書いてあって、実際、この前植物園を訪れたときにとてもきれいだったのだけれど、その前の年だってやっぱりきれいだったと思うし、行ったのがよく晴れた午前中だったから、光の影響も大きいのではないかと思っていた。
     ところが、庭の百日紅の木を見たとき、やっぱり今年はいつもよりきれいなのかもしれないと思った。いままでは、自分の家の庭のささやかな紅葉にはあまり注意を払っていなかったのだけれど、今年は丸い葉が深みのある黄色からオレンジに染まって、晴れた日に仰げば、青い空を背景に、とても美しかった。
     そのきれいな黄色い葉っぱも、十二月の冷たい風がどうっと吹いて、あっというまに散ってしまった。さびしい木が冬らしくなった庭に、ゆきんこが一匹、はやく降りすぎて困惑した雪のひとひらのように、覚束なげに飛んだ。ゆきんこというのは、お尻のところに綿毛のような白い毛の生えた小さな虫で、北のほうでは雪虫と呼ばれているそうだけど、正しい名前は、トドノネオオワタムシという。
     私の通っていた小学校は、小さな山のふもとにあって、その山すそにいつかの年の卒業生が作っていったアスレチックでよく遊んだのだけれど、地面に積もった落ち葉が冷たく湿る冬の初め頃、赤や青のペンキで塗られたアスレチックの丸太のあいだを、ちらほらとゆきんこが飛んだ。ゆきんこを両手で囲うようにして捕まえて、心の中でお願い事をしたあと、空に放したゆきんこが上へ向って飛んでいけば願い事が叶い、下のほうへ行ってしまうと叶わない、などということを、どこで仕入れてきたのか友達の誰かが言い出して、みんなで一生懸命ゆきんこを捕まえた。放しても上へ飛んでいかなければ、別の元気そうなのを捕まえて、上へ飛ぶまで繰り返した。
     ゆきんこを見ると、いつもそんなことを思い出して、庭のゆきんこも、両手で捕まえて何かお願い事をしてみたいような気になった。庭に降りたみゆちゃんは、ひらひらと落ちてくる散り残った黄色い葉っぱか、ゆきんこか、なにかを追いかけるように走り回っている。

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  • キジトラの散歩

     玄関先にやってきたキジトラのことを書いた次の日の昼に、家の前の通りを歩いていくキジトラの姿を見かけた。ちょうど散歩に出かけようとしていたところで、特に行き先も決まっていないから、距離を置いてゆっくりあとについていった。
     他に人通りのない裏道を、立ち並ぶ家々に沿ってとことこと歩いていく猫は、どこか目的地があるのか、いったい何を考えてその方向へ進んでいくのだろうと思う。
     やがて右に折れて、月極めの駐車場を横切って、その突き当たりにある家の前に置いてあるミニバイクにちょっと体をすりつけるようにした時に、尻尾をぴんと持ち上げた。ピンク色の首輪と、夜に見たときの黒目がちなイメージで、勝手に雌だと思っていたのだけれど、雄猫だった。そのあと、駐車してある車のタイヤの向こうに腰を下ろしてこっちを振り返った顔は、えらの張った、ふてぶてしいまさしく雄の顔で、暗がりで見た自分の記憶のいい加減さにあきれた。
     キジトラは、車の下で昼寝でもしようと思っていたのかもしれないけれど、私たちが遠巻きにしてちらちら眺めるのが落ち着かないらしく、再び腰を上げて歩き出したので、私たちも、もうあとを追わなかった。

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  • 猫のお客さん

     ときどきみゆちゃんは玄関に下りていって、ドアの下のすきまから外の空気を匂ったり、目隠しに吊るしている猫の絵のついた暖簾の向こうへ首を伸ばして通りの様子をうかがったりしているのだけれど、一ヶ月くらい前の、まだそんなに寒くない夜、ドアの前でにゃーおにゃーおと鳴きながら行ったり来たりを繰り返して、いつもと様子が違うので、外になにかいるのかしらと暖簾のすきまからこっそりのぞいてみたら、ドアのすぐ前に、真ん丸な黒目が可愛らしいキジトラ猫が、ちょこんと座っていた。
     家の中と外にいる猫同士が、どうやってお互いの存在を知ったのだろうと不思議に思って、せっかく来てくれたのだから、ちょっとあがっていってもらえたらいいのにと、無理なことを考えたりしながら、暖簾のすきまから見ていたら、ちょっと後ろを振り返ったキジトラの首にピンク色の首輪が見えた。
     しばらくしてもう一度のぞいたら、もうキジトラの姿はなかった。本当に、あんな可愛いお客さんだったら、いつでも来て欲しいくらいなのだけれど。

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  • 猫とシクラメン

     このあいだ、植物園にミケを探しに行ったときに、園内の販売コーナーでシクラメンを買った。シクラメンを選ぶときは、葉が元気なものがいいとか、葉っぱの数だけ花が咲くというようなことを聞いたことがあるから、もりもりと葉に勢いのある、フューシャ色のシクラメンを買った。
     何年か前にも一度、シクラメンを買ったことがあって、そのときは濃いピンクで、二、三ヶ月のあいだ花を楽しめた。花が終わったあとの、球根の状態になったシクラメンに夏を越させるのは難しいらしいけれど、なんとかなるかしらと思って捨てずにそのまま放っておいたら、やっぱりそんないい加減なことで難しいとされる越夏が出来るはずもなく、秋頃になっても、鉢の中で眠っているはずの球根はうんともすんとも云わないので、掘り返してみたら、土の中から米粒よりまだ小さい半透明のくねくねした虫がいっぱい出てきて、驚いて捨てたのだった。
     あたらしく買ったシクラメンを、台所の窓際に置いたら、殺風景だった台所が、シクラメンの赤で突然明るくなった。
     ところが、念のためネットで調べてみたところ、シクラメンには毒があるらしかった。猫がいる場合には、注意しなければならない植物らしい。もっとも、そのサイトの毒草の表を見たら、普通に庭木として使われているような植物もたくさん入っていて、みゆちゃんはというと、はじめちょっと匂いを嗅いだだけで、シクラメンには無関心なようであるし、それほど気にしなくてもいいものかもしれないけれど、一応、シクラメンをどこに置くべきかと考えている。

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  • 小鳥の落し物

     小鳥が種を運んでくる。庭の雑草の中に、ちょっと見慣れない草が生えていたり、なにかの小さな木の赤ちゃんが生えていたりするのは、小鳥の落し物である。
     前の年に生えていたヨウシュヤマゴボウもそうだし、その後釜に座ったイヌホウズキも鳥の仕業だろう。イヌホウズキは実にも毒があるのだけれど、小鳥は一度にたくさん食べないで少しずつ食べるので、中毒にはならないのだというような話を、どこかで読んだ。
     この春には南天によく似た木も生えてきて、実際、本当の南天ではないかと期待半分に思っている。今年は花も実もつかなかったけれど、来年は、実を結ぶかもしれない。
     鳥が運んでくる種は、何が生えてくるかお楽しみの福袋みたいである。ときどき、洗濯物の上にやられることもあるけれど、それもまあ、致し方ない。

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