あかり

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文学・文芸 > 小説

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trip

by あかり

  • iコンセプト

    じんじんの絵

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    怒っているの。とよく聞かれるが、怒っている訳ではない。
    私は世界を憎んでいるのではなくて、汚いモノばかりのこの世界を愛している。私の働くアクセサリーショップで似合わない装飾品を買い漁る若者の様な醜さを愛してやまないのだ。
    一昨日、母譲りの黒髪を明るい色に染めた。美容師はしきりと「もったいない」と繰り返していたが構わない。どちらにしても私は醜い。気分転換だった。私の体を必要としている複数の男女に見せつける為だったかもしれない。
    でも、通行人が私の髪を見て何か話していたのが気になって、髪を染めた事を後悔した。それで新しい帽子を買った。黒い、素材の良い帽子。量の多い私の髪を全て包み込めるくらいの帽子だ。
    仕事が終わったのが二十時で、今は二十一時。
    一時間も何もせず、ただ歩いていた。職場の近くにある坂を越えた公園を通り越して、森の様に木々が生い茂った場所まで辿り着いて、奥まで入ってみたくなった。あるいは私を呼んでいたのかもしれない。
    足元には蔦が絡みつき、高いヒールでは歩き辛かった。転びそうになりながらも、靴を脱ぎ捨てることなく先に歩き続けた。世界から少し離れたかった。世間から旅に出たかった。
    その建物は木々の間にすっと浮かび上がった。暗いからそんな風に感じたのかもしれないが、入り口の前にある一本の街灯が暖かい光でふわりとその建物と照らしていた。引き寄せられるように街灯の傍まで歩き、小さな看板を見つけた。
    「節足動物博物館」
    外観は赤茶色。紫の屋根が童話に出てくる小人の家の様な愛らしさで私を誘う。節足動物と見て私はまず蝦を思い浮かべた。頭の中は甲殻類のことでいっぱいになっていた。扉の横には律儀に入場料が書いてある。
    「大人600円、子供無料」
    私は入口の扉を引き開けた。入った右側に入場券購入の窓口があり正面には狭い通路と順路と書かれた標識が見えていた。入場券を買おうと窓口を覗き込んだが、誰もいない。運よく600円ちょうど持っていたのでその場に置いて中に入ることにした。
    正面の狭い通路へ足を運び、暗い順路を奥に行くと広い空間に出た。博物館の入り口の小ぢんまりとした雰囲気からは想像もつかないような空間に少し驚く。絨毯敷きの足元は高級感のあるワインレッドでひっそりとした空気を吸い込んでいた。壁は並べた品々より目立ちそうな紫に黒で花の装飾が象ってある。
    左側に順路の標識があったのでそちらから見ていくことにした。ガラスのケースに入ったそれは、虫だった。生きているような鮮やかさは私に少し恐怖心を抱かせた。数えきれない程の足を抱えたままピンと伸ばされたムカデ、凛々しい角を誇らしげに掲げるカブト虫、触ったら砕けてしまいそうな羽を目いっぱい広げた蝶々、背中の凹凸を見せびらかすダンゴ虫、一際目立つ赤で自己主張を怠らないてんとう虫、周りのどんなものも受け入れないよう世界に威嚇するカマキリ。
    こんなに美しい世界が存在していたなんて知らなかった。私は憑りつかれた様に館内をくまなく見て周った。想像していた蝦や蟹は全く居なかった。左からぐるぐると見ていくと最終的に真ん中に出る仕組みになっていて、部屋のちょうど真ん中に階段があった。その階段は地下に繋がっていて、私は帽子を脱いで自分の髪を晒し、躊躇うことなく下って行った。
    地下は一階より暗く、階段も危ないくらいに僅かな光しか行き届いていなかった。私は踏み外さない様ゆっくりと下った。そうすることでより神秘的な空気を楽しむことが出来たが。いくつかのガラスケースが並んでいて、そこには強すぎるほどのスポットライトが向けられていた。最初のケースには緑色の幼虫が蹲っていた。一般に芋虫と呼ばれている典型のようなそれは、先ほどまでの成虫が持っていた立派な足をどこに置いて来たのか、上手く歩けそうもない短い足を飾りに付けて、密やかにライトを浴びていた。
    何も作り出せない私の手足の様で親近感も湧いたが、私の手足とは比べ物にならない美しさだった。
    二つ目のケースは黒い幼虫だ。このフロアは幼虫が展示してあるようだ。黒い幼虫は何の意味があるのか、背中に所々オレンジの斑点を持って柔らかそうな身体には産毛を生やしていた。私の汚れた世界にはこんなに心震わす生き物はいなかった。
    すごくカラフルな幼虫や、茶色一色で枯葉に紛れたら探し出せないような幼虫、鋭い毛の生えた幼虫、つるりとすべすべしている幼虫など沢山の種類がいた。大きさもまちまちで、虫眼鏡が用意されているほど小さい幼虫もいれば、同じガラスケースが窮屈に見えるほど大きな幼虫もいた。
    最後のケースにはカブト虫の幼虫がいた。
    さすが、幼虫ですら王者の貫録を備えていた。身体の前の方に気持ち程度の足を持ち、美しい弧を描く。白い肌は中の組織を薄く透けさせ、お尻の方は青く光っている様な感じだ。身体の全体に細かい産毛を生やし曲線に沿うように横向きの線が幾筋も並んでいる。頭は成虫の様に硬そうだ。
    こんなに魅力的な姿は子供のうちだけで、大人になったら柔らかい身体を失ってしまう。それでも大人になることを望んでいるのだ。ここにいる幼虫は大人になれず、展示されたピーターパンだ。
    私は少し辛くなった。私の醜さを面と向かって指摘されている気がした。私は王者の子供を目に焼き付けて出口へと向かった。必ずまた来ようと扉を開けた。
    世界の醜さに疲れたら、世間の汚れに耐えられなくなったらまた、博物館は私を迎え入れてくれるだろう。
    私は世界も、世間も愛している。この顔は怒りの表情ではなく、醜い自分への恥じらいの表情なんだ。

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    怒っているの。とよく聞かれるが、怒っている訳ではない。
    私は世界を憎んでいるのではなくて、汚いモノばかりのこの世界を愛している。私の働くアクセサリーショップで似合わない装飾品を買い漁る若者の様な醜さを愛してやまないのだ。
    一昨日、母譲りの黒髪を明るい色に染めた。美容師はしきりと「もったいない」と繰り返していたが構わない。どちらにしても私は醜い。気分転換だった。私の体を必要としている複数の男女に見せつける為だったかもしれない。
    でも、通行人が私の髪を見て何か話していたのが気になって、髪を染めた事を後悔した。それで新しい帽子を買った。黒い、素材の良い帽子。量の多い私の髪を全て包み込めるくらいの帽子だ。
    仕事が終わったのが二十時で、今は二十一時。
    一時間も何もせず、ただ歩いていた。職場の近くにある坂を越えた公園を通り越して、森の様に木々が生い茂った場所まで辿り着いて、奥まで入ってみたくなった。あるいは私を呼んでいたのかもしれない。
    足元には蔦が絡みつき、高いヒールでは歩き辛かった。転びそうになりながらも、靴を脱ぎ捨てることなく先に歩き続けた。世界から少し離れたかった。世間から旅に出たかった。
    その建物は木々の間にすっと浮かび上がった。暗いからそんな風に感じたのかもしれないが、入り口の前にある一本の街灯が暖かい光でふわりとその建物と照らしていた。引き寄せられるように街灯の傍まで歩き、小さな看板を見つけた。
    「節足動物博物館」
    外観は赤茶色。紫の屋根が童話に出てくる小人の家の様な愛らしさで私を誘う。節足動物と見て私はまず蝦を思い浮かべた。頭の中は甲殻類のことでいっぱいになっていた。扉の横には律儀に入場料が書いてある。
    「大人600円、子供無料」
    私は入口の扉を引き開けた。入った右側に入場券購入の窓口があり正面には狭い通路と順路と書かれた標識が見えていた。入場券を買おうと窓口を覗き込んだが、誰もいない。運よく600円ちょうど持っていたのでその場に置いて中に入ることにした。
    正面の狭い通路へ足を運び、暗い順路を奥に行くと広い空間に出た。博物館の入り口の小ぢんまりとした雰囲気からは想像もつかないような空間に少し驚く。絨毯敷きの足元は高級感のあるワインレッドでひっそりとした空気を吸い込んでいた。壁は並べた品々より目立ちそうな紫に黒で花の装飾が象ってある。
    左側に順路の標識があったのでそちらから見ていくことにした。ガラスのケースに入ったそれは、虫だった。生きているような鮮やかさは私に少し恐怖心を抱かせた。数えきれない程の足を抱えたままピンと伸ばされたムカデ、凛々しい角を誇らしげに掲げるカブト虫、触ったら砕けてしまいそうな羽を目いっぱい広げた蝶々、背中の凹凸を見せびらかすダンゴ虫、一際目立つ赤で自己主張を怠らないてんとう虫、周りのどんなものも受け入れないよう世界に威嚇するカマキリ。
    こんなに美しい世界が存在していたなんて知らなかった。私は憑りつかれた様に館内をくまなく見て周った。想像していた蝦や蟹は全く居なかった。左からぐるぐると見ていくと最終的に真ん中に出る仕組みになっていて、部屋のちょうど真ん中に階段があった。その階段は地下に繋がっていて、私は帽子を脱いで自分の髪を晒し、躊躇うことなく下って行った。
    地下は一階より暗く、階段も危ないくらいに僅かな光しか行き届いていなかった。私は踏み外さない様ゆっくりと下った。そうすることでより神秘的な空気を楽しむことが出来たが。いくつかのガラスケースが並んでいて、そこには強すぎるほどのスポットライトが向けられていた。最初のケースには緑色の幼虫が蹲っていた。一般に芋虫と呼ばれている典型のようなそれは、先ほどまでの成虫が持っていた立派な足をどこに置いて来たのか、上手く歩けそうもない短い足を飾りに付けて、密やかにライトを浴びていた。
    何も作り出せない私の手足の様で親近感も湧いたが、私の手足とは比べ物にならない美しさだった。
    二つ目のケースは黒い幼虫だ。このフロアは幼虫が展示してあるようだ。黒い幼虫は何の意味があるのか、背中に所々オレンジの斑点を持って柔らかそうな身体には産毛を生やしていた。私の汚れた世界にはこんなに心震わす生き物はいなかった。
    すごくカラフルな幼虫や、茶色一色で枯葉に紛れたら探し出せないような幼虫、鋭い毛の生えた幼虫、つるりとすべすべしている幼虫など沢山の種類がいた。大きさもまちまちで、虫眼鏡が用意されているほど小さい幼虫もいれば、同じガラスケースが窮屈に見えるほど大きな幼虫もいた。
    最後のケースにはカブト虫の幼虫がいた。
    さすが、幼虫ですら王者の貫録を備えていた。身体の前の方に気持ち程度の足を持ち、美しい弧を描く。白い肌は中の組織を薄く透けさせ、お尻の方は青く光っている様な感じだ。身体の全体に細かい産毛を生やし曲線に沿うように横向きの線が幾筋も並んでいる。頭は成虫の様に硬そうだ。
    こんなに魅力的な姿は子供のうちだけで、大人になったら柔らかい身体を失ってしまう。それでも大人になることを望んでいるのだ。ここにいる幼虫は大人になれず、展示されたピーターパンだ。
    私は少し辛くなった。私の醜さを面と向かって指摘されている気がした。私は王者の子供を目に焼き付けて出口へと向かった。必ずまた来ようと扉を開けた。
    世界の醜さに疲れたら、世間の汚れに耐えられなくなったらまた、博物館は私を迎え入れてくれるだろう。
    私は世界も、世間も愛している。この顔は怒りの表情ではなく、醜い自分への恥じらいの表情なんだ。

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published : 2012/06/19

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